嵐
48、嵐
迎えの車が来ない。赤地嵐子は地面に落ちていた小石を蹴飛ばし、苛立ちを表現した。しかしその行為を見ていた人間はいなかった。仲間の二人はケータイを弄っている。
「だぁああああ! もうっ! 迎えが遅い! 約束じゃあ二時間前から待機してるはずでしょ。超深層から帰還した冒険者を労わる気持ちはないの!?」
嵐子は怒り狂っていた。超深層への転移装置が置かれたダンジョンは数少なく、都内ではここが唯一だった。ろくに手入れもされていない広葉樹が周りを囲み、赤土が剥き出しの小山が脇にある、うち捨てられた公園の一角に、そのダンジョンの入口はあった。仰々しい防護壁や立ち入り禁止の看板等はなく、厳めしい転移装置やら通信装置やらの機械類がブランコの脇に置いてあるのはなかなか違和感のある光景だった。
攻略組においては有名なところで、常に部内の人間や、別の部署の職員がたむろっているはずだが、今は誰もいなかった。ただでさえ陰気な場所なのに、人がいないとまるで自分たちが組織から見捨てられたかのような錯覚に陥る。
「嵐子ちゃん、落ち着いて」
と、仲間の一人――峠本菜桜が欠伸混じりに言う。嵐子がちらと彼女のケータイの液晶を見ると、ゲームをしているようだった。
「菜桜! それ、ダンジョンから帰ってきてすぐやること!?」
「うん。三日もログインしてなかったから、どうなってるかなって」
「どうなってたっていいじゃないの! くだらない!」
菜桜はもう一度欠伸をかまし、そうだねー、という気のない返事をした。その飄々とした態度が嵐子には気に食わなかった。仕事のときもシャキっとしてくれていればいいのだが、ダンジョン内でも菜桜はこんな感じの女だった。
しかしもっと気に食わない奴が、菜桜の隣にいた。猫背でケータイをいじる、先日二〇歳になったばかりのぼさぼさ髪の男。
「ほら、池添さんも!」
池添弌朗はびくりとして、嵐子のほうを見た。
「おいおい、いきなり大声出すなよ……。ご近所さんに迷惑だろうに」
「この辺に住宅なんてありませんよっ! 早く本部と連絡取ってください!」
「あれ? さっき嵐子が電話してなかったか? 迎え寄越せって怒鳴り声が聞こえてきたけど」
嵐子は苛々していたが、必死に自分を抑えつつ、答えた。それでも声は荒ぶる。
「どいつもこいつも『今は行けませーん』とか抜かすから! もう私、苛々しちゃって、もう精神的にムリです!」
「お前、年中苛々しているだろ」
「ああ?」
嵐子は目を剥いた。池添は慌ててケータイを操作した。
「さ、さてと、電話、電話。楽しい電話。誰がいいかなー、楓さんには電話した?」
「佐久間さんに迎え寄越せだなんて、さすがに私でも言えませんよ。報告はしましたけど」
「そっか。でも楓さんに言えば一発なんだよな。暇な奴を寄越してくれるだろ」
池添はそう言いながら公園の外を見た。すると、おっ、と嬉しそうな声を発した。
「どうしたんですか、さっさと電話してくださいよ!」
「そうカッカするなよ。どうやら迎えが来たようだぜ」
嵐子たちは公園の外に出た。車一台分の幅しかない狭い車道を滑るように進んできたのは、公用車ではなかった。左ハンドルの高級車。嵐子は運転席に座る青年を見てハッとした。
如月。日本で唯一の異邦人。中肉中背の冴えない顔をしている、開発組のコア研究員にして実験台。
「おやまあ、随分と贅沢な迎えだなあ。日本政府はもっと手厚く保護すべきだろうに」
池添はぼやきながら運転手に挨拶をした。
「どもー。攻略組の池添弌朗です。迎えに来てくれたんですね?」
如月は窓を開けて、軽く手を上げた。
「こちらの手違いがあったようで申し訳ない。とはいえ、私もたまたま近くを通りがかっただけなので、ちょっと窮屈だろうが、我慢してくれ」
嵐子が車内を見ると、得体の知れない機材などが詰め込まれていて、なるほど、若者三人が乗り込むにはやや窮屈だった。
池添が後部座席に乗り込もうとしているのと見て、嵐子は彼の肩を掴んだ。
「おいおい、なんだよ、さっさと乗ろうぜ」
「池添さんは助手席でお願いします! まさかうら若き女の子と密着してやろうなんて考えてませんよね!?」
「か、考えてねえよ……、お前、意外と貞操観念しっかりしてるよな」
ふわあと欠伸をしながら菜桜が後部座席のドアを開ける。
「私は、別にいいよー? 弌朗さんと隣でも」
「はあ!?」
「大きい枕のほうがぐっすり眠れるし」
菜桜はどうやら車内で寝るつもりのようだった。池添もさすがに苦笑している。
「おいおい、お前、先輩の肩を枕にするつもりかよ」
嵐子は急にどうでも良くなって、盛大に溜め息をついた。
「……もういいわよ、勝手にしなさい! 私が助手席ね!」
嵐子は助手席に乗り込んだ。あまり如月と話す機会がなかったので、少し恐縮する部分もあったが、気の弱そうな顔をしていて、いかにも嵐子の嫌うタイプだった。なよなよした男子には日頃から苛立ちが募っていた。
「お世話になります」
嵐子が頭を下げると、如月は軽く手を振ってそれを制した。
「いやいや。超深層から帰還したばかりなんだろう。ご苦労様。きみたちが持ち帰ったデータで、我々は研究を進めているわけで。本当、頭が下がる思いだよ。こんな形だが、少しでもきみたちの力になれるのなら、こんなに嬉しいことはない」
間もなくして車は発進した。細い道を器用にすり抜けて行く。早朝の道を歩いている通行人を丁寧に躱しながら、如月はちらりと嵐子をほうを見る。
「何か?」
「いや。きみ、確か、赤地嵐子さんだろう。先月の戦功一位になった」
「戦功一位はたまたまですね。超深層に潜るのが他の隊員より二度ほど多かったですし、池添さんと菜桜のやる気がなかったおかげで、戦功を稼ぎやすかったんです」
別に謙遜したわけでもなく、事実だった。如月はくすりと笑う。嵐子は少し苛立った。
「何か?」
再び言うと、如月は苦笑した。
「ああ、いや、申し訳ない。噂通りの子だと思ってね。可愛らしい顔をしているのに、話し方に棘があるというか……」
なんだ。喧嘩売ってるのか。嵐子はむっとした。
「ところで如月さん」
空気を変えようと思ったのか、池添が声を発する。ミラー越しに見ると、本当に菜桜は池添の肩を枕にぐっすり眠っていた。さしもの池添も少し居心地が悪そうだった。
「なにかな、池添くん」
「都内とはいえ、ここって研究所からは少し離れてますよね。しかもこんな早朝だ。この辺に何か用事でもあったんですか。最近ダンジョン管理局に出張ってるとは聞いてましたが」
「ああ、ちょっと人と待ち合わせをしていてね」
如月はすらすらと答える。
「待ち合わせ時間よりかなり早く到着して暇していたところ、我らが英雄たちがダンジョンの入口で待ちぼうけを喰らっていると聞き、迎えに来たんだ」
「待ち合わせですか。研究所内ではなく、外部で?」
「向こうさんの希望でね。極秘の話らしい」
極秘って。むしろ秘密の話ならば所内ですべきではないのか。嵐子は訝しんだ。
嵐子はなおも会話を続けようとする池添を制して、
「差し障りなければ、誰と待ち合わせをしているのか教えて欲しいんですけど」
嵐子の言葉に池添が少し慌てる。むにゃあと菜桜が呻いたので、そこから動けなかったが。
「おいおい、嵐子、突っ込み過ぎだぞ」
「別に構わないさ。黒柳さんだよ」
黒柳。あの鼻ピアス女。嵐子が最も嫌っている隊員の一人だった。凄まじい強者だということは認めているが、いつもやる気なさそうで、休憩室で漫画を読んでいる。佐久間部長と古くからの知り合いらしいが、その立場に甘えて、他の隊員を脅している。反吐が出る女だ。
「そうですか」
嵐子はもう興味を失った。黒柳とは関わりたくない。しかし如月はなおも続けた。
「……それと、新しく攻略組に入った女の子も連れてくるそうだ。名前は瀬山綾」
嵐子はカッと目を見開いた。新人? 嵐子たちが超深層に潜っている間に、新人をスカウトしていたのか、佐久間部長は。
「新人ですか。どんな人なんですか」
「一五歳の女の子で、実力はそう高くない。毒気のない子で、まあきみたちも仲良くやれると思うよ」
毒気のない子。それはつまり嵐子のような強気でつっけんどんな女ではない、ということか。嵐子が不機嫌になったのを感じ取ったのか、如月は慌てて言った。
「ところできみたちは加貫総合研究所まで送り届ければいいんだよね? それとも別の場所に?」
「研究所までお願いします。色々と報告があるんで」
池添が言った。嵐子はシートベルトの表面に爪を立ててカリカリと音を立てた。
「あの、その瀬山綾って子ですけど」
「え、あ、うん」
「黒柳……、さん、と一緒に待ち合わせているんですよね。どんな用件があるんですか」
突っ込み過ぎただろうか、とも思ったが相手が怯まない内から遠慮してしまうのも馬鹿馬鹿しい。嵐子の質問に、如月は首を傾げた。
「さっきも言ったが、極秘の話らしいからね。知らないが……」
「何も疑問に思わなかったんですか。わざわざ如月さんを呼び出すなんて」
如月は研究所内どころか、政府全体の中でも超重要人物で、ほいほい呼び出して良い人間ではない。如月自身は謙虚な人間だが、彼とて馬鹿ではなく、自らの行動に責任が付随することを熟知しているはずだ。
如月は嵐子の問いかけにも平然としている。
「さてね。ちょうど私も気晴らしが必要な頃合いだったし……、黒柳さんとの話なら退屈することもないだろう」
「……そのお話とやらに、私も同行していいですか?」
嵐子の申し出に如月は目を丸くした。池添が声を張り上げる。
「おい、嵐子! 出しゃばり過ぎだ」
「池添さんは黙っててください。如月さん、どうですか」
「どういうつもりで言っているのか分からんが、別に構わないよ。どうしてもきみに聞かせたくない話なら、黒柳さんがそう言うだろう」
嵐子はどうもきな臭いと感じていた。黒柳はどちらかと言えば、攻略組の中でも開発組に理解のあるほうだが、それでも如月と個人的に話をするような間柄ではなかろう。恋人でもない限り……。
もちろん二人は恋人などではないはず。何か特別な事情がある。そのわりに如月の口が軽いのはどういうことか。嵐子にはまだ見当もつかなかったが、あの気に食わない黒柳が隠し事をしているというのなら、それを暴いて、目にモノ言わせてやりたいという思いはあった。
「じゃあ、一緒に行かせてください。池添さん、そういうことなんで」
「どういうことだよ……」
車は研究所の駐車場に到着した。池添と菜桜はそこで降りたが、如月の車はすぐに発進した。
車内で二人きりになると、如月は寡黙になった。嵐子が話しかけても返答がそっけない。やがて待ち合わせ場所についた。
そこは普通の喫茶店で、近くに駐車場がなかったのでコインパーキングに車を停めた。車外に出ると、如月は嵐子に言った。
「赤地さん。くれぐれも店内では大声を出さないようにね」
嵐子は心外だった。一般常識くらいはわきまえている。
「分かってますよ!」
「そうそう、そういう声は店内では控えるように」
如月は笑んでいる。嵐子はまだ声を出すと大声になりそうだったので黙っていた。
喫茶店に入ると、既に黒柳が待っていた。わざわざ立ち上がって如月を呼んでいる。
「あっ、如月さーん、おひさー。……って、どうして嵐子ちゃんが!?」
「うるさい黒柳」
嵐子は悪態を突いた。そして、黒柳の隣に座っていた女の子に目がいった。
もっとおとなしめの女子を想像していたが、顔つきはどちらかというと精悍としていて、嵐子を見る目にも力がこもっている。これが瀬山綾。嵐子はふーんと喉の奥で声を漏らした。
「まずかったかな、連れてきたら」
「駄目に決まってるでしょ、如月さーん! 極秘の話だって言ったのに」
「別に。もう消えるわよ。ちょっと新人さんのつらを拝みたかっただけだし」
嵐子は言い、瀬山綾の前に立った。綾は少し驚いているようだった。
「私、赤地嵐子。攻略組の双刀遣いで、あなたの先輩」
「はい。よろしくお願いします。瀬山綾です」
二人は握手を交わした。それから嵐子はひらひらと手を振った。
「そんじゃ、お邪魔みたいなんで車の近くで待ってますよ」
「赤地さん、車の中で待ってていいよ」
如月から車の鍵を受け取った。嵐子は頭を下げ、店外に出た。
店の看板の前に、腕組みをしながら立っている男がいた。どこかで見た顔だな、と思いつつも話しかけはしなかった。
如月たちの秘密の話とやらが終わったら、探りを入れてみよう。どうしても気になる。あの新人の瀬山綾とも、後できっちり話をしよう。嵐子はそう決めた。
如月の車内に入ると、ケータイが鳴った。池添からだった。
「もしもし、池添さん?」
『おっ、嵐子。如月さんに迷惑かけてないか』
「かけてませんよ! で、何の用なんですか!」
『おいおい、お前の沸点低過ぎだろ……。どうして怒鳴るんだよ……。もう慣れたけどさ』
池添は言う。
『今、所内で面白いことが始まってるみたいだぞ。噂の新人の瀬山綾とはもう会ったか?』
「ええ、会いましたけど。感じの良い女の子です」
『お前がそう言うってことは、本当に印象の良い少女なんだろうな。その子が、佐久間部長の課したノルマに挑んでいるらしい』
嵐子は少し興味を惹かれた。
「へえ?」
『攻略組の面々と戦って、三日以内に三勝。それができたら隔離ダンジョンに挑めるんだと』
「隔離ダンジョン? もしかして、先日の事故ダンジョンのアレですか」
『そういうことだ。隔離されたダンジョンに、まだ三名の冒険者が残っているらしい。お前も知っている名前だぞ。制圧部隊の神と志村……、それから一般人の相沢琴歌という女性』
嵐子はふーんと返事をした。
「神と志村なら心配ないのでは? でも、どうして瀬山綾はその隔離ダンジョンに?」
『相沢琴歌を助け出したいらしい。俺たちに任せておけばいいものを、自分でやると言って楓さんに直訴したらしいぞ』
「へえ」
なかなか根性のある少女だ。嵐子は感心した。
しかし身の程をわきまえていない。隔離ダンジョンは、環境にもよるが、超深層よりも危険な場合がある。攻略組が救出しに向かうのなら、上位組のみの編成となるだろう。
「その隔離ダンジョン、私たちも行きたいですね」
『正気かよ。俺は嫌だね。それより、綾さんに模擬戦を申し込まれたら、絶対に断れないそうだぞ。楓さんの命令だそうだ』
それを聞いて嵐子は不審に思った。思わず喫茶店のほうを見る。
「……何かありますね」
『だな。よほど期待された新人なのかな』
池添の的外れな意見は無視した。嵐子は勝手に通話を切った。そして車外に出る。
喫茶店に近付いた。彼女たちが窓際の席にいたおかげで、如月、黒柳、そして綾が頭を突き合わせて話をしているのが見えた。
ふと、喫茶店の入口に仁王立ちしている男に気付いた。大学生風のちゃらい男。
「そこ、どいて」
「駄目だね」
「私、客なんですけど」
「どこがだよ。盗み聞きするつもりだろ?」
そこで初めて嵐子は男の顔をまじまじと見た。そして思い当たる。
「あんた、制圧部隊の……!?」
「千石だ。俺を知ってるのか?」
嵐子はちらりと店内を見た。
「……如月さんをガードしているの? まさか黒柳を守る必要はないと思うけど」
「答える必要はない」
「そこどいて」
「駄目だと言っている」
「話って、どんな話をしてるの」
「俺も知らん」
埒が明かない。嵐子は強引に入ろうとした。千石がそれを阻む。
「管理局のならず者集団のくせに。この私を邪魔するっていうの!?」
「邪魔しようとしてるのはお前のほうだろ。ていうかお前、声大きい」
嵐子と千石は睨み合った。ダンジョン内だったなら問答無用でぶっとばしているところだが、ここは地上。警察に捕まる。
「……ふん、いいわ。私もここで待つ」
「勝手にしろよ」
千石と嵐子は並んで喫茶店の前で待つことにした。二人があまりに険悪だったので、喫茶店の前を通り過ぎる人々は度々ぎょっとした。黒柳たちが出てくるまでの三十分もの間、会話をすることはなかった。




