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よく見ているから、気付かなくていい事に気付いてしまう、って事がある。
高校一年の夏休み、昼から夕方までいっちの家で過ごしていると、ハウスキーパーだという、派手な美人って感じの女性とよく会った。俺の中では、お手伝いさんというと、おばあちゃんと言ってもいい年で、白い割烹着なんか着ているイメージだったから、そんな若い女性というのはちょっと驚きだった。
修は、紹介されて、へえ、そうなんだ、こんにちは、お邪魔します、と、丁寧に挨拶したきり、いる事が当然のようにスルーしていたが、いっちの洗濯をたたんだり、俺たちが使ったキッチンを片付けたりしているそのヒトの存在が、気になってしょうがなかった。
いや、エロい妄想とか、そういうのじゃなく。
修といっちは、家の中の同じスペースによく知らないオンナがいるのに、なんで普通にしていられるんだろう。気にする俺がおかしいのか?
いっちは、時折テーブルの側に座っている俺たちから離れて、彼女と会話していた。内容は、明日の朝ごはんのサラダを冷蔵庫に入れておいた、とか、そういう普通の話。
そうして、気付いた。ああ、こいつら、そういう関係なんだな、と。
なんでっていわれたら、わからない。なんとなく、としか、言いようがない。背後で交わされる、何気ない二人の会話を聞きながら、目の前でその日の講習の復習なんかをやっている修をみているうちに、言いようのない、猛烈な不快感が湧き上がってきた。
背後に、密やかな談笑。テーブルの上のノートを滑る、シャープペンの、カツカツ、サラサラという音。それを見る修の細くさらりとした髪と、その奥の、黒く真っ直ぐな目。
修は、エロ話の類は一切しなかった。そういう話題になると、困惑と動揺が混ざったような顔で居心地悪そうに俯いた。自分の顔が嫌いだと言って、隠そうとしている事と、なにか、繋がりがあるような気がしていた。
オンナ絡み、恋愛とかで何かあったか? いっちとハウスキーパーの関係に気付いたら、どう思うだろう。こうして居心地のいい、仲の良い関係が壊れてしまうかもしれない。それは、どうしても避けたかった。
口を出す事ではないと思ったけれど、たまりかねて、ある日、いっちを呼び出した。
「なあ、いい加減、チャラチャラするのはやめたらどうだ?」
「何の事?」
「ハウスキーパーとかいう、あのオンナと」
いっちは、ほんの少し驚いたような顔をして、ああ、と、俺が言いたい事を理解したようだった。
「別に、いいでしょ。ダメ?」
「だめ、っていうか、まあ、よくはないだろ」
「なんで」
「なんでって」
改めて聞かれると、なんでダメなのか、ちゃんと説明なんてできなかった。
「倫理、っていうかさ、本当に好きなヤツができた時、後悔するだろ」
自分でも、チンケなセリフだと思う。けれど、他に言葉が出て来なかった。いっちは、呆れたように大きくため息を吐いた。
「みーさ、何言ってんの? 恋愛と性欲処理は別な話だろ?」
「お前さ、オンナをなんだと」
「向こうだって、割り切っているって。別に、僕に恋愛感情があったり、付き合ったり、結婚したり? そういうの考えているわけでもないし」
多分、そうなのだろう。
お互いに割り切った関係で、ただ「する」だけの。でも、よくない、と思う。なんでか、は、わからない。
俺がしているのは、お節介な、余計な事だ。けれど、自分の中にある、不快感と苛立ちをどうする事もできない。言葉に詰まっていると、いっちが、軽く笑いながら言った。
「ああ、なんだ。みーもする?」
かっ、と、一気に感情が爆発した。
「ふざけるな、お前と一緒にするな! どこまでも、なんでそう。
いいか、俺の妹には会わせない。会っても、絶対話しかけるなよ」
「はあ? 急に妹の話とか。みーの妹って、中学生だろ? だいたい友だちの妹になんて、そんな気、起こすわけないだろ」
「そういう気とか、起こされてたまるか。
それとな、そのいい加減な手で、修に触るな。とにかく、修にだけは覚られないように、あの女との事は全力で隠し通せ」
「なんで修が出てくるんだよ。知られたっていいよ、別に。
修はみーみたいに、わけわからない事、言わないだろうし。
そうだ、今度修も誘って三人で、とか、どうかな? おもしろそうだと思わない?」
ケラケラ笑いながら言ういっちに、怒りを通り越して、目の前が真っ暗になった。この絶望感は、なんだ? 思わず殴り掛かりそうになって、けれど、体が動かなくて。
しばらく睨みつけていて、金縛りが解けた様になって、そのまま無言でその場を去った。




