通貨
瞼を開ける。いや、この表現は正しくない。
元々瞼は開いていた、視界が開けただけだ。
「ここ、どこだ……」
そこには壮大な景色があった。
中央に天にも届く大木、東にはマグマ滾る火山地帯。西には水晶か氷の結晶か、幻想的な景色が広がっている。それらを俯瞰している視点で目の前には何やら入力画面が浮いていた、まるでMMOのログイン画面を彷彿とさせる。
「みんな……は、いないのか?」
辺りには誰もいない、というより視点を動かせず『自分』がない。
「ようこそ! ハードマネーオンラインの世界へ!」
そこへ元気で無邪気な声の中性的な、恐らく女性であろう人物が降ってくる。
アバターだろうか、虹色のへんてこな服装だった。
目は青く、髪は紫色のボーイッシュな出で立ちだ。
直人は声もでない。それはそうだ、状況が整理できないまま新たに人が降ってきたのだから。
「混乱してるね、君は僕が選んだハードマネーオンラインの参加者だよ! 簡潔に言うと別のMMORPGに僕が招待したんだ」
どこからかステッキと黒の帽子を出して話しかけてくるボーイッシュな人物は楽しそうにを無垢な笑顔をまき散らしながら話しかけてくる。
「どういうことだ? 強制的に別のゲームへ飛ばされたっていうのか? そんなことができるのか」
様子を見ているとどうやら会話はできるようだ、少女は直人の視点であるこちらを向いてふんふんと頷いている。
「できるのかって、できてるじゃん。ここはハードマネーオンラインのログイン画面だよ!」
「なんで、俺は飛ばされたんだ? そろそろ晩飯なんだ、一回ログアウトもしたい」
すると少女は我慢できないといった様子でふふふ、はははははと不気味に笑い始める。
「君が望んだことだよ? 君が本気のゲームをしたいと言ったんだ」
「……スカイオンライン内で響いてきた声、お前か」
「せいかーい、お前って……おっとと! 自己紹介が遅れたね! 僕はマキナ! この世界でのGMだよ!」
少女は空中でくるんっと宙返りしていちいちポーズをつけている。
「そうかい……まあ後でプレイしてやるからとりあえず今はログアウトさせてくれ」
付き合いきれないといった態度でログアウトボタンを探してみる。
しかし、視点はおろか、喋ること以外できることは見受けられない。
視点の中央の入力欄にカーソルがあるだけだ。
「できないよ、君に拒否権はない。何もしないというのなら一生このログイン画面を眺めることになる」
心底つまらそうな声色だった、まるで見損なったという風な。
「わ、わかった……ログインしよう」
冷静沈着と評されるさすがの直人も動揺を隠せない。
何時間何日もこの画面から動けないというのは牢獄に入れられたくらいの閉塞感だろうから。いや、それよりもきついのは間違いない。
直人が同意したことによってマキナという自称GMは打って変わって楽しそうに語り始める。
「ふふっじゃあこの世界の基本的な概要を説明するね! もう聞いてよ! ほんとこのゲームは楽しいんだよ! きっと君も気に入ってくれると思う、それこそ現実との区別がつかないくらいね! 何度も言うけどここはハードマネーオンライン、現時点ではログアウトは不可能だよ。そしてゲームボリュームはスカイオンラインを凌駕するんだ! 現在は500万人を越える人々が楽しく『生活』しているよ」
直人は言われたことを頭の中で噛み砕く。色々と試してみたがログアウトはしようと思ってもできないらしい。
脳裏に昔アニメで見たログアウトができないデスゲームが過ぎるが発狂しても良いことはない、冷静に押さえ込む。
今自分が不条理な事件あるいは陰謀の中に置かれていることは本当に薄々だが実感が沸いてきた、こいつの言葉を一つも聞き逃してはならない状況であるのは間違いないだろう。
「生活とはどういうことだ」
「そのままの意味だよ~? ゲーム内でログアウトせずに生活してるんだよ」
最近世間を騒がせてるVR症候群。今朝もニュースで報道されていた、そのことが脳裏をよぎる。
よくわからない専門家がああでもこうでもないと議論をしていたが直人は馬鹿らしいとまともに見たことはなかった。
なぜならさすがのゲーマーの直人も現実と仮想の世界の区別はつけているつもりだからだ。
というより仮想を現実だと思い込もうとしても自分の中の常識がそれを許してくれない。
「そうか、どうすればログアウトできるか教えてくれ」
「へぇ~君は随分と冷静だね? これは期待できそうだなぁ! 普通の人ならここで泣き喚いて発狂して出せ出せ出せってうるさいんだけどなぁ」
マキナはニタァと唇の端を歪める、可愛らしい顔つきなのでそこまで恐怖を抱きはしないが見ていて気分のいいものではなかった。
「ログアウト方法は簡単だよ、ゲーム内マネーを1億支払うこと」
「…………このゲームの通貨価値次第だな、簡単に1億貯まるのか?」
「それはどうだろうね? ログインして確かめてみないとね」
「……」
冷や汗が頬をつたう。徐々に徐々にだが一生ログアウトできないかもしれないという恐怖の芽が開花しつつあった。
その芽は加也直人を心の中からくすぐってくる。
「それと原則としてこの世界にはモラルのシステムロックはないから、そこも注意してね! さてっと、じゃあユーザーからの質問を三つまで受け入れることにしてるんだ、だからどうぞ」
ダブルピースならぬスリーピースで手を前にぐいっと出される。
突然与えられた質問権、直人はありもしない目を瞑る。視界は暗くなるので間違ってはないかもしれない。
30秒ほどの間、しかし加也直人にはかなりの時間に感じられた、まず聞かなければいけないのはこの質問についてだ。
「答えられない質問はあるのか? あった場合3回の権利は消費するのかが聞きたい」
GMと自称する少女に凶悪な笑みが表出する、まるでピエロのような。可愛らしい顔つきはギャップによって強烈に直人に不快感を抱かせる。
「君、ほんと面白いね。なかなか頭も回りそう。答えはYESだよ。さらに権利も消費させてもらうことになるね」
楽しそうに指を一つ折りたたみ、ピースの状態になる少女の手。
再び視界を閉じる。
(となると、このゲームの運営者やその背後関係などの情報は得られないと見ていいか。一体何が目的だ? 営利目的とは考えにくいか? この仮想世界を維持するだけでどんなに金が飛んでいくのか想像もつかない。研究機関? 愉快犯? ……ダメだ、いくら憶測を立てても余り意味はない)
じっくりと1分ほど自分の世界に入っていた直人は口を開く。
「序盤での一番大事な情報を教えてくれ」
「へぇ、これも初めての質問、でもとても良い質問だ。何事に置いてもスタート地点は重要、ここでもそれは例外ではないよ。一番大切な情報、言うね。『初期イベントリに入っているステータス初期化アイテムは1000万の価値があるから大事にすることだ』かな」
バチっとウィンクをしながら中性的な声を響かせるマキナ。
その右手の指はまた一つ折りたたまれる。
「じゃあ最後だね」
「ああ、ログアウト後の処遇を聞かせてくれ」
「これまた意外な質問。ログアウトした後のことを考えているんだね。ログアウトした後は現実世界に戻るだけだよ、それに所持金は君の口座に振り込まれる、口座がないのであれば後日連絡させてもらう」
「色々とツッコミどころがあるんだが…」
「何がかな?」
可愛らしく小首をかしげるマキナ。本気で不思議そうだ。
「なぜ俺の口座や連絡…この場合俺の所在地を知っているかという疑問だ」
「ふふふ…さぁ~なんでだろうね。マキナにはわかんなーい」
人をおちょくっている口調だ、そこからわかるのは「教えるつもりはない」ということだけだ。
直人はこれ以上追求するのはやめる、無駄だからだ。
「ていうか所持金が口座に振り込まれる方は気にならないんだね? 1億を超えたマネーは現実に持ち帰れるんだよ? すごいと思わないの?」
「それは当面の脅威ではないだろ? 俺は今圧倒的不利な立場だ、報酬のことは…気にならないといったら嘘か、じゃあ教えてくれ。その持ち帰れるマネー現実の日本円で間違いないんだな?」
当然の疑問、現実世界にゲームのお金を持っていってもなんの意味もない。そもそもゲームマネーとはただのデータだ、実体はない。
「4つ目の質問だね、サービスしてあげる。うんっ問題ないよ、現実で使える通貨だ。このゲームの通貨単位は 円 だから」
言葉を発する前に突如視界が暗転していく。
そう、ゲームのタイトル名は『ハードマネーオンライン』