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隣のダンジョン  作者: 軌条
第一部 地上へ
15/111

銃撃

14、銃撃



 恐怖はあった。死ぬかもしれないという諦念めいたものも。しかしカズマの背中に隠れ、コウキとユリの期待を裏切り、琴歌の庇護の下で感じていたもどかしさと不甲斐なさを思えば、役割を与えられた今のほうがよほど楽だった。


「お願いだからこっち向かないでよ……!」


 綾はずしりと重い銃を両手で持ちながら草原を走った。魔物の死骸がそこかしこに転がっており、焦げ臭さと生臭さが同居して、気を抜くと呼吸困難に陥りそうだった。銀色の亜人型は琴歌のほうだけを注視し、光の攻撃を繰り返している。琴歌は地面を転がりながらも、綾のほうに流れ弾がいかないように常にこちらに気を配ってくれていた。


「一撃で仕留めないと……、たぶんこっちが力尽きる。カズマくんは斬撃で的を絞り切れなかったけど、琴歌さんのこの銃なら上半身まるごと吹き飛ばせるはず……」


 綾は自分に言い聞かせていた。それにもし攻撃に失敗しても、どういう理屈だか分からないが、あの魔物が綾のことを完全に無視しているので、逃げることはできるはず。

 怖がらずに接近しろ。そして至近距離からこの銃で攻撃するんだ。


「無理しないで、瀬山さん! もし少しでもそこの銀色の人型が妙な動きを見せたら、逃げることを優先するのよ! 正直あなたに死なれると琴歌さんも本格的にやばくなるんだからね!」


 綾は返事をしなかった。どうせあの銀色の魔物がこちらを向いたら死が決定する。何の根拠もない「あの魔物は綾を狙わない」という観測結果を信じて、この身全てを賭けている。なんと理不尽な突撃だろう。でもうやるしかないんだ。やるしか……。


 綾は、少しずつ前進し琴歌に迫っている銀色の亜人型の背後に辿り着いた。銀色の亜人型は全くこちらに目を向けない。その筋骨隆々の背中をまじまじと眺めてから、銃を構えた。


「瀬山さん、説明する暇がなかったけど、反動を計算に入れて撃ってね」


 琴歌が突然そんなことを言い始めた。


「は、反動……?」

「わたしは肉体を強化してほとんど銃撃の際にブレがないようにしているけれど、瀬山さんには恐らくその威力に堪えられるほどのパワーがない。だから反動で銃口が激しくブレることを頭に入れて撃たないと、狙いがずれるわ」

「いきなりそんなこと言われても……!」

「瀬山さんの勘にかけるわ。頑張って!」


 銃の反動? 琴歌が随分手軽に撃っているから、綾にも簡単に扱えると思っていた。反動を計算なんて、一度も体験していないものを計算できるはずもなく、頑張りようがないではないか。まさに勘に頼るしかないというわけか。


 綾は銃を構えた。既に銀色の亜人型に最接近し、狙いさえ定まれば一撃で葬ることができる。

 しかし、反動? 銃口が跳ね上がり弾が空に向かってしまうということだろうか。綾のイメージではそうだ。少し魔物の下方を狙えばいいということかな。


 綾は自分なりに考え、やや下に狙いをつけた。そして引き金を引く。思っていたよりも引き金が軽かった。まるで玩具のようだったが、その次に訪れた衝撃は玩具どころではなかった。


 爆発。轟音。熱風。


 少し肘を曲げて構えていたのが間違いだった。反動で銃身が綾の顔面に跳ねてきた。おまけに下に狙いをつけ過ぎていて、地面に向かって弾が直進し、肝心の魔物は無傷だった。


「ちょっと瀬山さん! センスないね!」

「うぐぐ……」


 綾は呻きながら顔を押さえた。鼻のあたりを激しく打ち付けてしまった。その痛みもあったが、霊力を消費して全身がだるかった。よろよろと立ち上がる。


「もう一発、撃てる?」

「たぶん、大丈夫です」


 琴歌が光線を避けながら肩を竦める。すっかり銀色の亜人型の攻撃を見極めたようで、余裕があった。


「焦らなくていいわ。邪魔者はいないんだし、じっくり準備すれば……」


 しかし綾はそのとき妙な悪寒を感じた。単なる気のせいだろうか、自分に殺意を向けている存在がいる気がする。


 これは冒険者としての資質なのかどうか知らないが、綾は自分の感覚を信じることにした。咄嗟に振り返ると、そこにはトンキの醜悪な面が迫っていた。


「ひっ!?」


 綾は後退した。トンキが振り下ろした錆びた刀剣の切っ先が掠める。直撃はしなかったが、それでも相当な衝撃だった。地面に叩きつけられ、息が漏れる。


「瀬山さん!」


 琴歌が叫ぶ。しかし彼女は銀色の亜人型の攻撃を引きつけていて、簡単には助けに来られないだろうということは、綾にも分かった。

 そして周囲を見ると、新たに出現した魔物は一体ではなかった。続々と地面から生え出ている。


「逃げなさい! こっちにおいで! そんなザコはこの琴歌さんが片付ける!」


 琴歌の叫びに、しかし綾は反発した。


「駄目です。琴歌さんはそこの人型の攻撃を引きつけるのに集中してください。よそ見なんかしてたら喰らっちゃいますよ」

「でも……」

「それにこれだけの魔物に囲まれたら、もう逃げられませんよ。ここは私がやるしかない」

「やるって、どうするつもり……」


 綾は銃を構えた。間近に迫ったトンキたち魔物に背を向け、銀色の人型に銃口を向ける。


「瀬山さん、殺されるわよ! 早く逃げないと――」

「大丈夫、私は勘は良いほう。銃を撃つという感覚が分からなかったさっきとは違う。私を信じてください」

「瀬山さん……」


 私を信じて。


 その言葉は自分自身に向けられたものだったのかもしれない。銃を構える手が震えていた。


 自分の背中に、トンキたちの攻撃が迫っていることは分かっていた。一秒の猶予もない。狙いを定めている暇もない。とにかく撃つ。あれこれ考える前に引き金を引いていた。


 巨大な銃火が銀色の亜人型の上半身を包み込む。黄金色の流星。まるで炎の魔神が貪欲にその銀色の肉体を貪り食ったかのように、かの亜人型の上半身が吹き飛んだ。


 下半身は無傷のはずだった。しかし溶けるように消滅した。綾は脱力した。霊力を過剰に消費してしまったようだ。地面に膝をつく。


 背中に魔物の武器が迫っている。悪寒。次の瞬間に自分は殺される。直感があった。


「信じた結果が、これというわけね」


 琴歌の声が降ってくる。


 見上げると、空を飛ぶ琴歌が鉄球を振り回していた。


「よくやったわ、瀬山さん。正直冷や汗もんだったけど、あなたには本当に感心した。もう休んでていいわよ」


 そうか、琴歌は綾が銀色の亜人型を仕留めるのを目視するより早く、こちらに飛んできてくれたのか。綾があいつを粉砕することに賭けて。もし綾が銀色の亜人型を倒したことを確認してから助けに入っていたら、綾は死んでいただろう。そして、綾がもし失敗していたら、琴歌もまた光線を避けることができずに死んでいただろう。


「無茶しますね、琴歌さん」

「うーん。あなたにだけは言われたくないかな」


 琴歌は笑んだ。そして鉄球を振り回して魔物どもを蹴散らす。綾は瞼を閉じた。安堵したのと、霊力を使い尽くして猛烈な眠気が襲ってきたからだ。それに抗うだけの力が、綾には残っていなかった。



   *



 綾は夢を見ていた。しかし覚醒した瞬間に内容を忘れた。ただ、随分楽しい夢だったという感覚だけはある。


 綾は歩いていた。目が覚めて自分が寝ながら歩いていたという事実に驚く。傍らには欠伸を噛み殺しながら琴歌が歩いていた。


「あ、おはよう、瀬山さん。丸一日寝てたわね」

「えっ……? おはようございます……、あの、私、寝てたんですか?」

「うん。寝ながらでも行進できる秘蔵のギフトを貸し与えたからね」


 琴歌が指し示す。綾はごてごてしたやたら重い指輪を左手の中指にしていた。


「これが……?」

「寝ながらでも歩ける恐怖の強行軍アイテム。なんとお買い得三〇〇点。まあ、冒険者の標準装備だよね」

「そうなんですか」


 綾は指輪を外した。琴歌に返すと、彼女はふわあと再度欠伸をした。


「ダンジョンの中だと、睡眠も食事も必要ない。でも何となく眠くなることがあるのよね。ちょっと安心したりすると」

「そうですか……」


 綾は頷いたが、寝起きだったので危うく聞き逃すところだった。


「睡眠も食事も必要ない……?」

「精霊の加護で、ダンジョン探索中の冒険者は食事も睡眠も必要のない躰になる。きちんとダンジョンに潜る前に用を足しておけば、排泄することもない。やっぱり瀬山さん、知らなかったね。あなたが寝ている間に、これは知ってるかな、これは知らないかな~って考えたんだけど、琴歌さんの勝ちみたいだね」

「はあ……?」


 勝ち、というのは分からないが、ダンジョンというのは不思議な場所なのだなと改めて思った。


「でも、私、さっきまで寝てましたよ」

「霊力を回復するのに睡眠は有効だから。霊力を消費さえしなければ何か月でも不眠不休でいられるのよ」

「そういうことか……。あの、ところで、ここは?」

「ダンジョン内部だよ。まだまだ先は長いけど」


 二人が歩いているのは洞窟だった。壁面がぬるぬるしていて、ひんやりとした空気がときどき躰をぞくりとさせるが、道が広く歩きやすかった。


「ここは七七階。危険なゾーンは脱したと見ていい。丸一日経ってるから、この辺にも救援隊が来ているかもしれないし」

「あの、魔物が延々と湧いてきませんでした?」

「たまに湧くね。でも、エイリアンが出現したときがピークだったかな」

「エイリアン?」

「あの、銀色の人型のこと。光線撃ちまくってくる奴。名前つけたほうが分かり易くていいでしょ。琴歌さんが名付け親になってあげたの」


 エイリアン。確かに宇宙人っぽい姿形をしていた。


「あの、私、そのエイリアンをちゃんと殺せたんですか……?」

「もうばっちり。と言いたいところだけど、トドメはわたしが刺しておいたわ。再生しかけてたから」

「再生……」

「とどめと言っても、えいって核を踏んづけただけなんだけどね。赤い宝石みたいなやつで、あれほどの高エネルギーを生み出し続けていたことを考えると興味深かったけど、正直持ち帰る勇気も余裕もなかったから破壊させてもらったわ。その後、魔物から瀬山さんを守りながら走り回った。褒めてもいいのよ?」

「え? あ、凄いですね!」

「ふふ、ありがとう! まあ一番辛かったのは、瀬山さんが倒れた直後だったわ。それからは魔物の数も減っていったし、エイリアンもあれだけだったみたいだから」


 そうか。複数いる可能性もあったのか。もし複数いたら、琴歌は綾を叩き起こしてもう一度戦わせただろうか。そうしたらまた綾は卒倒して――なかなか厳しい状況に立たされていただろう。


「ここ、七七階なんですね。もう安全なんですかね?」

「どうかな。魔物は弱体化してるけど、上級者でも油断したら命を奪われるような危険な場所には違いない。丸一日経ってるから、そろそろダンジョンから帰還できるよう機能が復旧してもいいと思うんだけど、その気配はナシ。配信機材も無反応で、琴歌チャンネルの更新もできない。登録者数が減っちゃうかも」

「外ではニュースになってるんじゃないですか。琴歌さんって有名人なんですよね?」

「え?」


 琴歌は虚を突かれた顔になった。そしてあははと笑う。


「ごめんなさい、そんなに有名じゃないのよ。あはは、わたしの言葉を真に受けちゃった? おバカさんね」

「ああ、そうなんですか。凄い美人なので、てっきり……」

「あはは、瀬山さんのこと好きになりそう。ほんと正直者ね」


 琴歌はツッコミを待っているようで、綾をちらちらと見てきたが、あえて何も言わなかった。琴歌が恥ずかしそうに頬を掻く。


「瀬山さん、ほんとにわたしに感謝してる?」

「してますよ。あの、道中誰にも会わなかったんですか」

「全然。孤独な行軍よ。出会うのは魔物ばかり」

「電話かかってきませんでした? 私の弟とか」

「一度も。たぶんダンジョン全体の機能が落ちているんだと思う」

「ダンジョン鑑定士としての意見は?」

「うへえ、痛いところを突くね、瀬山さん。原因とか解決策とか、全く思い当たりません。こんなの聞いたことないし」


 別に綾は責めるつもりはないのだが、本当に琴歌が申し訳なさそうにしているので少し焦った。


「いやあの、琴歌さん……?」

「どうせ役立たずですよ。戦闘しか能のない露出狂です。はい、これでいいんでしょ」

「いや、私は別に……」


 二人は暢気に歩いていたが、洞窟の角の向こうで何か音がした。二人は黙りこくって闇の中に目を凝らした。


「……琴歌さん」

「なあに、瀬山さん」

「私に武器をください。私も戦います」

「ろくに人体改造も施していない瀬山さんに、この辺の魔物を倒せるだけの高威力の武器は使いこなせない。一度戦うたびに卒倒してたんじゃ介抱するほうの身がもたないわ。自重しなさい。エイリアンを倒すにはあなたの力が必要なのよ」

「……じゃあせめて自衛の為の武器を」

「懐に入ってるわよ、既に」

「えっ?」


 綾は慌てて自分の服を検めた。しかし確かめる前に闇から何かが這い出てきた。


「そこに誰がいる。救援隊か?」


 男の声だった。綾と琴歌は顔を見合わせた。


 そこにいたのは傷ついた男だった。肩から胸にかけて大きな裂傷がある。息も絶え絶えだったが、ここまで這い出てくるのに相当な体力を使ったらしく、今にも力尽きそうだった。


 琴歌がふふんと笑った。


「やっと、二人目の要救助者を発見。瀬山さん、手伝って」

「は、はい」


 綾は琴歌の指示の下、傷ついた男性の介抱を始めた。琴歌の持っていたギフトで傷はすぐに塞がったが、体力の消費はすぐにはどうにもできないようだった。綾がそうしていたように、しばらく眠る必要があるという。


「魔物に襲われたんですかね……」


 綾は男性の持ち物を並べながら言った。ナイフが何本か、破損した防具が幾つか。それほど重装備ではなかった。琴歌は男性の着ていた薄い皮鎧を検分していた。


「魔物ね……。だったらいいんだけどね」


 琴歌の言葉に綾は首を傾げた。男性は昏睡し、僅かに寝息がしなければまるで死んでいるようだった。













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