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P1

 やっと着慣れてきたスーツにネクタイを締めて、少しだけ懐かしい母校の門を見上げた。

 桜が咲くのは、もう少し先、という季節。三年生は卒業式を済ませているはずで、すれ違いざまに挨拶をしてくれるのは、一、二年生だろう。初々しく、どこか、照れくさそうにふてぶてしく。微笑ましく彼らを見送ると、昇降口の雑踏の向こうに、数年前の自分の姿が過った気がした。

 思考が学生時代にタイムスリップする。

 蓬泉学園高等部。ここで過ごした三年間は、いろんな事があって、あっという間で、一生を変える出会いがあった。この場に立って、その三年間の始まりが、鮮やかによみがえってきた。


 その日の事は、今でも思い出す。

 運命が動きはじめたのは、中学の卒業式も間近に迫った、二月の夕暮れだった。

 本命の私立高校に合格していた俺は、他の県立受験組の奴らには悪いが、手持無沙汰で、宙ぶらりんな感じの日々を送っていた。

 といっても、ヒマっていう訳じゃない。両親は正社員として働いていて帰りが遅く、日が暮れるのは早い。小学生の弟を塾まで迎えに行き、簡単な夕食と風呂を用意し、洗濯をたたんで、私立中学に通う妹も一緒に食事をとらせ、食器を片づけ、机に向かい始める頃、親のどちらかが帰って来る。立ち止まって意識してしまったら、ウンザリしそうな、変わらぬ毎日。

 その日は、いろんな偶然が重なっていた。職員会議だか、偉い人が視察に来るんだか、高校のなんかだかがあるとかで、午前中で学校が終わり、昼飯をとってから、すぐに家の用事のほとんどを済ませる事ができた。弟の塾もいつもより早めに終わる曜日で、迎えに行くと、今日は友だちの家に泊まる、と告げられた。


「え、お前、母さんに言ったのかよ?」


「言ったよ。ケータイにメールしたもん。

 母さん、ヒロムのお母さんとも話して、いいっていったし。いったん家に帰って準備したら、ヒロムのウチに送っていって」


 弟の同級生、ヒロムの家は、うちのマンションから徒歩で数分、バタバタと送り届けた時、まだ空は薄明るかった。

 ごちゃごちゃと交差する黒い電線の向こうに薄紫の空が広がり、東の空からほとんど満月に近い、オレンジ色の月が昇り始めていた。

 帰って、晩メシを作らなきゃ。冷蔵庫に何かあったか? 必要なら、買い物をして帰ろう。

 ケータイを取り出してコールすると、すぐに妹が応えた。


「瑞穂? いまどこだ? 

 家? ちょうど入れ違いになったな。

 朝陽、ヒロムの家の泊まるって言うから、送ったところなんだ。

 晩メシ、どうする?」


「おなか減ったから、適当におかず出して食べちゃっている。

 今日、お父さんもお母さんも遅いって言っていたじゃない?

 ご飯、会社で食べちゃうかもしれないから、用意しないでいいって」


「あ、そうか」


「晩御飯、お兄ちゃんだけだよ」


 了解、と通話を切ってケータイの画面を数秒見詰めた。

 そっか、メシの用意も、しなくていいのか。明日は土曜日で休みだし、特に予定もない。

 ああ、何もする事がない、と思った。

 突然の虚無は、笑い出したいくらい、不思議な解放感をもたらした。もういいや、今日くらい、いいだろう。

 遠く、電車の音を聞いた気がした。ファンという警笛と、線路を走る列車のリズム。普段だったら、生活の音に紛れてしまう、耳に届いていたとして、意識に引っかからない音。

 それでなぜ、その時の俺は、入学予定の高校を見たい、と思ったんだろう。何かに導かれるように、駅へ向かい、二駅分の切符を買い、改札を通過した。

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