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隣のダンジョン  作者: 軌条
第一部 地上へ
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霊力指導

21、霊力指導



 ダンジョンに潜り込んで丸二日経った。綾たちは六五階に到達していた。


 琴歌の主導で安全にダンジョンを移動し、魔物との戦いでも常に圧倒していた。エイリアンとの戦いでは死を覚悟してがむしゃらに動き回ったというのに、七四階から六五階までの間、それほど緊迫した瞬間は訪れなかった。


 琴歌はもちろんのこと、篠宮と佐東もなかなか戦闘に熟達していた。普通の魔物相手ならば、二人は六五階でも苦もなく立ち回っていた。


 しかし綾だけは、まともに戦闘に参加することができなかった。琴歌から新たな武器が支給されることはなく、支援用のライトスタッフを持たされたが、役に立っているとは言えなかった。


 銃ならば引き金を引けばいい。槍なら突けばいい。しかし杖ってどうやって使えばいいのか。魔法の呪文みたいに、何か唱えればいいのだろうか。


「瀬山さん、ちょっと話が。あっ、お二人さんは休憩してて」


 戦闘の間隙において、琴歌が綾に手招きした。篠宮と佐東が首を傾げる。


「何ですか、琴歌さん」

「いいからこっち、こっち」


 琴歌は満面の笑みで綾の肩に手を回し、ぐいぐいと暗がりのほうへと少女を引き入れた。


「瀬山さん、全然ライトスタッフ使いこなせてないね? そろそろあの二人にも怪しまれるよ」

「そ、そんなこと言ってもですね……」

「エイリアンとかハグルマとかに遭遇しなければ、もう私たちは安全にダンジョンを昇っていくことができると思う。余裕がある内に、練習しておかないとね」

「練習、ですか……?」

「そう。イメージが大切なんだよね。何が何でもこの人をサポートするぞっていう覚悟も必要。手本を見せるから、真似して」


 琴歌はライトスタッフを受け取ると、軽く握り込んだ。


 すると杖の尖端から青い靄のようなものが出てきた。それは綾の周囲にふわふわと漂い、しばらくそのまま滞留した。


「……なんです、これ」

「敵の呪殺を跳ね返すバリア。耐性付加だね。他にも傷を癒したり、味方の武器を強化したり、ピカピカ光って敵の目くらましもできたりするんだけど」

「色々使えるんですね。どうやってコントロールするんですか」

「練習するしかないかなあ。つまりさ、これって結構基本的な技術なんだよね。わざわざダンジョンに入ってからやるようなことじゃないの。瀬山さん、白手帳を騙るにはあまりに無知過ぎるから、もうちょっと知識を補強しておかないと」

「すみません……」

「ま、いいんだけどさ。ほら、こう、持って。イメージして」

「何をですか?」

「ええと、最初は色をイメージするといいんだったかな。簡単なのは治療系だと思うから、ピンク色の煙をイメージしながら、霊力を放出すること」


 霊力を放出。よく分からないが綾はライトスタッフを持って念じた。


 すると意外なほど簡単に杖の尖端から桃色の煙が出た。おっ、と琴歌が目を見開く。


「まさか一発で指定の色を出すとはね。やっぱり瀬山さん、センスあるわね。ていうか本当に初心者?」

「正真正銘の初心者ですよ。そうか、色をイメージすればいいんですね。他の色の効果も教えてくれます?」

「最初はあんまり細かく憶えないほうがいいんだろうけど……。ま、一応教えるわね」


 赤は武器強化。黄色は目くらまし。青は耐性強化。緑は霊力充填。ただしいずれも効果としては微々たるものだという。


「やってもあんまり意味がないんですか?」

「えーとね、この杖って増幅装置が入ってないのよ。その分、初心者でも扱いやすくなってるんだけど……。この琴歌さんみたいに霊力のキャパが大きい人が使うと、それなりに効果が出るんだけど、未改造の瀬山さんみたいな人が使っても、役には立たないかも」

「えっと、じゃあどうして私にこれを……」


 琴歌は腕組みをしてふふふと笑う。


「さっきも言ったけど、練習よ。戦闘において霊力のコントロールは重要課題。特に近接戦闘を得意とする人間は、攻撃、防御、機動、各フェーズの必要に応じて霊力を振り分ける必要がある。瀬山さんが今後もエイリアンとやり合うなら、霊力の基本的操作を習得しておいたほうがいい」

「でも、引き金を引くだけなら……」

「銃はもうない。残念ながら、わたしって同じ武器を二つも三つも所有するような道楽者じゃないの。だから今後、瀬山さんにはこれを使ってもらう」


 琴歌が差し出したのは剣だった。見覚えがある。カズマが使っていたような、不思議な輝きを放つ刀身。

 

「竜剣……?」

「あら、知ってるのね。霊力をコントロールできなければ十分に威力を発揮することができない。初心者向けとはとても言えない武器だけど、わたしが持ってる武器で一番火力が出るのは、これなのよね」


 綾は竜剣を受け取った。カズマの竜剣の刀身は赤だったが、これは青だった。


「青いですね……。何か特殊な効果があるんですか?」

「上手く能力を引き出してやると、青い炎を纏う。そのときの破壊力は抜群で、エイリアンの上半身を丸ごと吹き飛ばすくらいことはできると思う。ただ、さすがにハグルマを倒すことはできないかも」


 綾は竜剣をまじまじと見つめた。カズマはこれに似た武器を使っていたが、エイリアンに屈した。本当に自分がこれでまともに戦えるのか不安だった。


「これで練習してもいいですか?」

「ダメ。絶対に駄目だからね。霊力の消費が多過ぎる。下手したら瀬山さんがさっきまで使ってた銃よりも霊力が必要になる。あなたが昏睡しているときにエイリアンに遭遇したらどうするのよ」

「でも、ぶっつけ本番ですか? ちょっとまずいんじゃ……」

「何言ってるの。今までだってぶっつけ本番だったでしょ。瀬山さんの本番力には期待してるんだから」


 綾は曖昧に頷いた。期待値が上がっている。篠宮や佐東から頼られるのは仕方がないと思えるが、琴歌にまでそんなことを言われたらプレッシャーに感じる。


 もちろん、琴歌の力になれるなら、こんなに嬉しいことはなかった。足手纏いでい続けるより、何らかの責任を担ったほうが喜ばしい。綾はそう自分を奮い立たせて、ライトスタッフによる霊力コントロールの練習に励むことにした。


 綾と琴歌が、篠宮と佐東のところに戻ると、二人は互いに背を向けてよそよそしく突っ立っていた。

 どうも不穏な空気が漂っていたが、琴歌は知らん顔だった。仕方なく綾が訊ねる。


「二人とも、どうしたの? 篠宮さん、怒ってるんですか」

「怒ってねえよ。ただ、この女が――まだしょうもないことを」

「しょうもないことって何ですか!」


 佐東が激昂する。


「私はただ、少し先を急ぎ過ぎているんじゃないかって思っているだけです。もしかしたら私たちが通過した階で、逃げそびれた冒険者がいるかもしれないじゃないですか。せめてもう少し丹念に探索をしたほうがいいと言っているんです」

「だからそんな余裕はないって言ってるだろうが! 俺たちは今、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているんだぞ。通常の魔物だけならまだしも、あのエイリアンとかいうワケの分からない異様な化け物相手じゃあ、幾ら命があっても足りない。大所帯になれば、相沢琴歌やそこの白手帳でも守り切れない」

「守り切れない? だから何だっていうんです? 助けを待っている冒険者を見捨てて良い理由になっていません」

「ごちゃごちゃうるさい奴だな! お前、そんな薄っぺらい正義感を振り翳す奴だったか? チームの中じゃほとんど発言しなかったくせに、随分な変わり様だな」


 佐東と篠宮が言い合っていた。篠宮は乱暴な性格なので違和感はなかったが、佐東は結構神経質そうに見えて躁鬱が激しい性分なのかもしれない。


 綾は琴歌に助けを求めたが、彼女はむしろ面白がる風だった。そうだった、常識人に見えて、視聴数を追い求めていく内に何事も面白がるようになってしまった、ちょっとカワイソウな人だった。水着姿でダンジョンをうろついている時点で、まともじゃない。

 

 綾は嘆息した。


「あのー、その辺でやめましょう。篠宮さんも、佐東さんも。ねっ」


 佐東は目を剥いた。


「綾さんはどうすべきだと考えているんですか。ここから先は魔物の対処も簡単になります。丁寧に要救助者を探すべきでは?」


 篠宮もずいずいと詰め寄ってきた。


「何を言ってる。今のままでいいんだよ。階段を見つけ次第すぐに上がってしまえ。余裕なんてないんだ」


 綾は救援隊ではない。自分の命を優先するなら篠宮の意見に賛同すべきだった。しかし琴歌は救援隊を名乗っているし、可能ならば全ての冒険者を救うべきだと考えているだろう。


 ルートを考えているのは琴歌だし、彼女が助けを待っている人間を見捨てて先を急ぐような人とは思えない。


「確かに私たちには、あまり余裕がない。けれどそれが他人を見捨てて良い理由とはならないよ」


 綾は言葉を選びながら言った。


「琴歌さんのレーダーを信じて進もう。琴歌さんは一人で一〇〇階に殴り込んでくるような無謀な人だけど、だからこそ、手当たり次第に人を救助しまくるようなエネルギーに満ちた人だと思う。そうですよね、琴歌さん」


 琴歌は首を傾げた。


「どうかな。わたしはこんなに苛酷な状況だと思ってなかったから、ちょっと疲れてるかも」

「そうですか? でも余裕そうですよ」

「余裕なんかじゃないよ。あと五人くらいかな……、世話できるのは」


 佐東と篠宮が顔を見合わせた。綾は思わず笑んだ。


「……もちろん、私も力を尽くす。篠宮さんも、サトウさんも、納得してくれるかな」

「納得も何も」


 篠宮は首を振る。


「別に俺は不満なんてないんだ。命を救ってもらった恩があるから大抵の命令には従う。それにこの進行スピードなら数日の内に脱出できる。文句言ってるのは佐東のほうだ」

「わ、私も」


 佐東はどもりながら言う。


「私も、ちょっと気になっただけなんです。この広大なダンジョンの全てを索敵できるとは思えなくって、その……、琴歌さんのことを疑ったわけじゃないんですけど」


 琴歌はふわあと欠伸をした。


「まあ、わたしの背後には何千人っていう視聴者が控えてるからね。それでハメ外して恥ずかしい行為を自信満々やっちゃう阿呆もいるけど、琴歌さんの場合は倫理的なプレッシャーを感じる機会のほうが多い。だからさ、わたしが信頼できないなら、わたしの性格だとか性分だとかを見るんじゃなくて、わたしの背後にあるものを見たらいいんじゃないかな」


 佐東が首を傾げる。篠宮と綾を見てから、迷った挙句に聞き返す。


「琴歌さんの背後にあるもの、ですか?」

「ネット世論的な? まあ、琴歌さんも人並みに見栄を張りたい人間だからさ、情けないことはしたくないわけね……」


 琴歌は微笑み、歩み出した。


「さ、そろそろ休憩終わり。頑張って一〇〇階マラソンを終わらせましょう」


 綾たち三人は琴歌の後に続いた。篠宮は黙り込んでいたが、佐東は不思議そうだった。


「あの、綾さん、聞いてもいいですか」

「なに?」

「琴歌さんって、やっぱり、ネット番組を配信してるだけの人じゃないですよね?」

「まあ……。凄い人だよね。救援隊だし、ダンジョン鑑定士の資格を持ってるとか言ってたし、優秀な人なんじゃないかな」

「ダンジョン鑑定士? こ、国家資格じゃないですか。どうしてそんな人が、こんな地方ダンジョンの救援隊に登録しているんだろう……」

「さあ?」


 言いながら、やはりその資格を持っているって凄いことなんだなと感じた。琴歌は白手帳を取ろうと思えば取れていた、なんて言っていたことがあったが、あながち間違っていないかもしれない。


 四人は魔物と遭遇することなく上階への階段に辿り着いた。しかしここで琴歌が後退を始める。


「琴歌さん、どうしました。魔物ですか」


 しかし普通の魔物なら有無を言わさず、琴歌一人で仕留めているだろう。そうではないのだ。

 琴歌は前方を凝視していた。


「何かいる……」

「エイリアンですか?」


 琴歌は首を振った。


「違う」

「じゃあ、冒険者? 仲間ですか」

「違う。人間じゃない」


 綾は困惑した。魔物でも人間でもない。そんな奴がいるだろうか。


 琴歌は鉄球を引き出した。臨戦態勢に入った彼女を見て、他の三人も緊張する。


「たぶん、戦闘にはならない。取り越し苦労ならいいんだけど……」

「何がいるんですか?」


 琴歌はそう訊ねた綾の顔をまじまじと見た。そして小声で囁くようにして言う。


「精霊……、そこに精霊がいる」


 果たして、そこには青い髪と金色の瞳が特徴的な、若い女性の姿をした精霊がいた。怪我をしているようで、息が荒い。

 既に綾たちの存在に気付いているようで、真っ直ぐ視線を向けている。


「こんなところで、何をしているんですかね」


 綾が素朴な疑問を口にした。佐東もうんうんと頷いた。

 篠宮はふんと鼻を鳴らした。


「しかし、良い情報源になるだろう。精霊ならこのダンジョンの異変について、俺たちより詳しく知っているはずだ」


 それならいいが。琴歌はなおも警戒を解いていない。この緊張感は何だろう。まさか敵のはずはない。精霊はダンジョンを経営しているのだろう、いわば人間の冒険者はお客さん。そして、この異常事態においては同じ危機に直面した仲間であるはず……。


「三人はここにいて」


 琴歌がそう言い残して前に進み出た。そのとき精霊が苦しげに姿勢を変えた。


 それは戦闘態勢だった。


 綾にはなぜかそれが分かった。


「琴歌さん!」


 綾が叫ぶのと、琴歌が跳躍して精霊の攻撃を躱したのは、ほぼ同時だった。琴歌の腕から血が滴る。精霊の憎悪の籠った眼差しと鋭利な突剣が、紛うことなき殺意の存在を証明していた。






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