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この高校の蔵書量はそれなりに多くそれなりに充実しており、普段ならそれなりに盛況する。しかし、昼休みの今、図書室で私と魔王様は2人きりだった。魔王様の半径10メートル以内には近づけない呪いでもあるのだろうか。なぜ、それは私に効いてくれないのか。
沈黙が重い。しかし、耐えるしかない。
人を見た目で判断してはいけませんって、小さな頃から教わってきた。性格や行動は本人の意思によるものだけど、見た目や生まれの境遇は自分ではどうにもならない事情で生まれるものだ。それで人を決めつけてしまうのは、差別である。絶対にいけないことだ。でも…。
「……」
でも、無理です。お母さんお父さんごめんなさい。私はまた魔王様の絶対零度の視線を感じて、膝の上の本に没頭するというバリアで耐えた。実際本の文句は一文字たりとも頭に入ってこない訳ですけども。どこから出たのか分からない汗で、体が湿っていくのを感じた。窓は空いており、爽やかな春風が吹いてきているから、暑いわけではない。脂汗だ。
外からは、授業の合間のつかの間の休憩時間を穏やかに過ごす生徒たちの笑い声がかすかに聞こえてくる。きっと彼らの頭の上には、散りつつある桜の花びらが降ってきているのだろう。素晴らしき春。
それとは対照的に、図書室の空気はピンと張り詰め、極寒だった。
な、なんで魔王様はしがない民草にお怒りになられているのだろう。
話したのは初めてのはずなのに、自己紹介の時から魔王様の声は固く尖っており、睨みに近い眼光に射抜かれたのだ。
ちなみに、ご存知の通り、射殺されはしなかった。でも、ポ⚫︎モンで言う瀕死の状態には陥った。松原のライフはもうゼロよ!
それからはずっと沈黙の苦行&視線ビームの攻撃を受けている。顔が気に入らなかったとか、おどおどしてるのに苛立たれたとか…もしかして、姫様を期待していた私が無意識に落胆した表情を浮かべしまったのではないか? 魔王様にそんな態度をとるなんてむっちゃ失礼だ。そうだ、そもそも委員説明会の時から、私の失敬な態度で不快にさせていたのではないだろうか…不敬罪で切り捨て御免されても文句は言えない。
魔王様の視線が私から外れたときに、こっそり本から顔を上げてその横顔を盗み見た。
やはり、整った顔だ。形のいい眉はひそめられており、読んでいる本をほとんど睨めつけているように見える。彼はカウンターに本を置いて読んでおり、そのふちにかけられた美しい指は絶えず細かく揺れていた。貧乏ゆすり指バージョンである。
疑う余地もなく、完全に苛立っていらっしゃる。
やっぱり、失礼なことをしたら謝らないと。見た目とか雰囲気がどうこう言ってる場合じゃない。謝って、許してもらえなくても、苛立つ必要もない位取るに足らない民草なのだと理解してもらって、あわよくば一年間こっそりひっそり足元で生えさせていただく許可をいただかなければ。
「!」
ふいに、魔王様がこちらを向いた。
視線ががっつり噛み合ってしまう。反射的に俯きそうになった顔を、気合いで固定した。
「さ、西戸崎くん、」
「なんですか」
彼の名前を呼ぶ。私の蚊の鳴くような声に返ってきたのは、無機質な声と訝しげな目だった。心が折れそう。いくらお怒りの魔王様といっても同じ高校生だ。謝れば心は伝わるはずだ! 勇気を出せ! 麻衣!
「あの時、ごめんなさい」
反応怖くて目をつぶってしまったが、ちゃんと言えた。
「……」
無言。まさかの無反応である。怒りのあまりの絶句とかでしょうか。本当に反省しているので、許してください…。私は恐る恐る目を開けた。
魔王様は、西戸崎くんは、眉を下げて焦ったような、困惑した表情を浮かべ私を見つめていた。今までの凍てつくような固い顔とは大違いの、年相応の顔だった。威圧感が雲散霧消している。
「いえ! 僕も、幼い態度をとってしまってすみませんでした。忘れたのかと思って…恥ずかしいです」
西戸崎くんは申し訳なさそうに、穏やかに微笑みとも苦笑いともつかない笑顔を浮かべた。ああ、全然普通の子じゃないか。何をやってたんだ、私は。勝手に怖がって、魔王様なんて言って、本当にアホだ。
「ううん。初対面なのに無視みたいな…あんな失礼な態度とって、今まで謝るのを忘れてたんだから怒るのが当たり前だよ」
良かった。これから一年間、無事に過ごせそうだ。安心して続けた私の台詞に、
「えっ」
「えっ」
なにそれこわい。
西戸崎くんの表情が固まり、だんだんと険しくなる。また温もりが消えていくのを、ただの民草の私はどうすることもできなかった。魔王様再来の瞬間だった。
「成る程…やはりそういう訳ですか…」
「さ、西戸崎、くん?」
顔も声も引きつる。さっきの、私の想像上の姫様のような穏やかな顔は幻覚だったのか!? 魔王様はこれまでにない位、凶悪な顔で嗤った。
「覚悟してくださいね。絶対に___許しませんから」