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P2

 入試の時に通った道は、昼間とは違った表情を見せ、本当にこの道で合っているのかと少し心許なかったが、ちゃんと目的地に続いていた。蓬泉学園の校舎は、いくつか灯りのついている窓はあるものの、正門は閉ざされていた。

 なんとなく塀沿いにぐるりと歩いてみると、北側の小さな門が開いていて、マフラーを巻き、蓬泉の制服を着た生徒が数人、寒そうに身を竦めながら出てくるところ。

 ただの通りすがりのように視線を逸らし、けれども心の中で、


「先輩、自分もここに受かったんですよ!

 もうすぐここの生徒になるんです」


 と、声を掛けたい衝動を抑えていた。

 門を通り過ぎ、数歩進んで振り向くと、数人の生徒は、俺が歩いて来た方、駅に向かって遠ざかっていく。

 そっと見回すと、周囲に人の気配はない。忍び足で門に近付き、中を覗きこむと、視界はすぐに建物の壁に遮られた。細い通路は建物を迂回してさらに奥に続いているらしかった。

 もっと先の景色が見たい、と思った。

 敷地内に入っても大丈夫だろうか。

 中坊だった俺は、やたら緊張して考えた。見つかったら怒られる? 警察を呼ばれたりするだろうか。そうなったら、合格を取り消されてしまうかもしれない。自分だけじゃなく、同じ中学の合格者も。いや、まさか、そこまでにはならないだろう。入学式を済ませていないとはいえ、もうここの生徒も同じだ、いざとなったら、見学に来ただけだと言えば、わかってもらえるはずだ。

 それでも門から先に進む決心がつかずに戸惑っていると、建物の向こうから女生徒らしい笑い声が近づいて来た。

 俺は、逃げるように踵を返し、門から離れた。


 当時の自分にとって、電車に乗るという事自体、ちょっと特別な事だった。せっかく切符を買い、わざわざ来たのにという思いから、なんとなく立ち去り難くて、校舎を見上げながらまた、塀沿いに歩いた。

 突然に、その音は降ってきた。

 キュ、と、ゴムの靴底と床が擦れる音、ボールが叩きつけられ、弾む音、ホイッスル、複数の男子生徒の声。

 早足になったのは無意識だった。ひと際高い建物は、きっと体育館。何階建てかになっているうちの二階部分から、その音はもれていた。

 立ち止まり見上げた、水銀灯の灯りを放つ窓には、鉄の棒が数本ずつ渡されている。

 聞き間違いようがない。あの灯りの中で、バレー部が練習をしている。レシーブの練習だろうか、スパイクだろうか。突然、その場所にないはずの、体育館の匂いを感じた。ゴムの、汗の、サポーターの、床のワックスの匂い。

 その匂いと共に蘇った景色の中に、練習が始まる前の体育館の、しいんと、寒々とした空気の中、指にテーピングを巻きながら、一年がコートやボールの準備をする様子を眺めている自分がいる。

 足を止めないように軽くジャンプしながら動き、白球を注視して着地点へ跳び出し、伸ばした腕でボールを拾う光景がありありと目の前に浮かんだ。

 自分の投げたボールをセッターがトスし、それを視線で追いながら助走を始める。ネット、天井、ライトが視界に入って来て、タイミングを合わせて跳び、思い切りボールを打ち抜く感覚も。


 ピー。


 ナイス、キー。


 チームメイトとハイタッチするところまで思い描いて、バタバタと走り回る足音に我に返ると、ここに来た時のまま、寒風の吹く暗い路地に一人で立っていた。

 急に締め付けられるような虚しさが襲ってきて、いい加減、忘れようと思った。もう、あの場所に立つことはないのだから。


 母親からバレー部を辞めるように言われたのは、中学三年のゴールデンウイーク明けくらいだっただろうか。入部希望の一年生が、練習に参加しはじめていた。

 前年の夏の大会で三年生が引退した後から、エースアタッカーだった俺は部長を任されていた。

 六月になれば、市総体が始まる。受験勉強のために今すぐ部活を辞めろといわれて、はいそうですかと聞き入れるわけにはいかなかった。必死に食い下がって、何度もケンカして、中学最後の総体、敗退するまで部活を続ける条件は、引退後、極力家事を手伝うことと、当時の俺の成績ではほぼ不可能な、県内の私立高校で一番偏差値が高い、蓬泉の特進コースに合格する事だった。

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