精霊騎士
30、精霊騎士
六〇階に到着すると同時に血の臭いがした。
洞窟の迷宮が広がっている。一見したところこれまでのダンジョンの構造と大差ないが、階段を上がり切ってすぐ琴歌が途方に暮れたように立ち止まったので不審に思った。
「どうかしたんですか、琴歌さん」
「まっずいわねえ……。精霊たちがダンジョンの書き換えを始めてる」
「書き換え、ですか?」
琴歌は頷き、振り返った。
「たった今上ってきた階段を見てごらん、瀬山さん」
綾が振り返ると、六一階への下り階段に透明な蓋がかぶさっていた。おそるおそる触れてみると微かに電流が流れており、びくっとなった。
「な、何ですかこれ」
「精霊が張った結界。いつもの琴歌さんなら破れないことはないんだけど、今は武器が乏しいからさ」
琴歌は唯一の武器である弓矢を示した。姜との戦いで一度は手放した武器だが、うまく回収できたようだ。
「たぶん五九階への上り階段も封鎖されていると思う。こうなると骨だね……」
「あの神と志村っていう人も、結界に邪魔されるんでしょうか」
「そりゃあね。でも、あの二人なら結界なんて問題にしないでしょう。ていうか、結界よりも厄介なことがあってだね」
琴歌はレーダーを展開した。しかしすぐにかぶりを振る。
「やっぱり。レーダーが機能していない。このダンジョンの構造が書き換えられて、精霊謹製のアイテムが誤作動を起こしてる」
「どういうことです」
「精霊たちがこの階層に罠を張ってたんだよ。わたしたちを閉じ込める、さしずめ鳥かごってところかな」
鳥かご。逃げ場はない。綾はぞっとした。
「追い詰められているってことですか? そんな……」
「もちろん、精霊たちの狙いは一刻も早く不純物を排除すること。閉じ込めるだけじゃ終わらない。私たちを殺しに来る部隊が、間もなくこの階層に到着するはず……」
果たして、琴歌の言葉通り、迷宮の奥から足音がした。琴歌が素早く弓矢を構えている。志村との戦いで肩を負傷しているので構えが少しおかしかった。綾は竜剣の柄に触れて琴歌の横に並び立った。
現れたのは一人だけだった。しかしその人物は精霊ではなかった。金色の瞳をしていたが頭髪は赤く、顔立ちは西洋人そのもの。若い男性で、ごつごつとした甲冑を着こみ、幅広の大剣を抜身のまま引き摺っている。
琴歌がうげっ、と声を漏らした。
「せ、精霊騎士……。初めて見た」
「精霊騎士……?」
「瀬山さん、逃げましょう、今はとにかく逃げるしかなさそう」
琴歌が瀬山の腕を引っ張って走り出した。精霊騎士と呼ばれた男は、必死に追いかける素振りを見せたが、重装備のおかげで機動力はあまりないようだった。すぐに撒くことができる。
息が切れるほど走った後、琴歌が壁に手をついて息を整えた。綾は何度も振り返って先ほどの男が迫ってこないか見ていた。
「精霊騎士って、何なんですか。やばい相手なんですか」
「やばいっていうか……。冒険者の中には、精霊たちと同質の価値観を持ち、独自の契約を結んで、彼らの尖兵となる変わり者がいるのよ。日本ではほとんどいないけど、欧米には結構な数の精霊騎士がいる」
綾は首を傾げた。
「独自の契約、ですか……」
「そう。精霊の命令に絶対服従する代わり、とんでもなく強力な武器を使用可能となる。肉体の改造も無制限にしてくれる」
精霊が人間の軍隊を組織しているようなものか。それが精霊騎士。ダンジョンの危機となって、綾たちを排除する為に精霊騎士を送り込んできた……。
綾はいよいよおおごとになってきたなと感じた。ダンジョンの異変の原因であると分かってなお逃げ惑う自分の行いに正義があるのか、懊悩した。
「瀬山さん、わたしの基本方針を伝えておくわ」
「えっ?」
「何としてでも生き延びる。世界中から恨まれようとも、個人の生存権を蔑ろにする道理なんてない。もしわたしたちを批判する人間がいたら言ってやればいいの。不純物をダンジョンに入れてしまった管理側に落ち度があるってね。そうでしょ?」
そんなことを言える自信がない。けれど琴歌は本気でそう主張するつもりのようで、くすりと笑った。
「精霊騎士が相手となれば、ここから六〇階の道程も容易じゃなくなってくるかな。向こうは無尽蔵に敵兵を送り込んでくるでしょう。わたしたちが死ぬまでね」
「どうすればいいんでしょうか……」
「戦い続けるしかない。運が良ければ、精霊騎士の装備を奪い取ることができるかもしれないし……」
「あ、なるほど。強力な装備を彼らが持っているなら、琴歌さんが使えば鬼に金棒ですね」
琴歌は腕組みをした。
「うーん、どうだろうね……。日本では手帳で冒険者の熟練度を計っているでしょ。世界的にもその制度を採用している国が大半なんだけど、場合によっては規格が違うかも」
「規格?」
「もしかしたら、武器を奪い取っても、それを扱う資格がないかもしれない。やってみないと分からないけどね」
なんだか一筋縄ではいかない世界だな。綾はしみじみとそう思った。精霊騎士は外国人で構成されているそうなので、言葉が通じないかもしれない。カタコトの英語で意思疎通できるだろうか。綾はそんなことを考えていた。
ふと、綾と琴歌がそろそろとダンジョン内を歩いていると、突如薄暗かった迷宮に照明がついた。どこが光源かは分からないが眩い光に包まれる。
琴歌が叫ぶ。
「まずい。索敵魔法だ! 向こうからこちらの位置が筒抜けになる!」
「さ、索敵……」
「相手の遠隔攻撃が飛んでくるわ、瀬山さん、わたしの背後を見張って!」
そう言って琴歌が中腰になりつつ辺りを見回す。綾は琴歌と背中合わせになって警戒した。
レーダーが使えない。となれば自分の眼だけが頼りだ。
と、天井に何か無数の異物が発生した。ミサイルの形状をしている。それが琴歌の頭上から降り注ごうとしている。
「琴歌さん、上っ!」
琴歌が頭上を確認したときには、ミサイルが発射されていた。綾を突き飛ばし、横っ飛びになって躱したが、ミサイルは追尾してきた。噴射音と煙を撒き散らしながら琴歌を追う。
「瀬山さん、ごめんなさい! 生き延びて――」
そう言って琴歌がその場から離れた。あっという間に姿が見えなくなる。綾は追うべきか迷った。遠く、複数の爆発音がした。琴歌に着弾したのか。
カシャン、カシャン――
甲冑の擦れる音。綾は振り返った。先ほどの甲冑の精霊騎士がそこにいた。
「不純物は二名。モニタリングしていた精霊たちは笑っていたよ。相沢琴歌というのはきみのことか?」
精霊騎士は野太い声で問いかける。綾はかぶりを振った。
「いいえ。私は瀬山綾……。琴歌さんは水着のほう」
「そうか。あのナイスバディが……。随分と青臭い女だな。ダンジョンで知り合った人間を助ける為――それも自らの覚悟を定める、たったそれだけの為に、不純物となり果てるとは。理解できない思考だ」
琴歌を侮辱されたので腹が立った。綾は唇を尖らせた。
「あなたには琴歌さんの考えることは分からないよ。精霊の言いなりになっているような主体性のない人には」
「言うじゃないか、日本のお嬢さん。私は日本文化には理解のあるほうだと自負しているよ。こうして日本語を使いこなすことができるし、実際東京に住んでもいる。きみと私の違いは人種ではない、生まれでもない、崇高な精霊の意志に理解を示すかどうか、その人性の等級に違いがあるのだな」
よく分からなかった。小難しいことを難しく表現する人間は工夫が足りない、なんてことを学校の先生が言っていたことを思い出す。
「人性の等級ってなに? ううん、説明してくれなくてもいいや。あなたは私を殺しに来たんでしょう……、琴歌さんと約束した以上、殺されるわけにはいかない。それが私とあなたが戦う理由、シンプルな話だね」
「確かに。私はきみを殺すよう命令された。それが世界の発展に繋がるのである。私の名はアーロン。首を差し出せ、そうすれば無用な苦しみは与えない。約束しよう」
綾は笑った。そして舌を出した。
「嫌だ。私は何が何でも生き延びるもの」
「これだから精霊の意思を理解しようとしない低俗な東洋人は」
アーロンが突進してきた。甲冑がガコンガコンと変形し、中から盾のような突起が出現する。それが精霊たちに賦与されたという強力な装備というやつか。
盾を前面に押し出しながら大剣を振りかぶる。綾は琴歌から貰った機動靴に神経を集中させた。ライトスタッフの練習で、霊力の使い方は何となく掴み始めていた。躰が思うような方向へと移動する。
アーロンは全身鉄の塊で武装していて、なかなかの迫力だったが、あまり速度は出ないようだった。甲冑を変形させ、盾を収納しながら歯を剥き出しにする。
「ちょこまかと逃げるな。大人しく正義の剣の錆となれ」
「錆って……。人を斬った後、手入れとかしないの?」
綾が言うとアーロンが激昂した。
「日本語の機微を理解しない日本人! 私が最も軽蔑する人間がそれだ!」
ちょっとした冗談なのに。綾は思わず笑ってしまった。距離を保ちつつも周囲への警戒を怠らないようにする。先ほど頭上からミサイルが降ってきた。どうもこのアーロンの攻撃ではないような気がする。もし彼がそんな攻撃が可能なら、逃げ回る綾に遠隔攻撃を仕掛けてくるはず。それがさっきから突進ばかり。
「アーロン、いい加減しなヨ。その剣で相手をぶった斬りたいってのは分かったからサ」
女の声。外国人特有のイントネーション。綾ははっとした。右を見て、左を見て、上下を確認する。そして再び右を見たとき、ミサイルが間近に迫っていた。
「くっ!」
機動靴で全力機動。逃げようとするがミサイルは追尾してくる。ちょっとしたひらめきがあり、壁に突進し、寸前で横に滑る。ミサイルは綾を追い切れずに壁にぶつかり爆発した。
鎧を着こんだ女が、アーロンの隣に降り立っていた。アーロンがばつの悪そうな顔になっている。
「あ、アポロニア……。お前は水着女のほうを追ったのでは。もう仕留めたのか?」
アポロニアと呼ばれた女は、金髪碧眼の西洋人だった。二十代半ばといったところだろうか。上半身は鎧で完全にガードしているが大胆に太腿を露出し、靴は毛皮のブーツ。よく分からない出で立ちだった。
「相沢琴歌……。あの女は厄介ネ。増援が来るのを待ったほうがいいと思うヨ。正面からやり合えば負ける気はしないけれど、少なくとも逃げの技術は一級品ネ」
アポロニアはパンパンと手を打ち鳴らす。すると天井、床、壁、いたるところからミサイルが顔を出す。綾はぞっとした。これを全て躱すことなんて、自分にできるのだろうか?
「でも、こっちの瀬山綾という女は、精霊様の話によると初心者みたいダナ。諸悪の根源とも聞いたヨ。さっさと首を取ろう。エイっ」
アポロニアが大きく振りかぶり、合図する。ミサイルが一斉に飛んできた。綾は横に転がり、空中に逃げ、考え付く限りのアクロバティックな動きでミサイルを出し抜こうとしたが、せいぜい半分程度しか撒くことができなかった。
「やばいって!」
綾は竜剣を取り出した。勢い良く叩きつける。熱に感知したのかミサイルが綾に着弾する手前で爆発した。爆風で息が詰まる。地面に叩きつけられた綾は、目前に迫るアーロンに気付いた。
「潰す!」
アーロンの決然としたその表情。甲冑が変形して盾が突き出てくる。それで押し潰すつもりだ。
もう逃げるのは間に合わない。綾は竜剣を構えた。もう霊力が切れ掛かっていたがやるしかない。青い炎が刃に宿った。
正面からぶつかる。
竜剣とその甲冑。一瞬だけ拮抗。だが。
竜剣の炎が煙と共に消えた。
そして刃が折れる。
負けた。
甲冑の内部から無数の棘が発生する。
アーロンの突進をまともに受けた綾は折れた竜剣を支えに何とか踏みとどまったが、元々相手は長身の男性。力比べでは勝ち目はないし、向こうは肉体を改造しているだろう。
岩壁に押し付けられ、そのまま甲冑に押し潰された。棘が全身に食い込む。まずい。もし間に入れている竜剣がなかったら、全身串刺し、見るも無残な死体が出来上がっているところだ。
「ミンチにしてやる!」
アーロンが叫ぶ。綾は歯を食いしばって何とか耐えた。だがあと数秒も持たないだろうことは分かっていた。
嫌だ。死ぬわけにはいかない。
いかないんだ……!
綾がいよいよ死を覚悟したそのとき、突如、地震が起こった。
バランスを崩した綾とアーロン。アーロンは圧力をかけていたおかげで、よろけた綾の横を滑るように転倒し、壁に激突した。彼が天井が崩落し岩盤に飲み込まれるというおまけつきだった。
アポロニアが舌打ちする。
「アララ、これは結界が破れた衝撃ダネ。誰かが六〇階に侵入してきたみたいヨ」
瓦礫から這い出てきたアーロンが雄叫びを上げる。
「邪魔が入るとは! 瀬山綾、そこでじっとしてろ、今度こそ圧殺してやる!」
もしここで本当にじっとしてたら相手だってびっくりするんじゃないか。当然綾は既に逃げ出していた。
幸運だった。あのタイミングで地震が起きなかったら間違いなく死んでいた。
このような幸運を二度と期待してはいけない。折れた竜剣を握り締めながら、綾は恐怖と戦わなければいけなかった。




