第12話 安全とサービスも商品ですわ 〜ご苦楽シティ預かり所、開店準備〜
昼食をかき込んで一息ついたところで、役所の扉がどんどん叩かれました。
「アメリア様! ちょっと、いいですかい!」
この元気な声は――港の荷役組頭ですわね。
「扉を壊す前にお入りなさいな。木材代も、タダではございませんことよ?」
「へ、へい、失礼しやした!」
がちゃりと扉が開き、日に焼けた太い腕と、汗で額を光らせた男が飛び込んできました。その後ろには、行商人や小商いの者たちが数人ずらり。
……あら。ちょっとした“団体様”ですわね。
「あなた方、順番も待てないほど切羽詰まっていらして?」
「切羽詰まるってほどじゃねえんですがね……。いや、まあ、困ってるっちゃ困ってるってぇか……」
荷役組頭は、帽子をいじりながら歯切れ悪く言いました。
「ほらよ、兄貴。言うだけ言っちまえって」
後ろから行商人の一人が小突きます。
「わ、分かってる! ええと、その……金の話でして」
「金なら税を払いなさいな。まさか、“安くしてくれ”なんて寝言ではありませんわよね?」
「ち、違いますって! むしろ逆で……。あの、盗まれねえようにするには、どうしたもんかと」
――ほう。
わたくしは扇を軽く顎に当てました。
「詳しく聞かせなさいな」
「はい。今朝から港があんな具合に賑わってきたでしょう? 荷の受け渡しが増えて、支払いも前よりずっと多くなった。今までは銀貨何枚かで済んでたのが、金貨でどかんと、になってきて……」
行商人が苦笑いを浮かべました。
「嬉しい悲鳴、と言えばそうなんですがね。問題は、その金貨をどこに置いとくか、なんです」
「今は?」
「港の酒場の二階とか、宿の部屋の床下とか……。さすがに、素人がそんなとこに隠してりゃ、誰かに目を付けられるんじゃねえかって」
「ほう。つまり“金が増えたので、盗まれるのが怖い”と。贅沢な悩みですこと」
「笑い事じゃねえですよ、アメリア様」
荷役組頭が身を乗り出しました。
「ここ最近、夜になると見慣れねえ奴らも増えてきてます。今のところ、ジルクたちが見回ってくれてっから大事にゃなってねえが――いつか“でかいの”が起きるんじゃねえかって」
「……成程」
盗賊に狙われるほどの“現金”が、ようやくこの街を通り始めた、ということ。
結構。ならば――
「要するに、あなた方は“安全に金を置いておける場所”と、“支払いをもう少し楽にする仕組み”が欲しいわけですわね?」
行商人たちは顔を見合わせ、一斉に頷きました。
「そういうこった」
「いちいち財布じゃらじゃらさせて数えるのも、めんどくさくてよ」
「ならば、ちょうど良いところですわ」
わたくしは机の上に置いていた港の見取り図をくるりと回し、彼らに見せました。
「この広場の一角――港倉庫のすぐ隣に、“預かり所”を作る予定でおりましたの」
「預かり所?」
「ええ。あなた方の金貨や銀貨をそこに預けて、その代わりに“証票”をお渡しします。その証票は、このご苦楽シティの港と市場の中なら、“ほぼ金貨と同じ”に使えるようにする」
「……?」
きょとん、とした顔が並びました。まあ、当然ですわね。
そこで、ちょうど部屋に入ってきたレオンに視線を向けます。
「レオン。少し手伝いなさいな。これは、あなたの得意分野でもあるでしょう?」
「得意分野、ですか」
彼は苦笑しながらも、すぐに空気を読んでこちらへ歩み寄ってきました。
「皆さん。例えば――ここに金貨十枚があるとします」
レオンは、紙の上にペンで丸を十個、さらさらと描きました。
「それをそのまま持ち歩くと、重いし、落としたら終わりだし、盗まれたら泣き寝入りです。そこで、この“預かり所”に金貨を預けて、その証拠に――」
そう言って、手近の紙を細長く切り、簡単な文字を書き込んでみせます。
「“金貨十枚、○月○日に預かり”と書かれた紙をお渡しする。この紙を持っていれば、いつでも預かり所で金貨十枚を受け取れる。そういう約束事だと思ってください」
「ふむ……」
「で、その紙を――」
レオンは、行商の一人に紙切れを渡しました。
「例えば、あなたがこの紙を持って、魚屋で言うんです。“この証票は金貨一枚分だから、今日は魚をこれだけもらう。その代金を、預かり所から引き落としてください”と」
「はあ?」
行商人は、紙切れとレオンの顔を交互に見比べます。
「魚屋さんは、その証票を預かり所に持って行って、金貨一枚を受け取る。こうすれば――」
「現金を、いちいち持ち歩かなくて済む、ってことか」
荷役組頭がぽんと手を打ちました。
「そういうことです。証票一枚では、盗賊だって“いつ、どこで使える金か”分からない。ご苦楽シティの中だけの『約束』にしておけば、外に持ち出しても価値は下がる」
レオンはそこで、わたくしに視線を送ってきました。
「――とまあ、考え方は簡単なんですが。問題は、ここからですね」
「ええ。リスク管理の話ですわ」
わたくしは椅子の背にもたれ、指を組みました。
「まず、“偽造”の危険。次に、“預かり所ごと盗まれる”危険。そして、“預けたのに返ってこない”と噂される危険」
行商人たちの顔が、ぞわりと引き締まりました。
「偽造ってのは、つまり、似たような紙っ切れを勝手に作る奴が出る、ってことか」
「ええ。人の欲望というものは便利ですわね。これからも、こちらが何か新しい仕組みを作るたび、必ず“それをズルして利用しようとする者”が現れますの」
そうでなければ、わたくしの出番がありませんもの。
「では、その“ズル”をする気を削ぐには、どうするか」
わたくしは、引き出しから細長い金属板を取り出しました。先ほどセバスチャンに作らせておいた、試作品です。
「この板の先に、自由都市の紋章を彫らせましたわ。熱して、蝋の上から押せば――」
机の隅に置いてあった蝋燭を溶かし、紙の端にぽとりと垂らします。そこへ、金属板を押し当てると。
じゅ、と小さく音がして、赤い蝋に紋章がくっきりと浮かび上がりました。
「おお……」
行商たちが、思わず身を乗り出します。
「証票には、この“ご苦楽シティの印”を必ず押すことにいたしますわ。印のない紙は、ただの紙。印を偽造しようと思えば、まずこの紋章板を盗まなくてはならない」
わたくしは、紋章板をひらひらと振ってみせました。
「これは、預かり所の金庫の中。さらに、その金庫の鍵は――」
「自警団が、日替わりで持ち回る、ってのはどうです?」
入口の方で声がしました。
見ると、いつの間にかジルクが立っておりました。訓練明けらしく、軽く汗をかいておりますわね。
「日替わり、ですって?」
「へえ。鍵を一人で握ってりゃ、その一人が脅されりゃ終わりです。でも、鍵を三つに分けて、三人の自警団がそれぞれ持ち回りにしておけば――三人同時に脅すのは、そう簡単じゃねえ」
「おや、考えましたわね、ジルク」
「お前さん、そんなこと思いつける頭があったのか」
荷役組頭が感心半分、からかい半分の声を上げます。
「うるせえな。アメリア様の話聞いてりゃ、少しは学ぶんだよ」
ジルクは鼻を鳴らし、それからまっすぐこちらを見ました。
「それに、見回りのついでに、預かり所もちゃんと覗いてりゃ、怪しい奴も匂いで分かりますしね」
「見張りを増やすのなら、人件費もそれなりにかかりますけれど?」
「それくらいの金なら、俺たちの“安全代”で払いますよ」
行商人の一人が言いました。
「あんたら自警団がきっちり見ててくれるなら、こっちも安心して金預けられる。盗まれて商売できなくなるより、よっぽど安い」
「ふふ。よろしいですわね」
わたくしは、レオンと目を合わせました。
「“安全は無料ではない”と、誰かが言っておりましたわね?」
「あなたですよ、アメリア」
レオンは苦笑します。
「でも、確かにそうです。安全には必ずコストがかかる。そのコストを、皆で少しずつ負担すれば――」
「“安全そのもの”を、ひとつの商品にできる」
わたくしは頷きました。
「預かり所に金を預けるときには、一度につき“百枚につき一枚”――つまり一割……は取りすぎですわね。一枚につき、銅貨数枚の手数料をいただきます。出し入れのたびに、ですわ」
「そ、それだけでいいんですか?」
「今は、ですわ。最初のうちは“預ける習慣”を広めるほうが大事ですもの。慣れてきた頃に、もう少し複雑なサービスも加えていきますわよ」
「複雑なサービス……?」
「例えば、“毎月一定額を預けてくれる方には、ちょっとだけ利子をお付けする”とか。“逆に、先に証票だけ渡しておいて、後から金を入れる”とか」
行商たちの思考が、そこで止まったのが分かりました。
「し、借金ってやつですかい」
「まあ、そうとも言えますわね。ただし、今のご苦楽シティでは、まだそこまで踏み込むつもりはございませんわ。まずは、“預ける・引き出す・支払う”の三つだけ」
「ふむ……」
レオンが、少し眉を寄せました。
「アメリア。ひとつ確認しておきたいんですが」
「何かしら?」
「預かり所が預かる金は、すべてそのまま“金庫に眠らせておく”つもりですか?」
「全部を、ではありませんわね」
わたくしは口元をにやりとさせました。
「日々の引き出しに使う分と、“いざというときに備えた分”だけを現金で置いておき、残りは――」
「都市の改修や、新しい倉庫の建設費に、回すつもりですね」
レオンの目が鋭くなりました。
「つまり、預かった金を、一部“街のための投資”に回す。その代わり、預かり証は必ずいつでも現金に戻せるよう、慎重に運営する。そういう形にしたい、と」
「話が早くて助かりますわ」
わたくしは彼に笑いかけました。
「ご苦楽シティの“預かり所”は、単なる金庫ではありませんもの。ここは、“街の血流”を一度集め、必要なところへ適量を送り出す“心臓”になりますのよ」
「それは、心臓が一度止まったら、街全体が死ぬ、ということでもありますが」
「だからこそ――」
わたくしは扇を閉じ、きっぱりと断言しました。
「“預かり所の帳簿”だけは、わたくしとレオン、そしてユリウス以外には絶対に触らせませんわ。日々の帳簿と、照らし合わせて、ひと桁でも合わなければ、その日のうちに原因を探す」
「僕も、ですか!?」
突然名前を出されたユリウスが、書類の棚の陰からひょこりと顔を出しました。……いましたのね、そこに。
「当然ですわ。あなたは、ご苦楽シティの“目”と“指”ですもの。数字の違和感に一番早く気づいてもらわなくては」
「は、はいっ……!」
ユリウスは、責任の重さに青ざめつつも、目の奥はどこか嬉しそうでした。
「アメリア」
レオンが、少しだけ真面目な声で呼びかけてきました。
「預かり所を始めるなら、“預けた金は必ず返す”という信用を、一度でも傷つけるわけにはいきません。あなたの個人資産も、必要になれば担保に出す覚悟は?」
「もちろん。わたくし自身が一番初めの“大口客”になりますもの」
わたくしは、懐から小さな革袋を取り出しました。
「ここに、わたくしの“おもちゃ箱”からの金貨を、二十枚ほど用意しておりますの。預かり所の看板が掲げられたその日、最初の預け入れはこの金貨二十枚。帳簿の一行目には、しっかりと“アメリア・フォン・ラグランジュ”と記されるわけですわ」
「自分の名を、一番最初の“客リスト”に刻む、というわけですか」
「ええ。自分の金を入れない鍋を、客に食べさせる料理人など信用できませんもの」
レオンの口元に、わずかな笑みが浮かびました。
「あなたと一緒に仕事をしていると、退屈している暇がありませんね」
「退屈は人生最大の損失ですもの。ねえ、皆さま?」
行商人たちと荷役組頭を見渡すと、彼らはどこか呆れながらも、期待に満ちた顔をしておりました。
「じゃあ、その“預かり所”ってやつ、本当に始めてくれるんですかい」
「ええ。建物自体は、倉庫の隣を少し改装すれば足りますわ。問題は人と仕組みですけれど――」
「人なら、うちの弟分を一人、真面目なのを回しますよ」
荷役組頭が名乗りを上げました。
「数字は苦手だが、嘘はつけねえ奴です。金の重さだけは誰よりも分かってる」
「でしたら、セバスチャンの“数字講義”を受けてもらいましょうか。最低限の読み書きと計算くらいは、この街で生きていくための“必須スキル”ですもの」
「ひい」
どこからともなく、誰かの小さな悲鳴が聞こえました。多分ユリウスですわね。あら、あなたはもう“とっくに”必須スキルを叩き込まれましたでしょうに。
「では――」
わたくしは机の上の見取り図に、きゅっと丸を一つ書き込みました。
「この場所に、“ご苦楽シティ預かり所”を開店いたしますわ。準備期間は一週間。そのあいだに規約を作り、人を選び、印と鍵と金庫を揃える」
「一週間で、ですか?」
レオンが目を瞬かせました。
「遅すぎましたかしら?」
「……いえ」
彼は小さく息を吐き、それから肩をすくめました。
「分かりました。僕も手伝いましょう。ライシア王都で使っている証票や、偽造防止の工夫の例を、いくつか資料として送らせます」
「助かりますわ。あなたの国も、案外やりますのね」
「“案外”は余計ですよ」
そんな会話に、行商人たちの笑い声が重なりました。
「よっしゃ。じゃあ、一週間後に“開店祝い”の金貨を握って来られるよう、こっちもせっせと稼ぎますか!」
「預けるほど金がねえって奴は、せいぜい盗まれねえように布団の下にでも隠しとくんだな!」
「ばーか、お前も預けろよ!」
わいわいと賑やかに出て行く背中を見送りながら、わたくしは小さく息をつきました。
「……上出来、ですわね」
「ええ。“財布の行き先”を街の中に一ヶ所まとめる。それだけで、情報も、人の流れも、ある程度こちらで把握できますから」
レオンが、真面目な顔に戻って言います。
「預かり所に“どこの誰が、いつ、いくら預けたか”。その記録だけで、かなりのことが見えてくる」
「ええ。誰がこの街で本気で稼ぐつもりなのか。誰が、逃げる準備をしているのか」
わたくしは、窓の外――港と市場の方角に目を向けました。
金貨の音は、直接は聞こえません。ですが、人の声の調子と、足音のテンポで、そこに流れる“金の重さ”は何となく分かりますの。
「さあ、ユリウス」
「は、はい!」
「午後は、“預かり所規約案”の草案を、三つ作りなさい。ひとつは“最低限だけ決めた緩い案”。ひとつは“罰則まで細かく決めた厳しい案”。もうひとつは、その中間」
「……えっと、三つも、ですか?」
「三つ作ってから、“どこを削るか”を考えるのですわ。最初から一つに絞ると、人は大抵、“あって当然の項目”まで切り落としてしまいますから」
ユリウスは真剣な顔で頷き、すでに手帳を開いていました。
ふふ。良い目になってきましたわね。
「アメリア」
レオンが小声で囁きました。
「あなた、本当に楽しそうですね」
「当然ですわ」
わたくしは、隠そうともせず笑いました。
「“安全”と“サービス”を商品にして、それがまた“次の商売”を連れてくる。こんなに美味しい料理、そうそう味わえませんもの」
ご苦楽シティの巨大なレストランに、新たなメニューが一つ。
――安全と便利さを、どうぞご賞味あそばせ。




