第八話 蒐書談話・“運命の一作”、真意を求む
「お、おま……、いつからそこにいやがった!?」
『私はいつでもどこにでもいる。キミが望めばそこに居るし、望まなくてもそこに居るさ』
それは気づかないだけでつかず離れず監視中ということか?
相も変わらず悪党スマイルでこちらを見下すヨミは愉快そうに笑うだけ。
『しかしキミ、気が緩むと案外温和な顔つきになるんだね。そのほうが人気が出そうなものだが』
「……いらねぇんだよ。そんな感想……」
げんなりと、俺はそれだけは言っておいた。あんまりヒトに見られたくないところを見られた。
そんな俺の足元では黒羊たちが食事を中断して集まってきている。案ずるようにこちらを見上げるその様子に俺は一瞬固まったが、どうにか持ち直す。
……すべて見透かしているかのような視線に関しては黙殺させてもらう。もういいから、さっさと用件にうつってくれ。
なにもかもが愉しくて仕方ない、といった風情でヨミは俺の鞄を指さす。
『渡した“本”は、さっそく読んでくれているようだね。その様子だとなかなか気に入ってもらえているようだ』
「……ああ、それで訊きたいことがあったんだ」
俺は鞄から“本”をつかみ取り、突きつけた。
「昨日の夜に読みはじめて、今朝になったらこの状態だ。幽霊やら七不思議やら、そんなもん俺に見えるようにして何させるつもりだよ」
この女の正体も、今朝から起きた変化も、理屈はさっぱり分からないが“本”が引き金になったのは十中八九間違いない。
その貸し主にはどんな意図があるのか、なんの意味があるのか。それだけはハッキリさせておきたかったが、返ってきたのは予想だにしない答えだった。
『そんなもの、私が知るわけがないだろう』
「……は?」
当然のようにはなたれた言葉が理解できずに一瞬だけ呆ける。
「ちょっ、ちょっと待て。そりゃどういう」
『まぁまぁ、とりあえず話は最後まで聞くことさ』
ヨミはヒョイと身軽に本棚の上に立ち上がる。その手には、一冊の本。ブッカーに包まれ整理番号のバーコードが貼られた、この図書館の蔵書だ。
『ここもなかなか雰囲気の良い図書館だけど、やはりこの程度の本しかないか。まぁ普通の本にしては楽しめたほうかな』
紙飛行機のようなストロークで投げられた本は、音もなく空を滑り棚に収まった。そのタイトルが目に入り、一言申し立てる。
「それ、一応ベストセラーになった本だぞ」
国外でも注目度の高い小説家の作で、新作が出るたびにニュースでも取り沙汰されていたはずだ。飽和状態の出版業界で毎回百万単位の発行部数を維持する人気作。
『世間の評価など、たいして意味をもたないよ。読み手である私が共感できなければ二束三文の値打ちもない』
しゃあしゃあと言ってのけるヨミ。暴論ではあるが、真理といえば真理だとも思う。実際に俺も読んだが、好みじゃなかったしな。
『私は三千世界随一の蒐書狂にして読書狂だぞ? このような有象無象の本では、この心の内に波風ひとつ立つものか。私が求めるのはより強く、より深く、すべてを語る“運命の一作”だ』
「昨日も言っていたな。その、“運命の一作”ってのはいったいなんなんだ?」
俺に渡したこの“本”も、そのひとつのようだが。
『知りたいかな?』
「知りたいから訊いてんだろ」
もったいぶりながらも浮かべた笑顔からして、語りたくて仕方ないようにしかみえない。『なら特別に教えよう』と、ヨミは棚の上を歩きだす。
『昨日すこし話したかもしれないが、物語を紡ぐというのは“新しい世界”を創るに等しい行為だ。現実とは異なる、イフの世界だがな。書き手はその物語に登場するキャラクターに、あるいは世界そのものに、己の言葉を託しながら、ひとつの世界を創りあげてゆく。それがどれだけエネルギーを要する作業かは、君なら理解できるだろう?』
俺は黙って頷く。
『そうして創られた世界……紡ぎ出された物語は、誰かに読まれることで初めてこの世に産声をあげる。書き手の込めた想いに共感する読み手の内側に、こめられたエネルギーでもって新たな世界は構築されるのさ』
それは、概念の話に近いのかもしれない。
ある種の言語――――例えば日本語では日常的に使われている言葉が、英語に訳す場合に該当する単語がなく、翻訳に苦労するという話がある。
その場合、新しい単語として言葉が指し示す概念そのものを伝えるしか方法がない。
複雑な感情を、物語というひとつながりの言葉で一個の概念として伝えるのだ。
『物語は、数多の言葉を折り重ねて生み出された世界そのものであり、また只の言葉では表現しきれない書き手の想い、魂の告白だ。名作と駄作の違いはそれがあるか否か、そしてそれが共感を生むか否か―――――私はそう考えている』
「……一理ある、な」
さすがに蒐書狂を自称するだけあって見事な創作論だ。そうやって熱くなれるのは、俺も嫌いじゃない。自然、口角が上がる。
「それで、この“運命の一作”ってのはフツーの本とはそこが違うわけだ」
『理解が早くて助かるよ』
一層に笑みを深めながら、ヨミの身体がぐらりと傾く。垂直な壁に立ちなお歩みを止めない。ナチュラルに物理法則を無視するな。
『“運命の一作”はね、こめられたメッセージとエネルギーは桁外れながら、共感を得ることを目的としていない。ただひたすらに、書き手の思いの丈を表す為だけに描かれた物語だ』
それは文を紡ぐというおこないから、本来なら外れた行為。
無人の閑散とした空間で大声を張り上げ、独白をつづけるような無意味な愚行。高まりきった感情がときに言葉としてのかたちをたもてず不明瞭な叫びと化すように、内側に留めきれない“それ”を描き出したモノ。
『それは理解を求めないが故に、いかなる物語よりも書き手の深奥を指し示す。想い、理念、信条、人格、願い、渇望、執着、未練……。現実の世界では叶わないために書き手がその内に秘める、最も強い感情から生み出されるエネルギーを糧に作り上げた世界。書き手を書き手たらしめるすべてが詰め込まれた物語こそが“運命の一作”といってもいい』
だが、と前置き、ヨミは棚の側面を飛び回る。
『物語は、読み解かれて共感を得ることで初めてそのチカラを発揮できる。いかに膨大なエネルギーを秘めていても共感を得ることができないのなら、その物語は既に死んでいるも同然。読み手がいない本なんて、鼻紙にもなれない紙屑以下だ』
「それ、矛盾してないか? 俺の“本”は普通に読めたぞ」
俺は受け取った“本”を開いてみせる。文字こそ細かく難解な語調も端々にあるが、それでも読めないものではない。
俺の疑問に、ヨミはいっそう笑みを深めた。
『それこそが、君がその物語の担い手たる証拠さ』
パチリと、指を弾く。
ひとりでに、棚から本が浮かび上がって宙を飛ぶ。ヨミは軽く跳躍して、その一冊の上に乗る。スルスルと音もなく、飛び交う本を渡ってゆく。
『いかに理解しがたい感情であろうとも、悠久の時の流れに身を任せ三千世界を渡って探せば、見つかるものもある。共感を得られない物語を、書き手の“ナニカ”を、一分の漏れもなく受け止める。読み解き尽くすことのできる資質をもった人間がね』
「……それが俺、ってことか」
ヒトの心は十人十色。百人いれば百通りの感情を胸に、それぞれの人生を生きている。世界には同じ顔をした人間が三人はいるというが、全く同じ心をもった人間はいない。ましてやその感情が世に受け入れられがたい激情なら、それを理解してくれる誰かに巡り会うことはまさしく“運命”といえるだろう。
『読み解かれた“運命の一作”から生じるエネルギーは桁が違う。内容の全てを理解し、込められたメッセージに共感し、望みと志を受け継ぐ者に注ぎ込まれた膨大なチカラが構築する“世界”は、読み手のなかには収まりきらない。内側から組み替え、その者の“世界”を変質させる』
「世界を、変える……?」
途方もない話に、俺は口にだして繰り返す。
それって、つまり――――
「物語が、現実になる……ってこと、か?」
半信半疑の問いかけに、ヨミは満足げな笑みをたたえいた。黙ってパチリと、指を鳴らす。
それを合図に、飛び交っていた本は各々の居場所に収まってゆく。
音もなく棚に着地したヨミは、クルリと身を翻した。
『さて、そろそろお暇しようか』
そろそろ閉館時間だからね、と呟き、ゆらりゆらりと歩み出す。
「お、おいちょっと待て! まだ訊きたいことが……」
俺は慌てて後を追う。しかしヨミはスッと手を伸ばし、制止をうながした。
『私に教えられるのはここまでだ。あとは……ゆっくりでかまわない。自分自身で読み解いてほしい』
――――“本”も、それを望んでいる。
言外にそう伝えてきたヨミの双眸は、ほんの少しだけやわらかに――――慈しむような笑みにみえた。
そのまま彼女は本棚の陰に身を隠す。慌てて後を追ったが、そこには既に誰もいなかった。
無人の図書館に、黒羊の声が静かに響いていた。
※
腑に落ちない。帰宅途中の道すがら、俺は考え続けていた。
顎を上げて空中に目を向ける。
黄昏どきを少しまわり、視界では暗がりが広まってきている。晴れているが夏も近く、あたたまった大気の夜空には星が少ない。月もまだ出てはいない。
光といえば街灯と家々の窓からもれる明かりだが、今日は別のものもよく見えた。
電光よりも淡く、しかし星の光にはないゆらめきを残しながら、空を往く発光球体型未確認飛行物体。
“人魂”か“鬼火”か――――なんにせよ、幽鬼の類にはちがいない。道なりにはられた電線よりも少し高いところを、風に乗って流れるように空中を泳いでいる。
青白い燐光から黄緑へ、呼吸するように色合いを変化させて飛び交う様子は、妖しくもどこか落ち着く美しさがある。昔田舎で見た、蛍の光のようだ。
しかし、いかんせん数が多い。
図書館から五分弱のあいだに数えて三十以上は確実にいた。右を見てもヒトダマ。左を見てもヒトダマ。夕刻のカラスがごとく群れて電柱の周りを飛び回る姿には有り難みもなにもない。
(昼間はあんなに飛んでなかったと思うんだが……)
夜のほうが見えやすいのか出やすいのか――――まぁ、そのへんの理屈はどうでもいい。
物語の世界が現実に。なかなかに幻想的な話だが、それが真実であるとすると現状に合わない部分がある。
街灯の明かりを頼りに今一度“本”のページをめくり、確かめる。
――――やっぱり、無ぇな。
眼前を飛び交うヒトダマ。
ハナコさんミキダさんをはじめとした人霊。
木霊ネズミやカミ隠し黒羊の七不思議系妖怪。
一般人に憑き従う背後霊。
今朝方から現れはじめた霊異怪異だが、それらに関する描写がこの“本”には全く存在していない。
というか、そもそも物語とは関係のないところで創作された古羽西の七不思議が現実になっているのは妙な話だ。魔術が存在している世界観のようだから、幽霊や妖怪が実在していてもおかしくはないんだろうが……。
ガシガシと脳天を掻く。まとまらない頭の中身を指先でかき混ぜられたなら少しはスッキリするだろうか。単なる人間でしかない以上はそんな芸当ができる筈もない。
とりあえず大きく嘆息して肺腑と脳髄を引き締めにかかる。効果はいまひとつ、だが思考に区切りはついた。問題の棚上げ、ともいう。
考えても答えの出ない問いは後回しにするのが高得点への近道だ。
「とりあえず、今日はもう休みだな……」
今日は一日、色々なことがありすぎた。そもそもあまり社交的でもない俺が、幽霊ばかりとはいえ初対面の相手と喋るのは思った以上に疲労を強いていたらしい。ここにきて肩がガクリと重さを増したように感じてきた。
両肩から首筋にかけてのしかかられるような――――
「って、オイ」
道の脇、曲がり角のミラーに映った自分の姿を見て、思わずツッコミがはいった。
俺の後背部で、およそ五十以上。大量のヒトダマが群れをなしている。まるでイワシの大群かなにかのように固まって、俺のうなじや頭の周りを飛び回るヒトダマたち。
見た目は炎だが至近距離でも熱くはない。しかしこれだけ憑いていてはそりゃあ肩も重くなるだろう。
ちょいちょいと手を振って追い払う。蜘蛛の子という形容に相応しく飛び散っていくが、数メートル離れたところでふよふよと浮かんで留まる。
……遠巻きに、見守られているような感じがした。
「なんなんだかな」
幽霊関係でまともに会話ができたのは、華子さんとミキダさんだけ。あとは喋れなかったり、そもそも意思の疎通ができなかったりする個体ばかりだった。
しかし、そのあたりの“分類”は別として今日一日で分かったことがひとつある。
どうも幽霊ってのは、見霊る人間に寄ってくるらしい。
とりわけ特定の人間に憑いていない霊、いわゆる浮遊霊はその傾向が強い。そういう連中に限って会話もできず、ただ黙って隣に立ち、視線を送ってくる。俺が「邪魔だな」と思うとそれを察してか、離れていってくれるので特に問題にはなっていないが。
その他の人霊もこちらに視線を送っているのが何度かあったし、木霊ネズミや図書館の黒羊には妙に懐かれていた。
ミキダさんが言っていた、“救世主”ってのと関係があるのかね?
「幽霊に救世もなにもないだろうに」
なにせ彼らは死者である。“世界”から既に退場済みの存在。それでもなおこの世界に留まる彼らにとって“救い”とは、いったい何になるのだろうか。
“死”は“絶望”であり、あらゆるしがらみからの解放という“幸福”でもある。表裏一体の試練を身に刻み、乗り越えた彼らは何を想い、この世に留まり続けているのか。
「知りたい、な」
俺にしては珍しく――――本当の本当に珍しく、明日の会話が楽しみになった。
気味が悪いと自覚しつつも、口角が上がり笑ってしまう。 周囲に人影は無く、居るのは漂うヒトダマだけ。遠慮する理由もなかった。
そこで、俺はふと気付く。
「…………?」
さっきまで俺を取り巻いていた、ヒトダマの数が減っていた。よくよく見てみればひとつ、またひとつと群れを離れ、一方向に向かって飛んでいく。
――――どこに行くんだ?
フッとそう考えると、残りのヒトダマたちが動き出す。その一方へむかって列を成し、ゆっくりと空中を漂って行く。
道沿いにぶら下がるその様は、祭りの提灯のようだ。
「わっかりやすい道標だな」
都合の良すぎる展開に呆れが混じりつつも、「ありがとよ」と礼を言って青白い光の列を辿り道をゆく。
さて、鬼がでるか蛇がでるか。




