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隣のダンジョン  作者: 軌条
第一部 地上へ
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アイム・ストレンジャー

29、アイム・ストレンジャー



 六一階に辿り着いた。あのカンとかいう恐ろしい男を撒くことができた。琴歌の機転に助けられた形だ。


 琴歌からあの妙な装置をエイリアンに設置しろと言われたときは、いったい何のことか分からなかったが、カン相手には効果覿面だったようだ。レーダーを攪乱し、それぞれの位置情報を偽装することができた。


「カンが使っていたレーダーは、言っちゃうと廉価品だったのよね。霊力の出力を一定にしないと上手く作動しないタイプ。ちゃっちいコンピュータを使ってて、霊力の濃淡を変えたら簡単に攪乱できる。まあ、普通は個人の力でそんな細工はできないから、彼が混乱してしまったのも無理はないんだけど」


 琴歌はほっとしたような笑顔で言う。


「たぶん、彼は霊力の扱いに自信があったんだと思う。霊力を集中させることで、ある程度肉体の強化ができるって話、知ってる?」

「琴歌チャンネルの霊力講座でそんなことを言っていたような……」

「基本的なテクニックではあるんだけど、それを突き詰めると、あのカンのような変則的な動きができるようになる。たぶんレーダーの扱いも安定性より瞬時に状況を把握できるか否かを重視していたんでしょう」


 ここで琴歌が鼻をつまんだ。


「ところで、瀬山さん、さっきから変な臭いしない?」

「えっ? 特には……」

「あの変態に肩を舐められたからさ……、もしかしてそこから漂ってるのかな。あいつ、ちゃんと歯を磨いてるかな?」

「さあ」

「瀬山さん、わたしの肩をちょっと拭いてくんない? まだおっかなくて触ってないんだよね」

「い、嫌ですよ、もう」


 二人でわあわあきゃあきゃあ言いながら先に進んだ。結局綾が琴歌の肩を拭いてあげた。もうほとんど乾いていたし、臭いはあんまりしなかったが、琴歌はよほど気分を害したのだろう、何事にも過敏になっているようだ。


「うーん、まだ気分が悪いわ。あいつ、エイリアンを倒しちゃうかな?」

「どうでしょう。レーダーの攪乱が上手くいったのなら、もしかしたら不意打ちを食らって死んでいるかもしれません」

「あんまり期待しないほうがいいのかなあ……、まあ、さっさと上階に行ったほうがいいってことかな」

「あの、琴歌さん。……佐東さんと篠宮さんは」


 琴歌はうん、と頷く。


「心配する気持ちは分かるよ。でも、制圧部隊は政府機関の人間。監視もついてるでしょ。無辜の人間を害するとは思えない。佐東さんはちょっとオシオキ喰らっちゃうかもしれないけど」

「私たちだけで逃げる、ってことでいいんですよね。……なんだか、琴歌さんを巻き込むような形になってしまって」


 琴歌はアハハハと笑った。


「いいのよ。覆水盆に返らず。もしわたしが不純物になってなかったら、あなたが悩むのは当然。でも、もうわたしも連中の狩りの対象になってるんだから、運命共同体として行けるところまで行ってみましょうよ。それしかない、うん」


 琴歌はあっけらかんとしている。綾はそれでも不安だった。お互い、負傷しているし、神と志村の戦闘能力は圧倒的で、まともにやれば勝ち目は薄い。逃げることしかできないが、戦うべき相手は彼らだけではない。抗体と言われる魔物を含め、ダンジョンには危険が多く存在する。


「……あの、琴歌さん」

「何よ。さっさと行きましょう?」

「私が、どうして不純物としてダンジョンに潜り込んだのか、聞かないんですか。事情を……」

「教えてくれるの? わたし、警察じゃないから、瀬山さんの犯罪とかあんまり興味ないんだけどな……」

「幻滅しないんですか?」


 琴歌は腕組みをして考え込んだ。


「そりゃあ、人のモノを盗むとか、誰かを無差別に傷つけたりとか、そういうことをする奴はむかつくし、嫌いになっちゃうかもね……。でも、瀬山さんは違うでしょ」

「そうですけど……」

「聞かせてくれるんなら、聞いてもいいかもね。番組で使えるネタかも」


 綾は迷っていた。だが自分の所為で琴歌まで危険に晒している。全てを打ち明けて、なぜ自分が不純物となったのか説明すべきではないか。それは最低限の責任の取り方だと思った。


「……琴歌さん、驚かないでくださいね。私、異世界から来たんです」

「イセカイ?」


 琴歌はきょとんとした。


「そう言えば、さっきそのようなことをちょろっと言ってたような……。錯乱したのかと思ってたけど」

「違うんです。私、全く別の世界から迷い込んでしまったんです」

「へえ。違う世界かあ。どんな世界なの? こことは全然違う感じ? でも瀬山さんは普通の日本人に見えるなあ……」


 綾はかぶりを振りながらも、驚いていた。


「いえ、異世界とは言っても、こことよく似た世界なんですけど……。信じてくれるんですか」

「話を信じるか否かっていうより、瀬山さんを信じるかどうかって感じかな。わたしたちってもはや運命共同体でしょ。妙なところで疑いたくないもの」


 綾は少し拍子抜けしつつも全て話した。元いた世界ではダンジョンなんて存在しなかったことを。どのようにこちらに来たのかの経緯なども。


「……ふうん、なるほどね」


 聞き終えた琴歌が頷く。


「初めてあなたと出会ったときの違和感が、やっと解消されたわ。そういうことだったんだ」

「違和感、ですか」

「瀬山さん、あなた、『本来なら青手帳なのに白手帳を交付された』とか平気で言ってたでしょ。この世界の住民ならそれが何を意味するのか理解し、ダンジョンには絶対に寄りつかないと思う。手帳の異変は、ダンジョンでの事故に直結する極めて重大な事柄。常識を知らないってレベルの話じゃないわ」


 綾は頬をかいた。我ながら不自然な態度を続けていたんだろうなと思う。


「そう、ですよね」

「そ。だからずっと怪しいとは思っていたし、精霊が姿を見せたときにあなたが危ないと直感した。不純物云々の話は、噂では知っていたからね。エイリアンが星の抗体なんじゃないかってことは、あのバカみたいな威力の攻撃を見た瞬間に脳裏に閃いていたし」

「そうだったんですか」


 琴歌は思い出し笑いをし、綾の肩を叩いた。


「まあ、瀬山さんが注意を促してくれなきゃ、あの銀色の亜人に正面からぶつかって今頃琴歌さんオダブツだったかもしれないから、そこは感謝だよね。あはは、ありがと、瀬山さん」

「いえ、そんな、そもそも私がいなければこんなことには」

「そうなんだけどさ。でも、おかしい話じゃない。異世界なんてさ」


 琴歌はぼやく。


「ダンジョンのない世界なんでしょ? ちょっと考えられないなあ。いきなり何の前触れもなく別の世界に来ちゃって――あなた一人だけ」

「そうですね。確かにおかしいですし、私も混乱してますけど」

「あなた以外にも、異世界から来た人っていないのかな? それに、あなたが異世界から来たら、どうして白手帳なんか交付される羽目になってるの」

「エラー、じゃないんですか。私が手帳の本来の持ち主じゃないから」

「いやいやいや、あなた、白手帳って厖大な実績を挙げて初めて交付される代物なんだよ。地元の有名人よ。そんなものがぽんと貰えるわけがない」


 そう言われると、確かに何かがおかしい。まるで何者かが綾が異世界に現れるのを承知していたかのように、手帳が用意されていたということだろうか。


 いや、あるいは。


「元いた世界にも、この世界と同じ家族がいたんです。両親の名前は同じだし、弟の見た目も似ている。当然、こちらの世界にも、ダンジョン世界に適応した瀬山綾という女の子がいた。たぶん、私がこっちの世界に跳んできたときに、入れ替わりになったんだと思いますが……」

「ふうん、それで?」

「そのもう一人の瀬山綾が、元々白手帳の持ち主だったという可能性はあるんでしょうか? 家族からは、ダンジョンに一度も行ったことがない、なんて言われてましたが……」


 琴歌は首を捻る。


「うん、ダンジョンに潜らなくとも実績値を稼ぐ方法はあるね。でも、微々たるものだよ? 一流の研究者でも、白手帳に達するには何十年も一線級の活躍を継続する必要がある。実績値を稼ぐには、魔物を狩るのが一番手っ取り早いんだよね」


 綾はここにきて初めてもう一人の瀬山綾について興味を抱いた。この世界にも瀬山綾という名前の女の子がいた。ダンジョンに入ることを拒絶し、家族たちをやきもきさせていた、引っ込み思案の少女……。


 いったいどんな女の子だったのだろう。もしかしてこの白手帳は、彼女の隠された能力を示す証なのではないだろうか。家族も知らなかった、大量に実績値を稼ぐ手段……。


 そのような想像をしながら、綾と琴歌は先へ先へと急いでいた。いつ神と志村が追いついてくるのか分からない。やがて六〇階への上り階段を発見した。


「よし、順調に階段を発見。抗体さえいなかったら、ここからは安全に進めるはずなんだけどね」

「それと、制圧部隊の人たちですね。彼らは四人だけなんでしょうか?」


 琴歌は頷く。


「もっといるかもしれないけど、当分は大丈夫でしょ。外部との連絡もつかないから、たとえば転移装置を使ってダンジョンの深部に増援を送り込んでくるなんてことも考えにくい。ひたすら上へ上へと逃げればオーケー」


 琴歌は階段を上り始めた。綾はそれに続きながらも、まだ心の中にしこりがあった。


「あの、琴歌さん。もし無事に地上に帰還できたとして」

「もし、じゃない。絶対に帰還するわよ」

「はい。……制圧部隊の人たちに逆らって、大丈夫なんですか。捕まったりしないんですか」

「えっと」


 琴歌は一瞬神妙な顔つきになった。

 そして破顔する。


「あは、全く考えてなかったな、そんなこと。わたしってばダンジョンから帰還して番組で何を喋ろうかなんてことばっかり考えてた」

「ええっ! もしかして、犯罪者として牢屋行きだったりします?」

「うん、ていうか手帳を破ったことも結構な重罪なんだよね、実は。瀬山さんも、手帳を偽造したとか疑われたら、実刑喰らうね、間違いなく」


 実刑って。綾はぞっとした。見知らぬ世界で囚人となるなんて想像しただけでも寒気がする。


「ど、どうするんですか。やばいですよね」

「あはは、まあ、今は自分の命が最優先でしょ。一応、カメラで映像は撮っているから、色々と言い訳はできるかもしれない。非常事態だしね」


 しかし非常事態だとしても、琴歌が制圧部隊に反抗したのは言い訳できないのではないか。命を直接狙われている綾ならともかく、関係のない彼女がしゃしゃり出て来て自分の手帳を破損させてしまうなんて。


 琴歌が突然綾の頭をくしゃくしゃと撫でてきた。


「なーにそんな不安げな顔してるの? 大丈夫大丈夫、琴歌さんが大丈夫って言ってるんだから大丈夫!」


 何度この言葉に勇気づけられただろう、綾は琴歌の底なしの強さに憧れにも似た気持ちを抱いた。


「琴歌さん、無理しないでくださいね」

「無理ぃ? 無理なんてしてないよ」

「ならいいんですけど。私たちはもう、運命共同体なんですよね?」

「……うん、そうだね」


 琴歌は頷いた。きっとあと少し進んだら、神と志村が追いついて苛烈な攻撃を仕掛けてくるだろう。それが分かっているだけに、この穏やかな時間が愛おしかった。

 

 琴歌が綾を助けたように。


 自分も琴歌を助ける。


 綾はそう心に決めた。もう初心者だからなんて理由で自分だけ逃げることはしない。利用できるものは何だって利用する。


 六〇階への階段を上がりながら、自分に強くそう言い聞かせた。






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