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第48話 祖国、最後の見栄で戦を始めかけますの

嫌な予感というものは、えてして当たりますの。


 王都からご苦楽シティに戻って、ほんの数日。机の上に積まれた書類の山を、ようやく地表が見える程度まで削ったところで、レオンが珍しく眉間に皺を寄せて執務室へ飛び込んでまいりました。


「アメリア。ちょっと時間をくれ」


「朝の一番いい紅茶を飲んでいる最中なのですけれど。よほどの悪い知らせと見ましたわ」


「外れじゃない」


 彼は無言で一枚の報告書を差し出しました。ライシア情報局の印。ざっと目を走らせた瞬間、胃のあたりがきゅう、と鳴りました。


「……辺境同士で、小競り合い、ですって」


「君の前王国…… セレスタイン王国が、北側国境沿いで兵を動かした。名目は、山賊討伐と領土境界の再確認だ」


「再確認ほど、ろくでもない言葉もございませんわね」


 報告によれば、セレスタイン王国軍が国境付近に増兵し、小さな砦をひとつ押さえたそうでございます。相手国も黙っておらず、すでに矢の二、三本は飛び交ったとのこと。


「王太子殿下、とうとう外に敵を作るお遊びに手を出しましたのね」


 わたくしは報告書を軽く振ってみせました。


「国内が火の車だからこそ、外に仮想敵をという発想は、教科書的ではありますけれど」


「教科書は、財政が健全なときだけ読むものだよ」


 レオンが苦い笑みを浮かべます。


「内債の利払いを繰り延べ、軍の給金を滞らせている国が、さらに兵を動かす。数字と現場の両方に、余力なんてあるはずがない」


「それでもやるのが、最後の見栄というものでしてよ」


 あの王太子と取り巻きの顔が、脳裏をよぎりました。自分の正しさを証明するためなら、数字の赤も、兵の命も、平然と目をつぶる人たち。


「で、こちら側の事情は?」


「隣国との正式な同盟は維持する。ただし、王都は直接の軍事介入はしない方向で調整している」


 レオンが机に新しい羊皮紙を広げました。国境線と周辺の地形が描かれた簡単な地図。そこに、ご苦楽シティの位置を赤で印してあります。


「この小競り合いが本格的な戦争に発展した場合、補給路がどう動くか。セレスタイン王国も相手国も、海路と港を求めて動くだろう」


「つまり、どちらかが、もしくは両方が、ご苦楽シティを後方拠点にしたがる可能性がある、ということですわね」


「そう。だから、どこまでは引き受けて、どこからは断るかを決めておかないといけない」


 わたくしは、椅子に深く腰掛け直しました。


「戦争の匂いがするところに、金と人はよく集まりますもの。長期的には胃に悪いけれど、短期的には、たいへん儲かる」


「だからこそ、儲けすぎない線も必要だ」


 レオンが、さらりと言いました。


「軍需景気は、あとで必ず反動が来る。そこに全賭けするのは、君の趣味ではないだろう?」


「ええ。堅実に儲けながら、ほどよく楽しむのがわたくしの流儀ですもの」


 ◇


 夕刻前、自警団詰所の会議室に、ジルクと何人かの隊長、それからヘルマンとユリウスを呼び集めました。


 丸机の中央には、レオンが持ち込んだ地図。セレスタイン王国、相手国、ご苦楽シティ。その三点を線で結び、補給路の候補に印が付けてあります。


「まず、この街がやらないことを先に決めますわ」


 わたくしはチョークを手に取り、黒板に一行書きました。


「一つ。ご苦楽シティは、どちらの軍勢にも直接の兵力を提供しません」


 ジルクが頷きます。


「そりゃそうだ。戦う商人より、戦場から距離を置いた商人のほうが、長生きできますからね」


「二つ。城壁と門の外側での戦闘行為は、原則禁止。追いはぎも、軍同士の私闘も、ここから歩いて一刻圏内ではやらせません」


 ジルクが片眉を上げました。


「外の戦まで止められますかね?」


「全部は無理ですわ。ですが、ここから一刻の範囲で暴れた軍は、ご苦楽シティの港と市場を使えないと宣言しておけば、少しは歯止めになります」


 ヘルマンが、静かに補足しました。


「兵站の都合上、使える港と市場を自ら潰す愚かな将軍は、そう多くはありますまい。軍というものは、腹が減れば動けないのです」


「そこで出てくるのが、三つ目」


 わたくしは黒板にもう一行。


「三つ。どちらの側にも売るものと、売らないものを分けます」


 ユリウスが首をかしげました。


「売らないもの?」


「兵器そのものと、それに等しいものですわ。攻城用の器具、大砲、軍船など。かわりに、どちらにも売るのは、保存食、薬、簡単な道具」


 レオンが頷きます。


「どちらか一方にだけ、決定的な物資を供給すれば、ご苦楽シティは敵対行為をしたと見なされる。そうなれば、戦後に恨みを買う」


「ですが、両方に最低限の物資を売るだけなら、中立の商人という言い訳が立つ。──あくまで、戦争の外側で、ですわ」


 ジルクが腕を組みました。


「それでも、兵を休ませる場所としては使われるでしょうね」


「ええ。だからこそ、武器の預かりと街の外での宿営を徹底しますの」


 わたくしは、門のほうを顎で示しました。


「門から内側に入る兵士は、一兵も武器を持ち込めない決まり。代わりに、門の外側には、有料の野営地を設けましょう」


「野営地?」


「土嚢と簡易柵を用意して、ここなら雨風をしのげる場所を作って売るのです。軍には、ここで寝たければ金を払いなさい。代わりに、ここまで襲ってきた相手は、ご苦楽シティの敵とみなしますと伝える」


 ジルクの目が、少しだけ光りました。


「つまり、戦場のすぐ外側に、そこそこ安全なキャンプ場を作るわけだ」


「そうですわ。安全と雨よけもまた、立派な商品ですもの」


 ユリウスが、半ば呆れ、半ば感心したように呟きました。


「戦争の横に、キャンプと宿と市場……。なんだか、不思議な光景ですね」


「歴史的には、そこまで珍しくはないのですよ」


 ヘルマンが静かに口を開きます。


「戦場の近くには、いつだって市が立つ。武具の修理屋、飯屋、医者。そこを最初からルール付きで用意しておくのが、ご苦楽流というわけですな」


 わたくしは頷きました。


「線を引いておけば、ここまでは許すとここより先は許さないを、数字と看板で示せますもの」


 ◇


 会議のあと、執務室に戻る途中で、レオンがぽつりとこぼしました。


「君は、本当に、戦わないための準備だけは怠らないね」


「戦いたくないからこそ、先に線を引いておくのですもの」


「それでも、誰かが線を越えてくる可能性はある」


「そのときは、越えた代償を、きっちり数字で払っていただきますわ」


 わたくしは窓の外を見やりました。


 港には、いつものように船が出入りしている。けれど、その向こうに広がる海と空には、わずかな緊張の気配が混じり始めておりました。


「レオン。戦争ごっこをしたがっているのは、あちらの王太子殿下でして?」


「情報局の読みでは、そうだ。彼の周りには、軍を動かせば求心力が戻ると吹き込んでいる者たちがいる」


「給金もろくに払えない状態で、よくもまあ、兵を動かそうと考えますわね」


「正面の戦より、内側の不満のほうが怖いのかもしれない」


 レオンが、少しだけ真剣な目つきになりました。


「兵たちは、外の敵と戦っているうちは、不満を外に向けていられる。だが、戦が終わり、給金の未払いだけが残れば、矛先は王都に向かう」


「つまり、今だけでも外に敵を用意したいということですわね」


「そう。だが、その外に、ご苦楽シティが含まれないよう、僕らは動かないといけない」


 わたくしは、窓枠に指先をとんとんと当てました。


「ご安心なさい。わたくし、前王国の戦の勝ち負けには一銭も賭けませんわ」


「だろうね」


「その代わり、戦のせいで動く人と物には、しっかり目を光らせておきますの。難民、脱走兵、密輸品、戦場帰りの兵士。彼らのうち、こちらで再利用できるものだけ、きれいに洗って拾い上げる」


「表現がやっぱり物騒だよ、君は」


 レオンはそう言いながらも、どこか頼もしげに笑いました。


 ◇


 その夜、ご苦楽シティの外れでは、ジルクたち自警団が新しい杭を打っておりました。


「ここからここまでが、野営許可区域だ。杭より内側で火を焚いたら罰金、武器を構えたら即刻退去だぞ」


「そんな張り紙、本当に軍が守るんですか、隊長」


「守らせるんだよ。ここまで来るやつらは、寝たいし飯も食いたい連中だ。規則を破れば、自分で寝床を壊すことになるって、体で覚えさせりゃいい」


 ヘルマンは仮設詰所で、新しい帳簿に項目を書き込んでいます。


「野営地使用料、夜警費、清掃費……。戦が近づくたびに、市税の新しい柱が増えますな」


 ユリウスは、彼の横で慣れない字を急いで書き写していました。


「戦わない防衛線費って、項目名までつけるんですか」


「ええ。アメリア様が、名前は分かりやすいほうが、人は嫌がるし、納得もすると」


「なるほど……なるほど?」


 ◇


 執務室の窓辺で、夜風にあたりながら、わたくしはひとり呟きました。


「セレスタイン王国。最後の見栄で剣を抜くのはご自由に。でも、その振り回した剣の先で、こちらの帳簿まで傷つけるのは、お断りですわよ」


 波は、これからもっと荒くなる。


 だからこそ、堤防を高くし、水車を増やし、見物席の柵を丈夫にしておく。


 戦場の真ん中ではなく、その少し外側で。


 わたくしたちは、今日も、数字とルールで線を引き続けるのでございますわ。

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