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隣のダンジョン  作者: 軌条
第一部 地上へ
11/111

たった一人の救援隊

11、たった一人の救援隊



 ゾンビだか馬から降りた騎士だか分からない魔物は、まだ生きていた。瓦礫から這い出てきて奇声を上げる。


 水着を着た若い女性は、巨大な鎖付きの鉄球を引き摺っていた。鎖を胸元に引き付けるようにして、鉄球を空中に放り投げる。

 鉄球はまるで意思を持っているかのように躍動し、ゾンビ騎士の頭部に衝突した。ゾンビ騎士の顔面が薬品に焼かれたかのように溶け、やがて吹き飛んだ。今度こそ完全に仕留めたようだった。


「なかなかタフね。さすが深層の魔物。同型のゾンビ騎士と比べて大幅に強化されているみたい。でも、まあ、獲得できる実績値はこんなものか」


 女性はぼやきつつも、綾に向き直った。鉄球が透け、消滅した。綾は目をぱちくりさせた。


「あの、助けて頂いて――」

「ああ、礼なんかいいの。それより聞かせて。あなた、立ち居振る舞いが上級者とは思えない。武器だって貧相だし。どうしてこんな深層にいるの? このコトカさんが来なかったら、確実に死んでたわよ」

「ごめんなさい。でも私、ダンジョン自体に――」


 しかしここで綾は言い淀んだ。初心者だと言うことは簡単だ。実際そうなのだし、コトカと名乗った女性も何となくそれを察している。

 だが先ほどコウキに襲われたことが、綾を臆病にさせていた。青手帳にも劣るずぶの初心者であると発言することが、この苛酷な状況においていかにリスクが高いか、理解し始めていた。


 ただ嘘をつくほどの踏ん切りがつかなかったので、はぐらかした。


「――仲間がやられてしまって、途方に暮れてたんです。帰還アイテムも使えないようですし」

「やられたっていうのは、死んだってことかな?」

「……はい」

「ふうん。ダンジョンでの死者は年間でも数件。それが目の前で起こったらわたしも取り乱さない自信がないかも。確認の為に聞くけど、あなた白手帳じゃないわよね?」

「え? ああ、えっと」


 どう答えよう。白手帳であると言えば上級者だと誤解される。何かの間違いで初心者に白手帳が交付されたのだと説明すれば、初心者であると露見する。どう説明したら良いのだろう。

 綾はコトカの金バッジを見ていた。彼女が信頼に足る人間なのか、どうしても確かめておきたかった。


「あの、コトカさんっていうんですよね。その金バッジは……?」

「ああ、これ? 能力検定で特A評価を受けちゃってね、貰っちゃったの。今もわたしの冒険をこのバッジ越しに誰かが監視してると思うんだ。だから、信用してくれて構わないよ。元々、正義感の強い人間だと思うし、わたし」

「あっ、別に、信用していないわけではなかったんですけど」

「ふふ。隠さなくてもいいよ。コトカさんを見る目が怯えてたもの。当てようか、あなた、仲間から襲われたでしょ?」


 綾は言葉に詰まった。ゆっくりと頷く。

 コトカは腕組みして何度も頷いた。


「やっぱり。帰還困難、帰還石が機能せずに死のリスクが高まれば、人間同士でギフトを巡って争いが起こることは当然と言えるわよね。わたしがわざわざ深層に救助に来たのも、そういう醜悪な人間の暗黒面を記録できるかなと思ったのも大きいのよ」

「救助、ですか」

「そうそう、言い忘れてたけど、コトカさんは救援隊の一人でね、だからもう安心していいのよ」


 コトカはウインクした。綾はこの人にならありのままを伝えてもいいだろうと判断した。

 自分が異世界から来たというのはあまりに荒唐無稽で、カズマにも本当に信じてもらえたとは言い難かったので、そこだけ伏せて全て話した。本当は青手帳相当の初心者だが白手帳を交付されたこと、カズマという白手帳の冒険者が凶悪な魔物に殺されたこと、ユリとコウキという冒険者に裏切られたこと、そして何より強調したのが、綾がろくにダンジョンの知識を持たないという恥ずべき事実――


「ふうん。そんなに無知をアピールするってことは、本当にやばいくらい無知なんだろうね。わたしが小学生だった頃もいたよ? ダンジョンに潜りたがらなくて、学校の授業でも不真面目極まりない。ダンジョンとは関係ない職もあるよー、とか言って、でも結局今も無職って聞いた」

「そ、そうなんですか。私は無職にはならないと思いますけど」

「そっか。ま、結構しっかりしてそうだもんね、あなた」


 綾は礼を言いながら、訊ねるべきだろうか、それとも失礼だろうかと悶々としていた。


「どした? コトカさんに聞きたいことでもあるの?」

「あの、どうしてそんな恰好してるんです?」

「は? ああ、これ。そうだよね、コトカチャンネルを知らない人だと、結構変に見えるよね。これね、視聴者数を増やすための工夫。趣向。秘策って感じかな」


 コトカは茶目っ気たっぷりに胸を寄せて言った。綾は首を傾げる。


「コトカチャンネルって、なんですか?」

「その名の通り、このコトカさんが開設したネットチャンネル、ちょっとした番組だよ。ダンジョン鑑定士のコトカさんが冒険するところを中継したり、お得な情報を発信したり、まあよくある感じの」

「よくある感じ……?」


 綾はコトカの水着を凝視した。なかなかのナイスバディで、同性の綾から見てもドキリとしてしまう。こんな恰好で魔物と戦うなんて、ちょっと馬鹿馬鹿しく見える。でも男性からするとかなり面白いんだろうな、という想像くらいはつく。


「あはは、よくあるっていうのは言い過ぎだったかな。今はネットに接続できないみたいで、中継できてないんだけどね。アーカイブあるけど、見る?」

「アーカイブ……? 今まで放送してきた分ってことですか」

「そうそう。ケータイ持ってる?」

「はい」

「そこに何個か送ってあげる。初心者向けの講座とかも初期に配信してたことがあったから、きっと役立つよ」

「そうなんですか」


 と言われてもピンと来なかった。ケータイを取り出し、コトカから何やら受け取った。早速それを見ると「琴歌チャンネル」という毒々しい色彩のタイトルがでんと表示されていた。


「あんまり時間かけずに作ったから、センスないタイトルになってるけど、第四〇回あたりかな、視聴者の一人がタイトルロゴを作ってくれて、今はこんな感じになってるんだけど」


 そう言って琴歌は自分のケータイを取り出し、別のタイトルロゴを見せてくれた。それには淫靡な表情をした二次元化された琴歌のイラストと共に、琴歌チャンネルの小奇麗なフォントがあった。


「なんというか、その……。サブカルチャーって感じですね」

「オタクって感じでしょ? ふふふ、別にオブラートに包まなくてもいいんだよ。そういう層も取り込もうと思ってたから、有り難く採用させてもらった」


 琴歌はケータイを仕舞うと、辺りを見回した。


「さて、そろそろお喋りもおしまい。近くにそのコウキとユリって人はいないのかな。できれば一緒に連れて行きたいんだけど」

「えっ。い、一緒ですか」


 綾は驚いた。琴歌は深く頷く。


「こんな深層に救援隊なんて来ないよ? 下手したら二人とも死ぬ」

「で、でも、琴歌さんも救援隊なんですよね?」

「たぶん、地元の有志で結成されてるだけの組織だから、琴歌さん以外に深層の救助活動に堪えられる人間はいないと思う。だからわたしが見捨てたら絶望的な状況ね。あなたに攻撃を加えた罪は地上に帰還してから裁いてもらうとして、今は手を取り合わないと。この金バッジに監視カメラが付いているって言えば、さすがにもう犯罪行為には及ばないでしょ」


 綾にはどうにも信じられなかった。外部から見られていると言われただけで、他者を蹴り落とし自らだけが助かろうとする生の衝動に理性が働くようになるのだろうか。


「そういうものですかね……」

「そういうものよ。それに、あなたの話を聞く限り、その二人はかなり戦力になる。コウキは遊撃タイプ、ユリは近接タイプ。わたしは単独行動を前提としたオールラウンダーだから、そうね、後衛で火力を叩き出すのに専念すればチームとしてのバランスが取れる」

「わ、私は……?」

「あなたはこれ。貸してあげる」


 琴歌は突然手から何かを出現させた。それは小さな木製の杖だった。布団叩きくらいの大きさで、重さは見た目以上にある。


「これは……」

「支援用のライトスタッフ。怪我を回復させたり、仲間の武器を強化したり、敵の目くらましをしたり……。そういう術の媒介となる武器ね」

「使い方が、分からないんですけど……」

「ふふ、そう言うと思って。琴歌チャンネルをよろしく!」


 琴歌がウインクする。綾はケータイを操作して先ほど受け取った番組とやらを確認してみた。サブタイトルを眺め、関連しそうなものを探す。


「もしかして、これですか。『初心者の為の霊力講座』ってありますけど」

「そういうこと。霊力の節約、配分、応用を分かり易く解説しておいたから、歩きながら見ておいて」

「はい。助かります」


 綾はそう答えつつも、あまり気乗りしなかった。水着でカメラの前に立つような人の番組である。琴歌には悪いが普通に教えてくれたほうが嬉しかった。もちろんそんな文句は口に出せないが。

 琴歌は少し上方を見つめて唸った。


「周辺を探知してみたんだけど、周りに人間はいないみたいね。コウキたちはまだ一〇〇階に留まっているみたい」

「えっ。まさか、一〇〇階に戻るつもりですか」

「いいえ。一階に徒歩で戻ろうってときに、わざわざ下階の様子を見に行くほど琴歌さんも愚かじゃないわ。それに一〇〇階の魔物って二桁階の魔物と比べて相当に強化されてるって話だったし、あまり消耗するようなことは避けたい。コウキたちが九九階に上がってくるのをしばらく待って、それから上階を目指そうと思うんだけど」


 綾はほっとしながら頷いた。


「はい。分かりました」

「コウキと会うのが怖いのね? でも琴歌さんがいる限り下手な真似はさせないわ。今はまともなチームを編成することが先決。単身深層に潜り込んできたわたしが言うと、説得力ないんだけどね」


 綾は疑問に思っていたことを口にした。


「怖くはなかったんですか。危険だと知っていたんでしょう。弟が言ってましたよ。救援隊は四〇階付近を軸に救助活動を行っているって」

「ああ、そうみたいだね。良い映像が撮れるかなって思ったのもあるし、それに少数でも苦しんでいる人がいるなら、誰かが行かなきゃいけないでしょ。それと、こんな事故滅多にないし、たぶん全国的に注目されると思うんだよね。そこから奇跡の生還? その立役者がこの琴歌さん? これ以上ないチャンネルの宣伝になると思わない?」


 綾はケータイの画面を一瞥した。安っぽい番組に思えるが。


「そこまでする必要があるんですか……?」

「どうなんだろうね。微妙なラインなのよね。わたしがこのままオバサンになったら、チャンネルを見てくれる人は少なくなるだろうし、それまでに稼げるだけ稼がないと。ダンジョン探索だけで食べていけなくもないし、ダンジョン鑑定士の資格でどうにでもなるんだろうけど、地位と責任って比例するでしょ? あまり気が進まないというか」


 綾は恐る恐る言った。


「大人になりたくない、みたいな……?」

「そうかもしれない。子供のままカネを稼げるなら、それに越したことはないのかな……」


 そのとき琴歌の表情が一変した。そして何もない虚空を眺める。


「どうかしました?」

「変だな。突然魔物の反応が増えた。周囲に、五つ、六つ、七つ……。どんどん増えてる」

「それって珍しいことなんですか?」

「魔物がどこから出てくるのか、研究している人はたくさんいるけれど、正確には分かっていない。深層から這い出てきているんじゃないか、精霊が解き放っているんじゃないか、悪質化した霊力が核を生むんじゃないか、様々な説があるけれど、どれも裏付けのない仮説に過ぎない」


 綾は周囲を見回した。そして琴歌を見る。


「大丈夫ですよね?」

「まあ、直ちに窮地に立たされることはないよ。琴歌さん一人で相手してもいいし、相手せずに九八階への階段に急いでもいい。場所は把握している」


 きびきび言いながら琴歌は、綾には見えないレーダーのような探知道具によって、退路を見極めたようだ。


「こっちの道を行こう。本当は空を飛んでいけばいいんだけど、あなたにいきなり第四世代の機動靴を使いこなせと言うのも酷だし」

「第四世代……?」

「防御能力と高い機動性、そして浮揚能力を有した靴のこと。まあ、琴歌さんについてくれば大丈夫、大丈夫」


 琴歌はずんずん進み始めた。綾は慌ててついて行った。琴歌は綾のケータイを指差す。


「さっき言った番組を見て。いざというときの生存確率が大分変わってくると思う」

「えっ? でも、敵が迫ってるんじゃ」

「追いつかれても琴歌さんが全て撃滅する。普段は視聴者の目を気にして、わざとトリッキーな立ち回りをすることもあるけど、実際はシンプルに力で押すのが最も効率的で危険も少ない。わたしって生まれつき、霊力のキャパが大きいみたいで、継戦能力には自信があるのよね。信じてくれていいから、あなたもさっさと琴歌チャンネルの視聴者の仲間入りをしなさい」

「はあ……」


 綾はびくびくしつつも、ケータイを操作して琴歌チャンネルの動画の再生を始めた。このときはまだ琴歌は水着での配信をしていなかったらしく、寒色系のジャケットを着ている。手書きのフリップみたいなものを手に持って、笑顔で話していた。


「あれ、イヤホン持ってないの? これ貸してあげる」


 琴歌がイヤホンを放り投げてきた。綾はそれを自分のケータイに接続しながら、こんなことをしている場合なのだろうかと落ち着かなかった。








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