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隣のダンジョン  作者: 軌条
第一部 地上へ
3/111

まるでゲーム

3、まるでゲーム



 綾が無様な悲鳴を上げずに済んだのは、彼女が豪胆だったからでも、冷静だったからでもない。今朝食べたトンキの肉が逆流しかけて声を出すどころではなかったからだ。


 暗がりからぬぅっと姿を現したのは巨大な亜人だった。身長は恐らく4メートル以上はある。衣服を纏わぬ全裸の巨人が異様な臭気を放ちながら近づいてくる。人間と似通った部分はあるものの、顔面は醜悪に歪み、尖った耳には黴が生えたような染みが付着し、神が造形を誤ったとしか思えない奇妙な形の唇からは青白い唾液が垂れている。総じて豚の頭部をハンマーか何かで殴打したかのような顔面をしている。

 でっぷりと肥えた腹が地面を擦り、怒張した筋肉がせわしなく痙攣している。右手には人間の身長ほどもある巨大な刀剣を手にしている。錆びていて切れ味はなさそうだったが、鈍器としての威力は申し分なさそうだった。


 綾は後ずさりをし、洞窟の壁に後頭部をぶつけた。痛がっている余裕さえなかった。そのまま背中を壁にあずけて、ずるずると腰を下ろしてしまった。


 ありえない。なんなのこの化け物は。


 カズマが豚の化け物に向かって突進している。危ない、などと注意することも思い浮かばなかった。躰が震えて何もできない。

 カズマがちらりと綾のほうを見た。何の感情も示すことなく化け物に接近し、跳躍。化け物が雄叫びを上げた。同時に悪臭が洞窟全体に立ち込めた。綾は咳き込んだがカズマは平気そうな顔をしていた。空中で姿勢を変え剣を前に突き出すように構える。


 それを見た化け物が、自らの得物を構え、真っ向から迎え撃つ格好になった。まともにぶつかれば膂力の差は歴然、カズマに勝ち目はないように思えた。綾はそこで初めて彼の心配をした。もしかして目の前で人が死ぬのか? そんな光景に自分は耐えられるのだろうか?


「カズマくん!」


 綾は叫んだ。そのときカズマの剣が発光した。燃えるような赤色に――否、実際に炎を纏って、化け物の剣と激突した。

 呆気なく化け物の錆びた剣が砕けた。その破片を浴びて化け物が悶え苦しむ。カズマは難なく着地をすると、剣の刀身に宿った炎を掌で撫ぜた。


「一〇〇階の獲物にしては手ごたえがないな。でかいだけか」


 カズマはぼやくと、先ほどの激しい動きとは一転して、ゆっくりと標的に歩み寄った。化け物は甲高い鳴き声を発しながら後退した。いかにも理性のなさそうな風貌をしているのに、目の前の少年には歯が立たないことを察して逃げ出そうとしている。綾はもう少年の身を心配しなくとも大丈夫なのだと気付いた。


 化け物が背を向けて逃げ出そうとした。カズマはフンと鼻でそれを嗤うと、懐から小さな短剣を取り出し、それを放り投げた。

 まるでいい加減な投擲だったが、空中で短剣に不可視の力が加わり、急激に方向転換、加速した。化け物の背中にトスっという小気味の良い音と共に刺さった。


 するとその刃先からどす黒い液体が溢れ出した。最初は化け物の血かと思ったがどうも違う。化け物が絶叫しながらのたうち回るのを見て、なるほど短剣に仕込まれていた毒かと合点がいった。

 化け物は恐らく数秒も騒いでいなかっただろう。瞬く間に毒が回り、地面に伏してそのまま動かなくなった。


 しぃんと静まり返った洞窟に、綾は不気味さと心細さを感じて、剣を鞘に収めたカズマに近付いた。


「あのー、カズマくん……?」


 カズマはじっとして動かなかった。すると化け物の死体から光が湧き出てきた。ぎょっとした綾は立ち止まり、その美しい光の奔流を眺めていた。


 その光の奔流はカズマと綾のほうに向かって飛び始めた。綾があわあわしている間に光に取り囲まれ、それは首から下げている手帳に吸い込まれた。


「な、なにこれ……」

「ふん。随分としょぼいな。準備運動にもならない。おい、回復系のギフトを持ってないか?」

「ぎ、ぎふと……? お中元にはちょっと早いけど」

「は? 何を言っているんだ、お前」


 カズマは不審そうにした。そして首を傾げるとポケットから小さな薬瓶を取り出した。


「俺の武器は火力重視なんだ。雑魚を一〇〇仕留めるより大物を一匹討伐したほうが効率が良いからな。お前はどうなんだ」

「えと、私……?」

「俺の装備は燃費が悪いんだよ。一戦交えるたびに回復する必要がある。お前の武器を見せてみろよ」


 武器。そんなもの持ってない。綾は当惑した。持っているのはこの手帳と、母から貰ったお守りだけ。

 綾が停止していると、カズマはふんと腕組みをした。


「お前、さっきから様子がおかしいな。まさか何の装備も持たずにダンジョンに乗り込んだんじゃあるまいな。たまにいるんだよな、自殺するのにダンジョンを利用する奴」


 綾は仰天した。


「自殺なんてとんでもない!」


 カズマは訝しげに綾を眺めていたが、肩を竦めてそっぽを向いた。


「まあいい。とにかく次は戦えよ。いちいち雑魚の相手をしていたら赤字決定だ」


 戦えだって? 綾には武器がない。戦い方も分からない。そもそもあの化け物は何なんだ。どうして戦わなくちゃいけない。

 綾は質問したかった。しかし不穏な臭いが辺りに漂う。


 カズマもそれに気付いたか、振り返って綾の顔を見た。


「どうやらトンキの死臭につられて魔物が集結してきたようだ。おい、綾とかいったな。今度は逃げられんぞ」

「うっ、嘘でしょ。私、戦えないよ」

「なぜだ。お前も白手帳だろう。千単位の魔物を討伐してこなければとても辿り着けない領域だ」

「はあ? 魔物を討伐って……。そんな経験……」


 会話はそこまでだった。突如魔物の絶叫が響き渡った。洞窟内に殷々と反響し耳鳴りがするくらいだった。綾は背後に気配を感じて前方に転げ回った。それまで背にしていた洞窟の壁が破砕され、巨大な魔物の黒い爪が後ろ髪を掠めた。

 綾はぞっとした。今避けなかったら殺されていたかもしれない。カズマが笑っている。


「なんだ、良い動きするじゃないか。それなら心配なさそうだな」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 私、マジで魔物となんか戦ったことないんだって! 聞いてないもんこんなこと!」


 しかしカズマは笑みを浮かべながらその場を走り去ってしまった。綾は追いかけようとしたがその行く手を狼に酷似した魔物が遮る。

 はっとして周囲を見渡すと、巨大な爪を備えた狼の魔物が五体、綾を狙ってじりじりと距離を詰めているところだった。逃げ場はない。普通の狼だって恐ろしいのに、目の前にいるのは体高2メートルを超す超弩級のサイズだった。一噛みで殺される。


「う、嘘でしょ……。なんなのこのワンちゃんたちは! でか過ぎでしょ!」」


 逃げ出そうと一歩踏み出したが、狼たちがずいと進み出て来て包囲の輪を縮めた。もはや全方位塞がれていた。逃げようと思えばいずれかの懐に潜り込む覚悟が必要となる。

 綾は運動には自信があった。しかしバスケの試合中にかけるようなフェイントとはワケが違う。相手は人間ではないし、ファールを取ってくれる審判もいないし、生死が懸かっている。突進されて吹き飛ばされ、ぐったりしているところをがぶり、それでおしまい。


 綾は立ち竦んでいた。狼たちはしかし綾のことを警戒しているのか、なかなか攻めてこようとしない。遠巻きに涎を垂らしながら様子を見るのみ。随分と長く睨み合いをしているように感じた。やがて包囲の輪の外からカズマの声がした。


「お前、本当に戦えないのか? 演技には見えないな」

「カズマくん! 私初心者なんだよ! ダンジョン初心者なの! もう帰りたい!」

「なら帰ればいいだろうに」

「帰り方が分からないんだよ!」


 カズマが狼の一体を両断し、死骸を蹴飛ばしながら首を傾げた。


「お前、学校で習わなかったのか。いやそれ以前に、普通知ってるだろう。帰還石を持っているか?」

「えっなにそれ……。これしか持ってないけど」


 母から貰ったお守りを示すと、カズマが頷いた。


「それが帰還石だ。それさえ身に着けていれば、ダンジョンの探索中に魔物に殺されても無傷で地上に帰還できる」

「は? 殺されても無傷って……。そんな、ゲームじゃないんだから」


 綾はゲームにあまり詳しくなかった。そもそもまともにプレイしたソフトが一本もない。それでもこれがしょうもないゲームにありそうな物品であると感じることはできた。殺されてもリセット。最初からやり直し。極めてゲーム的ではないか。

 カズマはもう一体を会話しながら斬殺した。狼たちは退却の素振りを見せているが、彼の眼光に竦んだか、中途半端な距離感を保ったままそこに留まっていた。


「ゲーム……、ね。まあそういう風に考えている連中も少なくないだろう。気軽に生き死にの世界を体験できるからな。しかしお前、本当に何も知らないんだな。初心者と言っても限度があるぞ」

「仕方ないじゃない……。なんかこの世界変なんだもん」

 

 カズマは残りの三体の魔物を牽制しながら綾に近付く。


「白手帳を持っているんだろう。それをどこで手に入れた」

「身分証明書のこと? 確かに白く光ってるね……」

「身分しょ……、そんな風に言う奴、門番以外に初めて会った。いや、別にいいんだが、白く光っているということは、お前が多くの実績を積み、精霊たちに熟練の冒険者として認められたということを意味する。お前のような初心者は青手帳から始まるのが決まりだ」


 精霊。またゲームみたいな単語が出てきた。綾は嘆息する。


「精霊って、羽が生えてて、きらきら光る鱗粉を撒き散らしながら空を飛ぶ、可愛い感じのアレ? あ、これは妖精かな」

「お前は何を言っているんだ。可愛い――かどうかは個人の感覚だろうが、連中は若い女の姿形をしている。青い髪と金色の瞳が特徴だな。……しかしお前、本当に何も知らないようだな。待ってろ、今こいつらを片付ける」


 カズマが狼たちに突進した。ほんの数秒で全て片付けてしまった。狼たちの死骸から光が溢れ出て、カズマと綾の手帳に吸い込まれていく。


「これは?」

「魔物を討伐することで得られる、実績値だ。スコアポイントと言えば分かり易いか」


 カズマは剣を仕舞いながら言った。そして綾をしげしげと眺める。


「な、何よ」

「いや。何の手違いで白手帳を持っているのか知らんが、それにしても妙な女だな。子供でも知っているようなことを知らないし、その年齢でダンションに潜ったことがないというのも珍しい。普通は小学四年生で教師同伴の元、ダンジョンに潜る。家庭によってはもっと幼いときに潜らせることもあるだろう。実際、俺がそうだった。俺が初めてダンジョンに潜ったのは五歳のときだ」

「ふうん……」


 と言われても、この世界の常識をいまいち理解できていない綾には何と返事すればいいのか分からない。カズマは溜め息をついた。


「親に聞くなり、友達について来てもらうなりして、ダンジョンについてもっと知ることだ。最初は一階から始めろ。こんな深層じゃ、何もできないまま死ぬだけだ」

「一〇〇階とか言ってたよね。それってやっぱり深いの?」

「ほとんどの冒険者がまともな戦果も挙げられずに退却することになるだろう」

「ふうん……、ということは、カズマくんって相当に強いんだねえ。白手帳を持ってる人って少なそうだし、凄い人だったりするの、きみ」

「どうだかな。……早く帰りたいんだろ。わざと魔物にやられて帰還石を発動するってのも手だが、さすがに刺激が強いからな。これをやるよ」


 カズマは奇妙な紋様の入った指輪を差し出した。綾はそれを受け取り、しげしげと眺めた。


「これは?」

「右手のいずれかの指に嵌めると、地上に帰還する術が発動するようになっている。何度でも使える」

「えっ。何だか凄そうな指輪だね。高いんじゃないの?」

「四万点だ」

「四万……?」

「実績値と引き換えに、精霊から貰うんだよ。お前の手帳を見てみろ」


 言われた通り、首から下げている手帳を捲る。すると最初のほうのページに見慣れない数字が書かれていた。


「ええと、二五二〇って書いてある」

「それがお前の累計実績値だ。俺と一緒にダンジョンに潜ったから、俺が討伐した魔物の報酬である実績値も、お前に振り分けられる」

「うわ、本当にゲームみたい」

「武器や防具、食料品や日用品まで、精霊の経営するショップでは幅広く商品を取り扱っている。二五二〇点もあれば、一か月分の食費にはなるかな」

「えっ、そんなに!? 私、突っ立ってただけなのに」

「深層にいる魔物ほど討伐したときに振り分けられる実績値が多くなるようになっている。実際に討伐した人間ほどではないが、お零れだけでもそれくらいにはなるということだ」


 カズマはそこで薄く笑みを浮かべた。


「そろそろ次の魔物が来るかもしれないぞ。のんびり話をしていていいのか」

「あっ、うん。色々ありがとう。あの、でも、独りで大丈夫なの?」

「俺の心配をしているのか? 問題ない。それにいざとなったら、他にも帰還用のアイテムを用意している。準備は万全さ」

「死んでも地上に戻れるんだよね? 痛いのかな」

「それほど痛くはない。精霊の加護で、死に相当するような激烈な痛みは回避できるようになっている。ただし死んで帰還することでペナルティが発生し、所持していたアイテムは没収され、それまで溜めていた実績値も一〇分の一に減らされる」

「ふうん。大変そうだね。じゃ、頑張って。私、帰るから」

「ああ」


 綾は言われた通り、右手の人差し指に指輪を嵌めた。サイズはぴったりだった。


 何が起きるんだろうとドキドキしながら待っていたが、指輪はうんともすんとも言わなかった。カズマが首を傾げる。


「……うん?」

「どういうこと。これで帰れるんじゃないの?」

「分からない。お前、義手だったりしないよな?」

「まさか」


 カズマは綾の手を取り、指輪をじっくりと眺めた。


「壊れているようではないな。ちょっと貸してみろ。俺が嵌めてみる」

「えっ、ちょっ、待っ」


 そんなことをして、カズマが先に帰還してしまったら、綾が独り取り残されてしまうではないか。阻止しようとしたが、カズマはもう右手の指にそれを嵌めてしまった。


 しばらく待ったが何も起きない。カズマは首を傾げていた。指輪を外して綾に放り投げる。


「ど、どういうこと? どうして帰れないの」

「分からない。この指輪は精霊謹製の印が押された正規品だ。粗悪品ってわけでもないだろうし……、地上で何かあったのかな」

「地上で?」

「出口が物理的に塞がれているのか、あるいは指輪の霊力を遮断する何かがあるのか。ここからでは分からないな」

「どうすればいいのよ! もうダンジョンから出られないの?」


 綾は混乱していたが、カズマはいたって冷静だった。


「帰還する方法は他に幾らでもある。俺たちは地上からいきなり一〇〇階に潜っただろう? 探索熱心な先達が一〇〇階と地上に直通路を建設してくれたんだ。少し探せば帰還する為の設備が見つかるはずだ」

「ああ、つまり、来たときの地点に戻れば、帰れるってことか」

「いや、違う。帰還設備は地上から一〇〇階への着地点からは離れた場所に造られているはずだ。階層を跳び越えて人間をダンジョンに送り込むのはかなりの荒業だ。浅層ならともかくここは深層。精確な着地点を指定することができないから、霊力の衝突で事故が起こることを避ける為に、帰還設備はやや離れたところにある」

「ええと、よく分からないけど、それはどこにあるの」

「俺はここのダンジョンは初めてだ。狩場を変えたばかり。だから構造はよく知らない」

「何よ、下調べしてないの? 準備不足だよ、それ」

「お前にだけは言われたくないな」


 カズマは笑んだ。そして頬を掻く。


「別に珍しいことじゃないさ。こんなトラブル。特に深層に向かえば向かうほど、冒険者を支援する精霊との繋がりが希薄となる。これくらいでびびってたら命が幾つあっても足りない」


 カズマはきっと綾のことを安心させようとしてこう言ってくれたのだろう。綾は自分の不安がほんの少し除去されるのを感じ、彼に感謝した。何だかよく分からない世界だけど、とりあえず彼と一緒にいれば大丈夫そうだな。











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