異邦人
33、異邦人
神は言った。日本にはもう一人、異世界から来た人間がいると。
綾には予感があった。今から自分はその人間と会おうとしている。
綾たち生還者5名を載せたワゴン車は、とあるビルの地下駐車場にて停車した。黒い制服を着た人間が数名、迎えに来ていた。いずれも眼光鋭く、歓迎されているとは到底思えなかった。
地下駐車場の柱に凭れていた、白衣を着た男性が、制服たちを押し退けるようにしてきて五人に近付いてきた。
「ようこそ、帰還者の皆さん。新記録だ」
新記録? 綾たちは首を傾げた。
「星の抗体が出現した危険極まりないダンジョンに、一週間以上滞在し、帰還した――その記録だよ。分かるだろ?
一週間。少なくとも綾は二日間ほどの記憶しかなかった。携帯ホテルに五日間以上も入れられていたのか。綾はここで初めてそれを知った。
白衣の男性は綾たちの顔をじっくりと眺め回し、
「それで、この中の誰が異邦人なのかな。神くんからの報告では、一五歳くらいの可憐な女の子とのことだが」
白衣の男性はわざとらしくユリのほうを見た。
「きみはどう見てもオバサンだな。異邦人はそっちのきみかな?」
ユリはイラっとしたようだったが、あまり元気がないようで、何も言わなかった。疲弊し切っているのか。白衣の男性に指差された佐東は、ぶんぶんと首を振った。
「いえ、私は……。たぶん、異邦人というのは」
一同の視線が綾に集まった。綾は隠す気もなかったし、すぐさま頷いた。
「私のことです。神さんからもそう呼ばれました。異邦人、と」
白衣の男性は大袈裟に驚いてみせた。
「おお、こんな可愛い女の子とはね! しかし可憐というより生気の塊という感じがするがね。さあ、きみはこっちだ、こっち」
白衣の男性が不躾に綾の手を掴んだ。さすがに活発な綾でも男性と手を繋ぐ経験があまりなかったので怯んだ。男性は綾の困惑に全く気が付いていないようだった。
「残りの四名は、そこのダンジョン管理局による事情聴取があるから粛々と応じるように! さ、きみはこっちだよ。名前は何ていうんだい?」
「ええと、せや――」
小田木が大きな手振りで綾の言葉を中断させた。
「おっとっと、失礼した! 名乗るなら僕のほうからかな。僕は小田木。小田木功という。まあ何の変哲もない平凡な名前だが、突飛な名前をつけられるよりはマシかな。きみもそう思うだろ? そうそう、きみの名前は?」
「私は瀬山あ――」
またもやここで小田木が大声を張り上げた。
「おっとっと! 名前の前に聞いておかないといけないことがあった。いったいどうしてダンジョンなんかに潜ったんだい? 誰に唆された? 正常な判断とは言えないね。きみ、何か精神の病を患ってたりする?」
失礼な男だった。綾は少しむっとしながらも、表情には出さないように気を付けながら、
「精神は正常だと思います」
「ふむ、精神に異常がある人間は皆そう言うわけだが。何の証明にもならないな」
じゃあ最初から聞かないで欲しい。正常な人間が「私は精神的に異常だ」と口走るだろうか。きっとそんなことを言う人間も異常者扱いされるに違いない。だったらこの男にかかったら全ての人間が異常者じゃないか。
「そうですか。私はどうすれば?」
「そうだなあ。きみ――ああ、まだ名前を言ってもらってなかったね。そんなにもったいぶらなくてもいいんだよ?」
さすがにカチンときた。綾はキッと睨みつけたが、白衣の男性はそんな視線に気付いていないようだった。
「……瀬山綾です!」
「ふうん、良い名前だな。少なくとも僕はそう思うよ。繊細で、口に出し易い。何て呼ばれたい?」
綾はこの男のことがよく分からなかった。小田木と名乗った男性は愉快そうに話し続けている。二人は地下駐車場にあるエレベーターに乗り込んだ。小さな部屋でこんな妙な男と二人きりになるというのもぞっとしない展開だったが、さすがに拒絶できなかった。
「おたくは何階です?」
小田木が訊ねてきた。綾は唖然とした。
「はっ?」
「冗談だよ、冗談。このビルの一七階にこの地域のダンジョンを管理している事務所がある。事務所の隣には制圧部隊のオフィスがあって、ろくでもない連中がたむろしているよ。しかし今回我々が行くのは」
小田木は三〇階のボタンを押した。
「最上階だ。そこできみに是非会ってもらいたい人物がいる」
綾は直感が働いた。
「私と同じ、異邦人ですか」
「……そうだ。察しがいいね。きみも、どうだろう、異世界の人間と話がしてみたいのではないかな」
綾は頷いた。階数表示はまだ五階。三〇階に着くのにまだ時間がかかる。
「……小田木さん。一つ、質問いいですか」
「いいよ。僕の肩書きとか、知りたいのかな。僕は政府のシンクタンクである加貫総合研究所のダンジョン部門の職員だ。一応、そこの部門別最高責任者ということでやっている。最近はダンジョン管理局に入り浸りになっていてね、どうしてだか知りたい?」
「さあ」
綾は自分の質問に答えてくれる気はないのだなと思って、呆れた。小田木は全く悪びれず、
「僕はね、星の抗体について調査している。あの圧倒的なパワーを、きみも見ただろう。あれを利用することができれば、我々の暮らしは一変する。発電の為にでっかいタービンを回す必要はなくなるし、ダンジョン探索は容易に、精霊たちとの契約関係も解消できるかもしれない」
「へえ、そうなんですね。頑張ってください」
綾は心にもないことを言った。小田木はハハハと笑った。
「ありがとう。しかしきみ、何か質問があったのでは?」
「ありましたけど、どうでもよくなりました」
実際、綾は自分が何を質問しようとしていたのか思い出せなかった。
*
三〇階に着いた。幅の広い廊下が真っ直ぐ伸びていた。廊下の突き当たりにガラス張りの部屋が幾つかあり、その中の一つだけに明かりが点いていた。
その部屋には革張りのソファが二組あり、男性が一人、既に腰掛けて何か書類に目を通していた。
小田木がドアをノックする。すると男性はガラス越しにこちらを見た。
眼鏡をかけている。特徴的なのはそれだけ。短髪、冴えない容姿、くたびれたスーツ。二十代前半のようにも、四〇代のおじさんのようにも見える。髭を生やしておらず、つるりとした口元をしていた。
男性はドアを開けて小田木に会釈した。
「小田木さん。こんにちは。その子は?」
「あなたの同類だよ、如月さん」
如月と呼ばれた男性はにこりと笑んで、綾に手を差し出した。
「ようこそ、異邦人さん。まさか日本人で私と同じ異邦人が現れるとは思わなかった。出身はどこ?」
綾は自分の出身地を言った。
「おや、私の地元と近いな。私はそこの隣町で学生をやっていたよ。それで突然こちらの世界に飛んできた。恋人を後ろに載せてバイクを走らせていたときだった。トンネルを潜って、そこを抜けたときにはもう、違う世界だった。ランドマークの高層ビルが巨大な洋館に変わっていたから、すぐに気付いたよ。これは何かがおかしいってね。恋人の顔も好みじゃなくなってたし」
如月は饒舌に語った。そして綾を中に招き入れる。
「三日くらい前かな……、制圧部隊の神さんから連絡が入ってね、異邦人を見つけたと。そのときからずっときみと会いたくて、仕事が手に付かなかった」
連絡? 綾は驚いた。
「ダンジョン内部と連絡がついたんですか」
「ああ、まあ、一瞬だけ。浅層に移動すれば、精霊の加護がなくとも、地上の装置で信号のやり取りができる。しかしダンジョン内部が荒れていたから、どうにも上手く会話できなかったが、異邦人が出現したということは分かった」
如月はソファに腰掛け、綾にも座るように促した。小田木は意外にも部屋の中には入らなかった。今来た道を戻っていく。
小田木が去ったのを見届けてから、如月が囁き声で、
「……小田木は変な男だったろう? あの男は、抗体に認識されない私たち異邦人に並々ならぬ興味を抱いている。もっと言えば、最大限利用したいと考えている。味方にも敵にもなり得る人間だ、よく気を付けるといい」
綾は頷いた。
「心配しなくても大丈夫です。仲良くなりたいとは思えない人ですもん」
「同感だ。まあ、根は良い人間だと思うんだが。さて、早速で悪いが、きみに言っておかなければならないことがある」
「何ですか?」
如月は頭を軽く掻いた。そして言い辛そうに、
「これは政府の意向なんだがね……、きみは既に人権の一部を失った。政府の所有物となり、行動は制限される。私も同様の措置を受けているが、それほど苦じゃない。それが慰めになるとは思えないが」
「人権の一部、ですか……」
「あまり驚かないね?」
「いえ、逮捕されると思っていたので」
如月は笑った。
「逮捕? 逮捕だって? ダンジョンを荒らしたとかいう罪で? とんでもないことだよ。きみには利用価値がある。しかも初心者でありながら、深層から帰還した。腕っぷしには問題ないというわけだ」
腕っぷし? まさか。綾は何もできない。琴歌に助けてもらわなければとっくに死んでいた。
「私は、逃げ惑っていただけでした」
「言っておくが、こちらの世界の住人でも、深層一〇〇階に挑んで無事に帰還できる人間なんて、初心者に限らずとも、そう多くないんだ。というか、私自身、こちらの世界に迷い込んで一年になるが、一〇〇階に突然送り込まれて生還できる自信なんて全くない。きみは凄いことをやってのけたんだよ」
如月は力説する。本当に何もしていないのに。しかしこれ以上言っても理解してもらえないだろう。綾は適当に頷いておいた。
「そうなんですか」
「そうなんだよ。今はまだ、政府の反応も鈍いが、やがてきみの利用価値の大きさに気付くだろう。そうなる前に決着させておきたい」
「決着?」
綾はその単語の不穏さに慄いた。如月は腕組みをする。
「きみがどうしたいかだ。高校で、文理選択とかあっただろ?」
「ええと、私は今、高校一年生なので、それはまだですね……」
「あ、そうなんだ。まあつまり、そういうことだ。きみには二つの道がある」
如月は咳払いをしてなんやかんやを誤魔化そうとした。
「きみがダンジョンに積極的に潜る『攻略組』に入るのか。私のように、後方で抗体の研究に協力する『開発組』に入るのか。ということだ」
攻略組? 開発組? いきなり言われても分からない。
「ええと……、つまり?」
「まあ、いきなり言っても理解できないだろうから詳しく説明するが、いいかい、現在、世界的にダンジョン攻略の趨勢は――」
そのときドアが乱暴に開かれた。小田木がノートパソコンを片手に汗だくでそこに立っていた。
「小田木さん、話の途中なんだけどな。説明は私に任せてくれると約束しただろう」
如月が不満そうに言った。
しかし小田木はパソコンを卓上に置き、画面を如月に向けた。
「これを見ろ!」
言われなくてもそんな風に置かれたら嫌でも目に入ってしまうだろう。向かい合わせになっている綾には画面は全く見えなかったが。
如月は怪訝そうにした。
「なんだい、これは。ネットチャンネル? 動画共有サイトのサービスか。ええと、琴歌チャンネルとか書いてあるけど?」
琴歌。綾は跳び上がった。そして如月の隣に滑り込んで画面にのめり込んだ。知らず如月を半分押し退ける形になる。
「ちょ、ちょっと、きみ?」
困惑する如月をよそに、小田木が画面を指差す。
「そこの最新動画の日付を見てみろ」
綾はパソコンを操作して、最新動画をクリックした。日付は六月一日となっている。
六月一日?
「今日って何日です?」
「六月一日」
小田木が言う。
「それはついさっき投稿された動画だ。ダンジョン内部から投稿された、な」
綾は動画を再生させた。そして全画面表示にする。
動画でいきなり現れた水着姿の女性。まさしく相沢琴歌だった。胸を寄せ、眩しい白い歯を見せている。
「はーい、今日も始まっちゃいましたよ、琴歌チャンネル! ここ最近、動画を配信することができなかったので、心配してくれている人もいたかもしれませんが、琴歌さんはこうして生きていまーす! やっと機材の調子が戻ったので、これからバンバン事故が起こったダンジョンの内部を詳細にレポートしたいと思います!」
生きていた。琴歌は生きていた。
心のどこかで、もしかしたら死んだのではないか。そう思っていた。意図的にその可能性を頭の中から排除しようとして、ずっと苦しかった。
でも生きていた。元気に生きている。ダンジョンの中でまだ戦っている。
それが分かっただけでも嬉しい。嬉し過ぎて涙が出てくる。動画はたったの三〇秒程度しか続かなかった。途中で送信が途切れたのか。中途半端なサイズしか投稿できなかったようだ。如月は首を傾げる。
「これは――異邦人が潜っていたダンジョン内部の生還者が番組の配信を? これを見せてどうするつもりなのかな」
「それはどうでもいい。この水着女の後ろでピースをしている男――制圧部隊の神くんじゃないか」
そう。琴歌の後ろでピースをしている男。隣に立っている仏頂面の女性。神と志村だ。彼らもまだダンジョン内部にいる。
「……小田木さん、何が言いたいんだ?」
「分からないのか、如月さん! 新記録だ! 世界記録を知っているか! 抗体付きのダンジョンに潜り続けて二週間と二日だ! 神くんと志村くんなら、このまま死ぬなんてことはないだろう! 狙える! 狙えるぞ!」
そんなことか。如月は呆れていた。しかし綾は嬉しかった。琴歌が生きていると分かっただけで救われた思いだった。




