怨み
70、怨み
「あっ、今、二人死んだ」
黒柳のこの言葉がきっかけだった。綾たち6名の救助部隊は、フレイザーたちと遭遇したポイントへ戻った。フレイザーたち精霊騎士が単なるダンジョンの魔物に敗れるのは考えにくい。彼らを倒せるとしたら、凶悪化した大精霊の卵、それしかいない。
「瀬山! 貴様は下がれ」
楓が叫ぶ。綾は一行の先頭をひた走っていた。元来た道を戻るのだから、最初最後尾だった綾と黒柳が、一時的に先頭に立つのは当然の話だったが、綾はそこから後ろにつこうとはしなかった。危険な隔離ダンジョンを一人突出して突き進む。
「どうしたの、綾ちゃん」
黒柳が追いついて来て事情を尋ねる。綾は胸に手を当てて答えた。
「何と言うか……。胸騒ぎがするんです。二人死んだって黒柳さんが言ったその瞬間から」
「相沢ちゃんのことを心配してるの? でも死んだのはさっき会った精霊騎士のことよ。消えたのは彼らの生命反応。間違いない」
「そうではなくって」
綾はかぶりを振った。
「私がこうして皆さんに無理を言って救助部隊に入れてもらって、隔離ダンジョンに潜り込んで、危険な任務に就くことになって……。それは、この瞬間の為だったんだという直感があるんです」
「うん? どういうこと」
「ごめんなさい。理屈では説明できません。ただ、胸騒ぎがするというか」
「女の勘ってやつ?」
黒柳の言葉がしっくりきたわけでもないが、とりあえず頷いておいた。黒柳は訳知り顔で何度も頷いていた。
「なるほどね。じゃ、それ信じてみましょうか。おーい、楓ちゃん。私ら先に行くから、のんびり歩いてきてよ」
「黒柳さん……?」
「何だかよく分からないけど、私は綾ちゃんの直感を信じるわよ。それが、師匠としての務めだね」
綾は深く頷いた。そして走る速度を上げた。ほとんど周囲を警戒せず、元来た道を進む。黒柳は綾の全速力に難なくついてくる。
しばらくして黒柳がはっとした声を発した。綾は一旦立ち止まる。
「綾ちゃん! まずいわ、なんかでっかい反応がある」
「どういうことです?」
「精霊の反応……。でも、普通じゃない。これが大精霊の卵ってことなの……。まともにぶつかるのは危険。だけど、近くに二人、人間の反応が」
綾はもう止まっていられなかった。再び走り出し、そしてそれを見た。
巨大な精霊。躰のあちこちが変形、変色し、精霊特有の美貌も損なわれている。そしてその精霊に捕まっている水着姿の――
「琴歌さん!」
綾は竜剣を発動させた。熱風を纏ってその巨大な精霊に臆することなく突っ込む。初撃を精霊の胴体に叩き込んだが全く手応えがなかった。まるで鉄柱か何かに平手を喰らわせたかのようで、相手を倒せるというビジョンが浮かばない。
だが黒柳の霊力充填が発動し、なおも竜剣が熱く燃え盛った。自分を信じ、竜剣に全ての力を込めて精霊に二撃目を叩き込む。
切断はできなかった。しかし僅かに胴体に傷がついて精霊はよろめき、琴歌を離した。
「やれやれ、無茶するわね、綾ちゃん」
黒柳が肩を竦めている。綾は精霊と対峙した。保護すべき相手。しかし今は全力で戦うべき相手。
綾は琴歌を庇うようにして立つ。かつて彼女が綾を命を呈して守ってくれたように。自分も彼女を決死の覚悟で守り抜いてみせる。
こんな異世界に放り込まれて、何をすればいいのか分からないときもたくさんあった。だから今こうして明確な目的の許に戦えることが、綾には少し嬉しい。もちろん戦うこと自体に悦びを見出だすわけではないが、今できるのはこれしかないのだから、そう、全力でぶつかってやる。
「私を騙した――邪智奸佞の輩」
精霊が口走る。綾は首を傾げた。精霊はもはや琴歌のほうを見ていなかった。
綾に血走った眼を向け、跳躍の姿勢を取る。綾は回避の準備をした。機動靴に霊力を集中させる。
だが精霊の動きは想像以上だった。気付いたときには精霊の異形が目の前にあり、自分の腹に精霊の拳が食い込んでいた。
防御する暇さえない。その威力は近くにあった精霊騎士の死体を見て何となく察している。死を覚悟したが精霊の一撃は綾に致命傷を与えることなく、衝撃で吹き飛んだが、ほぼ無傷だった。
黒柳の五風十雨。他者に霊力を充填することで、勝手に武器や防具の性能を引き出してくれる。綾は黒柳に助けられたのだ。もし彼女がいなければ間違いなく死んでいた。なるほど、攻略組の猛者たちが黒柳に一目置いているというのも頷ける。これほどのサポートはないだろう。
「綾ちゃん、こいつやばいわ! まともにやり合ったら勝てない! 強いし速いし頑丈だし、なんか綾ちゃんとか相沢ちゃんの霊力を吸い上げてるっぽいし、おまけにあんまり可愛くないし! 後退しましょう」
「わ、分かりました」
綾は素直に従った。琴歌は何とか立ち上がることができた。近くにいた精霊騎士の一人も、綾たちについてきた。
暴走する精霊は巨大化し続け、岩壁をがりがりとその巨躯で削り、崩しながら迫ってきている。窮屈だと訴えかけるように呻き声を漏らすと、次の瞬間、ダンジョンの道幅や天井までの高さが数メートル拡張された。
綾はぎょっとしただけだったが、黒柳が舌打ちする。
「まっずい。まっずいなあ! あの精霊、ダンジョンの構造を自由に変えられるみたい。下手したら退路を塞がれるわよ。フレイザーちゃん、なんとかできないの」
フレイザーと呼ばれた精霊騎士はかぶりを振った。
「どうだかな。仮に対抗できる手段があったとしても、お前たちには教えられん」
「こんなときにそんなこと」
「精霊は我が主であり、魂の根幹を支える存在でもある。彼らに敵対することは許されない」
黒柳とフレイザーが睨み合いながらダンジョンをひた走っている。綾は琴歌を支えながらなんとか精霊の追撃から逃れてきた。
「ふ、フレイザーさん! こちらもダンジョンの構造を変えることはできないんですか! 精霊騎士は普段、どうやってここの構造に手を加えてたんです」
フレイザーはちらりと綾のほうを見やり、ふんと鼻で笑った。
「教えるわけないだろう。お前、馬鹿か?」
「このままだと全員死にますよ!」
「それならそれで仕方ない。残念だが、精霊に叛逆するよりマシだ」
「叛逆なんてする必要ありません! 構造を変化させて退路を確保するだけです」
フレイザーは嘆息した。
「……実を言えば、こちらは既にダンジョンの支配権を失っている。大精霊の卵が暴走を始めたその瞬間から、我々の隔離ダンジョンでのアドバンテージはほぼ全て消失したと言っていい」
「なっ……」
綾は歯を食い縛った。何か方法はないのか。黒柳が周囲を見渡し切迫した声を出す。
「ああ、もうっ! なんか道が変わってる! 楓ちゃんたちと合流できれば、何とかなるかもしれないけど、分断されちゃったみたい」
あの精霊、最初は自分がダンジョンの構造を変化させられることに気付いていないようだったが、段々とモノにしてきたというところか。綾たちは懸命に走ったが、やがて行き止まりに達した。
「ウッソ……。レーダーで確認したらさっきまでここ道になってたのに。私たちが着くと同時に壁を塞いだ……。おびき寄せられたんだわ」
黒柳が絶望的な声を発する。いつも能天気な黒柳が真面目な顔をして悲痛な声を発しているのは、綾にとってかなりのショックだった。
琴歌が槍を取り出す。
「戦ってみるしかないようね。えっと、黒柳さん? っていうの? あなたは支援タイプのようね。サポート頼める?」
「無茶よ。あなたはダメージが酷い」
「そりゃそうだけど。瀬山さんに前衛を任せる気? そこのフレイザーさんは戦う気がないようだし」
綾は竜剣を構えた。
「私が壁になります! 琴歌さんは後方から支援を……」
「瀬山さんがあの化け物とまともに立ち向かったら、一瞬でやられちゃうわよ」
「私を信じてください。大丈夫です。一瞬だけかもしれないけど、隙を作ってみせます。何とか行き止まりから脱してください」
綾は走り出した。精霊が正面から迫ってくる。恐ろしいほどの霊力の唸りが伝わってくる。あの精霊はまさしく霊力の塊だ。まともにぶつかったら弾き飛ばされるだろう。黒柳の支援があったとしても対抗できるかどうか。
そのとき、綾は奇妙な感覚に襲われた。見えない手によって躰を90度回転させられたかのような。鳥肌が立ち、重力の方向が変わり、視界もぐるんと傾いた。
ダンジョン全体が回転した。この感覚は奇妙で、新鮮だった。それは目の前の精霊にとっても一緒だったようで、無様に転倒し、手足をじたばたさせていた。
綾たちも大差ない状態だった。しかしフレイザーだけは慣れた様子ですぐ立ち上がった。
「スペクルスの封印が解かれたか……。やはりこのダンジョンはもはや精霊騎士の支配下にはないようだな」
「スペクルス?」
黒柳が訊ねる。フレイザーはしばらく黙り込んでいたが、考えが変わったのか、淡々と話し始めた。
「超深層、及び隔離されたダンジョンで稀に見られる、ダンジョンの構造に干渉する魔物だよ。毒々しい斑点模様のトカゲで、そいつの唾液は人体や金属を溶かす危険なものだ。そいつが足踏みするたびにダンジョンが回転し、それで冒険者が困惑するところを鑑賞するのが楽しみという悪趣味な奴だ」
琴歌がぶんぶんと頭を振る。
「なるほど、あのトカゲ、スペクルスとかいうのね。そいつのせいで、ショーレちゃんとはぐれちゃったのよね。それさえなければ、今頃わたしは可愛いままのショーレちゃんと戯れてたかもしれないのに」
フレイザーは話を続ける。
「そいつがダンジョンの構造に干渉すると、我々の安全にも関わるので、隔離ダンジョンに突入する前に一時的な封印を施す。それが解かれたということは、これから奴に無茶苦茶に掻き回されるかもな」
「そしたら、精霊からも逃げられるかもしれない……?」
「かもな。だが、我々が離れ離れになる危険もある」
綾はやっと立ち上がった精霊を睨みつけた。
「……それに賭けるしかなさそうですね。そのスペクルスというトカゲは、近くにいるんでしょうか」
「さあ。しかしあいつは人間を前にしないと絶対にダンジョンを回転させないからな。あのトカゲと対峙した人間が上手いこと挑発してくれれば、ダンジョン全体が撹拌され、逃げ道も作れるかもしれない」
「やっぱり、私が時間を稼ぎます。それしかない」
綾の言葉に、琴歌はかぶりを振った。
「わたしも戦うわよ。まさか綾ちゃんにお荷物扱いされるとは思わなかったわ」
「そんなことは……」
「とにかく琴歌さんも戦う! いいわね?」
綾はもう頷くしかなかった。精霊が野獣のような顔になり、襲いかかってくる。琴歌が素早く前に出たが、眼中になかった。狙いは明らかに綾で、攻撃はまっすぐ綾に向かっていた。
「やっぱり……」
綾は懸命に回避、黒柳の力を借りながら精霊の攻撃をいなしながら確信していた。この精霊は綾に恨みを抱いている。本来なら厄介な事態だが、囮役としてはこれ以上ない条件といえる。
「私が精霊を引きつけます! 皆さんは逃げて!」
「何を馬鹿な……!」
「綾ちゃん!?」
綾は走り出した。そのときダンジョンが更に90度回転し、精霊がすっ転んだ。綾は猛然とダンジョン内を突き進み、琴歌たちから離れた。
「こっちにおいで。小さな精霊さん。私はあなたから物品をくすねた極悪人。そうなんでしょ? あのときの精霊さんなんでしょ? 私は逃げはするけど隠れはしないよ」
綾は手招きしながら言った。精霊は起き上がりざまクラウチングスタートのような姿勢を取ってから、猛然とダッシュしてきた。
綾は竜剣を構えてそれを迎え入れた。この三日間、黒柳に鍛えられてきた。その成果を今、見せてやる。




