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第11話 ご苦楽シティ、ちょっとだけ満席に近づきますわ

朝、窓を開けた瞬間に分かりましたわ。


 潮と麦と、鉄を打つ匂い。それに――人の声。


「……ずいぶんと、うるさくなりましたわね」


「繁盛している店ほど、厨房は騒がしいものですからな」


 背後で湯気の立つ茶を盆に載せたセバスチャンが、いつも通りの無表情で言います。


 宿兼役所となっているこの建物の二階からは、港と市場が一望できますの。


 数日前までは、空き家と空き地と、くたびれた顔ばかりが目についたのに。


 今はどうでしょう。


 バルド商会の荷を積んだ荷馬車が港と倉庫を往復し、その隣を他所の商会の荷車が競うように走る。露店の布屋根が新しく増え、粗末ながら看板を掲げた屋台が通りにずらり。


 石畳を踏み鳴らす足音。子どもの笑い声。値切る声と、売り子の怒鳴り声。


 ええ、悪くありませんわね。


「アメリア様!」


 階段を駆け上がってきたのは、我がご苦楽シティの新米書記官――ユリウス・フォン・ノートン。


 黒髪を少し乱し、眼鏡がずり下がっておりますわよ。みっともない。


「慌てないで階段をお上がりなさいな。帳簿と同じで、一段飛ばしは怪我の元ですわ」


「す、すみません……! いえ、その、市場が――」


「見れば分かりますわ。ご苦楽シティ、本日も順調に“入店客数”を伸ばしておりますのね」


 わたくしは窓の外を指さしました。


「まず、バルド商会の本日の入港数は?」


「はい、朝一便で中型船が一隻。穀物樽が百二十、塩漬け肉が四十、油樽が三十……。それと、別の商会が小型船を二隻。香辛料と布と……ええと……」


「魚醤ですな」


 セバスチャンがすかさず補足します。


「魚醤……?」


「腐りかけの魚を塩と一緒に寝かせて、途中で絞ると出てくる茶色い液体です。名前だけ聞くと酷いものですが、旨味は一級品でしてな。貧民街の料理が一気に“酒場のつまみ”に化ける魔法の調味料です」


 成程。ならば――


「関税はきちんと“旨味込み”でいただきませんとね。あら、ユリウス。顔色が曇りましたわ?」


「い、いえ……その。港と市場の賑わいは嬉しいんですが……」


「ですが?」


 彼は眼鏡をクイと押し上げ、苦い顔をしました。


「……ちょっと、揉めてます。地元の商人と、他所から来た商人が、屋台の場所と値段で」


「ふふん。ようやく“厨房らしく”なってきましたわね」


 火を入れれば、肉は縮みます。鍋を回せば、油は跳ねる。


 人が増えた街で、まったくトラブルが起きない方が不自然というもの。


「ジルクには?」


「自警団の皆さんは一応、止めに入ってくれてます。ただ、どっちの言い分も聞いてしまって、収拾が……」


「あら、かわいらしい。では――行きますわよ、ユリウス。市場という名のフロアに」



 市場広場は、いつもより一段と熱気に満ちておりました。


 干された洗濯物の間をすり抜けるようにして、荷車と人とがごった返している。その中央近く、声のトーンが一段高くなっている一角がありました。


「――だからよォ! ここはウチらが前から使ってた場所だろうが!」


「前からって言ったってなあ、兄さんよ。人通りが増える前に“空いてた”場所を押さえてただけだろ? 今はこっちも港に正式に店を出しに来てんだ。いい加減譲ってくれても――」


「うるせぇ! お前らヨソ者に一番通りを明け渡したら、こっちは死活問題なんだよ!」


 腕まくりをした魚屋の親父と、粗末ながら新しい上着を着た行商風の男が、互いの胸ぐらを掴みかけております。


 その間に割って入ろうとしているのが、自警団の若者たち。


 先日選抜した、元船乗りや元兵士、腕っぷしのある連中です。


「まあまあ、そこまでっ。ここで殴り合いは――」


「ジルク、下がりなさい。怪我をしますわよ」


 わたくしは一歩前へ出て、広場の真ん中に足を止めました。


 ざわ、という空気の揺れ。人々の視線がこちらへ集まります。


「ア、アメリア様……!」


 若頭格のジルクが、ほっとしたような、困ったような顔で駆け寄ってきました。


「申し訳ねえ。みんな、言い分があって……」


「結構ですわ。聞かせて頂きましょう。それぞれ、三十秒ずつ」


「三十秒……?」


 魚屋と行商人が、ぽかんと口を開けました。


「市場でも、“お客一人に掛ける時間”には限りがございますでしょう? それと同じですわ。無駄話は損失。要点だけを」


 わたくしは扇をぱちんと開き、魚屋の方を示しました。


「では、そちらから。三十秒。スタート」


「お、お、おう……! 俺ぁこの港で十年魚屋やってんだ! 朝イチから仕入れて、この通り――」


「二十秒」


「は、はえぇ!? と、とにかくよ! ここはずっと俺の屋台で、客もここって覚えててよ! そこにこのヨソ者がいきなり――」


「五秒」


「ウチの場所取ろうとしてんだよ! 以上!」


「はい、よくできましたわ。次、そちら」


 今度は行商の男。


「お、俺は前王国の南の港から来たもんでな。税が安いって聞いて、ここに正式な書付ももらって屋台を出しに来た。そしたらこいつが“前から使ってる俺の場所だ”って言って、まともな賃料も払わねえまま居座ろうとして――」


「十秒」


「だ、だから公平に、通りに面したいい場所は金を払って借りるようにしたらどうだって……!」


「はい、ありがとうございました。ジルク、今のを要約なさい」


「えっ、俺が、ですか?」


「当事者以外の口から整理させるのが、一番感情を冷ます方法ですの」


 ジルクは慌てて頭を掻き、しばし唸ってから言いました。


「えっと……。魚屋の親父さんは、“前からここで商売してたから、今さら場所をどかされたくない”。で、行商の兄さんは、“ルールに従ってちゃんと金を払うから、いい場所を使わせろ”。で……?」


「そう。つまり――“先にいた権利”と、“きちんと払う者の権利”、どちらをどう扱うか、という問題ですわね」


 わたくしは人だかりを一望しました。


 不安げな顔、興味津々の顔、そして「どっちの味方をするのか」と値踏みするような視線。


 結構。ここは見せ場ですわ。


「元より、このご苦楽シティの市場は、“通りに面した一等地”を、わたくしが半分空けておいたのです」


「えっ」


 魚屋が目を丸くしました。


「前から使っていた屋台のうち、本当にここで商売を続ける気がある方には――少しだけ優遇を差し上げます。具体的には、“抽選に参加できる権利”を一つ、無料で差し上げますわ」


「抽選……?」


 今度は行商の男が首を傾げます。


「ええ。通りに面した一等地は、明日から“月ごと抽選”にいたします。出店料をお支払い頂いた皆さまに、くじを引いていただき、その中から公平に配置を決める。毎月場所が変われば、客も『あの通りには、いつも何か新しいものがある』と足を運び続けてくれますもの」


 ざわめきが広がりました。


「そ、そんなことしたら、毎度場所が変わって、お客が慣れねえんじゃ……」


 魚屋が不安そうに言います。


「そのために、“顔なじみの店”は、この広場の内側に固定の場所を持てるようにしますわ。あなたのような十年来の魚屋さんなら、そちら側の“馴染みコーナー”で十分にお客を掴めるでしょう」


「馴染みコーナー……」


「一方で、他所からわざわざ税を払って来てくださる商人さんには、抽選の一等地で派手に稼いでいただきたい。ここは“稼ぎたい人と楽しみたい人の店”ですもの。回転率と話題性は、常に高く」


 わたくしはちらりとユリウスを見ました。彼は慌てて手帳を開き、必死に書き留めております。


「ユリウス。いま言いました“通りに面した屋台の抽選制”と“広場内の固定枠”の案を、あとで市場規約案としてまとめなさい。出店料は一等地が通常の三倍、固定枠は現行の一・五倍。かわりに、広場外の安い場所をそのまま残しておきますわ」


「さ、三倍……ですか?」


 行商の男が思わず声を上げました。


「一番人が通る場所は、最も高く売れる“看板”ですのよ。高い場所で商売をしたいなら、その分稼ぐ覚悟を持ちなさい。それができないなら、少し外れた場所で、工夫と愛想で客を掴む。どちらも立派な商売ですわ」


 わたくしは、二人を交互に見据えました。


「さて、あなた方。通りに面した場所に座りたいのは分かりますけれど――そこまでの“覚悟”と“払える財布”は、お持ちかしら?」


「ぐ……」


「う……」


 二人とも言葉に詰まりました。


 そこへ、ジルクが気まずそうに手を挙げます。


「アメリア様。もし、前からいる連中が、急に三倍はきついって時は……?」


「それを補うための“優先抽選券”ですわ。一定期間ここで税を納めていた店には、一口分、無料で抽選に参加できる。つまり、追加料金を払わなくても、一度くらいは一等地を体験できる可能性を残しておく」


 人々の顔に、ほんの少し希望の色が浮かびました。


「ただし――」


 わたくしは扇を畳み、指を一本立てます。


「談合は禁止ですわよ。“みんなで今日はこの値段で売りましょう”なんて相談は、おやめなさい。それをされると、客が損をしますから」


 何人かが、気まずそうに視線をそらしました。図星ですのね。


「その代わり、“日替わりセール”は大歓迎ですわ。今日は魚が豊漁なら魚の日、明日は肉の日。その日の“お得”を決めるのは、あなた方です。競い合って安くしてくださる分には、いくらでも」


「そ、そんなことしたら、儲けが……」


 と、また誰かが呟きます。


「安くする代わりに“量”を売るのですわ。薄利多売という言葉をご存じでなくて?」


 わたくしは笑いました。


「それに、怖いのは“誰かが半額にしたこと”ではなく、“誰も何もしなかったこと”ですのよ。客足が鈍った時に、何も工夫しない市場は、すぐに“空席だらけの店”になりますわ」


 沈黙。やがて、誰かが小さく笑いました。


「……なんか、面白そうじゃねえか」


 行商の男が頭をかきました。


「高い場所で勝負すんなら、もう少し商品も見栄えよくしねえとな。なあ親父。たまにでいいから、一緒にセールの日やらねえか? こっちで肉と香辛料用意するから、あんたの魚と組み合わせて――」


「なに、勝手に話を進めてやがる。……まあ、まあだ。たまになら」


 ぶっきらぼうに返しつつ、魚屋はわたくしに目を向けました。


「アメリア様よ。前からの店に優先券をくれるってぇなら、俺たちも“ちゃんと税金払ってる”こと、役所に残しといてくれや」


「もちろんですわ。税を納めた者の名は、金額と一緒に、きちんと“ご苦楽シティの帳簿”に刻まれます。その帳簿は、わたくしたちにとって――何よりの“常連リスト”ですもの」


 わたくしはユリウスの手帳を、指先で軽く叩きました。


「さあ、自警団の皆さま。今日一日は、“通りに面した一等地以外では喧嘩禁止”と触れ回りなさい。明日からきちんとした市場ルールを貼り出しますので、それまでの仮ルールですわ」


「お、おう! 了解しました!」


 ジルクたちは、どこか誇らしげな顔になって散っていきました。


 人の輪も、少しずつ解けていきます。


 ざわめきは収まりきらず、しかしその中には先ほどまでとは違う熱が混じっておりました。


 期待と、計算と、少しの不安。


 ――よろしい。


「……すごいです、アメリア様」


 横で見ていたユリウスが、ぽつりと呟きました。


「すごいのは、魚屋さんと行商さんですわよ。わたくしは、二人が喧嘩の代わりに“競い合える”ように、テーブルを少し整えただけ」


「“ルールを決めて、説明して、守らせる”……ですね」


「ええ。ルールは、税と同じですのよ。分かりやすく、できるだけ簡単に。守った者が得をし、破った者が損をするように、きちんと設計しておけば――あとは、人は勝手に動きますわ」


 ユリウスは手帳を閉じ、深く一礼しました。


「僕、今のを全部書き写して、規約案に起こします」


「“全部”はいりませんわ。現場で必要なことだけ。あとは、彼らが“自分で考えられる余白”も残しておきなさい」


 あまりに細かい規則は、すぐに破られますもの。


 人は、息苦しい店からは逃げ出す。それは、街も同じ。



 市場から役所へ戻る途中、わたくしたちは少し足を止めました。


 かつて半分朽ちかけていた建物の一階から、焼き立てのパンの匂いが漂ってきたからです。


「“麦と陽だまり”……ですわね」


 手書きの看板には、あの日わたくしが口にした店名が、少し不格好な字で掲げられていました。


 店主の若い男が、汗を拭きながらこちらに気付き、照れ臭そうに頭を下げます。


「アメリア様! あの、店名、勝手に使っちまいました」


「代金は、毎朝ここから溢れる香りで、十分にいただいておりますわ」


 焼き色の揃ったパンが、棚にぎっしりと並んでいます。以前よりも種類が増え、小さな干し果物を練り込んだものも見受けられました。


「今日の売れ行きは?」


「ここ二、三日で、人が倍くらいに増えましてね。港の連中が朝と昼に寄ってくれるから、ちょっと追いつかねえくらいで」


「ならば、そろそろ“従業員”を雇うべきときですわね」


「えっ、従業員なんて……」


「あなたが一人で捏ねて焼いて売っていたら、いつか“陽だまり”が陰りますわ。せっかくの店名ですもの。誰かを雇って仕事を分け、あなたはもう少し“新しいパン”を考えなさいな」


 男は目を白黒させ、それから、少しだけ嬉しそうに笑いました。


「……考えてみます」


「考えるだけではパンは焼けませんわよ」


 そう釘を刺しつつ、わたくしたちは再び役所へ向かいました。


 港と市場を抜ける道は、以前とは見違えるほどの人通り。


 荷を下ろしたばかりの船乗りたちが、酒場の看板を眺めて相談し合う。通りの角では、木槌の音が鳴り響き、新しい看板や屋台が次々と形になっていく。


 ふと、ユリウスが呟きました。


「……“ちょっとだけ満席に近づいた”って感じですね」


「ええ?」


「この街が、です。アメリア様が時々おっしゃる、“巨大なレストラン”って比喩。前は空席ばかりだった客席が、ようやく半分くらい埋まり始めた、みたいな」


 わたくしは、思わず笑ってしまいました。


「ユリウス。ようやく分かってきましたわね」


「え?」


「“満席”とは、“椅子が全部埋まること”ではありませんのよ。“常に誰かが来て、誰かが帰っていく”状態のことですわ。料理も席も、回転してこそ利益になりますもの」


 彼は少し考え込んでから、こくりと頷きました。


「じゃあ……今日のこれは、“予約が入り始めた段階”くらいでしょうか」


「そうですわね。席を探し始めた客が、ちらほらと店の前に並び始めた、といったところ」


 わたくしは、賑わい始めた通りを見渡しました。


 そこには、まだ空き家も、壊れかけた壁も、貧しげな服も、山ほど残っている。


 けれど、その隙間を埋めるように――笑い声と、喧噪と、欲望の匂いが、ゆっくりと満ち始めておりました。


「さて。満席にするには、まだまだ席も厨房も足りませんわ」


 わたくしは扇で軽く風を送りながら、役所の扉を押し開けました。


「今日の午後は、“安全”と“便利さ”という名の新メニューを考えますわよ。ユリウス、帳簿の準備を」


「は、はい!」


 ご苦楽シティ、只今、ちょっとだけ満席に近づきましたわ。


 ――ここから先は、もっと忙しくなりますわよ。

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