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隣のダンジョン  作者: 軌条
第一部 地上へ
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隣のダンジョン

2、隣のダンジョン



 おかしな夜だった。最初はちょっとした違和感だった。陰気な弟が快活になっているのは歓迎すべき変化だったし、母や父がいつも以上の親愛を示してくれるのは悪いことではないし、シチューの味だっていつもより美味しくて、文句をつけるようなことではない。

 しかし彼らと話をしていると、どうも行き違いを感じる。綾は直情的な人間だが、その場の空気を読むことくらいはできる。だから些細な疑問や違和感を抱いたとしても、話の流れをぶった斬ってまで騒いだりするようなことはない。それにしても大声を上げて彼らの言葉を遮りたかった。


 みんな、何を言ってるの?


 言っていることの意味が全く分からないことがよくあった。実績値がどうのこうのと母が言い出したときは、ゲームの話だろうかと思った。しかしどうも違う。仕事が順調だと父が話したときに弟が口を出し、それを真面目な顔をして頷く母親に、おいおいと唸った。しかも弟のアドバイスというのが「もっと冷静に状況を把握できるようにならないと、周囲から信用されないよ」だった。生意気すぎるだろう、大人に向かって。


 話についていけない。すっかり痛みがなくなった右足を必要以上に庇いながら、自分の部屋に戻った。昼寝をしたのに眠気はいつも通りに襲ってきていた。今日は水曜日。明日の学校の準備をしてから、ベッドに潜り込んだ。


 すると居間から声が漏れ聞こえてきた。父のひそひそ声。


「今日の綾、どこかおかしくなかったか? いつもより活発に見えた」

「そうそう! 姉ちゃん、僕に抱きついてきたんだよ。ありえない」

「トンキの肉を珍しそうに食べてたわね。最近までもう飽きたって言ってたのに」


 綾のほうが文句を言いたいところだった。夜更かしなんて滅多にしない綾だったが、このまま居間のほうに聞き耳を立てていたい気分だった。しかし睡魔には勝てない。違和感、疑問、そして少しの不安を抱えながら眠りに落ちた。もしかするとこれは夢かもしれない、ならばこの眠りを経て全て元通りになるだろう。別に、これはこれで素晴らしい状況だと思うけれど、やっぱり急に変わってしまうのは戸惑ってしまう。



 翌朝、綾はすっきりとした目覚めに恵まれ、精力的に動いた。時刻は五時半。部活で朝練があるときはいつもこの時間に起きている。躰に染み着いた習慣は、そう簡単に変えることはできない。捻挫も治ったし部活に行ってみようかな。皆びっくりするだろうな。こんなに早く治るとは思ってなかっただろうに。


 居間に行くと母が驚いた。洗面所で歯を磨いていた綜太も顔を出してきた。


「あれ、綾、どうしたの、こんな時間に」

「こんな時間って……。いつもこの時間に起きてるじゃん。朝ごはんは?」

「急に言われても、出せないわよ。待ってて」


 綾はまたもやこの食い違いに頭を悩ませなければならなかった。歯を磨き終えた弟が綾の顔を覗き込んでくる。


「……姉ちゃん、なんか顔つき変わった?」

「は? 何を言ってるの綜太。顔がむくんでるとか言いたいワケ? いつも通りの美人でしょ」

「ううん、そうじゃなくて……。まあいいや。これからどうするの、姉ちゃん。こんな早い時間に起きて」


 綾は嘆息した。


「そうね。どうしようかな。部活に行っちゃおうかな。もう足治ったみたいだし」

「部活? どこかに入ったの? 最近まで帰宅部だったでしょ」

「はあ? 私はバスケ部のエースだよ。何をとち狂ったことを」


 しかし弟は首を横に振りながら立ち去った。そして何やら自分の部屋で準備をしていたかと思えば、行ってきますという声と共に玄関から出て行ってしまった。


 綾は腕組みをしながら、


「ねえ、お母さん。綜太どこに行ったの? こんな時間に。部活にでも入ったのかな、あいつ」

「何を言ってるの、この子ったら」


 母は笑いながら、そして娘の具合を確かめるように、そっと優しい声で言った。


「隣のダンジョンよ。木曜日はそうちゃんの当番でしょ。知ってるくせに」


 綾はぽかんとしていた。隣のダンジョン? 意味が分からない。「隣の」という言葉の意味は分かる。しかし我が家の隣は大きなマンションと、道路。それだけだ。ダンジョンとはあのマンションのことだろうか? いやいや、言い間違いではないだろうし、マンションをダンジョンと表現することなんかあり得るのだろうか。たぶんない。


 朝から混乱祭りだよ。綾は運ばれてきた朝食にいただきますをし、トンキと呼ばれる肉が炊き込んである白飯を味わい、味噌汁を啜った。その後歯を磨き、自分の部屋に戻った。

 そして何気なく窓の向こうを見る。


 いつもならそこにはマンションの橙色の壁が聳えているはずだった。


 それが違う。


 そこには巨大なマンションなどなく、代わりにあるのは瀟洒な洋館だった。マンションと比べればこぢんまりとしているが、それでもかなり大きい。赤い外壁に意味深な紋様が連なっている。洋館を守護するかのように建つ尖塔のてっぺんからは赤い光がちらついている。石畳が敷き詰められた敷地には何人かうろうろしていた。こんな時間に何をしているのか。


 綾は目をこすった。マンションが消えたことも、洋館が出現したことも、理解できなかった。驚きのあまり立ち竦み、しばらくじっと窓の景色に釘付けになっていた。


 やがて、敷地に新たに人間が現れた。五人ほどの集団だった。そこに弟の姿を認めた綾はあっと声を上げた。綜太が隣の洋館に何の用事なのだろう。


「お、お、お母さん! ねえ、綜太が!」

「綜太がどうしたの?」

「と、隣の洋館にいるけど、ていうかマンション消えてるけど、ああ、どうなってるの!」


 綾は混乱し、頭を抱えた。部屋に現れた母親は綾の肩に手を置いた。


「どうしたの、綾。なんだか昨晩から様子が変よ? 大丈夫、誰もあなたにダンジョンには行かせないから。安心して」

「ダンジョン……? ダンジョンって何よ」


 母親は驚きの表情を見せたが、決心したように頷くと、


「ねえ、綾。私は綾がダンジョンに行くのを拒否していることを咎めたりしないわ。でも現実逃避は駄目。ダンジョンに潜ることは国民の義務だってことは知ってるでしょ? お母さんも若い頃は随分危険な目に遭ってきたけど、こうして無事でピンピンしてるじゃない。そんなに怖い場所ではないのよ。綾も授業で習ったと思うけど、ダンジョンでの事故死なんて年間十件もないの。交通事故のほうがよっぽど怖いんだから。現実から目を背けていると、事実以上に危険だという間違ったイメージから逃れられなくなるわ。それはとても不幸なことよ。分かるでしょう?」


「うえ、ええ、え、えっと、ちょっと待って。今、国民の義務って? ダンジョン? ええと、意味が分からないんだけど!」


 母は頬に手を当てて困り果てた様子だった。


「うーん、綾、そういう態度はいかがなものかしら。それともやっぱり矯正施設に任せたほうが……。でもあそこの評判悪いしね」


 綾は泣きそうだった。話が通じない。自分がおかしいのだろうか? それともこれは夢? いいや、違う。これは現実だし、たぶんおかしいのは世界。自分は全く正常である。矯正施設なんて不穏な言葉を母親から聞くのはぞっとするものがあった。


「よ、よく分からないけれど」


 綾は恐る恐る言った。


「その、ダンジョンに綜太は行ったんだよね? で、本当だったら私もそこに行かなくちゃいけない」

「そうよ。まあ、国民の義務なんて言ってるけど、拒絶してる人なんて山ほどいるわ。だから綾も焦る必要はないの」


 綾は無論、ダンジョンに対する恐怖心などなかった。


「別にそこって危険な場所ってわけでもないんでしょ? だったら、行ってもいいけど」


 母親の顔が凍りついた。綾はもしかすると間違ったことを言ってしまったのかと不安になった。だが次の瞬間母親は満面の笑みを浮かべたかと思うと、顔面の筋肉が引き攣り、諸手を上げながら、


「お父さん! ついに綾が! 綾が! ダンジョンに行くってぇえー!」


 その絶叫に父親が寝巻きのまま部屋に飛び込んできた。そして大声でダンジョン? ダンジョン! と唱和し手を取り合って喜んだ。それに綾も巻き込まれて、親子三人が狭い部屋の中でぐるぐる回るというおかしな状況に陥った。


 それからの展開は早かった。母親がどこかに電話をかけた。どうやら相手は綾の高校の職員らしく、今日綾が休む旨を伝えた。父はどこからか衣装を引っ張り出してきて、今すぐ着替えろと言う。いや着替えるにしても父親の前とかはさすがに恥ずかしくて無理なんだけど……。


「はい、綾」


 母親が細い鎖のついた手帳のようなものを差し出す。見たことのないモノだったので、受け取ってからしげしげと眺めた。


「これ、なあに、お母さん」

「あら、とぼけちゃって。お母さん、綾が何度もそれをゴミ箱に投げ入れるものだから、その度に綺麗にして、ちゃんと保管しておいたのよ。再発行するとその旨が記載されて、疵物になっちゃうからね。あなたの身分証明書よ。知ってるくせに」


 身分証明書。この手帳が。父親が我慢しきれないという様子で、鎖を綾の首にかけてくれた。


「なくすんじゃないぞ。俺は一度ダンジョンに潜っている途中で鎖が切れて危うく奪われそうになった。連中も分かってるんだな。これがなくなると俺たちが死ぬってことを」

「は? し、死ぬ?」


 母がくすくす笑っている。


「死ぬとは限らないじゃない。その前に退散すれば。近くに仲間もいるでしょうし」

「そうだな。おっと、怖がらせるつもりじゃなかったんだが、許してくれ、綾」


 両親は本当に嬉しそうだ。そんなに綾がダンジョンに行くことを待ち望んでいたのか。

 奇妙なことだ。ここは綾の知っている世界ではないような気がしてくる。日本人が当然備えているべき常識というやつがひっくり返っているように思える。


 綾は手帳をぱらぱらと捲った。最初のページには綾の顔写真が貼られており、生年月日だの血液型だの本籍地だのが書かれていた。しかし他のページは白紙で、メモ帳だろうか、身分証明だけじゃなくて旅券にもなるのかな、なんてことを考えていた。

 最後のページを見てぎょっとした。白く光り輝いていたからだ。よく見ると手帳の最後のページの紙は厚くなっていて、小さな宝石が埋め込まれており、それが光を発しているようだった。


「あのー、これ、なんか光ってるんだけど」


 母は頷いた。


「精霊石のこと? 綺麗でしょう。もしかして初めて見たの? これからどんどん色が変わっていくのね。楽しみだわ」


 この白い光が変わっていくのか? もはや母や父の言葉の大半の意味が分からなかったが、頷くことしかできなかった。一度ダンジョンに行くと言った手前、もう拒絶することは難しそうだった。もしそんなことになったら、この二人酷く落ち込みそうだし……。


「綾、これを忘れちゃ駄目よ」


 母親が、茶色い木の実のようなものを差し出してきた。綾は受け取って初めてそれが鉱石であることに気付いた。


「これは?」

「お守りよ。授業で習ったでしょう。それを持ってないとダンジョンには入れないの。法律で決まってるんだから」


 法律って。綾はよほど突っ込んで訊ねたかったが、疑問全てを解消するには一日あっても足りないだろう。帰ってきてまだよく分かっていなかったら聞いてみよう。


「行ってらっしゃい、綾! 頑張るのよ!」

「最初だし、すぐに帰ってきてもいいんだよ! 係の人に初めてなんですって言うんだぞ! そうしたら初心者コースに案内してくれるはずだから!」


 決心が鈍らない内に、とでも思っているのか、綾は半ば押し出される形で家を出た。父親が持ってきた服はいまいち自分のセンスに馴染まなかったので、普段着で行くことにした。それはそれで構わないようで、反対はされなかった。


 家の隣にある洋館。洋館の周囲は低い塀で囲まれていて、門までは少し距離があった。それでも、徒歩で一分もかからない。


 さっき見たときは人影はまばらだったのに、今や行列が出来ていた。門前にて二列になって整然と並んでいる。往来の邪魔にならないよう、塀に沿って長く伸びていた。その最後尾につく。


 周りの人たちは、早朝だというのに和気藹々として楽しそうだった。陽気でテンションが高い。周りに知っている人がいなかったが、人見知りするタイプでもなし、近くにいた中年男性に話しかけた。


「あのー、おはようございます」

「あ、どうも、おはよう」

「私、ダンジョン初めてなんですけど、大丈夫ですかね?」


 中年男性はハッハと笑った。


「誰にだって初めてがあるもんだよ。でも、お嬢さん、随分大人びて見えるね。何歳?」

「十五歳です。高校一年生です」


 すると周囲で話を聞いていた数人が驚いた声を発した。中年男性も動揺したようで、バツの悪そうな顔になった。


「そ、そうなのか。まあ、人それぞれだし、いいんじゃないかな。うん」


 綾には到底意味が分からなかったが、どうも自分はおかしなことを言ってしまったようだと理解することはできた。状況をしっかり理解するまでは話をしないほうがよさそうだなあ。綾は少しだけ綜太の気持ちが分かったような気がした。周りと話が合わないというだけでこんな疎外感を味わうものなのか。綾は幸いにして普通にしていれば周囲と話が合ったので苦労しなかったが、きっとありのままの自分では周囲と馴染めない人間というのも存在するのだろう。


 持っていた携帯電話でこまめに時刻を確認していた。七時までは行列が全く動かなかったが、七時を過ぎてから前が急に動き出した。長い行列だと思っていたがこのスピードなら十分程度で洋館の中に入ることができるだろう。


 門が近づいてきた。門を抜けた先にある洋館には四つの入口が並んでいることに気付いた。向かって右から、青、緑、赤、白に縁どられている。門前には仰々しい制服を着た男性が二人立っていて、並んでいる人間をいずれかの入口に振り分けているようだった。門番といったところだろうか。

 観察していると、大半の人間が緑か赤の入口に吸い込まれていく。青の入口に入っていくのは少数で、白に至っては皆無だった。

 綾の番が来た。門番は無愛想で、綾が突っ立っていると刺々しい声で、


「身分証明!」


 と言った。綾は慌てて首から手帳を外して差し出した。門番は最初のページを捲り、写真と綾の顔を見比べた。

 綾は作り笑いを浮かべながら、



「あのー、私、ここ初めてで。どうすればいいのかよく分からないんですけど」

「ふうん」


 門番の反応は希薄だった。そして最後のページを見る。彼の瞳に白い光が飛び込む。

 門番はぎょっとした様子だった。そして軽蔑なのか恐怖なのかよく分からない目つきになる。

 もしかして、その白い光というのは初心者であることを示すものなのだろうか。なるほど、緑色や赤色の入口ばかりに人が入っていたのは、彼らがそれなりに経験を積んでいるからなのだろう。綾のような初心者は、あの白い入口で研修みたいなことを受けるのか。


「これは失礼しました。どうぞ、こちらへ」


 手帳を返された。白い入口を示される。周囲の人間がどよめいている。そんなに珍しいのか。この年齢で初心者だというのが。でも仕方ないじゃないか。さっぱり事情が掴めない。綾からすれば急にダンジョンとやらに行かなければならないと言われて、自分でも驚くほど素早く行く決心をつけたというのに。こんなに決断が速い人もいないと思うよ?


 門を抜け、洋館の入口に立った。白くふちどられたその空間の先が見通せなかった。暗がりであるというのではない。空気が淀んでよく見えない、と言ったほうが正しい。不気味だったが、試しに手を差し入れてみると何ともなかったので、思い切って飛び込んだ。


 中はだだっ広い石造りの回廊になっていた。明かりを取り入れる窓がない代わりに、地面に敷き詰められた石畳の隙間から白い光が溢れている。上から降る光に慣れている身としては、下から湧き上がる光というのは神秘的で不思議な感覚がした。


 外には人がたくさんいたというのに、中には誰もいなかった。初心者向けコースではなかったのか。普通、こういうときは笑顔で親切なお兄さんなりお姉さんなりが出てきて、手取り足取りダンジョンとは何か、何をする場所なのかを説明するのではないのか。


 いや、誰もいないというのは間違いだった。暗がりの中に佇む男性がいた。何かに凭れている。じっと凝視すると、巨大な剣に凭れているというのが分かった。

 綾は恐る恐る近付いた。男性は綾と同年代、すなわち高校生くらいに見えた。ただし髪を白く染めていて、瞳は赤く変色し、明らかに普通の人間ではなかった。綾の存在に気付くと、腕時計を一瞥して嘆息した。


「お前、独りか。……お互い大変だな。行こう」

 

 男性は背を向けてさっさと歩き出した。綾は首を傾げつつも、そうか彼が初心者コースの係の人なのかと推測した。横に並び、顔を覗き込む。係の人間になら心置きなく疑問をぶつけられる。少なくとも彼になら質問をして馬鹿にされることはないだろう。


「あのー、聞きたいんですけど」

「何だ」

「ダンジョンって、何をする場所なの?」


 男性は立ち止まった。そしてじっと綾を凝視した。鋭い視線だった。綾はたじろいでしまった。


「うええ、と、あの……?」

「確かに俺がダンジョンに潜る意味などもはやないのかもしれない。最奥には何があるのか。そして俺がどこまでやれるのか、という知的好奇心……」


 綾はうーんと考え込んだ。


「はあ? 知的好奇心? つまり何か調査をするってこと?」

「調査というより、開拓だな。確かに学者連中の護衛をして奴らの仕事ぶりを眺めていたこともあったが、退屈だった。俺が見たいのはもっと核に迫る事象だ。……お前はどうなんだ」

「えっ」


 男性は綾を睨みつける。


「いや、答えなくともいい。どうせお前も同類だろう。カネが目的なら、とっくの昔に目的を達しているはずだからな」

「そ、そうなんすか」


 意味が分からない、とは言えない雰囲気だった。どうも男性は近寄りがたいオーラを放っていた。初心者の大半が萎縮してしまうのではないのか。


「あのー、お名前は?」

「……ハヤサカ・カズマだ」

「カズマくん。ふうん、私は瀬山綾」

「そうか」


 それきり会話がなかった。普通、係の人間が色々と案内してくれるもんじゃないの。必要最低限は喋らないスタイルなのだろうか。

 二人は歩き続けた。そしてやがて奇妙な機構の前に辿り着いた。青い球体を取り囲むように隆起する岩。カズマは綾を見た。


「お前、どこまで行った」

「え?」

「ここのダンジョンは初めてじゃないだろ?」

「……初めてだよ」


 何を今更。綾は少しつっけんどんに言った。カズマは唇を尖らせた。


「何だ。お前の履歴を利用しようと思っていたのに。これじゃあわざわざ一緒に行く利点がないじゃないか」


 綾は責められる謂れがないので不満に思った。カズマは綾の表情の機微を読み取り、肩を竦めた。


「……そういう意味でも俺とお前は同類か。なるほど、考えていたことは一緒というわけか。俺にとってもここは初めてだからな。狩場を変えたときこそ慎重にならなければならない。一〇〇階まで開放されているようだから、そこから行くか。準備はいいな?」


 準備と言われても。綾は頷くしかなかった。


「ええと、まあ。心の準備は出来てるけど」

「じゃあ、行くぞ」


 突然、カズマが綾の手を引っ掴んだ。そして青い球体に触れる。

 綾は突然自らの体重が軽くなったのを感じた。そして視界がかすむ。

 眠りに落ちる瞬間の感覚と似ていた。ただし意識は判然としていて、ノイズのように思考を妨げるブランクが発生する。

 そうして肉体の感覚が希薄になっていき、やがて視界が回復する。

 回復した視界に飛び込んできたのは、薄明かりに照らされた天井の高い洞窟だった。靴越しに感じる足の裏の感覚も明らかに変質する。

 

 綾は動揺していた。一瞬で別の場所に移動した? こんなことって起こり得るのか。一夜にしてマンションがこの洋館に変容したように?


「早速お出ましだぞ」


 カズマが近くに立っていた。そして暗がりを指し示す。そこに何があるのか。綾は悲鳴を押し殺さなければならなかった。


「お手並み拝見と行こうか。白手帳」


 カズマが抜剣しながら言った。










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