帰還
72、帰還
楓と暴走する精霊ショーレの戦い。綾は心底勝てるかどうか心配したのだが、全くの杞憂であることが間もなく判明した。
巨大化を続けて、身の丈が既に4メートルを超すほどになったショーレを、楓は霓で攻撃した。
綾や琴歌の攻撃ではさほどダメージがなかったショーレだったが、楓は違った。その七色に輝く剣が体表を突き破り、光り輝く体液が溢れ出した。それが霊力が液状化したものであることは明らかで、ショーレが苦悶の声を上げた。
「なるほど、頑丈だな。一応、手加減はしていないのだが」
楓の一撃に怒り狂ったショーレは腕を振り回しながら楓に迫った。綾では目で追うことさえままならなかったのに、楓は単純ながら効果的なステップで全て躱す。まるで最初に楓の動きが決まっていて、それに合わせてショーレがその周りを激しく躍動しているかのような、華麗で無駄のない回避だった。
それは単純に身体能力が優れているとか、ショーレの次の動きを優れた観察力で予測しているだとか、そういった次元の話ではなかった。ショーレの動きを誘導しているとしか思えない。
「精霊は霊力を貪るもの」
黒柳は頭の後ろに腕を回しながら言う。
「楓ちゃんは、精霊といずれ戦うことを予想して、入念にシミュレーションを繰り返してきたってことね。万能武器を駆使すれば、攻撃はおろか防御や回避もお手の物」
綾は目を見張った。楓は霓を武器として使っているだけではない。彼女の手から漏れる小さな光は、霊力の輝き。精霊は黒柳を狙って攻撃しているつもりが、精霊としての本能なのか、黒柳の撒いた霊力の流れに知らず知らず釣られ、動きを誘導されている。
体勢を崩したところに楓の剣が襲いかかる。精霊は瞬く間に傷だらけになった。どれも致命傷ではないが、全身から体液を流し、疲弊しているようだ。
楓は霓を剣から拳銃に変え、動きの止まったショーレに撃った。ショーレは着弾するたびに躰を仰け反らせ、頭を守るように腕でガードした。
「随分威勢が衰えたな。私を殺すのではなかったのか? それだけ大量の霊力を吸いながら、その程度の戦闘力とは。精霊とはまったく、くだらん生き物だよ」
「うるさい……!」
ショーレが呻き声を漏らした。そして全身から霊力の輝きを放ちながら突進する。
「気に食わない! 澄ました女ぁ――!」
「奇遇だな。私も気に食わん。醜い生き物だ、精霊というのは」
楓は霓を拳銃から再び剣に変えた。ただし先ほどまでのより刃が長く、全体的に細い刀身をしているように見える。
精霊が撒き散らす霊力の塊で、離れたところに立つ綾もその余波だけでひっくり返りそうになった。しかし楓は毅然として迎え撃つ。
「精霊の汚い部分を教えてくれて、礼を言う。これで私はますます精霊という生き物を嫌悪することができそうだよ」
突進するショーレ。楓は一歩、前に進み出た。擦れ違いざま、何か太いゴムの束がブツリと切れるような、そんな低い音がした。それはショーレの首が飛ぶ音だった。楓は一刀の下に首を刎ねてしまった。
綾は口を押さえた。保護するのではなかったのか。まさか殺してしまうなんて。隣に立っていた琴歌が頭を抱えた。
「あー、ショーレちゃん……!」
ショーレの頭部が地面に落ちると、彼女の胴体もタイミングを見計らっていたかのように、どうと地に倒れた。そして死肉の悪臭を放つ代わりに、霊力の輝きとなって空気中に霧散した。跡形もなくショーレの首から下が消失してしまった。
楓は霓を収納し、悠々と一行の下へ戻ってきた。そして肩を回し、小さく息を吐く。
「やれやれ。夏八木が機転を働かせて精霊騎士の施設を奪取しなければ、もって手こずっていたかもしれないな。鹿取、霊力を回収しておけ。実績値換算で千万単位になるだろう」
鹿取は興味なさそうに応じる。
「これで億万長者ですね」
「我々の活動資金の足しになるかもしれないし……、あるいは資源以上の価値を持たないかもしれない。地上に出てみないと分からないがな」
綾は首を傾げた。資源以上の価値を持たない? いったいどういうことだろう。綾は考えようとしたが、その前に集中力が途切れた。近くに立っていた琴歌がふらつき、今にも倒れそうになったのだ。
「琴歌さん!」
倒れる前にぎりぎり支えることができた。琴歌の顔色はかなり悪かった。弱々しい笑みを浮かべる。
「あはは、ありがと、瀬山さん」
「だ、大丈夫ですか!?」
「これが、大丈夫じゃないんだよね……。あはは、帰還の模様を琴歌チャンネルで流そうと思ったけど、無理っぽいね。ちょっとやられ過ぎたみたい」
琴歌はここでがっくりと頭を垂らし、意識を失った。綾は慌てふためいたが、すかさず池添が琴歌を両手で抱え、持ち上げた。
「この水着の女性が相沢琴歌さんか。なんつー恰好してるんだ。しかも煽情的な躰をしてやがる」
「い、池添さん!?」
「ここじゃまともな治療は受けられない。綾さん、急ぐぞ。地上に帰還だ」
既に地上への階段は夏八木によって用意されている。綾は頷いた。
「分かりました。琴歌さんをすぐに運びましょう」
「いいですよね、楓さん」
池添が訊ねると、楓は小さく頷いた。
「もうこのダンジョンに用はない。逃げ遅れた精霊騎士を潰してやろうかとも思ったが、こちらが逃げ道を用意しない限り、生きて戻れないだろうから、それは夏八木の気分次第だな」
綾は焦っていた。琴歌がここで死んでしまっては、元も子もない。しかし階段を駆け上ろうとしたとき、視界の隅に不穏なものを見た。
ショーレの生首。動いている。
綾ははっとした。生首の顔面が罅割れ、干上がった沼地のような不気味な質感になっている。近くにいた竹俣も異変に気付き、琴歌を抱えている池添の前に立った。
「まだ終わっていないようですね。とりあえず、池添さんと瀬山さんは、要救助者を連れて先に帰還してください」
「大丈夫なんですか!?」
「まあ、いざとなったら佐久間部長がいますし」
楓はしかし、何を考えているのか、手を出す気配がない。綾は緊張し、琴歌とショーレの生首を見比べた。
「……池添さん、琴歌さんをお願いします。私は私の役目を果たします」
「おいおい、俺だけ先に帰還って、格好悪いにも程があるだろ」
「でも琴歌さんの怪我は重傷で、一刻の猶予もありません。お願いします」
「……分かったよ。でも、本当はこの女性は綾さんが連れて帰ったほうがいいんじゃないか」
「その階段がすぐ地上に繋がっていれば安心ですけど、何か不測の事態が起きたら私では対応できないかもしれません。池添さん、お願いします」
池添は肩を竦めてから頷き、琴歌を抱きかかえて階段を駆け上っていった。綾は竹俣と共に、ショーレの生首に近付いた。
その顔面が崩れ、皮膚やら体液やらが地面に流れた。その奥には若々しい肌色があった。青い頭髪が見える。
ショーレの巨大な生首が割れると、中にあったのは、小さな精霊だった。全裸で、見たことがないほど小さいが、それはまさしく精霊の幼生。胎児のように蹲ってそこにいる。
綾は唖然とした。竹俣も驚いているようだった。楓と黒柳がのんびりと歩み寄ってくる。
「上手くいったか。これで相沢琴歌と、大精霊の卵の保護は完璧に遂行できたというわけだ」
楓が淡々と言う。綾は振り返り、底知れない強さを誇る部隊長を見た。
「最初から分かっていたんですか。てっきり、殺してしまったかと」
「死んでしまっても構わないとは思っていたが。異常な打たれ強さと俊敏性を誇る肉体を見て、どうも精霊の肉体をベースに霊力で補強しているというよりは、霊力そのものの躰を駆使しているという印象があった。もし原形となる小さな精霊がいるとしたらその頭部。と推理したまでだ」
楓の言葉に黒柳が大笑いした。
「あははは、でもさ、楓ちゃんからすれば精霊は敵なんでしょ。保護なんてして、これからどうするの」
「もちろん利用する。それ以外に何がある?」
万物は私に利用される為にある――そう言わんばかりの態度に、綾も少し可笑しくなった。ショーレが生きていて安堵したのもあったかもしれない。
ショーレが目を覚ました。初めて出会ったときより小さくなっていたが、目をぱちくちさせて意識がしっかりすると、起き上がるなり綾を指差した。
「あっ! あーっ! 詐欺師だ! 詐欺師がいるよここに!」
「詐欺師じゃないよ……」
綾は困ってしまった。黒柳が綾の肩を小突く。
「何よ、なになに、知り合いなの? ていうか詐欺師って? もしかして綾ちゃんって稀代の悪女だったり?」
「ち、違いますよ! ちょっと商品の取引のとき、手違いがあって」
ショーレが裸のままじたばたする。見た目は少女だがそもそも精霊は人間とは違い、雌雄の区別がないので、あまり性的な匂いはしなかった。
「そういう言い訳を用意して! ばれても誤魔化せるようにしてから、この私を騙したってわけだねっ!!? これは計画犯だ!」
憤激するショーレだったが、あまり元気がないのか、すぐにくたりとその場に座り込んでしまった。黒柳が綾と精霊を指差す。
「ほら、綾ちゃん、しっかり保護してあげて。この子のこと、相沢ちゃんはショーレって呼んでたわよね」
「はい。そうみたいですね」
「ショーレを保護して帰還すれば、今回の作戦はめでたく終了ね。綾ちゃんも漸くゆっくりできるかもね」
「……そうですね」
異世界に迷い込み、ダンジョンに取り残され、帰還したと思ったら、琴歌を救うべく攻略組に入り、今に至る。異世界に来てからというもの、全く心休まる時間がなかった。
これからはやっと、この世界をゆっくりと見て回ることができるかもしれない。少なくとも、もう積極的にダンジョンに潜る理由はなくなったのだ。
鹿取が大量のキューブを抱えたまま一行のところに戻ってきた。
「佐久間部長、半分くらいは回収できましたが、ちょっと持ち切れませんね。キューブを輸送用に加工すればもうちょっと持ち出せそうですが、多少時間がかかります。どうします?」
鹿取は暴走するショーレを倒した際に周囲に拡散した霊力を掻き集め、随分忙しそうだった。楓は鹿取に指示する。
「それでいい。もう十分だ。それに余さず回収しようと思えば、既に隔離ダンジョンの支配権はこちらにあるのだから、後で来ればいい」
「次は峠本あたりに来させてください。結構しんどいんですから」
鹿取はうんざりしながら言った。峠本というのは、あのいつも眠そうな菜桜のことだ。菜桜も鹿取と同じく霊力の扱いに長けているらしい。
楓は頷いた。
「軟弱な。まあ、いい。帰還する」
綾は気絶したショーレを抱え上げ、階段を上り始めた。夏八木が手配した退路は安全で、間もなく地上に帰還することができた。
出口には門間たち観測部隊が待っていた。しかし、突入以前より随分人員が少なくなっている気がする。綾はちょっとした違和感を覚えた。
池添と琴歌の姿はもうなかった。既に病院へと運んでいったらしい。具合はどうなのか気になったが、それより、門間の表情が暗いのが不穏だった。
「門間、何か言いたげだな」
楓が訊ねる。門間は恨めしそうに楓を見た。
「……知っていたのですか」
「何を言っている」
「部長は全て知っていたのですか!? 大精霊の交代――そのときに何が起こるのか」
「さあ。色々と夢想はするが、それが現実に起きるかどうかは分からない。いったいどうしたというんだ、門間」
楓はほんの少し嬉しそうだった。その喜悦を感じ取った綾はぞっとした。
門間は小刻みに震えている。そして苦々しく言った。
「……精霊たちが、我々人類に対して宣戦布告をしましたよ。いえ、宣戦布告というよりかは、虐殺ですが……。テレビでもラジオでもネットニュースでも何でも見てみてください。巨大化した精霊が、地上で人間を捕食し、街を破壊して回っている……」
綾ははっとして、今自分の腕の中で眠るショーレを見た。
「大精霊候補の精霊が……!?」
「そういうことだ。次の大精霊は、期間中に集めた霊力が最も多かった候補者が就任する。そういう決まりになっている。精霊どもの選別が始まったというわけだ」
楓が言う。そしてふうと息を吐く。
「大精霊の候補者たちは、地上やダンジョンに存在する霊力を食い散らかすだろう。放置すれば我々の文明は崩壊する。大精霊候補がいったいどれだけ存在するのか正確な数は不明だが、日本にもこの小さな精霊以外に何体かいるだろう。被害が拡大する前に討伐せねばなるまい」
楓の言葉に、綾はまだ自分に平穏な生活が訪れないことを悟った。もうこんなおかしな世界に迷い込んでしまった時点で、傍観者にはなれない。綾にはそれが非情な事実に思えた。




