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隣のダンジョン  作者: 軌条
第三部 超深層攻略
110/111

瀬山綾の最期

108、瀬山綾の最期





 妖樹はなおも健在だった。竜司が手こずっているということだろう。しかし、綾には妖樹のことまで手が回らない。今は始祖を倒すことだけ考える。竜司を信じるしかない。


 アヤに背負われた状態で、綾は空中を移動していた。アヤの霊力コントロールは未熟で、度々バランスを失いかけた。その度に綾が肩に手を置いて手助けした。自分でも驚きだったが他人の肉体を介して機動靴に干渉するような荒業を、いとも自然にこなしていた。いつの間にこれほどまでに上達していたのか。あるいはアヤの肉体が、綾と相性が良いのかもしれない。双子みたいな存在なのだから、それは至極ありそうなことだった。


 都会の街並みを眼下に、ときどきビルの屋上に着地して息を整えながら、始祖の姿を探した。妖樹付近にいるかと思ったが、なかなか見つからない。綾は一応、レーダー系の装備を持参していたが、まともに使いこなしたことがなかった。


 背負われながらのレーダーの操作に悪戦苦闘していると、アヤが首を傾げてそれを受け取った。


「もしかして、使ったことないの?」

「うん。アヤは使える?」

「まあ、なんとか……。こういうのは適当に操作している内に何とかなるものだよ」


 そもそも綾はあまり機械に詳しくなかったが、アヤは得意そうだった。綾はもう一人の自分にレーダーを任せることにした。


「それで始祖を見つけられないかな」

「ちょっと待って……。あ、表示出た」


 アヤはそこで渋面を作った。


「なにこれ。画面全体が白一色」

「エラー?」


 綾はそう訊ねながら、そうではないことを直感していた。始祖が内蔵する霊力の量が尋常ではないので、レーダーがまともに機能していない。


「感度を下げて」


 綾の指示に、アヤは頷いた。そして表示が改まる。


「えっと……。これによると、三時の方向。あっちだね」


 アヤが指差す。綾は目を凝らした。半壊した建物や煙の向こう、ここより少し小さなビルの屋上に、誰かが立っているのが見えた。


 始祖か、と一瞬身構えたが、救助を求めて屋上に上がっている一般の人のようだった。白いタオルを振って自分の存在をアピールしている。


 助けたいのは山々だが、今はそれどころではない。綾は自分の体力が限界に近いことを察していた。霓を発動して攻撃に転じれば、自分はまさしく死の運命から逃れることができない。


 一撃で仕留める。そんなことが可能なのかどうかは、考えない。どうしてもやらなければならない。


 始祖がどこにいるのか、綾は探し続けた。だがなかなか見つからない。レーダーは確かに巨大な始祖の霊力を探知しているが、距離感がつかめなかった。もしかすると彼は既に遠くへ移動し、新たな妖樹を植え付けようと画策しているのかもしれない。魔物を生産し続ける妖樹がこれ以上増えるようなことになれば、竜司一人ではどうにもならない。


「移動して。始祖を追わないと」


 綾が言うと、アヤは少し躊躇してから頷いた。


「うん。でも、いざ戦闘となったら、私はあまり上手く動けないかもしれない。だから……」

「分かってる。見つけたらすぐに仕留めてみせる」


 本当はぎりぎりまで引きつけ、絶対に命中すると確信してから霓を発動したかった。しかもその攻撃は自分の命と引き換えに放たれる。始祖を捕捉してすぐに攻撃できるか、綾は自分の覚悟を計りかねていた。


 ここまでやってこれた自分を自分で褒めたいくらいだが、まだ終わっていない。ここでしくじったら、何もかもが台無しになってしまう。もしかすると、アヤにとっては非情な決断を下す必要があるかもしれない。つまりアヤに始祖と正面から戦わせるという展開も、十分にあり得る。


 綾の視界がぼやけた。慌てて頬を叩く。限界が近い。死の恐怖が希薄になっている。判断力が低下しているのか。死を恐れなくなるのはありがたいと思う一方、このまま自分は死んでいくのかと考えると、やり残したことが無数にあるように思えた。


 いや、仮に綾が80歳まで生きていざ死の床に伏したとしても、やり残したことがたくさんあると感じることだろう。重要なのは何ができなかったかではない、何をしたかだ。この人生で何を成し遂げたかを考えれば、そう、綾は他の人ではなかなか関われないようなことに正面からぶつかってきた。これは考えようによっては幸せなことだ。


「見つけた――始祖ってあれでしょ!」


 アヤが声を上げる。道路の真ん中に佇立する、かの姿があった。綾が傷つけた左肩からは白い光が零れ落ちている。あれは霊力の塊――人間で言う血液みたいなものだろう。


 だが、その始祖の姿に、綾は圧倒的な違和感を覚えた。確かにそこにいるのは始祖と全く同じ姿をした男である。だがその表情には怯えの影さえ見られる。あの始祖がそんな表情を見せるだろうか。


「綾、何をしてるの、さっさと攻撃して!」


 アヤが近くまで移動し、そう急かす。綾はしかし攻撃できなかった。もしかするとこれで自分は死ぬのだという恐怖がそうさせなかったのかもしれない。


 綾は確かに今、恐怖を感じていた。だがそれは厳密には死そのものへの恐怖ではなかった。何か恐ろしいものが自分に迫っているという何の根拠もない直感が綾を支配していた。


 咄嗟に近くのビルを見上げる。白いタオルを振っている一般人の男が、屋上から綾たちを見下ろしていた。


 いや、一般人ではない。綾はここでようやく理解した。


 始祖は普通の人間ではない。自分の顔を作り変えることも、他人の顔を自在に修正することも、簡単だろう。


「馬鹿か私は!」


 綾は叫んだ。強制的にアヤの機動靴に干渉してその場から全力で退避しようとした。


 しかし間に合わなかった――もし綾が自分で機動靴を履いていたなら、ぎりぎり回避できていただろうが、今はそうではなかった。上方から放たれた無数の光の矢が、綾とアヤを襲った。光の矢は地面に接すると小規模ながら爆発した。爆風に飲み込まれた二人は地面に叩きつけられ、離れ離れになった。綾は唇を噛みながら上体を起こし、いち早くアヤの姿を見つけ、合流しようとしたが、綾と違って防御姿勢を取れなかったアヤは気絶しているようだった。


「アヤ! しっかりして! アヤ、こっちに来て! お願い!」


 綾は叫んだが、アヤはぴくりともしない。もしかして死んだのか。綾はぞっとした。


「さすがは瀬山綾――侮れんな。これで仕留められると思ったが」


 始祖が道路に降り立ち、おざなりな拍手をした。綾は這いつくばりながらも始祖を睨みつけた。


「始祖さん、随分卑劣な手段を使うんですね」

「私は先ほどまでお前を侮っていた。その結果として、傷を負った。もう同じ過ちは犯さない。油断せずに全力でぶつかるということは、自分の持てる能力の全てを費やすということだ。策というのは往々にして卑劣なもの。むしろ相手から狡いと言われてこその策」


 始祖の顔がみるみる変化し、元の通りになった。始祖の顔を弄られた男性は、光の矢で吹き飛ばされたが、死んではいないようだった。苦しそうに喘いでいる。


 綾は立ち上がろうとしたが、やはり駄目だった。アヤがやられた今、機動力はゼロ。こんな状況で必殺の一撃を始祖にぶつけなければならないのか。綾は気が遠くなった。


「瀬山綾――お前は既に虫の息だ。普通にやれば私が勝つ。だが、そういう状況だからこそ、最後の悪あがきというものに警戒しなければならない。その霓という武器は逆転を可能にする唯一の要素」


 始祖は綾にこれ以上近付こうとしない。どころか少しずつ遠ざかっていく。


「だから、その霓を封じる。私はその霓が完全に無効化するまで、高みの見物とさせてもらおう」


 始祖がふわりと浮かび上がる。彼の背後から突如出現したのは、忘れもしない、綾が初めて出会った魔物、豚鬼だった。


 豚鬼が街中の路地からわらわらと湧いてくる。数十体はいるだろう、綾に狙いを定めて近づいてくる。


 綾は懐から銃を取り出し、撃った。しかし撃たれた豚鬼は平気そうな顔をしてなおも近づいてくる。威力が不十分だというのか。竜剣で直接叩けば倒せるだろうが、今はそもそも剣を振りかぶる体勢を作れない。


 霓を封じるというのはこのことか。豚鬼を倒すには霓を使わなければならない。そして霓を使えば、傷口が開き、近い内に死ぬ。確かに今の綾にとって厄介なのは一体の強敵ではなく、無数の雑魚。


 綾は豚鬼が至近距離まで近づくのをじっと見つめていることしかできなかった。始祖の声が遠くから聞こえてくる。


「どうした、瀬山綾? 霓を使わないのか? 私はお前をこの手で殺してやりたい。私に傷をつけた唯一の人間だからな。しかしだからといって、リスクを吊り上げるような真似はしない。豚鬼がお前を殺せるというのなら、それで構わない」


 綾はその言葉を信じなかった。いや、信じたくなかった、と言ってほうが正しいかもしれない。もし始祖がそれほど慎重な男なら、綾にはまるで勝ち目がなかったからだ。


 綾に勝ち目があるとするなら。始祖は自信過剰なぼんくらでなければならない。瀕死の綾に接近し、むざむざ霓の射程に入ってくれるような間抜けでないとならない。


 残念ながら、始祖はそうではなさそうだった。綾はその事実を受け止められない。


「何も打開策が浮かばない……。もう、駄目か」


 綾はいっそのこと、最後の力を振り絞り、当てずっぽうでもいいから霓を放とうかと考えた。この豚鬼の群れを少しでも片付けるべく霓を滅茶苦茶に振り回すようなことも。少しでも可能性があるなら、無理矢理にでも霓を展開すべきではないのか?


 綾はしかし、ここで自棄になりかけていることを自覚した。そうではない。少しの可能性にかける、というのは何もかもを投げ出すことを指すのではない。やるべきことをきちんと整理し、目的に対する最適な手段を模索し、鋼の意思で実行する、それを指すのだ。


 綾には分かっていた。今、何を為すべきなのか。打開策とは言えないような、何とも頼りない作戦。


「ほら、瀬山綾、豚鬼がお前を殺したがっているぞ。もはや私にも止められない」


 まさしく、豚鬼がその太い腕を振り上げている。綾は瞼を閉じた。豚鬼の拳が綾の無防備な胴体に食い込んだ。


 吹き飛ばされた先で、蹴られる。踏みつけられる。持ち上げられ、地面に叩きつけられる。


 おそらく、傍目から見れば残酷な光景だったのだろう、しかし綾はじっと耐えていた。そして、最初の一撃からして、すぐさま綾を殺すつもりがないことは察知していた。


「……なんだ、つまらん、抵抗せずか」


 始祖がぼやく。綾は霓に干渉した。傷口を敢えて開かせ、出血するように仕向けた。


 いつ死んでもおかしくない。意識が朦朧とする中でも、綾は完璧にそれを実行した。意識を失ったフリをして、されるがままになる。


「もういい、やめろ、この豚ども!」


 始祖の号令で、豚鬼たちが攻撃をやめ、後ろに下がった。血だらけになった綾が道路に寝そべっている。始祖はそれを舌打ちして確認したようだった。


「まさか無抵抗のまま死ぬとは……。いや、まだ息はあるかもしれん……。しかし、霓のコントロールは完全に失ったようだ」


 傷口が開いたのを見て、そう思ってくれるように願っていた。そしてそれは成功した。


「ちっ……。とどめは私が刺すつもりだったが、死んでしまっては困るぞ、瀬山綾。お前を単に殺すだけでは、私の屈辱は拭えん。この手で殺すと決めていたのに」


 やはりさっきの言葉は嘘だったか。綾は死んだフリをしていた。そもそも死にかけているのだから演技の出来に問題はない、問題があるとしたら、すぐにでも意識を失いそうなことだった。


 鋼の意思が欲しい。意識や記憶を失っても最後までやりきるような、そんな超人的な心の強さが欲しい。綾はそれを願った。


「魔物の餌にしてやってもいいが……。お前の持つ上等な霊力は自ら吸い上げてやる。量から言えばちっぽけなものだろうが、この世界の霊力を絞り上げるのに最も大きな障害を排除した記念だ、盛大に行こうではないか」


 始祖が近づいてくる。綾はそれを察した。


 既に霓の射程に入っている。だが、まだだ。


 まだ撃てない。霓を撃つのは。


 始祖が綾の躰に触れ、直に霊力を奪い去ろうとする、まさにそのとき。


 始祖が綾の首に触った。そして脈があることを確認する。


「まだ生きていたか……。やれやれ、しかし出血の量からしてもう生きられまい」


 始祖が綾の髪を掴んで自分に引き寄せる。そして、


「死ね」


 その言葉を待っていた。


 綾は目を見開き、傍に落ちていた霓の欠片を引き寄せた。そして一瞬で剣の形に変化させる。


「瀬山綾――お前!」


 始祖は驚いた様子だった。一瞬の隙。もし始祖が冷静だったら、綾の首をぽきりと折りさえすればそれで済んだはずだ。彼にはそうするだけの時間的余裕があった。


 だがそうしなかった――それが綾にはありがたかった。圧倒的な破壊力を誇る霓の剣が、始祖の腹部に突き刺さった。


 そして剣そのものが爆発し、破片が辺りに散らばった。始祖はその散弾をまともに浴び、悶え苦しんだ。


「おおおおおおっ……! お前……! お前ぇっ! こんなチンケなことを……!」


 始祖の肉体の内部に霓の破片が入り込み、暴れ回っているようだった。腹部の傷は大したことはなさそうだったが、もはや彼は冷静ではいられない。


 そのとき、近くに降り立つ影があった。竜司だ。酷く疲れた様子だったが、すぐに綾に駆け寄る。


「瀬山綾……。大した奴だ。後は俺に任せておけ」

「妖樹は……?」

「仕留めた。後はこの男を倒せばいいんだろ? もう、ゆっくり休め」


 綾はしかし、安心などしていられなかった。完全に始祖を倒せてはいない。彼はまだそこで悶え苦しんでいる。


「始祖を倒してください……。今、この場で。そうしないと……」

「善処するよ」


 綾にはもはや、それ以上喋る気力がなかった。自分はこれで死ぬのだと確信していた。今、ここで意識を失ったら、もう自分の人生はこれっきり。そう思うとこの苦しみや痛みさえ愛おしいように思えた。  


 やれることは全てやった。綾はその満足感に包まれていた。


 自分が死んだら、母や父は悲しむだろうか? でも今は、アヤがいる。彼女が自分の代わり。きっとアヤが娘として生きてくれる。


 だから今は安心して眠ろう。


 もう全て終わった。役目を果たした。きっとこの世界の未来は明るい。そう信じて、今は眠ろう……。








次回、最終話です。

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