第十話 妖獣相対・読ンデ読マレテ、ソノ先ハ?
空きっ腹を抱えて話すのもなんだ。適当に摘めそうなものでもないかと台所を漁り、クッキーや煎餅、菓子類を引っぱり出す。ついでに緑茶を淹れつつ訊いてみた。
「お前さんも何か食べるか?」
シンクのふちでスライムはぷよぷよと身を震わせている。軟体不定形生物は他の生物を取り込み、溶かして吸収するのが定説だ。やはり魔物らしく肉類のがいいのだろうか?
「いえ、お構いなく。マナの補給は既に済ませていますので」
「……マナ、ねぇ」
この状況下だと、ファンタジー用語で説明をされたら無理矢理に納得させられてしまう。すべてをそのまま受け入れざるをえない現状に、ちと歯がゆさを感じた。
急須と湯呑みを盆にのせて持ち、菓子の袋を逆の手の指にひっかける。スライムはプヨン、と飛び跳ねて俺の頭に乗っかった。自宅だからいいようなものの、人に見られたら失笑を買いそうなスタイルだと我ながら思う。
「さて、なにから話したもんか」
自室の勉強机に座り、口を茶で湿らせる。訊きたいこと、気になること。数え切れないほどあるはずなのに、いざとなるとすぐに上手くはまとまらない。
お茶請けに混じってこちらを見上げるスライム。
会ったことも無いのに俺はコイツを“知って”いる。なぜなら――――この自称人造妖獣は、俺が読んでいる“運命の一作”の登場人物だからだ。
あらすじでいえば、魔術師の少女の相方として同行する、魔術により造られた生命体。常に少女とともにあり、その知識と助言で時に導き支援するサポート要員の、いってみれば脇役だ。
「お前さんと一緒にいたのが女の子の魔術師、なんだよな?」
遭遇するなりスライム叩きつけられて、脱兎の勢いで逃げられたわけだが。
「はい。彼女がワタクシの御主人、ルリ・ストケシア。同じくフミヤさまの“運命の一作”のキャラクターです」
プヨン、と跳ねて平積みの本の山に飛び乗る。ちょうど俺と視線の高さが同じになった。
「ワタクシども【登場人物】は“運命の一作”を読み解く担い手さまによりうみだされし存在。ならばこのスライム、現実に身を降ろしていただいたこの御恩、微弱ながら力になりお返ししましょう」
うやうやしく、そう言ってくれる気持ちは非常に有り難いのだが。
「こっちもまだ、わからないことだらけなんだ。すまねぇがお前さんはどこまで事態を把握してるんだ? 知っていることがあったら全部教えて欲しい」
「なんと! それならばワタクシの最も得意とするところ。解説キャラクターの本領発揮のときというわけですな!」
嬉しそう? にブルンブルンと震えるスライム。というか、自分が説明キャラ、ってことも自覚してるんだな。
――――説明キャラクター。
少年漫画、特に戦闘シーンの頻出するバトル漫画にはかなりの頻度で登場する人物形態。
豊富な知識や経験を持つキャラクターがつとめることが多く、技の解説や現状の説明などをおこなう役どころだ。描く立場からすると非常に便利な存在ではあるが、多用しすぎると物語自体がくどくなる可能性もあるため、扱いが難しいキャラクターでもある。
俺の“運命の一作”において、このスライムはその解説キャラに近い役割をもっている部分がある。魔術師の女の子と少年とを引き合わせる際に、魔術を知らない少年に対して説明をしたり、一般的な常識に欠ける女の子に助言をしたりしていた。
そんな存在が解説キャラを自称自覚し実際に解説するという。なんというか、ありがたくもメタな状況。
「“運命の一作”の物語は、読まれることで現実となる。これはご存知ですね?」
「そう聞いてるな。詳しい理屈は、まぁ、あやふやだが。それでお前さんも出てきてるんだろ?」
訊ね返せばスライムはうなづいて続ける。
「読み手を得た“運命の一作”はその【世界観】を現実化し、【登場人物】は現実の存在としてこの世界に顕現します。そして主人公を中心として、そのストーリーを実際に進行しはじめます。これが担い手さまの第一段階です」
「第一、段階? まだ先があるってことか?」
「はい。【世界観】と【登場人物】が顕在化しただけの現状は、まだまだ読み始めの初期段階にすぎません。フミヤさまにはこれから、より深く我々の物語を読み解いていただかねばならないのです」
スライムはむにょん、と飛び跳ねて、机の上に着地する。置かれた“運命の一作”をその軟体で開き、パラパラとめくっていく。
「――――! 読めるページが増えてる……!?」
昼間に開こうとして、しかし全く開くことのなかったページがたやすくめくられていた。
十数ページに過ぎないが、そこには新しい文面が踊っている。
「これより先は時間の経過……現実における物語の進行と同期して、読めるページは増えていきます。先刻の御主人と、【主人公】をつとめるフミヤさまの出会いによって、それより先の物語が開くようになったのです」
「俺が、主人公?」
なにやら大仰な扱いに、ややむずがゆさを感じる。
「【主人公】とはすなわち、物語の中核をなす人物。そのストーリーにおいて伝えたい、最も強い“想い”が込められた紡ぎ手の分身ともいえる存在です。ゆえに担い手さま自身が主人公となりその立場を演じつつ、我々登場人物ひとりひとりの役割と込められた“想い”を読み解くこと。それが“運命の一作”の担い手さまに課せられた使命なのです」
使命、ときた。
「読み解く、ってのは……単純に読むだけじゃ駄目、ってことか」
「フミヤさま自身が理解し、込められたメッセージを受け止めることが肝要です。それができることこそが担い手である証でもあります。それを満たして次の段階に進むと、読み解かれたキャラクターは物語の支配から脱し、おのれが創作の中の存在であることを自覚します。そして今のワタクシのように、それぞれがもつ能力を物語での役割にそったかたちで発揮できるようになるのです」
このスライムの場合は、説明キャラにしてサポートキャラ。異形でありながら人語を解し、理知的で常識をわきまえた振る舞いは正しく超常と日常の境界線に位置するモノ。異形のものを傍らに置くことで超常の存在を際立たせて異能を印象づける、ざっくり言うと“魔法少女モノ”のセオリーともいうべきキャラクター。
隠すべき異能の力を描くうえで必須となる、それを知らない普通の領域とを繋げる存在だ。
そしてその背負った役割ゆえに、日常から剥離し始めた俺を物語の世界へ誘う案内役をつとめてくれている。
「じゃあお前さんの御主人が逃げ出したのは」
「まだその役割が読み解かれていないため、ですね」
そう言われれば確かに、あの反応も合点がいく。
物語において魔術師はその異能ゆえ、迫害の対象ともなっていた。衆目にさらせばどんな扱いを受けるかわからない。だから先んじて逃げ出したのだ。
「それじゃあの子……ルリさん、だったか? 今は何処に」
「それは分かりません。しかし物語上、『主人公と同じ街にしばらく逗留する』はずですので、この町のどこかには必ずいます。ワタクシの分身も同行していますが、残念ながら居場所までは……」
スライムゆえの分裂同時行動。記憶や感覚の共有はできないようだが、なかなか便利そうだな。
「しかしそうなると、早いところ読み解いてやらないとまずいことになりそうだな」
十九世紀相当の世界観と宗教観を有した人間が魔術師なる異能を携えて二十一世紀の現代社会をうろついた日には、問題が発生しないと考えるほうがおかしい。治安の悪い街ではないが、未成年かつ住所不定の娘を放っておくほど日本警察は腑抜けていないだろう。
とはいえ物語の主要人物となれば、その役割と込める“想い”もひとしおだ。そう簡単に読み解けるものではない。
「もし仮に……、読み解くことができなかったら、どうなる?」
俺は最も気になる点を口にする。
物語が現実と化し、その進行に沿って読むべき内容は増えていく。
物語が結末まで行き着いたそのときに、全てを理解することができていなかったら?
読み解くことが本の担い手の使命であり、それを期待してヨミが俺に本を託したとして――――それに応えられなかったときにどんなペナルティが発生する?
「どうなるか、と申されますと……ワタクシにも分かりかねます。それは物語には直接関係のないことですから。ただ、そうなったときに我々キャラクターが変わりなく、この現実に顕現し続けることができるのかは――――……」
スライムは途中で言葉を濁した。沈黙とともにぷるぷると震えるのは、不安か、怖れか。
ああそうか、と俺は納得した。コイツも俺と同じなんだ。
物語のキャラクターとして自覚のないまま顕現していたならば、そのままの状態を受け入れていただろう。しかし、“理解してしまった”ならばそのままではいられない。
自分という自我が、紙の上に踊った文字の列によるものでしかないと唐突に宣告されて、平静を保てるだろうか?
俺なら不安だ。いや、恐慌状態になるかもしれない。きっと、確かな拠り所になるものを必死になって探すだろう。
そして、彼らが確かな“現実”を手に入れる手段は、担い手だけが持っている。
「お願いします、フミヤさま。どうか……どうかワタクシたちの物語を読んでください。読んで、あなたさまの血肉としてください。そうでなければワタクシたちは」
「それ以上言うな」
震えた声音のスライムの言葉を俺はさえぎった。その軟体に軽く手を添える。心地良い弾力が手のひらに伝わってきた。
「妙な訊き方して悪かったな。ちと不安にさせちまったか」
「い、いえそんな!」
「いーんだいいんだ。そう固くなるなって。どのみち、やることは変わらねえんだから」
この先どうなるのか。見通しは立たないが、俺のやりたいこととスライムの望みは一致している。
俺は“読みたい”。
コイツは“読んでほしい”。
何の矛盾もない。
「では……!」
「安心しろ、とはとても言えねぇが――――投げ出すつもりも毛頭無い」
無責任な約束はできないが、吐いた言葉に嘘偽りはない。
一蓮托生。気兼ねなく相談できる相手は俺にしても必要だしな。
ま、そんなわけで。
「よろしくお願いするぜ、スライムさん。出来れば末永く、な」
「はいっ! こちらこそ、精一杯サポートさせていただきます!」
感極まった様子で跳ねるスライムは、軟体の一部を伸ばして俺の手に触れる。握手のつもりらしいのは、すぐわかった。
「さて、それじゃあ……読んでみますか」
新たなページを開き、俺はまた文章の海へと飛び込んだ。
三ヶ月半ぶりに更新……っ。
いや難産でした。説明回はまとめるのがムズいっすなー。




