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隣のダンジョン  作者: 軌条
第一部 地上へ
29/111

銀色の戦場

28、銀色の戦場



 姜がジンにスカウトされたとき彼はしがない冒険者の一人に過ぎなかった。神が最初にスカウトしたのは志村瑞名だったが、姜はそれとほぼ同時期に制圧部隊に入隊している。


 政府主導の階級テストにおいて、一〇段階中、上から三番目。霊力のキャパシティは中の上、筆記試験は優秀、だが性格に難あり。普段は温厚だが戦闘となれば異常な攻撃性を見せ、協調性は希薄。


 階級テストではそのような特徴しか見出せなかったが、神は姜の隠れた能力を発見し、是非部下に欲しいと熱望した。彼は霊力を精確無比にコントロールするばかりでなく、霊力を体内で『回転』させることができる。


 すなわち手から足へ、足から頭へ、頭から胴体へ、次から次へと霊力を集中させる箇所を移動させ、霊力の流れに勢いをつけさせる。普通は霊力に勢いをつけるなんてことはしない、むしろそれは悪手とされる。武器や防具に供給する霊力にぶれが生じ、上手く武具の性能を引き出せない危険がある。


 だが姜は天才的なセンスで問題をクリアしていた。そして霊力に勢いをつけることで得られるメリットを最大限享受していた。


 燃費が極端に悪くなる代わりに瞬間最大火力を大幅に引き上げる。

 

 姜にとって全ての武器が必殺の切り札になる。青手帳が使うような初歩的な武器から圧倒的な破壊力を引き出すことができる。


「楽しいじゃないか……、なあ、いつまでもこうしていたいね?」


 姜は囁いた。彼と組み合っている水着女は汗を拭う余裕もなく、教科書的には満点と言える霊力のコントロールで肉体を強化、攻勢をかけようとしている。


 楽しい。楽しい。


 だが姜は知っていた。もうじき自分が霊力切れを起こすことを。


 だからもう楽しい時間は終わりにしなければならない。それが残念だった。


「琴歌。残念だがもうおしまいだよ」


 姜は先ほど奪い取った弓矢を構えた。琴歌は歯を食いしばって素手のまま迎え撃とうした。


 無駄な努力だった。姜がその気になればこんな女、一瞬で始末できる。


 きっと隊長や志村も油断していたのだろう、でなければこんな女に逃げられるはずがない。


 そう、さっきのセヤマアヤという女の子は、いかにも無力そうだったし……。


「伏せてぇー!」


 叫び声。コトカは素早く伏せた。しかし姜は反応が遅れた。振り返り、そこにあるものを見る。


 圧倒的な光条。


 霊力のコントロールでは対処できない必殺の攻撃。


 必殺抗体丁型。銀色の亜人。そこに奴がいた。


 抗体レーダーを見落としていた。戦闘中にそちらに霊力を回す余裕がなかった。姜はさすがにぞっとした。


「雑魚が! このっ……」


 姜は跳躍して避けようとした。だがあの抗体の攻撃はあまりに素早い。完全に躱し切れず、足の先が蒸発した。


「うぐあああああ!」


 想像を超える痛み。精霊の加護が失われ、肉体も改造していないので、痛覚が鈍くなることはない。涙が出るほど痛かった。


 何とか着地して物陰に隠れた。見れば必殺抗体丁型の傍に、セヤマアヤが突っ立っている。どうして抗体があの少女を狙わないのか全く意味が分からなかった。既に水着女は姿を消している。一瞬目を離した隙に逃げられた。


「なんだっていうんだ……、畜生、畜生、僕の足が!」


 そのとき通信機が鳴った。脂汗を噴き出しながら、姜はそれを取った。


「もしもしこちら姜! 隊長ですか!」

『……そうだが、どうした、気が立っているな』

「必殺抗体丁型と遭遇しました。今の僕の装備だと手に負えません。さっさと来てください」

『丁型と? 分かった。ところで既にセヤマたちは始末したんだろうな?』


 姜は少し怯んだ。こんなときに叱責はされたくないが、神隊長は容赦がない。負傷したことも言わないほうがいいかもしれない。


「寸前までいったんですが、その」

『遊びじゃないんだ。お前の能力なら一瞬で終わったはず』

「ですが、武器が」

『言い訳はするな。いいか、絶対に逃がすな。階段を押さえろ。上階に逃げられると厄介だ』

「分かりました」


 通信を切った。姜はこの怒りをどこにぶつけていいのか分からなかった。さっきまで楽しかったのに、顔は火傷するし、足は負傷するし、美女を取り逃すし、隊長には怒られるし……。


 霊力回復のギフトを飲みながら、階段をレーダーで探した。かなり遠くにある。移動するのは面倒だが、言いつけは守らないといけない。

 必殺抗体丁型の位置を細かく確認しながら移動した。セヤマアヤの位置も簡単に把握できた。どうやら抗体と一緒に移動しているらしい。いったいどのような手段で魔物と仲良くしているのか。そのようなアイテムやギフトが存在するのか。


 考えても分からない。千石なら納得できる理屈を考え出したかもしれないが、彼はもう退場した。制圧部隊の隊員が殉職した例は過去にないが、精霊の加護を失ったこのダンジョンならそういう事態もあり得る。隊長がどんな反応をするのか知りたい気もあった。


「ああ、でも、そうなるともう千石くんと会えないのか。死ぬとしたら彼しかいないものなあ。彼はなかなか頼りになるから別れたくないな……。けど今回はあっさりやられたもんだ」


 わざとやられた可能性もある。千石ほどの男が、あのセヤマアヤの馬鹿正直な突進を避けられなかったというのは考えにくい。女子供を殺したくないので自分から退場したのかも……。


 そのようなことを考えながら階段を目指した。だがいよいよ階段に到達するというとき、奇妙なことが起こった。


 レーダーの反応が全て消えた。


 抗体の反応も、他の魔物の反応も、先ほどまで捕捉していたコトカやセヤマの反応も、全て消えた。

 壊れたのか。一瞬、そう思った。だがこのようなタイミングで壊れるのか。


 気付いたときにはもう遅かった。首の後ろに走る衝撃。矢が首を貫通し、矢じりが自分の顎の下に突き出ているのを茫然と見た。

 血に濡れたその矢じり。込められた霊力が抜け、色褪せ、生々しい褐色に変わった。


「……な、んだと……」


 ごぼっと血を吐いた。それからは喋るどころではなかった。致命傷だ。このままだと死ぬ。姜は振り返った。弓を構えたコトカがそこにいた。


「誰かに殺意を向けた瞬間、その人の終わりは始まっている。わたしも、あなたもね。……思ったより簡単に仕留められたわ。もしかして躰を改造してないの?」


 それでどうしてあの爆発を軽傷で切り抜けられたんだろう。コトカはぶつぶつ言いながら近づいてきた。


 姜の血液は沸騰していた。それほど怒りの感情を抱いていた。女ごときが。制圧部隊に抜擢された自分をコケにしている。許せない。姜は奥歯を強く噛んだ。


 殺した、と思っているのだろう。勝った、と思っているのだろう。だが姜はほとんど危機感を抱いていなかった。これくらいの傷はこれまでにも何度も負った。確かにこの傷を放置すれば危険だが、対処法はある。


 姜は矢の両端をへし折った。血に濡れた矢じりを棄て、踏み潰す。霊力の脈動が傷の周辺に集中する。

 血が完全に止まった。血で塞がった気道と肺を清浄にし、痰と一緒に吐き出した。懐にあった制圧部隊用に調合された気付けのギフトを取り出す。強力なアルコールのようなものだ。それを飲み干す。


 傷が塞がったわけではない。矢の破片は首に刺さったままである。しかし痛みは消えた。霊力のコントロールに支障がなければ、戦闘は継続可能である。

 目の前の女を殺してからじっくり治せばいい。隊長の神ならこれくらいの傷、簡単に治してくれるだろう……。


 コトカが立ち止まった。


「まだやる気? こっちが引くくらい綺麗に決まったんだけどな……」

「ヴぉえ――失礼、コホン、それより、僕のレーダーを細工したようだが、どうやったんだ?」


 コトカは肩を竦めた。


「妨害霊波を流しただけよ。精霊の加護を失った今なら、わたしの貧弱な装備でも十分レーダーの使用を妨害するだけの出力を出せる」

「なんだ、レーダーが壊れたわけじゃないのか。良かった。装備を壊すと罰金だからな……」

「心配するべきはそんなことじゃないでしょ。言っておくけど、わたし、本気であなたを殺す気だから」

「そうこなくっちゃなあ。僕も逃げ惑うだけの子羊を狩るような卑怯な真似はしたくない」


 姜はレーダーへの霊力の注入を増やした。すると背後から必殺抗体丁型が近づいているのが見えた。いつの間にか忍び寄っていたらしい。


「ふふ、姑息だな……。だが今は無視だな」


 姜は跳躍した。次の瞬間、必殺抗体の熱線が足先を掠めた。コトカも機敏に動いて避けている。


「ちぇっ、さすがに二度目は当たらないか……」

「当然だよ。僕を甘く見ないでくれ。しかし驚いた。普通の魔物を使役する冒険者は聞いたことがあるが、まさか抗体をも御することができるとは」

「使役、ねえ……」


 コトカは笑んだ。そして物陰に消えた。

 後を追うべきか。振り返ると、抗体がこちらに近付いている。セヤマという少女は既に抗体の近くにはいなかった。


 今、抗体と戦っても分が悪い。コトカを追うべきか。だが階段をがら空きにするのはまずい。逃げた方向を考えると、コトカが一直線に階段を目指した可能性もあるが、彼女が仲間を見捨てて一人だけ戦場を離脱するだろうか。

 あの二人は互いに信頼し合っている。一人だけ逃げるということはないはずだ。


 階段を監視するべきか。コトカを追うか、それともセヤマを追うか。姜はにやりと笑った。


「冷静になるんだ。そう、追う必要はない。抗体の相手をする必要もない。階段を塞ぐ。何だったら上階に行ったっていい。後は隊長に任せて離脱してしまえ。これ以上の失態はまずい。この傷だって軽くはないんだ」


 姜は階段を目指すことにした。必殺抗体丁型の攻撃は脅威だが注意を向けていれば回避は難しくない。それほど急がなくとも大丈夫だろう。レーダーを見る限り、セヤマもコトカも、階段に近付く気配はない。


 ここで通信機が鳴った。素早く出る。


「もしもし、こちら姜。もうすぐ階段に――」

『馬鹿野郎! 貴様、レーダーを確認していないのか?』


 いきなり怒鳴られた。姜は釈然としなかった。


「確認していますよ。基本でしょう。ちゃんと、抗体、コトカ、セヤマ、全ての点を確認しています」

『だったら、なぜコトカの反応が上階にある? セヤマアヤの反応も、もうすぐ上階に辿り着くぞ。何を見ている?』

「えっ」

『そして――お前、抗体の近くにいるな。大丈夫なのか? その目で確認は?』

「はっ?」


 振り返った。


 ちょうど角を曲がったところに必殺抗体丁型がいた。レーダーを見て避けたはずなのに。


「はっ?」


 意味が分からなかった。銀色の亜人の両手から熱線が放たれる。


 近過ぎる。回避が間に合わない。


 機動靴に霊力の激流を流し込む。天井に激突する勢いで跳躍した。


 それでも右足一本持って行かれた。筆舌に尽くし難い痛みが走る。もし気付け薬を事前に飲んでいなかったら気絶していたかもしれない。


「ぐああああっ! 畜生! あの女! コトカぁ!」


 信じられない。レーダーの探知を妨害する霊力の塊を巧みに動かして、こちらに間違った情報を送り続けていた。そうとしか考えられない。言葉にすると簡単だが、尋常ではない量の計算が必要だ。霊力のコントロールどころではない。姜が使用しているレーダーの種類を把握し、誤作動を起こさせるように仕向けるには、超人的な空間認識と厖大な霊力消費が必要なはず――


 空間認識はともかく、厖大な霊力消費は如何ともし難い。この階層全体に渡って漂う霊力の塊。妨害するだけなら少量で済んでも、情報を偽装するには、一生分の霊力を捧げたとして成功するかどうか。


 そのとき姜は見慣れないものを見た。銀色の亜人の上半身に括りつけられた何らかの装置。


 コア付近にあるその機械。そこから霊力が放出されている。


 まさか、抗体の霊力を利用してレーダーの攪乱をしたのか……?


 確かに抗体が持つ霊力を使えれば、霊力消費の問題はなくなるだろう。とんでもないことを思いつくものだ。


 通信機が再び鳴った。片足を失い、必死に物陰に避難しながら出た。


「もしもし、こちら、負傷しました、もはや追撃は不可能です……」

『……ちっ、分かった。姜、お前は自らの生存を優先しろ。無事に生還したら貴様の肉体を強制的に改造してやる。外付けのレーダーなんぞ使うから攪乱なんかされるんだ』

「面目ありません……」

『馬鹿みたいにその辺の霊力濃度が高まっているが、それも奴らの仕業か?』

「はい。抗体丁型の霊力を利用したようです。それで僕のレーダーが使い物にならなくなって……」

『……なに?』


 神の声音が変わった。


『いったい何を言ってる。抗体の霊力を利用?』

「はい。僕が見る限り、抗体丁型のコアの付近に装置を取り付け、霊力を吸い上げて放散しているようです。それでレーダーの攪乱を……」

『馬鹿を言うな。抗体にそこまで接近して装置を接続することなど不可能だ。あの熱線にやられて死ぬぞ』

「あの、セヤマとかいう少女がいるでしょう。あの子、抗体を操っているようなんです」


 神は黙り込んだ。姜は少々焦った。


「い、言っておきますが、見間違いなどではありません。抗体に近付いても彼女だけ襲われませんでしたし、道を誘導しているように見えました……」

『襲われない……。なるほどな。姜よ、一つ教えておく』

「はい?」

『セヤマアヤは抗体を操っていたのではない。気付かれていなかっただけだ。そして予定を変更する――殺すのはやめだ。セヤマアヤは生け捕りにする。水着女は生かそうが殺そうがどうでもいいが』

「はっ?」

『まあ、お前はもう奴らを追わなくてもいいから関係ないかもしれないが、今後万が一、セヤマアヤと遭遇したら、絶対に殺すな。もし捕縛が無理なら見逃せ。いいな?』

「は、はあ……。それは分かりましたが、理由をお聞かせ願えますか」

『人類の発展の為だ』


 神はそう言って通信を切った。姜にはまるで意味が分からなかった。痛む足を引き摺り、止血するのに霊力を使いながら、ダンジョンを一人進んだ。


 レーダーはもう信用できなかったので、警戒を怠ることはできなかった。自らの生存を優先――そうは言ってもなかなか難しい。しかし回収をお願いするのも、これ以上足手纏いになるのは御免だった。姜にも人並みにプライドはある。


「人類の発展の為、ねえ……。確かに抗体を操れたら、ダンジョンの超深層も簡単に攻略できそうだが……」


 人類がダンジョンに潜り込むことができる深さは決まっている。二百階以上深く潜ると、大量の抗体が出現して冒険者を殺す。

 もし抗体を排除する方法が確立されたなら、これまで不可能だったダンジョンの最奥の探索も実現するかもしれない。神の話を聞いて姜が連想したのはその程度の話だった。


 あまり興味がなかった。痛みが凄まじく、考え事ができなかったというのもあるが、姜は元々超深層に関心がなかった。だからもし今回の作戦がそちらの方向にシフトするというのなら、もはや残念だという感情も湧かなかった。


「今の内に報告書の文面を考えておくか……。ああ、その前に撮影した映像を細工しないと」


 姜はぼやいた。しかし細工なんてどうすればいいのか分からない。千石にやらせようと思っていたのに。片足となった姜は散逸しがちな思考の中で一人放浪した。生きて戻るのは一苦労だが、姜には自信があった。霊力切れを起こした自らの躰の不調を疎ましく思いながら、ダンジョンの闇に溶け込んだ。







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