第四話 霊異顕現・七不思議、現る
「いや~~浦賀ってああいう冗談言うのな? ちょっとイメージ変わったわ」
休み時間に入るなり、そんな飄々とした声音をかけられた。その主は俺の前の席に座る男、飯波 隆人。行儀悪く逆向きに座りニヤニヤと愉しげに笑っている。
「もっとおカタいやつかと思ってたけど、なに? 入学から1ヶ月を節目にイメチェンっすか?」
「チェンジもなにも、これが素だよ」
実際には冗談ではなく見霊ているのだが、そこは言わないことにした。ややこしいことになりそうだし、隠せる限りは隠しておきたい。
「姫ちゃんセンセーってば、あんな本気でテンパるんだもんなー。やっぱ年齢詐称してんじゃね?」
「いや、あれでちゃんとしてるところもあるぞ?」
子供っぽい容姿と言動から“姫”とあだなされる姫爾女史。実は文芸部副顧問でもあり、俺はなにかと接点が多い。作った文章の添削や批評をしてくれたり、熱心に付き合ってくれる。そういう意味では、いい“先生”だ。
ま、それはともかく。
俺は飯波の背後に目を向ける。その後背部付近の空間を念入りに確認した。
そこにはいつも通り、なにもいない。
飯波は憑いていない側の人間だった。
「……なぁ、飯波は“幽霊”とかっていると思うか?」
問いかけとしてはやや唐突。飯波は少し戸惑った様子だった。
「んー? なんだよ浦賀ってその手の話好きなのか?」
「いや、特に深い意味はない。ちと気になっただけだ」
軽い雑談の類を装って聞き出したい核心部分。飯波はさして悩むこともなく答えた。
「いるわけねぇだろ。そんなもん。ガキじゃあるまいし、信じちゃいねーよ」
そう言って鼻で笑う飯波。
良くも悪くも現代人の若い考え方。予想はしていた回答だが……、同時に予想外の事態も起こった。
――――……。
――――……。
――――……。
――――……。
教室内。各人に憑いていた幽霊たちが一斉に飯波に視線をむけたのである。
それも、相当の不満をたたえた目で。
「へ……、へぇ、そうかい。俺は割と信じてるけどな」
いや見霊ている現状では信じざるおえないともいうが。
「え、マジで? そりゃやべえっしょ、十六にもなってよぉ。幽霊怖いとかなっさけねぇにもほどがあるべ」
ケラケラと笑う度に幽霊たちの雰囲気が悪くなる。別に怖いとは思っていなかったんだが、実際目の当たりにしていると別種の恐怖を感じた。
あえてたとえると……不良にカラまれて、囲まれたときと同じ緊張感。
そこに、ぬらりと空を滑って移動する初老間近のおっさん幽霊が数名。ごつい体格と顔立ち、身に纏う和装も含めてその筋のヒトにしか見えない。
そいつらは飯波の背後に至ると各々の手を振りかざし――――
パカン! ゴツッ、ゴン!
「ぬぉごっ!?」
飯波の頭をぶん殴った。
物理干渉できるのか?!
見間違いかとも思ったが、痛みに悶えて脳天をおさえる飯波の反応は本物である。
「~~~~……っ。っんだぁ!? 誰だいきなり殴りやがって……!」
振り返ってキョロキョロと見回す。が、幽霊であるからして飯波には見えない。しかし俺の眼にはその鼻先で文句あっかといわんばかりにガンを飛ばす幽霊たちが映っている。
出来の良いコントのようなやりとりに、笑いが漏れそうになるのを必死で噛み殺した。
ノーリアクションで見えないフリを通すのも難しいな。
肩をいからせて各々の定位置へと戻る霊たちを横目に、俺は席を立つ。その途中、一体の霊とすれ違いになる。
さりげなく手を伸ばす……が、俺の手はその透明な二の腕に触れることなくすり抜けた。
干渉する場合は一方通行、なのか? 都合の良さもきわまれり、だな。
(いやでも、さっきのネズミは触れてたよな)
授業中に手のひらをくぐり抜け、去っていった青葉ネズミ。堪能しきったあのフカフカの感触は忘れがたい。
アレと人霊は、また別種の存在なんだろうか?
思索するべき事象は尽きない。思わず漏れ出るため息ひとつ。どうにも疲労感がたまってきた。
霊が見えるようになる弊害にも色々あるんだろうが、個人的には視覚的な圧迫感によるストレスをとりあげたい。
なにしろ道行く人間の約半分が必ず霊を一体連れているのである。単純に教室内の人口密度は一・五倍以上。肉体的な接触はなくとも人混みが苦手な俺にはキツいものがある。
誰もいないところで休息をとりたい。手近な場所を考えた末に、トイレへ向かう。個室なら一人になれるはずだ。
いつも利用しているように足をむけて。
無意識に近い動作で個室のひとつの扉を開けて。
女性が洋式便座の上に座っているのを発見した。
「…………」
『…………』
お互いにバッチリと目が合って数秒。そのまま静かに扉を閉めて、振り返る。男子用小便器が並んでいた。
うん。間違ってないよな。
試しにノックをしてみる。コンコン、入ってますかー?
『入ってるけど入っていいよー』
間の抜けたソプラノが頭に響いた。
いいのかよ!? というツッコミはともかく、俺は隣の個室に入る。いい言われたから入るほど常識は捨てていない。用を足しに来た訳でもないので便座に腰かけてひといき入れるべく空気を吸いこんで、
『ちょっとちょっとー、入っていいって言ってるじゃない。何で避けるの?』
にゅっ、と壁をすり抜けてきた女性に、深々としたため息に変えて吐き出した。
『あれれ? なんかお疲れさま? じゃ、おねーさんが元気の出るサービスしてあげよっか』
ワキワキと手を動かしながら伸ばされる手。俺は頭痛を覚えながら下半身に向かってくるそれに腕をふるう。
ペチン、と音をたてて叩き落とせた。
コイツは触れるのか……。線引きがよくわからん。
むー、と不満げに口をとがらせる女、もとい女幽霊を改めて見る。
見た目の年頃は二十代中頃か。女性用のリクルートスーツを着てはいるがワイシャツの袖をまくって腕をさらし、ボタンを開けて胸元を大きくはだけている。妙にハイな笑みを浮かべつづける顔といい、直感した。これは素が厄介な酔っ払いと同じ人種だ。
『へぇー、ホントに触れるのね。話に聞いてたとおりだわ』
「……話?」
俺が聞き返すと嬉しそうな笑みを絶やさず女幽霊は答える。
『今朝からこの辺の幽霊の間じゃ、噂でもちきりよー? 私たちのことが見れて、しかも触れる人間が現れたってね』
幽霊間の情報伝達方法なんて知らないが、今朝方見えるようになったことを考えると結構な速度だ。
「触れる、って俺はまだネズミのやつしか触れてないんだが」
『コダマの兄弟でしょ? すごいかまってもらったって喜んでたわよ』
コダマ……。ひょっとして“木霊”か?
木々に宿る精霊に近い存在だが、あのネズミってそういうやつだったのか。
「……で、そういうアンタは一体“何”なんだ?」
人霊なのは確実だが、妙に他の霊より力強いというか、存在感がある、気がする。
『ふっふーん。よくぞ聞いてくれましたっ』
彼女は狭い個室で腕を広げ、満面の笑みとともに大仰に名乗ってみせた。
『私の名前は華子。この学校に居座ってる、トイレのハナコさんよ!』
「…………ハナコさん?」
我ながら阿呆面さらしているのを自覚しつつも、繰り返し確認した。
『うん、ハナコさん』
「ハナコさんって、あの怪談で有名なトイレに出るハナコさん?」
『はいっ、ハナコさんでぇっす』
「…………いや、嘘だろ」
ありえねーよこんなハナコさん居てたまるかよ。
「ハナコさんっておかっぱ頭の小学生じゃないのか?」
『ここ高校だもん。小学生なんて居るわけないじゃない』
至極当然のように切り返してくるが、そういう問題ではない。
「…………ハーナコさん。あっそびーましょ」
お決まりのフレーズを小声で言ってみる。
『んー? なにして遊ぶぅ?』
しなをつくって妖艶に笑みを浮かべ、こたえてきた。別方面の“遊び”になってないか?
「……百歩譲ってハナコさんだとしても、女子トイレに出るべきじゃあないんスか?」
『同性のトイレシーンなんて見たってつまんないじゃない。やっぱり見るなら男の子でしょ!』
妙に感情をこめて力説するハナコさん(仮)。なんだよこのヒト、変態なの? 変態さんの痴女幽霊ってどんなだよ。
色々あぶない発言に若干の身の危険を感じるが、狭い個室で目の前に立ちはだかれては立ち去ろうにも立ち去れない。……というか、ひょっとして俺、いま完全に捕まえられてますか?
『で、どうする? ひと遊びしてく?』
「遠慮させてください」
ワキワキと怪しい手つきのハナコさんに即決で断りを入れる。そんな頭の悪い成年コミックのような展開は御免である。
ちぇー、と残念そうに口を尖らせるハナコさん。
しかしペラペラとまぁ、よく喋ることだな。
他の霊――――背後霊たちは基本的に喋らないのが多かった。居たとしても一方的な独り言ばかりで、ここまで饒舌に“対話”ができる霊は初めてだ。
会話が成立するなら情報の収集もできる。わからないことが多すぎる現状、聞き出したいことは色々あるんだが何から聞くべきか……。
『にしてもキミって昨日までは見えてなかったよね? なにかキッカケでもあったのかしら』
「知ってるのか、俺のこと?」
『そりゃあ顔ぐらい覚えてるわよー。毎日用足しに来てるんだからー』
ごちそうさまねー? と言っているが、どういう意味なのか。きっちり考えると頭痛くなりそうだから、あえて深くは突っ込まないことにした。犬に噛まれたと思って流すのが吉だ。
そうこうしているうちに、予鈴の放送が聞こえた。もう次の授業が始まる。
「……そこ、どいてもらえます? 教室戻りたいんだけど」
『え~~』
ハナコさんは不満たらたらに頬をふくらます。
『いいじゃない、授業なんて出なくても。もうちょっとお話しましょ?』
「よくねーよ」
眼前に迫るハナコさんの顔にデコピンを入れる。ズビシッ、と手ごたえを感じてのけぞった。
うん、やっぱり触れるな。
『うう、痛い……。でもちょっと嬉しい……』
額をおさえつつも喜びが覆い隠せない顔でマゾヒズムな発言をもらすハナコさん。
そんな変態要素盛り込まなくていいですから。
『だぁって……、ひさしぶりなんだもん。こうやって生きてる人間と話せるなんてさ』
「……やっぱり珍しい、のか?」
そりゃあこの現代社会に霊能者がゴロゴロしてるとは思えんが。
『もう何年もハナコさんやってるけど……霊能者の話は聞いたことがあっても、実際に会うのは初めてだよ』
そんなレベルで少ないのか。
あの木霊ネズミにしても妙に好奇心が強かったが、珍獣を発見したときの物珍しさに近いのかもしれない。
「……また昼休みにでも来るから。話ならそのときでいいだろ」
『本当!? いいの?』
俺は鷹揚に頷いてこたえる。特に危険そうな印象もないし、交流をもっておくのは俺としても悪くない。
見えない人間には相談できない以上、幽霊の横の繋がりに期待するのも悪くないだろう。
『じゃ、四階西側のトイレに来て! その時間なら誰もこないから!』
「……移動できるのか?」
『学内のトイレは全部私の縄張りなの』
トイレが縄張り、て。
ハナコさん的には正しいが実際に耳にすると色々おかしいな。
誇らしげに胸を張るハナコさんをどこか愉快に感じながら、俺は教室へと戻るべく立ち上がる。
と、そこで大事なことを忘れてたのを思いだした。
開いたドアの向こう側、定位置に腰を下ろした彼女に向き直る。
「俺は浦賀 文弥。こっちも訳の分からねえことばっかりだけど……よろしく頼むよ、ハナコさん」
それだけ伝えて、俺はその場から立ち去った。