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終焉

 ユキノの熱は翌日になっても下がらなかった。それどころか前日よりも上がってきているようだ。歩くどころか、ベッドから身体を起こすのもつらいらしく、食事も電動ベッドの上半分を高く上げ、無理やり上半身を起こした状態で摂っていた。

 のろのろとスプーンで茶碗の雑炊を食べているユキノの身体が少しずつ横へと傾いていく。

「身体傾いてるよ」

 大樹が肩を支えて元の場所に戻すと、生気のない目をぼんやりと大樹に向けた。

「横になりたいの」

 かぼそい声で訴える。

「ほとんど食べてないじゃん。もうちょっと食べないと、薬も飲めないよ?」

 簡易テーブルの上の茶碗の雑炊は半分も減っていない。ユキノは小さい子供のようにいやいやと首を振りながら、スプーンを布団の上にポトンと落とした。

「もうちょっとだけ、ね?」

 大樹はスプーンを拾い、雑炊をすくうとユキノの口元に運んだ。

 入れ歯を外した口元はもにょもにょと動いてはいるが、咀嚼しているようには見えない。その動きはなんだか別の生き物のようだ。ユキノの顔の大きさはいつもの三分の一くらいに縮んでいて、驚くくらいに老けて見える。人間、歯がないと随分印象が変わるものだ。

 薬と白湯を持って武司が入ってくる。

「まだ食べ終わらないのか。悪かったな、昌平。替わるよ」

「もう少しだから」

 大樹はあと二口ほどになった茶碗を武司に見せた。

「そうか」

 武司は盆をテーブルに置き、大樹の横に立ってその様子を眺めた。

 大樹は丁寧に雑炊をスプーンですくい、ユキノのしなびた口元に近付けた。

「はい。もうちょっとだから、頑張って。」

 優しい子だと思う。ボケた年寄りの世話を一生懸命手伝ってくれる。今時の中学生や高校生はわがままで、ガマンがなくて、何をするかわからない、別の生き物だと思っていた武司には、新鮮な存在だった。

「すまんな。助かるよ」

 大樹はちらっと武司を見ると口元に淡い笑みを浮かべた。

 食事が終って薬を飲むとユキノは横になると布団をかぶって、すぐに寝息を立て始めた。いつもこんな風に早く寝付くと楽なのだがと、武司は苦笑いした。

「ご飯の時、むせてたよ」

 大樹は心配そうにユキノを覗き込んだ。時々笛のなるような音が胸の奥から聞こえてくるのが気になる。

「気管支炎とかになってるんじゃない? 大丈夫かな」

 武司は大樹の肩をポンと叩く。

「僕らも食事にしよう」

 武司に促され、大樹はユキノの部屋を出て、台所に向かった。

 食卓で大樹と二人、差し向かいだ。これと言って話す事もなく、黙々と箸を運ぶ。ユキノが居てもそう会話が弾むという事もないのだが、彼女がいないとなんとなく物足りない。皿の数が少ないと、食卓も隙間が目立ってしまう。よくよく考えれば、ユキノがいるからこそ成り立っている親子関係だ。彼女がいなければ、二人はまるっきしの赤の他人にすぎない。本当の親子ならもっと会話があるのだろうか。ふと武司はそんな事を思う。

「今日も散歩できないな」

 突然大樹がポツリと言った。

「いつも、どの辺りまで行くんだ?」

「どの辺りって言っても、公園の道をまっすぐ行って自動販売機の辺りから曲がって……」

 大樹は箸で宙に道を描いてみせた。

 武司は暗い街並を頭に思い浮かべる。静まりかえった寒い住宅街、前を通ると必ず吠える柴犬、シャッターの閉まった商店街、時々すれ違うウォーキングの中年女性、白い息、ユキノの歌声。どんな会話をしながら歩いているのだろう。 

「最後は公園をぐるっと回って、おしまい」

「結構な距離だね。三十分くらいか?」

「僕だけなら二十分かも。あの公園の木って、全部桜ですか?」

「ああ、ソメイヨシノだ。綺麗だよ、春になると。ユキノの部屋の窓からよく見える」

 武司は毎年見事に咲き誇る桜の様子を思い出した。ユキノが元気な頃は時々公園を散歩した。花の下に立って、舞い落ちてくる花びらを捕まえようと手を差し伸べるユキノの姿を思い出す。

「夜桜、見たいな」

 大樹は目を細める。

「綺麗だろうな。真っ暗な中にたくさん桜が咲いて……。桜の木の下には死体が埋まっているって言うんでしょ。だからあんなに綺麗に咲くんだって」

 武司は笑い出した。どこかで聞いたことのあるフレーズだ。

「あんなにたくさん死体が埋まってたら大変だけどな」

「二時間ドラマのネタみたい」

 珍しく大樹が声を出して笑った。

「綺麗だよ。もうちょっとしたら見られるんじゃないか?」

 ピンクの雪洞の無数に灯った夜桜見物とは違い、なんのライトアップもされていない、ところどころ古ぼけた外灯に浮かぶ公園の夜桜の美しさは昼間のそれとは一味違う。闇の中にぼうっと白く浮かび上がる様は、不気味なまでに妖艶で凄みがある。

「ちょっと怖いわね」

 と、ユキノは見るたびにそう言っていた。それでも昼間の桜よりも心惹かれるの……と。

「この木の下で出会うのはきっと幽霊ね」

 ユキノは遠い目をしていた。まるでそれを願っているようだった。

「早く散歩出来るようになったらいいのに……。ご馳走様でした」

 大樹は茶碗と皿を片付けにかかる。その背中を見ながら武司は小さな不安を感じていた。いつまでこの少年はここに居てくれるのだろう。桜の頃まで一緒にいてくれるだろうか。

 聞いてみたかったが、言葉に出すのはためらわれた。


<続く>

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