三城戦・激突
40、三城戦・激突
綾は痛みに悶えながらも、沼地の中をゆっくりと移動していた。竜剣に霊力を微量だけ注ぎ込みながら、切っ先を泥の中に浸す。水分が飛び、靄が発生。少しずつ靄が晴れて行く沼地のフィールドで、靄の量を持続させるには、相当の霊力を消費し続けなければならなかった。
最初から水のフィールドを想定していたわけではない。ただ、ダンジョン内で神と志村に一瞬だけ通用した目くらましの手段なので、三城にも最初は通用するだろうという計算はあった。
「あっ……。もうっ……、痛いな、これ。ずっとこのままなのかな」
綾は脇腹と肩に穿たれた弾痕をそっと撫でた。三城がばらまいた機関銃の弾。回避もせず、防御もしなければ、気配を感じ取られることはない。その可能性に賭けた結果、靄に乗じて竜剣の攻撃範囲まで近づくことができた。
しかし誤算だったのは、三城の正面に出てしまったこと。綾も視界が悪く、銃声のしたほうへ走っただけなので、仕方のないことだった。とはいえ、あそこで決められなかったのは痛い。
もう一つ誤算だったのは、この怪我の痛み。演習室内での痛みは緩和されているらしいが、それでも脂汗が噴き出てくるほど痛い。もちろん、実際に銃で撃たれたら歩けなくなるほどの痛みが襲ってきて、戦闘継続なんて不可能だろうし、そもそも軽機関銃の弾って、かすっただけで人体をバラバラに引き裂くほど強力なイメージがある。三城が牽制用に威力をわざと落としていなければ、何もできずにやられていた。
不運は一つあった。しかし幸運は幾つかあった。綾はそれを噛み締めつつ、靄の中を移動した。
霊力切れはまだ心配する必要はない。手術の効果は確実にあったようだ。泥の中を、なるべく音を立てないように移動した。湯気が綾の周囲を取り巻いている。この靄が三城の視界を奪っている限り、地形はこちらに有利に働くはず――
しかし綾はこの後、三城に攻撃を加えるアイデアがなかった。一応、中距離用の武器を幾つか持ってきているが、使ったことがないので、命中させる自信がなかった。牽制用として使うしかないだろう。やはり決着はこの竜剣でやるしかないが、黒柳が言っていたように、軽機関銃の攻撃を防御しつつ強引に突っ込むしかないのか。
ここには障害物はない。靄が味方してくれている。恐らく、相手の位置を精確に掴むことができれば、接近はできる。
ただ、考慮しなければならないのは、三城が最も警戒しているのは綾の接近である、ということ。経験豊富な三城が、初心者に過ぎない綾の接近を簡単に許すだろうか。
持久戦は不利、というかできない。もう一度駄目元で接近するべきか。綾はそう考えながら、ふと沼の水面に立つさざ波を見た。
自分の動きが生み出したうねりだろうか。一瞬そう思った。
しかし波紋はみるみる大きくなる。どころか泥を跳ね上げこちらに迫る銃弾の影を見た。弾速はかなり速い。
「がっ、ガード!」
点防御か? いや、軽機関銃の弾ではない、狙撃銃でもない、初見の攻撃。ならばここは面防御をして弾の性質を見極めたい。まだ点防御を成功させる自信もなかった。
弾は沼の奥からせり上がり、綾の足元から襲いかかってきた。持っていた盾を掲げた。軌道が正直なら盾の真ん中に当てられる。それで受け流してやる。
しかし弾は急速に軌道を変え、綾が持っていた竜剣の刃に着弾した。
腕に痺れが走る。確かな霊力の気配。威力がかなりある。もしうまく盾に着弾させられたとして、完璧にダメージを殺せたかどうか。
竜剣が宙に舞った。鈍い音が遅れて響き渡った。今の音で三城は綾の居場所を知っただろう、演習室は広大だが、空間に限りがないわけではない。
相手の攻撃は一発ではなかった。竜剣を拾おうとした綾だったが、続く攻撃は竜剣を狙い撃ちしていた。立て続けに着弾し、竜剣が遠くへと運ばれてしまった。
武器を狙い撃ちされた? それにしても狙いが正確過ぎる。どこかでこちらを捕捉しているのか?
綾はぞっとした。ならば猶予は数秒もない。次の瞬間には攻撃が来る。靄は依然綾の周囲を取り巻いている。
大した対策も思い浮かばず、その場に棒立ちになった。しかし次の攻撃はいつまで経ってもこない。
綾は靄の中に目を凝らした。数秒か、あるいは数分か。感覚を研ぎ澄ませていたおかげで、どれほどの時間が経過したのか分からなかったが、靄の中から三城が現れた。
靄が薄れ始めている――綾の有利な時間は終わりつつあった。
「少々きみを見くびっていたようだ……、まさかあそこまで接近されるとは思っていなかった」
三城は言う。狙撃銃を構える。
「だが、ここまでのようだ。あと一撃で終わる」
綾は返事をしなかった。集中をしていたからだ。
狙撃銃の弾道を見切ることは難しい。弾速が速過ぎる。だがこの状況において相手の攻撃を誘導することも、ほぼ不可能と言っていい。だから綾はどこに着弾するのか予測し、全くのあてずっぽうで盾を構えなければならなかった。
盾のないところに弾がいけば、敗北。盾でガードできたとしても、あの強力な狙撃銃の攻撃を完全にいなすには、点防御が必要だ。無防備なところを撃たれれば盾は破損、ダメージもほとんど軽減することができない。
綾は盾を構えた。霊力を偏らせる。だがここで三城の眼の色が変わる。
見切られているのか。三城には霊力の偏りが見えるのか?
綾は咄嗟に盾への霊力を放散させた。そして身に纏っていた防護服に霊力を注ぎ込む。
その判断は正しかった。狙撃銃の弾が盾をすり抜け、太腿に直撃した。霊力を集中させていたのでダメージが最小限で済んだ。綾は機動靴に霊力のありったけを注ぎ込んだ。
「何!?」
三城が驚いている。まさか綾が防御を成功させるとは思っていなかったのだろう。
太腿に霊力を偏らせたのは咄嗟の判断で、狙ったものではない。しかし三城の視点に立つと、盾を避け、かつ防御優先度の高い頭部や心臓を後回しにし、ダメージが通りそうなところといえば、それほど選択肢は多くない。
あてずっぽうではある。だが全く根拠がないわけではなかった。
竜剣も持たない綾は突進した。一直線。最短距離で行く。
もし狙撃銃をもう一度撃たれたら、今度は防御できなかっただろう。しかし三城はそうしなかった。連発はできないらしい。軽機関銃に持ち替え、銃弾の雨をばら撒いてくる。同時に、凄まじい速度で後退する。
引き撃ち。黒柳が言っていた戦法だろう。綾は銃弾の全てを防御することができるか、分からなかった。無防備なところに撃たれれば、さすがに突進を続けることはできない。痛みで集中力が切れてしまう。
だから全ての防御を成功させなければならない。軽機関銃の弾は、弾速はそれほど速くない。十分に見切ることができる。
なるほど、霊力を偏らせる訓練にはもってこいだな。綾はそんなことを考えながら三城に接近しようと機動靴へ霊力を供給し続けた。
竜剣はもうないが、武器なら一応まだ持っている。小さな斧。使い方がまだいまいち分からないが、いざそのときが来たら、思い切り霊力を注ぎ込んで切りつける。やることはシンプル。もう迷いはない。
*
三城は勝利を確信していた。多少のサプライズはあったが、相手の姿を発見してしまえば、この沼地のダンジョンは自分に味方してくれる。
機動力を殺す沼地。障害物がほとんどない見晴らしの良い地形。なおかつ、潜行弾銃との相性も良い。敗北の要素がない。
もし、綾の機動力が想像以上なら、接近戦に持ち込まれる可能性もあった。しかし綾の機動力は、せいぜい三城と同等。しかも銃弾を浴びて、防御に霊力を消費すれば、機動に割く霊力が少なくなり、ますます距離を開くことができる。
三城が注意すべきは一つ。綾が突進を諦め、後退する瞬間が必ずやってくる。そのとき的確な追撃ができるかどうか。そこがこの戦いの一つの分岐点と言える。
もちろん、追撃に成功しなくとも、三城の勝利は揺るがない。しかし全力で戦うと決めた以上、勝利のタイミングを逃すわけにはいかない。
演習室の内部をカーブを描くように後退しながら、引き撃ちを持続する。綾は防御が的確だった。狙撃銃の装填が完了し、牽制の軽機関銃に混ぜて撃ったが、防御された。
本当はこれで決着すれば良かったのだが。綾の動きには無駄が多い。普通に観察している分には、まるで初心者のようだ。
しかし肝心なところで霊力の配分が上手い。霊力のコントロールそのものは未熟なのに、防御を成功させるのに必要な度胸を持ち、かつ三城がどこを狙って撃つか予測し、霊力の準備をすることができる。
戦いの教本では教えることができない部分。戦術のセンスとでも言える部分。そこに光るものを感じる。才能、と言ってもいいかもしれない。
だが驚くようなことではない。才能なら三城にもある。少なくとも幼い頃から天才だと言われてきた。攻略組の面々は似たような幼少時代を過ごしているだろう。
「僕がきみくらいの年齢のときには、一人でダンジョンの深層に潜っていたよ……。学則違反だったがね」
狙撃銃の代わりに誘導弾を何発か撃つ。これは撃ち出す寸前に霊力をコントロールすることで、あらかじめ軌道をコントロールすることができる。直射することも、曲射することも、あるいはブーメランのような軌道を描かせることも自在である。
弾速はかなり劣るが、威力は相当にある。これを牽制弾の雨に混ぜた。
引き撃ちしながら三城は様子を観察していた。綾は完璧に防御をこなしている。新たにダメージを与えることはできていない。しかし相当に霊力を削ったはずだ。
余裕がなくなる。そんなとき、捨て鉢になって攻撃を急ぐ奴は多い。センスのある奴ほど、絶好の機会を窺っている。
三城はあえて、退却速度を緩めて、ほんの少し綾との距離を縮めた。そして牽制弾を一割か二割減らした。一気に突っ込んでくる可能性を高めてやった。
そこに誘導弾が行く。捨て鉢になった綾は、微妙に軌道を変える誘導弾の防御に失敗し、致命傷を負うだろう。結局、防御重視の装備をしていても、それを扱う人間の意識に穴が生じれば、簡単に仕留めることができるというわけだ。
「これで終わりだ」
三城は呟く。綾は三城との距離が詰まったのを見て機動に霊力を注ぎ込んだようだった。
計算通りだ。突っ込んで来い。綾が泥を蹴って速度を上げた。全力の突進。防御に割く霊力はほとんどないのではないか。
「決まった」
誘導弾の何発が綾に着弾した――肉を抉れ。血を吐き出させろ。それでこの戦いは終わりのはずだ。
はずだが……。綾はますます速度を上げた。機動靴が霊力を抱え込んで唸りを上げている。
綾が間近まで迫ってきた。三城がハッとしたときにはもう遅かった。綾が降り下ろした斧を避け切ることができず、肩に喰らった。
一応、鎧での点防御には成功した。ダメージはほとんどない。しかし三城は驚愕していた。
なぜだ。誘導弾が間違いなく着弾したはず。防御もする余裕はなかったはずだ……。
綾が二撃目を振りかぶる。三城はさすがに脅威を感じた。全力機動で後退、引き撃ちも一旦取りやめる。
いったい何が起こったのか。どうやって綾はここまで接近してきた?
三城には分からない。混乱していると、靄がまたかかり始めた。
また竜剣で水蒸気を増やしているのか? 拾うのが早いな。相当に霊力を消費したはずだろう、長期戦は望まないはず。
だとすれば……。三城は後退を続けていた。だから近距離攻撃は警戒しなくて良い。
綾は遠隔攻撃を仕掛けてくるはず。その予想は当たり、靄から槍が飛んできた。
難なく避け、綾の姿を探す。
どこにいる?
二度も接近された。もし相手が同格以上の戦士だったら、もうやられていた。綾の追撃が甘かったので命拾いしているのだ。
その事実が三城を苛立たせる。もしやこちらの動きを見切られているのか? 誘導弾を撃って綾を出し抜いたつもりだった、それを悟られていたのか?
防御が最も手薄になるのは攻撃に移ったその瞬間である。綾のセンスが三城の戦闘のセンスを上回った。だから最接近された。そういうことか?
気に食わない。弱者は弱者らしく、無様な敗北を避けるような、そういう無難な正攻法を選んでいればいい。
本気で勝つ気でいるのか、瀬山綾。三城は舌打ちした。
三城の戦術の選択肢は幾つかある。相手の消耗待ち。攻撃重視で潜行弾銃を撃ちまくる。防御重視で弾幕を張る。綾は三城がどの戦術を選択すると想定して来るだろうか?
綾の戦術の選択肢は多くない。最終的に接近し、近接武器でフィニッシュを決めにくるはず。
ならば……。
三城は地面に向かって潜行弾銃を撃った。十発や二十発どころではない。容赦なく撃ちまくった。
「炙り出してやる。茶番は終わりだ」
地面を潜行し、標的を自動的に認識、撃墜する潜行弾銃。これで仕留められるのはまともな頭脳を持たない魔物か、よほどの格下だけだが、炙り出すのは得意だ。
やがて前方から着弾の音がした。綾に直接当たったにせよ、武器や防具に当たったにせよ、そこにいるのは間違いない。
三城はかかり始めた靄の奥に目を凝らしながら、音のしたほうへ進んだ。仕留めてやる。負けるわけにはいかないんだよ。三城は歯を剥き出しにしながら銃を構えていた。




