第6話 火種がくすぶる頃、祖国は少し焦げはじめましたの
ご苦楽シティで“外回り営業”を始めてから、一週間。
港の倉庫には、試験的に預けられた穀物の袋が、少しずつ積み上がり始めておりました。
「バルド商会分が一割。
それに釣られて、別の二商会が“半割だけ試したい”と」
セバスが、倉庫の前で帳簿を繰りながら報告します。
「よろしいですわね。
火は、最初の一振りで簡単には燃え広がりませんもの。
今は“薪を積む”段階ですわ」
「薪、でございますか」
「ええ。人と荷と金を、少しずつここに集めて――
あるところから、一気に燃え上がるのですわ」
わたくしは、川風に揺れる旗を見上げました。
まだ仮の印しか描かれておりませんけれど、いずれは立派な“ご苦楽シティ”の紋章を掲げるつもりですの。
「アメリア様!」
甲高い声がして振り向けば、ユリウスが帳簿を抱えて駆け寄ってきました。
眼鏡が少しずり落ちておりますわよ。
「バルド商会の第一便、入庫手続き終わりました! あと、行商人ギルド経由の問い合わせが三件ほど……!」
「まあ、よく働いていらして」
わたくしは歩み寄り、彼の手から書類の一部を受け取ります。
「“上流の港が本当に税が安いのか確認したい”……
“倉庫の安全性について詳しく知りたい”……
“違法な品物の扱いはどこまで許容されるのか”?」
「最後の人は即お断りしておきました!」
「当然ですわね。
その対応、非常に満足ですわ、ユリウス君」
「ほ、本当ですかっ」
途端に顔を輝かせるあたり、単純でよろしいですわ。
「レオン殿は?」
「王都への定期報告書をまとめております。
“お嬢様の暴走がないか”を確認するためでございましょうな」
「失礼な。わたくしはいつでも計画的ですのに」
「ええ、“計画的暴走”でいらっしゃる」
セバスの皮肉を聞き流していると、執務室の方角から駆け足の気配がしました。
「アメリア様!」
ちょうど噂をすれば、レオン本人が書類束を抱えて飛び出してきます。
「ご苦楽シティの件ではありませんが、ひとつ気になる知らせが」
「気になる?」
「あなたの“前職場”の話です」
前職場――つまり、わたくしがつい先日まで働いていた王国のこと、ですわね。
「王都からの定期便で、歳入状況の“公表値”が届きました」
レオンが差し出した紙には、前の王国の紋章と、簡素な数字の一覧が印刷されていました。
「公表値、ということは、多少は“化粧”されておりますわね?」
「でしょうね。
ですが、それでも――」
レオンは、ある数字の列を指で示しました。
「歳入は横ばい、歳出は微増。
そして、“内債発行額”だけが不自然に跳ね上がっている」
「内債、ですって?」
ユリウスがきょとんと首を傾げます。
「王国が、国内の貴族や商人から借金をするために発行する“借用証書”ですわ」
わたくしは紙を受け取りながら説明しました。
「つまり、“収入が足りないので、国がツケでお金を使っている”ということですの」
「……それ、だいぶマズくないですか?」
「それ自体は、珍しいことではありませんのよ?」
わたくしは肩をすくめました。
「問題は、“どのくらいの速度で”増えているか、ですわ」
ざっと目で追っただけで、数字の歪みは明らかでした。
わたくしがいた頃、慎重に抑えていた“最後の蛇口”が、派手にひねられている。
「一年で、ここまで……」
思わず、口の中で呟いてしまいました。
「どうやら、あなたの警告は、誰の耳にも届かなかったようですね」
レオンの言葉に、わたくしはくすりと笑いました。
「届かないだろうとは思っておりましたわ。
“帳簿を見なさい”と申し上げて、“鏡”を覗き込む方々ですもの」
「鏡……?」
ユリウスが首を傾げます。
「要するに、“自分の顔”しか見ていない、ということでございますな」
セバスが淡々と訳してくれました。
まったくその通りですわ。
「それで、レオン殿。
その“お化粧済みの数字”から、実際の状況はどのくらい悪いと?」
「ざっくりですが――」
レオンは紙の端に、走り書きで簡単な計算を始めました。
「今のペースで借金を増やし続けると、三年後には“税収の三割”が“利払い”に消える形になります」
「まあ」
「五年もすれば、軍の維持か、貴族への支払いか、何かを削るしかなくなる。
それでも“民からの人気取り”を優先すれば――」
「国の体力は、一気に削られていきますわね」
わたくしも紙を覗き込み、補足します。
「しかも、わたくしが抑えていた“無駄な支出”も、きっと元に戻されているでしょうし」
サロン用の噴水。
誰も使わない馬車の新調。
必要以上に豪華な舞踏会。
――そういったものは、一度甘やかしてしまうと、元に戻すのが大変なのですわ。
「アメリア様……」
ユリウスが、不安そうにわたくしを見つめます。
「怒ってないんですか?」
「怒っても、数字は変わりませんもの」
わたくしは、あっさりと答えました。
「それに、あの国の“数字”は、もうわたくしの責任ではありませんわ」
「でも……」
「心配なさって?」
「え、ええと、その……。
アメリア様ご自身は、平気なんですか?」
「平気と言えば嘘になりますけれど」
ほんの少しだけ、窓の外に視線を逸らしました。
「――民が飢えると、市場が死にますもの。
数字の上では、“つまらない”ですわよね」
わたくしが前職場で必死に守ろうとしていたのは、
結局、“自分が遊べる市場”でもありましたの。
それを滅ぼしてしまうのは、やはり、もったいない。
「でも」
すぐに、肩を竦めて笑ってみせました。
「市場がひとつ死ねば、別の市場が育つだけですわ。
わたくしは、今いる“ご苦楽シティ”を満席にすることで忙しいですもの」
「……はい」
ユリウスの顔に、少しだけ安心の色が戻りました。
◇ ◇ ◇
「とはいえ」
レオンが、真面目な顔に戻って言います。
「前王国の混乱は、こちらにも影響してきます。
隣国が財政的に不安定になれば、戦か、内紛か、移民の流入か……
いずれかの形で“波”が来る」
「波、ですか」
「ええ。
そのとき、ご苦楽シティが“飲み込まれる側”か、“受け止めて利用する側”か――
今から、準備しておいたほうがいい」
「……いいことを言いますわね、レオン殿」
わたくしは、指先で机をとんとんと叩きました。
「では、その“波”を利用する前提で、ひとつ仕込みをしておきませんと」
「仕込み?」
「ええ。
――“前王国で真面目に働いていた官僚や商人”を、受け入れる準備ですわ」
ユリウスが目を丸くしました。
「えっ、そんな人たち、来るんですか?」
「きっと来ますわよ」
わたくしは、静かに笑います。
「優秀な人ほど、“沈む船”から先に降りるものですもの」
「お嬢様、それはご自身のことをおっしゃって?」
「わたくしは“突き落とされた”側ですわ」
セバスの皮肉を受け流しながら、わたくしは新しい紙を一枚引き寄せました。
「では、“ご苦楽シティ移住希望者向け優遇策”の草案を作りましょうか」
「優遇策……?」
「はい。
・公務経験者向けの就職口
・一定以上の技能を持つ職人・商人の税優遇
・初年度の“住居支援”……」
わたくしが項目を挙げていくと、ユリウスが慌ててペンを走らせ始めました。
「い、移民政策まで……!」
「市場を育てるには、“人”が要りますもの」
わたくしはさらさらと書きながら、続けます。
「今はまだ火種がくすぶっているだけですけれど――
祖国のほうで焦げた匂いが強くなればなるほど、“こっち”へ流れてくる人は増えますわ」
「そ、そんな先のことまで……」
「数字を見るのが仕事ですもの。
“今”だけでなく、“三年後・五年後”の数字も、常に頭の片隅に置いてございますわよ」
レオンがふっと笑いました。
「やはり、あなたを“悪役令嬢財務卿”と呼んだのは、間違っていなかった」
「褒め言葉として受け取っておきますわね?」
◇ ◇ ◇
その頃――前王国の王都では。
「……陛下。今月の内債募集額ですが、予定額に届かず……」
「なに?」
玉座の前で、老齢の財務卿が小さく震えていました。
王は不機嫌そうに王冠を撫で、王太子は顔をしかめます。
「アメリア嬢を罷免して、まだ一年も経っておらんのだぞ。
なぜ、こんな数字になる?」
「そ、それが……各貴族家から“これ以上の引き受けは難しい”と……」
「民のための政策を拡充しているのだ。
彼らも、少しくらいは協力して然るべきではないか!」
王太子の声が大広間に響く一方で、
後方に控える何人かの文官が、ひそやかに視線を交わしました。
(――ラグランジュ嬢がいれば)
(――もう少し、手はあったはずだ)
けれど、その名を口に出す者は一人もいませんでした。
誰よりもその名を嫌う人物が、すぐ隣に座っているのですもの。
「大丈夫ですわ、殿下」
王太子の腕に寄り添うリリアーナが、甘い声で囁きました。
「きっと、神はわたくしたちをお見捨てになりません」
「そうだとも、リリアーナ。
我々の“正しい政治”は、必ずや実を結ぶはずだ」
――その“実”が、熟す前に腐り落ちるのかどうか。
そのとき王太子は、まだ少しも想像しておりませんでした。
◇ ◇ ◇
わたくしはというと、その頃、ご苦楽シティの片隅の屋台で、
焼きたてのパンにかぶりついておりました。
「うん。
“麦と陽だまり”さんのパン、だいぶ腕を上げましたわね」
「初日に比べれば、イーストの使い方が格段に向上しておられますな」
セバスが、コーヒーを啜りながら頷きます。
「ユリウス君、レオン殿。お口に合いまして?」
「お、おいしいです……! 庶民の味なのに、どこか上品で」
「この香りなら、酒場のつまみにもなりそうだな」
「では、“夕刻限定・温かいパンとスープのセット”を追加メニューに、と」
わたくしは屋台主に向かって、軽く指を立てました。
「値段は少し高めに設定して、その代わり“ここだけの贅沢感”を演出いたしましょう」
「お、お嬢様……。
数字の話から、パンの話まで、全部“商売”に聞こえるのは気のせいでしょうか」
「気のせいではございませんな」
セバスとレオン、そしてわたくしは同時に笑いました。
「さあ。祖国が少し焦げはじめた今こそ――」
わたくしは、焼きたてのパンをもうひとかじり。
「こちらの“ご苦楽シティ”を、こんがりと美味しく焼き上げてまいりましょうか」
火種は、確かにあちこちでくすぶり始めておりました。




