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隣のダンジョン  作者: 軌条
第一部 地上へ
33/111

泣きじゃくる商人

32、泣きじゃくる商人




 誰かの泣き声がする。

 

 幼い子供が自分の感情を抑え切れずにしゃくり上げる、そんな泣き声だった。


 綾はまだ15歳の少女に過ぎなかったが、母性というものは持っていた。彼女は深い眠りの中にあったが、急速に覚醒へと向かっていった。


 目を覚ますと、そこは樹海だった。鬱蒼と生い茂る低木と奇妙に曲がりくねっている蔓。妙に水気を含んだそれらの植物の上に、綾は寝そべっていた。


 服は湿気を帯び、じとじとしていた。雨が上がったばかりのような湿度の高い空間だった。


 地上に帰還できたのだろうか?


 しかしどうもおかしい。空が紫色だった。夕暮れどき、たまに空が紫に染まっていることがあるが、それだって長続きはしない。じっと綾が空を観察していても、その色が急速に黒に向かっていくことはなく、たなびく雲を抱えてずっとそこにあった。


 ここはダンジョンの中だ――依然変わりなく。


 綾は落胆するより前に、周りに誰もいないことが気になった。神や志村が綾を保護していたはず。琴歌も同道していた。彼らが綾を放置してどこかに行ってしまうというのはあり得ない。


 何かが起こったのだ。それで綾はあの棺桶のような携帯ホテルから飛び出して、こんなところで倒れていた……。


 綾は何が起こったのか必死に理解しようとしたが、情報が少な過ぎるし、こちらの世界の常識というものを知らない。綾はのっそりと立ち上がり、辺りを見回した。生い茂る木々の向こうはほんの数メートル先も定かではなく、見通りが極めて悪かった。足場も悪い。気を付けて進まないとすぐに転びそうだった。


 綾は無暗に騒ぐことはなかった。近くに誰かがいるかもしれないが、魔物を呼び寄せる結果にもつながるかもしれない。自分が何の装備も持っていないことを確かめると、そろりそろりと進み始めた。


 すぐに変化があった。誰かの泣き声がするのだ。そう言えば、眠りから覚めるときに泣き声を聞いた気がする。


 泣き声は大きくなったり小さくなったりした。絶えず移動しながら誰かが泣いている。綾はそれに気付くと、耳を澄ませた。大体の方向に見当をつけ、叫んだ。


「誰かいるの? どうして泣いているの!」


 綾が声をかけると泣き声はぱたりと止んだ。


 代わりに草を掻き分けこちらにズザザザザザと猛烈な勢いで接近してくる物音がした。


 綾は慌てた。そうか、子供の泣き声を真似て冒険者をおびき寄せる類の魔物だったのかもしれない。


 逃げるべきか。戦うにしても武器が全くない。迷ってる場合なんかじゃないだろう、よし逃げようと走り出した途端、根っこに引っ掛かって転んだ。


 立ち上がろうと大量の蔓と戯れている間に、泣き声の主が近くまでやってきた。


 それはまさしく子供だった――ただし青い頭髪に金色の瞳をした少女だった。その容貌は、精霊のものと一致していた。


 小さな精霊。整った相貌を小さな体に押し込めているので、この上なく愛らしかった。その大きな瞳に涙をいっぱいに溜めている。


「いたー! ここにいたぁー! カモが! 絶好のカモがぁああん!」


 精霊は絶叫した。涙を流しながらすり寄ってくる。綾は本能的な危険を察知して後退した。


「いやいや、あなた、いったいなに!?」

「怖がることはないんだよワタシのカモちゃん!」


 小さな精霊は引き攣った笑みを浮かべながら近づいてくる。そして綾が首から下げている手帳を引っ掴んだ。


「ちょっ……!」

「掴んだ! ふへへ……、上客だったらいいなあ!」


 そう言いながら精霊は手帳に何か細工をした。すると手帳全体が光り輝き、綾は眩しさのあまり目を庇った。


 光が途絶え、綾が視線を精霊に戻すと、この小さな子供はしょんぼりしていた。さっきまでのハイテンションが嘘のようだった。


「ど、どうしたの。何かあったの?」

「何かあったかって? しらばっくれるんじゃないよ、このケチンボ!」


 ケチ呼ばわりされる覚えはなかったので、綾は釈然としなかった。


「もうちょっと説明してくれないと分からないかな……」

「だーかーらー! あんた、瀬山綾! これまで精霊ショップを利用したことがないと来てる! 実績値はそこそこ溜まってるのに!」


 精霊ショップ? そう、こちらの世界の人間は精霊から武器やら日用品やらを購入していると聞く。これが噂の精霊ショップなのか。


「へえ。あなた、ショップの店員さんなんだ。ダンジョンの中でも商売やってるんだね」

「普段はダンジョンの中になんか入らないよ。ていうか、入れない。そんなことしたら、抗体がうじゃうじゃ湧いてきて殺されちゃうもん」

「へえ?」


 綾はよく分からないが頷いておいた。


「オトナの精霊たちは地上で右往左往しているだけで、人間の精霊騎士に全て任せようとしてる。恰好の稼ぎどきなのに」

「稼ぎどき?」

「そ! だって、ダンジョンから帰還できない冒険者なら、すっからかんになるまで装備品とかギフトを買ってくれそうじゃん! ふへへへ、これで私も一気に大人に成長できるかも!」


 綾は首を傾げた。


「商品をたくさん売ると、大人に成長できるの?」

「そうだよ! あんた知らないの!? 精霊は霊力を吸うことでぐんぐん成長できるんだよ! 加齢を遅らせることもできるし、美容にも効果覿面だし、名前だって貰えるし!」

「名前?」


 精霊は深く頷いた。


「霊力をたくさん吸った精霊は仲間から尊敬されて、名前を貰えるんだよ! それまでは名無しの精霊さんなの!」


 どうも人間とは違う文化を持っているようだ。名前のない人間なんて、こちらの世界でもそうそう存在しないだろうに。


 しかし、稼ぎどきとはいえ、ダンジョン内は危険なのではないだろうか。それもこんな小さな精霊が……。


「ねえ、小さな精霊さん、ここってダンジョンの何階くらいなの?」

「へ? 瀬山綾! あんた、知らないの?」

「う、うん」


 名前を叫ばれると少しどきりとする。きっと手帳に触れられたときに知られたんだろうが、目の前の少女は綾が今回の騒動の原因であると知らないのだろうか。


「ここは、一階だよ! あそこに地上への出口があるけど」


 小さな精霊は木々の向こうを指差した。綾は仰天した。そうか、神たちは綾たちを連れて、もう地上まであと少しというところまで到達していたのか。これからまたダンジョンの中を彷徨わなければならないかもしれないと覚悟していただけに、拍子抜けした。


「そ、そっか! なんだ、もう帰れるのか……」


 稼ぎどきとか言っておいて、一階で商売していてもあまり冒険者からの需要がないのではないか。もっと苛酷な戦いが予想される深層でモノを売らないと。しかしこんな小さな精霊がダンジョンの奥まで行って無事でいれるとは思えなかった。この子なりに精いっぱい背伸びをした結果なのだろう。


 小さな精霊は胸を張っている。


「案内してあげよっか? ねえ? 実績値五〇〇くらいでいいよ!」

「じゃあ、お願いしようかな」


 綾は頷いた。少女は驚いた様子だった。


「ふえ? えええ? いいの? 案内するだけで実績値貰ってもいいの?」

「別にいいよ」


 五〇〇というのがどれくらいの価値なのか分からないが、小さな精霊はいたく喜んだ。


「やった! やった! ダンジョンに潜った価値があったってもんだね! やった!」

「道案内を頼むんだから、ちゃんとやってよね。浮かれてないでさ」


 魔物が出現するかもしれないじゃないか。精霊は頷いた。


「任せて! 出口はこっちだよ! うーん、魔物の気配はゼロ! もう完璧安全に出口までエスコートしまっす!」


 らんらんと小さな精霊が歩き出した。何気なく移動しているが、冒険者の脚を引っ掛けようと突き出ている根っこを難なく躱している。綾はかなり慎重に歩まないと、どこかに引っかかりそうだった。


「ねえ、ちょっと待ってよ、ねえ」

「遅いよ? ほらほら、出口はあそこ!」


 樹海の中に唐突に出現している上り階段。異質な存在感に、綾はぎょっとした。やはりダンジョンという場所は狂っている。だが、今自分はそこから脱出できるのだ。


 しかし綾には疑問点もあった。地上に帰還できるのは素晴らしいことだが、他の人たちはどうなったのだろう。


 どうして携帯ホテルに押し込められていた綾は、ダンジョンの一階で眠りこけていたのだろう。


 神はどこに行った。志村は? 琴歌は? 他に携帯ホテルに入れられていた人たちは?


 考えている内に階段に着いた。これを上れば地上なのか。綾はそれを踏みしめて行った。真上から光が降っている。外からは何も聞こえない。静かなものだった。


 階段を何段も上がっていく。踊り場を何度も経由した。少し汗をかきながら進んでいくと、段々と振ってくる光の量が増えてきた。


 やがて――


「おい、もう一人出て来たぞ!」


 野太い男の声。階段からひょっこり顔を出した綾は度肝を抜かれた。周囲に人だかりが出来ていた。野次馬だろうか。それを制しようとする制服を着た人たち――恐らく警察だろう。ただ綾の知っている警察の制服とはかなりデザインが違っていた。


 男たちが綾の脇を抱えて階段から引き揚げた。何が何やら分からなかった。口々に質問をされながらどこかへと連れて行かれる。パシャパシャと写真を撮られた。肩で担ぐような巨大なカメラを構えた人間が何人も綾の顔を狙っている。テレビ局の人間か。


 人という人でもみくちゃにされながら、洋館の敷地を突っ切った。そして黒いボディのワゴン車に乗り込んだ。


「綾さん!」


 ワゴン車には先客がいた。佐東。そして篠宮。一〇〇階で遭遇したユリとコウキもいた。


 綾も含め、携帯ホテルに入れられていた五人がここにいる。すなわち神と志村は無事に携帯ホテルごと帰還を果たしたのだ。


 綾は佐東と抱き合った。佐東は涙ぐんでいた。


「私たち、無事に帰還できたんですね……」

「うん。一時はどうなることかと思ったけれど」

 

 篠宮はばつの悪そうな顔をしていた。神と志村に襲われたとき、篠宮は綾を見捨てた。もちろん綾はそれが当然だと思っていたし、全く恨んでいなかった。むしろ、そうしてくれたほうがありがたいとさえ思っていたくらいだった。


「篠宮さんも無事だったんですね」

「瀬山綾……。その、なんだ」


 篠宮は頭を掻いた。


「地上に無事に帰還して、つくづく思ったんだよ。女子高校生を見捨てて自分の命を優先する大人の男って、とんでもなく格好悪いよなって。結果オーライとはいえ、だな」

「結果オーライなら良かったじゃないですか。私は気にしてませんよ。むしろ迷惑をかけていたのは私のほうだったんですから」


 篠宮は黙り込んだ。ユリとコウキのほうは、更に居心地が悪そうだった。綾をもっと直接的に死なせようとしていたのだから。


 だが綾は彼らを全く恨んでいなかった。見ず知らずの人間を必死に守ろうとするほうが、不自然だろう。綾が微笑むと、ユリとコウキは顔を見合わせ、俯いた。


 そう、見ず知らずの人間の命を優先してくれる人間のほうがどうかしている。

 そのどうかしている人間が、やはりこの場にもいなかった。


「あの、琴歌さんは……」


 綾は尋ねた。周りには制服を着た大人が何人もいたが、誰も答えてくれなかった。


「帰還していないみたいなんです」


 佐東が言う。


「琴歌さんだけではなく、制圧部隊の四人も。いったいダンジョンの中で何が起きたのか、棺の中で眠っていた私たちは、何も分からなくて」

「佐東さんたちも、気付いたら一階にいたの?」


 佐東は頷く。他の三人も小さく頷いた。


 そのときワゴン車のドアが閉まり、エンジンがかかった。どこかに出発しようとしている。


「どこに行くんだろう、この車」

  

 佐東は怯えた顔をしていた。


「分かりません。でも、処分を下すとか、ちらりと聞こえたような」


 処分。そう、綾は不純物としてダンジョンに致命的なダメージを与えた。きっと刑事罰を受ける。無事に生還したのに心の底から喜べないのは、それが影響しているのだろう。


 ワゴン車が動き出した。そのときドアをバンバン叩く音が聞こえた。車内に押し込められていた五人はびくりとした。


 誰も操作していないのに窓が開いた。そこに身を乗り出してきて叫び声を上げているのは先ほど出会った小さな精霊だった。


「瀬山綾ぁあ~! まだ報酬を貰ってないよ! 詐欺!? 詐欺だったの!? 詐欺瞞着ぅ!?」


 綾は慌てた。そう言えばまだ払っていなかったような。しかし払うってどうすればいいのか。実績値の支払いなんてしたことがないのに。


「ご、ごめんなさい! 今払うから……」

「嘘だ! 全然そんな素振り見せてないもん! この怨み! 必ず晴らすからなあああああああぁ……」


 速度を上げたワゴン車に長い時間しがみ付くことができず、精霊の小さな手が剥がれ落ちた。綾は手帳を手にしたまま硬直してしまった。


 篠宮が笑っている。


「瀬山綾、お前、なかなかやるじゃないか。精霊相手に報酬を踏み倒すとは」

「あ、いや、そんなつもりは……」


 綾は困惑した。佐東も笑っていた。


「たまにいるんですよね。ああいう間抜けで可愛い精霊さん。気にすることないですよ、綾さん。普通、精霊は商品を渡したり契約を全うしたら、実績値を勝手に抜き取っていきますからね。あの子はそれだけの技術をまだ覚えていなかったんでしょう」


 そう言われても、全く気が楽にならなかった。綾は嘆息した。でも、少しだけ車内の空気が明るくなった。その点はあの少女に感謝しなければならなかった。







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