琴歌チャンネル
10、琴歌チャンネル
琴歌が動画共有サイトの関連サービスで個人チャンネルを開設したのは二年前のことになる。国家資格の一種であるダンジョン鑑定士の合格を機に始めた。最初は高価な精霊謹製品のレビューだったり、ダンジョン鑑定士の仕事の一端をちらつかせたりと、他愛のない内容だったが、次第に中身に凝るようになった。
チャンネルの登録者数を一人でも多く増やしたくて、様々な工夫を凝らした。しかし凝れば凝るほど絶賛を貰えるというわけでも、視聴者数が増えるわけでもなく、数か月もしない内に飽きかけていた。
変化を求めて、一度ふざけて水着を着て動画の生配信をしたら、視聴者数がとんでもないことになった。琴歌にとっては衝撃的な出来事だった。水着と言ってもそれほど刺激的なものではなく、布面積で言えば普段着とそれほど変わらないものだったが、服装一つで視聴者数がこんなにも変わるとは。エロか。エロが全てか。
ここで琴歌は呆れ果て、取得した国家資格を生かして国家に仕えることもできたはずだった。しかしちょっとした好奇心が優ってしまった。
動画共有サイトでの広告収入――この爆発的に増えた視聴者数を利用して、まともに稼ごうと思ったら、どれほどのものなのだろう。様子見を兼ねて、一か月通して毎日水着を着て番組を配信してみた。
すると凄まじい収入になった。真面目にダンジョン探索をするのが馬鹿馬鹿しくなるほどのカネと実績値に交換できる精霊公認のダンジョン通貨が溜まった。
マジメに働くのが馬鹿馬鹿しくなった琴歌は、水着を着て番組を配信することで生活することを決めた。視聴者に飽きられる前に稼げるだけ稼ぐ。徐々にきわどい水着にしていき、媚びるような言動も心がけた。元々容姿端麗、スタイルにも自信があった琴歌は、瞬く間に人気となった。
ただ単に水着を着てお喋りするだけでは芸がない。ダンジョン鑑定士としての能力を生かすべく、ダンジョン探索の生配信をすると、更に人気は確乎としたものになった。
政府公認の能力検定も、生配信で伝えた。一〇段階中の最上位という成績を残し、琴歌が色気だけではないことを証明すると、男性がほとんどだった視聴者層に、女性ファンも加わるようになった。政府から交付された金バッジを胸の谷間に挟んでダンジョン探索に繰り出すと、一部の熱狂的な男性ファンが追っかけをしてくるほどの人気ぶりだった。
おかげで、琴歌はちょくちょく拠点となるダンジョンを変える必要があった。さすがに見ず知らずの男に生の水着姿を見せるのは抵抗があった。彼女にとってこれはビジネスであり、何も彼らにサービスする為に服を脱いでいるわけではない。
チャンネルが人気となるにつれ、配信頻度を上げ、広告収入を荒稼ぎしなければならないという強迫観念に襲われた。毎日カメラに向かって笑顔を作り、胸を寄せ、魔物と戦う。正直に言えば苦痛だったが、その苦痛に優るカネがドバドバと入ってくるのだからやめられない。
日々に倦み、カメラの前以外では無感情になった。そんなときだったからこそ、政府からの要請にちょっとした高揚を覚えたのだろう。
早朝、自宅で水着に着替え、配信の準備をしていると、部屋の電話が鳴った。相手は地域のダンジョン管理局の人間だった。
「原因は不明だが、ダンジョンから帰還できず、数百人規模の人間が閉じ込められている。既に死者も複数出ているようだ。精霊たちも困惑している。救援隊を編成しているのだが、参加してくれないだろうか」
最初はいたずら電話だと思った。どうしてわざわざ国が琴歌に助けを求める? しかし記憶を探ってみると、以前話題になればと思い、ダンジョン管理局の予備兵力として非常人員リストに登録していたことがあった。誰でも登録できるというものではないが、金バッジを交付されている琴歌が拒否されるわけがなかった。金バッジは政府主催の能力検定でトップクラスの評価を受けなければ授与されない代物である。
早速「琴歌チャンネル」で予告をした。一時間後に緊急生配信! ダンジョンに閉じ込められた無力な冒険者を琴歌さんが救出するよ!
精霊から上級者と認められた証である赤手帳を携え、連絡のあったダンジョンまで向かった。ダンジョン前には人だかりができていて、随分混乱した現場に見えたが、水着姿の琴歌が登場すると一瞬静かになった。緊迫した空気の中では場違いな恰好だった。
「救援隊の相沢琴歌といいます。通してくれます?」
門前にて立ち塞がっていた男に金バッジと赤手帳を見せた。人だかりを抜けて先へ進む。
ダンジョンの入口では、救助隊の人間が集まって何やら話していた。一度入ると、帰還アイテムが一切使用できなくなる。地下一階の階段からしか地上に出ることができないらしい。四〇階付近の救助が当面の活動になる。そんなことを話していた。
「ここのダンジョンって、手帳の色で入場ゲートを分けているんですよね。一番深いところは?」
琴歌が口を挟むと、一同が怪訝な顔になった。水着姿の女がのほほんと尋ねているのだから不思議に思うのも無理はない。
「白手帳向けに一〇〇階を解放している。今朝は二人入場者がいたらしいが、きみは?」
「救援隊の予備兵力、相沢琴歌でーす。ここのダンジョンって撮影OKですよね? 金バッジの内臓カメラで番組配信してもいいですか?」
「はあ? 何を言って――」
「だって普通の機材だと、深層に入るとまともに配信できなくなることがあるんです。金バッジはその点、エラーすることなんてほとんどありませんから」
一同は唖然として、琴歌を見つめた。琴歌はうふふと笑ってみせた。
「そういうことを言ってるんじゃない。こんなときに番組配信だと? 輪を乱すようなことは言わないでくれ。それに、深層には行かないよ。二次災害の危険がある」
「なるほど。じゃあ、輪を乱さないように、深層に行ってきますね。赤手帳ですけど、一〇〇階に行ってもいいです?」
「何を馬鹿な。危険過ぎる。きみね、ここの一〇〇階はまだ発見されたばかりで、ろくに調査もされていない。それに白手帳の人間なら自力で何とかするだろう。救助の優先度は低い」
琴歌は肩を竦めて嘆息した。
「本気でそう言っているなら、お笑いですね。徒歩で一〇〇階から一階まで登らないといけないなら、最も死の危険が高いのはその二人でしょうに。ダンジョン内では空腹で死ぬことはありませんが、精神的に摩耗することは変わらないんですよ」
「しかし……」
「誰も行きたがらないなら、わたしが行きますよ。ダンジョンでのサバイバルなら鑑定士の資格を取るときに徹底して鍛えてますから」
「きみ、ダンジョン鑑定士の資格を持っているのか? どうしてこんな地域の非常人員なんかに登録しているんだ」
「人それぞれじゃないですか。とにかく、一〇〇階まで行ってきますから」
「だ、駄目だ。単独で深層に潜るなんて危険過ぎる。許可できない」
「じゃあ、わたしと一緒に行ってくれる人は?」
誰も名乗り出なかった。琴歌は勘付いていた。ここの救助隊の連中は深層に潜るだけの度胸も実力もない。
「……いないようなので、独りで行ってきまーす。責任は自分で取りますからご心配なく」
そう言って琴歌は強引に白手帳用のゲートを潜り抜けた。誰かが制止しようとしたが彼女はさっさと奥に進んだ。
琴歌のような実力者でも、一〇〇階にいきなり向かうのはきつい。そこから徒歩で地上を目指さないといけないとなると、相当な覚悟が必要だった。しかし彼女のたがはとっくの昔に外れていた。普段だったら絶対にしないような無茶も、生配信を前にするとあっさり実行してしまう。
金バッジを弄り、配信用の器材に接続する。そして動画共有サイトにアクセスし、生配信を開始する。
「はーい、今日も始まりました、琴歌チャンネル。みんな、告知は見てくれたかな? 今日は原因不明の帰還不能事故が起きているという第〇〇三五五ダンジョンに潜ってみたいと思いまーす。詳細はダンジョン管理局の公式サイトを見てね。事故報告が上がってると思います」
琴歌は言いながら一〇〇階に向かうワープ装置に近付いた。金バッジをつまみ、自分の水着姿を舐めるように撮影してから、装置にカメラを向ける。
「帰還アイテムが全く使えなくなるという恐怖の事故! 急遽救助隊が結成されたわけですが、なんとこの琴歌さん、その救援隊のメンバーに選ばれました。半年くらい前かなー、わたしが地域の非常人員に登録したのを覚えている人もいるでしょう。あのときは手続き上の一切合財を記録するという目的が一番だったわけですが、これはとんだ伏線だったわけです、琴歌さんの巧妙な配信計画に、どうぞ感服しやがってくださーい」
番組に対するコメントをチェックすると、既に何件も上がっていた。なかなか刺激的な開幕だけあって、評判は良さそうだった。視聴者数はこれからぐんぐん伸びていくだろう。
「琴歌さんは一〇〇階に潜ります。えーと、第〇〇三五五ダンジョンは可もなく不可もない平均的なダンジョンですが、一〇〇階となると敵の強さも段違い。さしもの琴歌さんも危険かもしれません。でもその点は大丈夫。今朝、白手帳の勇者さんが二名、このダンジョンに潜ったとのことでーす。白手帳の冒険者さんを生で映すことって、なかなかないことだと思うので、皆さん期待してもいいですよ。琴歌さんが白手帳さんを救います」
白手帳と出会い、その戦いを中継でもしようものなら、かなりの話題になるだろう。琴歌にはそういう打算もあった。
「それでは早速行きます。一〇〇階によーそろー!」
装置を操作し、いよいよ出発。さすがに少し緊張したが、装置が一向に作動しなかった。
琴歌は首を傾げ、再入力したが、どうにもこうにも反応がない。琴歌は頭をコツンと叩いた。
「えーと、ごめんなさい、なかなか作動しませんね。ここのダンジョン全体に異変が起きているようなので、この転送装置にも影響が出ているのかもしれません。でも救援隊の皆さんの話によれば、脱出はともかく、侵入は問題なくやれるとのことなんですが」
琴歌は三度入力した。やはり動かない。この装置の操作には慣れていたから、これはまさしく異常事態だと感じた。
半ば期待していなかったのだが、一〇〇階を九九階に変更して入力した。すると例の浮揚感が襲ってきて、装置が作動したことを察した。
「あっ、装置が作動しました。無事にダンジョンに潜れたようです。予定が狂っちゃいましたが、一〇〇階も九九階も似たようなものですね。琴歌さんがいよいよ事故の起きたダンジョンに潜って――ってあれ?」
琴歌は実況しながら深層に着地したが、機材の調子がおかしい。ネット上の反応が全くなくなった。石造りの迷宮の中で彼女は必死に回復を図ったが、全ての機材が突如としてストップしていた。無事なのは金バッジのカメラだけ。
「どういうこと……。これじゃあ配信なんて無理じゃないの」
琴歌は舌打ちした。機材に透明化の処理をして、水着姿の邪魔にならないよう配慮してから、辺りを見回す。静寂そのものだった。人の気配もなければ魔物の気配もない。道具袋から探索器具を取り出し、霊力供給装置に接続する。霊力供給装置があれば自らの霊力を消費することなく、低出力のアイテムを利用することができる。回復薬を服用したほうが短期的には経済的だし効率的だったが、短い期間に薬を服用し続けると耐性が生まれて効果が薄れていく。長期的に見ればこの措置は必須と言って良かった。ロングランを想定して準備してきた。
琴歌はレーダーに似た探知器具を使用し、周辺に魔物がいないか、救難信号が出ていないかチェックした。魔物が一体だけいた。他のダンジョンで何度も出会ったことのあるゾンビ騎士。獲物を捕捉すると猛然と迫り来るのが特徴である。戦闘力はそれほどでもないが、魔物から隠れながら探索するタイプの冒険者にとってはなかなか厄介な相手である。
「おや、これは獲物を見つけたみたいね。進行に迷いがない。そしてその獲物は――どうやら逃げ惑っているようだ。ゾンビ騎士を誘っているのか、救難信号が出てないからきっとそうなんだろうけど」
レーダーを凝視していた琴歌は、しかし違和感を覚えた。逃げ方が必死に思える。いや、ゾンビ騎士の動きしか見えず、逃げ惑っている冒険者が具体的にどこを移動しているのかは推測するしかないのだが、ダンジョン探索の現代メソッドを叩き込まれた琴歌はある程度突っ込んだ状況分析ができた。
救難信号が出ていないが、この冒険者は本気で逃げ惑っている。ゾンビ騎士を有利な場所に誘い込んでいる気配はない。
しかし、この冒険者は例の白手帳ではないのか。それとも低層から地道に上がってきた蛮勇なのか。琴歌は配信機材を点検した。やはりびくともしない。嘆息し、もしこれを配信できたらなかなかのエンターテインメントだったろうに、と残念がった。
「ま、琴歌さんに任せておきなさい、おバカな冒険者さん」
琴歌は機動靴に霊力を傾注した。浮遊効果のある靴が、上空からの迷宮探索を可能とする。
すぐに逃げ惑う冒険者を発見した。一五歳前後の女性。あの年齢で白手帳ということがあるのだろうか? きっとない。赤手帳でも稀だ。となると低層から地道に上がってきた、無力な冒険者だ。
琴歌は移動を開始した。ゾンビ騎士に効果の高い聖なる鉄球を持ってきていて良かった。透明化の処理を施していたその得物を手に取る。すると透明化の術が切れて彼女の手に物々しい武器が姿を現した。水着に鉄球。なかなか面白い画だと思うんだけどな。金バッジを指で弾いて、琴歌は苦笑した。




