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「ライバルじゃだめなのか?」
俺の言葉に、弟は、え、と言う表情で顔を上げた。
「同じチームメイトじゃなくても、試合で対戦できるだろ。
それで、中学を卒業して、高校が一緒になるかもしれないし、学校外にもチームはあるし」
「俺は、同じチームがいい。戦うなら、味方で戦いたい。敵なんてやだよ。
兄ちゃんは、それで納得できるの?
中学のバレー部の人たち、仲間だったんだろ? 今はもう、同じチームじゃなくなってさ」
(こういう続け方もあるんだなって思ったんだ)
椎野先生の言葉が蘇る。
「味方じゃなくても、敵じゃない、って事だってあるんじゃないか?
よく、マンガとかでもあるだろ。試合が終わったらお互いの健闘をたたえ合う、みたいなの。スポーツは、相手が憎くて戦うんじゃない。だろ?
学校を選ぶ基準がサッカーの事がメインだっていうのなら、そこまで同じチームにこだわらなくていいんじゃないかって言いたかったわけ」
「それと、さ」
言おうかどうか、散々迷った方に口籠って、けれど、俺や母さんの促す視線に従って、弟は言葉を続けた。
「俺が私立中学に行ったらさ、また、お金、大変なんだろ?」
言った後、弟の眼から涙が溢れて頬を伝って落ちた。
きっとこれが、こっちの方こそが、弟が私立中学の受験をためらう本当の理由。
母親と妹が目を見開いて俺と弟を見た。
「ガキが、金の事は心配するなって言っただろ」
「けど、兄ちゃんだって、大学だってお金かかるって、東京に行って、一人暮らししたら、大変だって、母さん、父さんとケンカしていただろ」
迷っていた二つの道のうちの片方が、光を増す。
揺れていた未来がはっきりと確定する。
「朝陽、俺は、東京にはいかないよ。
母さん、俺、啓徳大の教育学部を目指そうと思っているんだ」
「啓徳大?」
「え、お兄ちゃん、学校の先生になるの?」
母親と妹の唖然としたような声に、思わず笑ってしまった。弟も驚いたように俺を見ている。
鼓動が、軽快にリズムを刻む。
「啓徳大に行くんだったら、本当は啓徳付属高か、推薦枠を持っている公立の進学校の方が良かっただろうな。じゃあ、私立の蓬泉に入った意味がないかっていうと、そんな事はない。俺は蓬泉に入学できてよかったって思っている。
啓徳は国立大だし、東京の私立大と比べたら、授業料は安いはずだし、ここからだって充分に通える。バイトもするつもりだし、バレーのサークルにも入ろうと思っている。
これから先の人生は長いだろ? 誰とでも、どんな形でも、バレーは続けられる」
複雑な顔の三人を見回して、思わず吹き出してしまった。
「なんだよ、そんなに意外か? 俺が教師目指すのって、変?
打算で言っているんじゃない。金がないからとか、そういう理由じゃない。
朝陽、兄ちゃんが学校の先生だったら、どうよ?」
「さいっこうだよ」
弟は、半分泣きそうな顔からくしゃっと笑って、最高の賛辞を述べてくれた。
サンキュ、と返して、真っ直ぐに弟を見た。
「なあ、朝陽。
ずい分考えて出した結果なんだろうけど、決めるのはもう少し先でもいいんじゃないか? 父さんにも相談してさ。
とりあえず、メシにしねえ? ハラ減ったんだけど」
俺の少し情けない声の発言に、母親は我に返ったように、すぐ準備するわね、と、キッチンへ向かった。妹も、私も手伝う、と、にこやかに後を追った。
俺は、見上げる弟の頭に、ぽん、と、軽く手を置き、着替えのために自室へ向かった。
何かが調子よく動き出す。
なめらかに滑るように、俺の、未来へ向けて。
俺の心の方が、先に、とっくに気づいていた。
椎野先生から「教師を目指してみないか」といわれた瞬間から、わくわくとその未来を喜んでしまっていた。
それから何年か経った後も、あの日の事を思い出す。
中学の卒業式も間近に迫った、二月の夕暮れ、入学予定の蓬泉高校を訪れ、体育館を見上げていた俺を見て、覚えていてくれた椎野先生。その時だけじゃなく、それから後も、ずっと。そうして、俺に与えてくれた未来は、さらに何年か経った後、自分を誇らしく思わせてくれるだろうという予感があった。




