第七話 物書調察・図書館、紙を食む怪異
●古羽奈西高校七不思議その一。
“さまよえる用務員”。
校内随所に現れる男の怪異。
筋骨隆々の体に作業服を纏い、常に清掃用具を手にしている。
汚れた教室や備品で散らかった倉庫などに出没することが多く、誰も使用していないにもかかわらず妙に室内が綺麗な場合はこの男の仕業である。
校内整備の邪魔となる存在はモノであろうとヒトであろうとコトであろうと徹底的に排除しようとするため、風紀を乱す行為を行っていると箒を振りかざして襲いかかってくる。
襲われた場合は汚れた状態の教室に逃げ込み、彼が掃除に気を取られているあいだに校外まで脱出すると助かることができる。
●古羽奈西高校七不思議その二。
“トイレの華子さん”。
第一校舎の男子トイレに出没する怪異。
放課後の黄昏時。校舎に誰もいない時間。トイレの個室を利用していると隣の壁の向こう側から荒い息遣いの小さな喘ぎ声が聞こえる。
具合が悪いのかと心配して声をかけると、どうやら声の主は若い女性らしい。
声に誘われるまま隣の個室の扉を開くと、なかに引きずり込まれてしまう。引きずり込まれた人間は翌日に気絶した状態で発見されるが、なにをされたのかは誰も覚えていない。
一説には個室内では、口ではとても言えないようなことがおこなわれているというが――――
※
「なんだかなぁ……」
判明した正体を反芻し、俺はそんな台詞を口にするしかなかった。
姫爾さんから得た情報を元にすぐさま図書館へと向かい、既に二時間が経過している。斜陽も深まり既に夜の帳が空を覆い始め、手元は暗くなっていた。
古羽奈西高校の中でも最も古い建物である図書館は、戦前に建てられた当初の趣をそのまま残しており、市の文化財にも指定されている。それでいて市立図書館にもひけをとらない蔵書量を誇り、俺が進学を決めた一因でもあった。
その一角には学校創立から今に至るまでのあいだに発行された生徒会誌や各種サークルの活動誌などが保管されており、自由に閲覧することが可能になっている。
その中から俺が見つけ出したのは、およそ二十五年前に作られたとあるサークルの冊子。
オカルト研究会。
創作物では頻繁に登場するが、実在していたという話は初耳だ。
学校の歴史が長ければ、それだけ部活動の栄枯盛衰もある。既に陰も形も残っていないサークルの先輩方が残した文章は、読んでいる限りではなかなか面白みがあった。
どうやら現実に流れていた噂や既存の都市伝説をもとに、当時の部員たちがリレー形式で七不思議がテーマの小説を仕上げ、それらを冊子にまとめたものらしい。
つまるところ作者のオリジナル――――個人が創作し付け足された内容がほとんどを占めているようで、初めて耳にする都市伝説ばかりだ。
どちらかというと文芸部の活動内容に近い。ある意味じゃ俺の先輩方の作品、ってことになるか。
書き手によって作風に違いはあるし、正直くだらないと感じる設定もあるが、とりあえず本気で取りかかっているのは伝わってくる。――――基本、取りにいっているのが“恐怖”ではなく“笑い”なあたり、ちと肩の力が抜けるが。
これらの話から華子さんたち七不思議が生み出されたということなのだろうか?
「…………いや、違うな」
一瞬考えた理論を即座に否定する。
昼間の華子さんの話では、元は浮遊霊だったものたちに誘いをかけて七不思議を演じていると言っていた。
つまり幽霊が先に生まれ、語られた都市伝説に合わせて収まっている形になる。よく妖怪や怪異存在は語られることで生み出されるというが、これでは後先が逆だ。
まぁ幽霊の生態? など実際のところは分からないことだらけだ。正確なところは追々調べるしかない。
華子さんが現役高校生だったのが約二十年前なら、どこかでこの冊子を読んでいた可能性もある。そのあたりも含めて、後で訊ねておくべきだろう。
ひとつ大きく息を吐き、首をまわして肩をほぐす。ぴきぴきと筋が鳴る音を小気味良く感じながら冊子の表紙を今一度眺める。部員の手書きらしいお化けの絵がコミカルに描かれていた。
この冊子、できれば借りていきたいところだがこの手の書類の貸出受付はしていない。欲しい場合はコピーができた筈だが、カウンターに司書の姿はなかった。もう既に帰ったか?
どうせそうそう誰も手に取らない類の冊子だ。無断で二、三日借りていても多分バレないだろう。
そう考え、足元の鞄に冊子をつっこむ。
『めぇっ!』
…………めぇ?
鞄に押しこんだ瞬間、中からそんな音が聞こえた。
俺は鞄を再びひょいと持ち上げて耳をそばだてる。
『めぇぇ』
やはり甲高い音、というか明らかに“鳴き声”がする。
俺は静かに鞄を置いて、そっと中を覗いてみた。
教科書、ノート、筆記用具、構想ノートに読みかけの“本”。
それらが詰まった鞄の底に、見慣れないものがひとつ増えていた。
それは黒い綿埃のような毛玉。鞄の暗がりに隠れるように潜んだ、ソフトボール大の黒毛玉だ。カサカサと音を立て、もぞりもぞりとうごめいている。
どうやら生物らしい。いやこれは確実に魑魅魍魎の類。
今度はなんだよ、と半ば諦観を抱きながら慎重に黒毛玉をつまんで持ち上げる。不自然なまでに軽く、重さを感じないその全体像が傾いた夕陽に照らされる。
毬のような丸い毛玉の身体。小さく短い、蹄のついた四本脚。体長に比して大きく幅広な耳はピコピコとよく動き、ねじれた二本角が生えていた。
「ヒツジ……?」
『めぇえ』
シルエットと鳴き声から判ずるにはそう見えるが、しかし羊の怪異なんて日本にあったか?
まじまじと観察する俺など意にも介さず、黒羊はもちゃくちゃと口の中で何かを反芻している。
『けぷっ!』
ちいさなゲップとともに口から何かが吐き出される。ひらりひらりと宙を舞い、机上にばらまかれたのは――――紙吹雪、というか紙クズ?
もしかして、と俺は冊子を開いてページをめくる。
※
古羽奈西高の記念図書館では毎年数十冊の図書が行方不明となっている。無断持ち出しによる窃盗といわれているが、消える本は決まって生徒による貸出がほとんど行われず、近く処分が決まっている需要の無い本である。
また館内の自習室にて学習をおこなっていると、使ったおぼえもないのにルーズリーフが減っていたり、知らぬ間にノートのページが綺麗に破りとられている、プリント類が消えてなくなるなどの現象がおこる。
これが古羽奈西高校七不思議その三。
図書・文書など紙類が消失する怪現象。
“記念図書館のカミ隠し”である。
※
冊子の文面によると、この怪異存在は紙を好んで食物としており獣の姿をしているらしい。本棚の隙間や書籍のあいだに隠れ住み、少しずつ紙を失敬しながら居着いているのだそうな。
最後まで使い終わったノートや良成績の答案用紙を本棚の片隅に御供えしておくと小さな幸運を授けてくれるが、無体に扱ったり間違えて赤点のプリントを食べられると“大事な授業中にかぎって猛烈な睡魔に襲われる呪い”を掛けられてしまうという。
凄いのかショボいのか微妙な妖怪だ。
「って、まさか!」
嫌な予感とともに鞄の中身取り出し、詳しく確認する。
「あー……おろしたばっかのルーズリーフがおしゃかに……」
八十枚入りで百円という安物だが、束ごとかじりきったように六分の一ほどが破られている。これはもう使えないな。教科書とノートも隅の部分が小さく一口分だけちぎり取られていた。味見でもしたのか?
「構想ノートと、“本”のほうは大丈夫か……」
とりあえず、これらが無事なら問題はない。ほっと胸をなで下ろす。
ぱらぱらと教科書をめくってみたが、使用するぶんには問題なさそうだ。
『めぇぇ』
そんな俺の傍らで、暢気な声をあげる黒羊。なんと後ろ脚二足で立っていた。
『めぇぇ! めぇえ!』
ピコピコと前脚を振り回して、なにかを訴えかけている。その視線が注がれるのは、俺が手にしたかじりかけのルーズリーフ。
「欲しいのか?」
『めぇっ』
黒羊はこくこくと勢いよく頷いてみせる。動きがどこかコミカルで、アニメを実写で見ている気分になった。人語を理解できる知性があるようだ。
既に使い物にならず、捨てるしかない紙クズだ。そういう意味では手放すことに問題はない。
しかし野生生物に不用意に餌付けするのはあまりいいことではない――――
『めぇぇ……』
「………………」
…………ま、まぁ。あれだ。こいつは生き物じゃないし? 妖怪とか都市伝説とかそんなんだし? 問題ないだろう。多分。
破れた包装を取り払い、数枚を床にひろげておく。
黒羊は体長の二、三倍の高さに達する跳躍力で喜びを表現しながら飛びついた。
『めええぇぇ!』
ひときわ大きな鳴き声は耳によく響く。幽霊の声は一般人に聞こえないようだったが、こういうのはどうなんだろうな? 今館内はほぼ無人だから、誰にも気付かれはしないだろうが。
紙をかじる黒羊を眺めつつ、そんな風に考えていると、
『めぇぇ』
視界の外。背後から、鳴き声。
『めぇぇ』
『めぇえ』
『めぇえぇ〜〜♪』
次いで右上、右前、左下。
『めぇー』
『めぇ』
『めぇえ〜〜♪』
さらに頭上、足元、左前。
重ねて七つの声がする。
「おいおい……」
本の隙間から飛び出すように、棚の上からころがり落ちるように、天井の小穴から抜け出すように、絨毯の下から這い出るように。もさもさと綿毛をゆらして出てくるわ出てくるわ。
ひいふうみい、と数えてみれば計八匹。黒羊の大所帯が数枚のルーズリーフにむらがりだす。
「まっくろくろすけか、お前ら」
小さな黒いモコモコが徒党を組む光景は有名アニメのあの面にそっくりだ。あっというまに紙切れは彼らの腹におさまった。
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
そしてさらに、なにかうったえるよーな眼で俺を見る七匹。
すでに満足げに腹を叩いて転がっている残りの一匹は最初に鞄に侵入していたヤツだ。
「……わーったよ。やるよ。一枚ずつだからな。ちゃんと並べよ」
一匹に一枚ずつ、手渡しで受け取らせる。驚いたことに、群がることなく素直に並んで待つ律儀さをみせた。
「賢いな、お前ら」
見た目が獣だからといって知能が低いとは限らない。そのあたりは怪異ならではだな。
むしゃむしゃとはみつづける黒羊たちに給紙をしつつ、満足げに寝転がる一匹に手を伸ばす。警戒心皆無なその背中に触れてみた。
……おお、思った以上にふくふくしている!
実際のヒツジの毛は生えている段階ではかなりゴワゴワで硬いものだが、こっちは完全に綿毛の感触だ。むしろその辺の高級布団よりも柔らかでかつ適度な弾力。もう三まわりぐらい大きければいい枕になりそうだ。
……いや。このサイズでもいけるか?
『めぇっ?』
不穏な空気を感じとったか、じたじたと脚を動かしはじめる黒羊。しかしいかんせん短足なためほとんど抵抗できておらず逃げられない。冗談だって。やらないやらない。
ごろりとひっくり返し、胸のあたりの毛の感触を楽しむ。思った通り、このへんがひときわ手触りがいい。
気持ちよさそうに目をほそめる黒羊。他のものものびのびと紙をはんでいる様子は、ミニチュアサイズの牧場のように牧歌的な空気を生み出している。
…………うん。
なんつーか……なんだ。
なんというか、この景色……。
『いやいやいやいや、これはまた愉快な世界を作ったものだね』
「っ!?」
妖しさを音に変えたような声に、コンマ二秒で背中が縮みあがった。反射的にカエル跳びで身を翻し、身構えた視線の先。
「ヨミ!」
件の奇女は当然のように、本棚の上に腰掛けていた。




