告白
二月三日の閉店後、節分販促ディスプレイから、一気にバレンタイン向けのディスプレイへと店内は変貌を遂げる。
百貨店勤務の俺は、催事担当である。度々こうして深夜までの残業を余儀なくされるのは、入社当初から織り込み済みだから文句はない。
ピンクや赤や金色などのバレンタインカラーに包まれた、有名チョコレート店の箱を積み上げ、催事ブースに出店してくれた店舗様への挨拶回り、そしてディスプレイのお手伝い。
チョコは嫌いじゃないが、こう囲まれていると甘い匂いに酔ってしまいそうだ。
実際酔ってしまうアルコール濃度のチョコもあるけれど、そういう意味じゃなくて。
最初にバレンタインチョコを貰ったのは、いつだっけか。
ああ、そう。幼稚園の年中組の時に、「結婚しようね」と幼い約束を交わした、同じバラ組の香織ちゃん。ママと一緒に手作りした、チョコを溶かして固め直しただけのチョコだったが、嬉しかったなぁ。
園舎の裏に手を繋いで行って、こっそりほっぺにチュウされたこともあったっけ。
香織ちゃんの柔らかい唇を受けた責任として、「絶対、香織ちゃんと結婚する!!」と誓ったけれど、他の男子ともチュウしてたって聞いて、幼心にショックだった。
思えば初めての失恋だったのかも。
次は、小学校三年生の時。チョコを持っての登校は認められてなかったから、放課後家までチョコを持ってきた女の子がいた。当時、マンションに住んでいたから、誰か同じ学校の奴に見られるんじゃないかとドキドキしながらも、ひどく照れくさかったのを覚えている。……名前は~、記憶にない。同じクラスだったということだけ覚えている。
中学は母親からのみだったが、高校の時は、当時付き合っていた彼女から毎年貰っていた。進学をきっかけにその彼女とはフェードアウトしたんだっけ。
こう思い返してみたら、割とチョコ貰ってる方だな。
機械的に手を動かしながら、そんなことを徒然考えていたら、背後から声が掛った。
「佐藤くん、ちょっとそっち支えていて貰えない?」
「はーい、すぐ行きまーす」
ピクンと反応する。声のする方へ顔を向けると、大きなディスプレイと格闘している女性がいた。
彼女の名字は、木村さん。同期入社で、ちょっと、いやかなり気になっている女性だ。
小柄で華奢な木村さんは、脚立に登って、カラフルな包装紙のチョコを、グル―ガンを使ってツリー型に積み上げている。高さはおよそ三メートル。包装紙に包まれたチョコは、もちろんダミーだ。でなければ、食品を接着剤でくっつけるなんてもったいなくて抗議がくるだろう。
「相方さんはどうしたんです?」
ツリーを挟んで、木村さんの反対側にある脚立に登り、ツリーの天辺に取りつけられようとしている『Happy Valentine』のボードを支える。
「石田くんね、お腹が痛くなったって言い出して、お手洗いに行ったみたい」
あいつか……。同じく同期入社の石田は、いい加減な奴でサボり屋だ。クビにならないのは要領がいいからか。きっと今頃、喫煙室で煙でも吐いてるんじゃないか?
木村さんはボードをワイヤーで落ちないように固定しようとしている。が、全身を伸ばしてもまだ腕がプルプルと震えているのが見えた。完全に腕の長さが足らない。こんな状態だと、ディスプレイに倒れ込んでしまう。せっかくの力作なのに。
「代わるよ」
ボードから手を離して、木村さんの脚立に背後から登り、ボードとワイヤーを持っている木村さんの手に手を添える。チョコの甘い香りで噎せ返るような特売会場で、ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐった。
「あ、ありがと」
うつむき加減で表情は見えなかったが、一瞬触れた手にピクッと反応して、ぱっと手を離した木村さんが可愛い。木村さんが反対側に回り、ボードを再び固定位置に支えたのを確認して、ワイヤーをツリーの土台に繋がる支柱にしっかりと固定した。
「出来たよ」
「ありがと、佐藤くん」
「どういたしまして」
途中で放ってあった品出し作業に戻る。会場内は、もう八割方準備が進んでいた。
有名ショコラティエ作のチョコで作られた花だの、宇宙がテーマだのといったディスプレーもショーケースに入れられて搬入され、定位置に設置されていた。
いつの時代もこの時期にこういった場所でチョコを買い求めるのは、女性と相場は決まっているものの、そのニーズは次代によって移り変わってきている。最近は友チョコだとか、自分にご褒美チョコなどが主流なのか、味にも見た目にも、ブランドにもこだわるお客様が増えてきた。我々百貨店もそれに応えていかなくてはならず、こういった催事では特に女性従業員が配置されるものなのだが……。
「いらっしゃいませ」
営業用の柔らかな笑みを絶やさないように、催事場の中を練り歩く。
出店数が年々増え、ありがたいことにお客様も多数来場されるので、目的のチョコを見付けられず迷子になるお客様が時々……いや、多数おられる。そういった方に声を掛けさせて頂いて案内をする係に配置されたのだ。
ショコラ専門店から従業員が出向してきているブースと、完全に百貨店側にお任せのブースがある。そういったところには、百貨店側から売り子として社員もしくはアルバイトを配置するのだが、遠目に売り子としてくるくる動き回って働く木村さんの姿を見付けて、頬が緩む。
「イケメンの兄ちゃん!!」
バチコーンと背中に衝撃を受けて振り返れば、そこにはアニマル柄の素敵なお召し物のお客様がお二人……。
「いらっしゃいませ。いかがなさいましたでしょうか」
「うちな、コレコレ!! 『日本酒チョコ』探してんねん。お父ちゃんに買うてってあげよう思てな~」
お客様が、当店の催事チラシを取りだし目的の商品の写真を指差す。
ああ、それでしたら……。昨日品出しをしたから配置はばっちりだ。
「ご案内致します」
後ろから付いてくるお客様に気を配りつつ、先頭に立って案内する。
偶然にも『日本酒チョコ』は、木村さんの隣のブースにあった。京都の有名造り酒屋ブランドのその商品は五十代男性向けをターゲットにした商品だったが、意外に若い女性に人気の商品となった。
「お兄ちゃんにも買うたろか?」
「いえ、お客様のような女性から頂きますと、彼女がヤキモチを焼いて大変ですので」
やんわりと断る。お互い社交辞令、もしくは挨拶の様なものと分かっての言葉の応酬なのであるが、直接的な言葉はトラブルの元になるので注意が必要だ。……彼女などいないのにと自嘲気味になる。
「お兄ちゃんはどんなチョコが好きなん?」
もう一人のお客様に尋ねられる。質問の真意は一般的な男性向けの好みといったところだろうか。義理チョコをお求めのお客様には、時々尋ねられる質問でもある。
「え~と、僕はですねぇ。『くるみ』が好きなんですよ。だから、ナッツ入りのとかが好きですね。他にもこちらの様なミルクやビターなどのアソートですと、色々楽しめていいかなぁ、と思います」
『僕』個人の好みも入れつつ、一般的に受けそうなものをご紹介する。ただし、セールス口調になり過ぎないように答える。「ふーん」と言いつつ、そのお客様は、アソートチョコの詰め合わせを五つお手持ちのカゴに入れてくださった。狙い通りだ。
このチョコレート祭りは十四日のバレンタイン当日まで催された。
「佐藤くん、お疲れ様」
十四日の終業後、木村さんが手に提げたトートバッグから徐に取り出したチョコレート……。
こ、これは!!
「いつもお世話になってるから……」
少し恥ずかしそうに差し出されるチョコレート。チョコレートを包んだ凝った包装紙が見えるように、ワザと透明のプラスチックケースにラッピングされたそれには、シンプルなタブレットチョコレートが納められている。一番表には『Walnut』(くるみ)の表記が!!
「本当に食べていいんですか?」
勢い込んで聞く俺に、木村さんは可笑しそうにしながら、「もちろん」と言った。
いいのか!! いや、しかし待て。何事も順序を踏んでからでないと!!
「木村さん!! 俺と付き合って下さい!!」
「え?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔というのは、こういう顔なんだろう。
「え?」
もう一度聞かれた。
外しただろうか……。
沈黙の流れるこの間に、いい加減居た堪れなくなってきた。
従業員用通路を行き交う視線が気になるのは、木村さんも同様のようで……。
「えっと、佐藤くん。これからは暇?」
「はい!!」
「よかったら、呑みに行こっか」
「はい!!」
木村さんと従業員出口で待ち合わせする約束をして、一旦別れた。
そわそわと従業員出口の外で待っていると、私服姿の木村さんが出てきた。
「お待たせ。『鳥大王』でいい?」
焼き鳥専門の居酒屋チェーンの店名が出される。木村さんとなら、どこでも行きます!!
「はい!!」
というわけで、駅前通りを歩いて、職場からそんなに離れていない場所にある居酒屋に腰を落ち着けた。
「佐藤くん、何呑む?」
店員が差し出したホカホカのお手拭きで手を拭いながら、木村さんが聞いてきた。
「えっと、生で」
「じゃあ、生二つ、盛り合わせ塩とタレ一つずつください。佐藤くん、他に食べたいものある?」
「えっと、つくねと軟骨唐揚げもお願いします」
木村さんの妙に手慣れたオーダーの通し方に圧倒されながらも、木村さんとごはん……。なんだか嬉しい。
お通しに店員が置いていった枝豆を摘まむ。ビールが運ばれてきて、まずは乾杯。
「バレンタイン商戦、お疲れ様でした!! カンパーイ」
カチンとジョッキを鳴らして、ぐいっと一口。
小さくて華奢な木村さんと、大きなジョッキ。シュールな光景だと思うのは、偏見なのだろう。
その後も、運ばれてきた焼き鳥を食べながら、ジョッキを呷って二杯目のジョッキが運ばれてきた時、木村さんの雰囲気が変わった。とうとう切り出される、そんな予感がした。
ふう、と木村さんは大きな息をついた。
「佐藤くん、あのね、さっき『付き合って下さい』って言ってくれたでしょ?」
「はい」
「気持ちは嬉しいの……気持ちはね。でも、私……」
何かを告白しようと逡巡する木村さんの様子に、少し強く出てみる。
「木村さんは、俺の事嫌いですか?」
一瞬弾かれたように顔を上げるが、また俯いてしまう……。
「ううん、むしろ好きっていうか、好きなんだけど……」
煮え切らない木村さんの様子に、酔いに任せてさらに強く出てみる。
「俺の事好きだったら、良いじゃないですか!! 初めて見た時から可愛いなって思ってて、仕事を頑張ってる姿もかっこよくて……!!」
「それは、いろいろ事情が……」
「付き合ってる奴がいるとかって言うなら、はっきり言って下さい!! 諦められないけど、諦めたくないけどっ!!」
随分酔いが回っている、そんな自覚はあったけれど、止められない。
木村さんは、小さく頷いて、何かを告白する覚悟を決めた様子だった。
「あのね、実は私、バツイチなの」
……バツイチ。
「えっと……」
いつの間に結婚してたんですかとか、何で離婚したんですかとか、何を聞いても失礼な気がして二の句が継げない。
だって彼女は俺と同じ二十五歳のはず……。
結婚してもう別れたなんて、信じられない。
木村さんは少し寂しそうな表情をして、俺を見ていた。
戸惑っている俺の心の中が見えているみたいに。
「ほらね」と、俺の心変わりを諦めて受け入れるみたいに。
確かに驚いたけど、そんな事で心変わりする男と思われているのか。
「俺は、そんなことでは木村さんを諦めません。バツイチなんか、関係ない! 俺は、木村さんが好きなんです」
木村さんは、泣きそうな表情なのに、無理やり微笑を浮かべた。
「佐藤くんはそう言ってくれても、もし、もしよ? 結婚ってことになったら、周りの、佐藤くんの家族がきっと反対するもの。初婚からバツイチの女を掴んだなんて言われるかも……」
何を怖がってるんだ、この人は!!
「そんなこと言わせない!!」
「私に子どもがいるかもとか、旦那と上手く別れられているのかとか心配に思わないの」
……子ども。
木村さんの口から出た『旦那』の言葉が、胸を抉る。
「いるんですか? ……子ども」
こんな聞き方をしたら、木村さんが気分を害するかも知れないと思いつつ、恐る恐る尋ねてしまう。
木村さんは、小さく首を左右に動かした。
そっと、気付かれないようにホッとする。
俺の意気地なし!! 何があっても木村さんを愛するんじゃないのか!!
「結婚してすぐに事故で死別してるの」
ぽつりとそう言った。
なら、何も問題は無いじゃないか。
そうか、不安なのだ。この人は。
最愛の人を亡くした悲しみの傷が、まだ癒えていないんだ。
「俺では、ダメですか? 一応健康診断では健康って言われてるし、酒は好きだけど毎日は飲まないし、タバコは吸わないし、事故にも遭わないように気をつけます。誰も木村さんの事を悪く言わないように守ります。一生大切にするから!!」
目を丸くして俺の告白を聞いていた木村さんに、明るい表情が戻ってきた。
プッと吹き出しそうにさえなっている。
「佐藤くん、それじゃ告白っていうよりプロポーズだよ……」
泣き笑いっていうのは、こういう表情のことを言うんだろう。
笑っているのに、木村さんの双眸からボロボロと涙が零れた。
そして、一年後――。
「佐藤くるみさーん、二番の内診室からお入りくださーい」
幸せそうな表情の彼女と、一緒に病院に来ていた。
付き添いで来ただけなのに、俺の方が緊張する。
「クス。俊くん、内診室は付いて来なくていいから」
「ご、ごめん」
まだ膨らんでいない彼女の胎内にある、俺たちの愛の結晶。
二人を必ず幸せにすると、彼女と子どもと、そして天国にいる彼女の元旦那にも誓おう。




