第1話 断罪? はいはい、早く終わらせてくださる?
王立学園の大広間は、今夜が一年でいちばん華やぐ夜――卒業祝賀パーティーだそうですわ。
きらびやかなシャンデリア。壁一面に飾られた季節外れの花々。音楽隊が奏でる優雅なワルツ。
そして、その真ん中に立つのは、この国の王太子殿下と、そのお隣で涙ぐんでいらっしゃる金髪縦ロールのお嬢様。
……ええ、嫌な予感しかしませんわね。
「アメリア・フォン・ラグランジュ!」
呼び捨てにされましたので、どうやら嫌な予感は的中のようです。
わたくしはグラスをテーブルに置き、ゆっくりとドレスの裾をさばいて一歩前へ出ました。
ここで慌てたり取り乱したりするのが、いわゆる「悪役令嬢」らしい反応なのでしょうけれど。
残念ながら、わたくし、そういう趣味はございませんの。
「はい、殿下。お呼びでして?」
にこりと完璧な笑みを浮かべてみせると、王太子――アルノルト殿下は、緊張で喉を鳴らしました。
あら、声を張る前に深呼吸くらいなさいませよ。今から「全国生放送」ですのに。
「お、俺は……いや、私は、この場を借りて宣言する!」
――“俺”と“私”の使い分けもまだ怪しいのですから、演説は練習なさった方がよろしいのではなくて?
「アメリア・フォン・ラグランジュ、公爵令嬢! お前との婚約を、ここに破棄する!」
ほう。
大広間が、一瞬で静まり返りました。楽団の演奏さえ止まり、騒がしかった笑い声が吸い込まれたように消えていきます。
続けて、殿下は大きく息を吸い込み――そして、誇らしげに叫びました。
「お前の強欲な徴税と冷酷な財政政策は、民を苦しめている!
私腹を肥やすために、平民から血を吸うように税を搾り取るような女と、私は婚約しているわけにはいかない!」
……あら。
(ようやく、数字が読めないことを全国に向けて宣言なさるのですね)
心の中でだけ、わたくしはグラスを掲げて拍手しました。
強欲? 冷酷? ええ、そう見えるように、わざと演出して差し上げていましたもの。
だって、国の帳簿は、舞台裏ほど地味で退屈なものはありませんから。
「殿下は勇気あるご決断をなさいましたわ!」
甲高い声でそう叫んだのは、殿下の隣でうるうると瞳を潤ませている令嬢――リリアーナ・ベルローズ男爵令嬢。
庶民派ヒロイン気取りの、“新しい恋のお相手”ですわね。
「アメリア様は、わたくしたち貴族にさえ、贅沢税などというひどい税を課そうとなさったのです!
私たちのティータイムや舞踏会のドレスまで、税で縛ろうとなさったのですよ!」
(あれは贅沢品への課税でしてよ。代わりに庶民の生活必需品の税を下げるためのものですのに)
口には出しません。
ここでわたくしが説明したところで、殿下も、彼女も、理解できはしませんもの。
「平民のためを思うなら、私たちが楽しむ余裕くらいあってもいいじゃないですか! ねえ、殿下!」
「あ、ああ……そうだとも、リリアーナ。民は守られるべき存在であって、搾取されるべきではない!」
ぱちぱちぱち、と取り巻き貴族たちが空気を読んで拍手を始めました。
さすが社交界、同調圧力の速度だけは超一流ですわ。
「アメリア嬢、君のような女はこの国に相応しくない。よって――」
殿下は高らかに宣言しました。
「本日をもって、王太子妃候補の地位を剥奪し、王都からの追放処分とする!」
……王都から追放。
処刑ではなくて?
随分と甘い処分でいらっしゃること。
(まあ、よろしいですわね)
わたくしは胸の前で両手を重ね、ゆるやかに一礼しました。
「畏まりましてよ、殿下。
では、わたくしはこれにて、財務卿補佐の職もお返しいたしますわ」
「も、もちろんだ! 今後は私とリリアーナ、そして新たな側近たちが、この国の財政を正しく導く!」
大広間の隅で、その言葉を聞いた真面目そうな文官が、顔色を真っ青にしているのが視界の端に映りました。
ええ、その反応が正しいのですわよ。あなた方、いつも書類を運んでくださって、助かっておりましたもの。
「まあ、それは楽しみですこと」
わたくしは殿下に向かって、これまでで一番柔らかい笑みを浮かべました。
「では殿下。どうぞご自分で、“帳簿”とやらを一からご覧になって。
――一年ほどで、きっと“現実”とやらが見えてきますわ」
瞬間、数人の貴族と商人が、ぴくりと肩を震わせました。
わたくしの言った「一年」という数字が、どれほど具体的な意味を持つかを理解している顔です。
しかし殿下は、意味に気づくこともなく、勝ち誇ったように笑いました。
「ふん、脅しはもう通じないぞ、アメリア! 出ていけ! 二度とこの国の土を踏むな!」
「かしこまりましたわ」
――これで、本当に終わりですのね。
わたくしはくるりと踵を返し、その場を後にしました。
驚きと好奇の入り混じった視線が背中に突き刺さります。
怒号も罵倒も飛んできますけれど、どれもそれなりに耳障りの良いBGMですわ。
なにしろ今夜は、長年務めた「財務卿補佐」という名のブラック職場からの、めでたい退職祝いなのですから。
◇ ◇ ◇
王都を出る馬車の中で、わたくしは窓の外を流れていく景色を眺めながら、深々と背もたれに体を預けました。
「……はあ。ようやく、終わりましたわ」
「お疲れ様でございます、お嬢様」
向かいの座席から、低く落ち着いた声がしました。
長年仕える我が家の執事――セバスチャン。
白髪混じりの髪をきっちり撫でつけ、背筋を伸ばして座るその姿は、王都からの追放という状況さえ、どこか他人事のように見せてしまいます。
「セバス。あなたまで付き合うことはなかったのですわよ?」
「いえ。ラグランジュ家に仕える身としては、“国に捨てられた公爵令嬢”のほうにお供するのが道理かと存じます」
「まあ。嫌味のセンスは相変わらずですわね」
「お嬢様の教育の賜物でございます」
セバスは、いつものように微動だにせず淡々と返します。
彼は、わたくしが生まれる前からラグランジュ家に仕え、父の代も、祖父の代も知っている古参の執事です。
わたくしが初めて帳簿に興味を示した時、最初に計算の仕方を教えてくれたのも、この男でした。
「国庫は……そうですわね。わたくしがいなくなりましたので――一年もちませんわね」
ぽつりと呟いたわたくしに、セバスがわずかに片眉を上げました。
「十か月、と見ましたが」
「あら、案外お優しい予測ですこと」
「お嬢様がいなくなったことに最初に気づく、数少ない有能な文官たちが多少は踏ん張りましょうからな」
「ふふ。確かに、あのあたりは給料分くらいには働いてくださいそうですわね」
そんな他人事のような会話を交わしながら、わたくしはくすりと笑いました。
「これで晴れて、わたくしも無職の身。
お金と美味しいご飯と、ふかふかのベッドのために、のんびりと新しい職場でも探しましょうか」
「その際は、給金の条件に“徹夜仕事は月に二回まで”と入れておいていただければ幸いです」
「まあ。セバス、あなた意外とちゃっかりしていらして?」
「老体でございますので」
わたくしとセバスは、顔を見合わせて小さく笑いました。
――などと考えていたところで、馬車が突然、ぎいっと大きく揺れて止まりました。
「きゃっ」
思わず身体が浮き、慌てて座席の取っ手を掴みます。
外から御者の怒鳴り声が聞こえてきました。
「な、なんだお前たちは! ここは王国の――」
「失礼。危害を加えるつもりはない。我らは隣国ライシア王国の使節団である」
隣国、ライシア。
(……あら)
その国名に、わたくしは軽く眉を上げました。
「乗客は一人、公爵令嬢アメリア・フォン・ラグランジュ様で間違いないか?」
低くよく通る声がしました。
窓の外を覗くと、数騎の馬に乗った騎士たち。その先頭に立つ、一人の青年。
明るい茶色の髪に、切れ長の緑の瞳。整った顔立ちに、隙のない騎士服。
そして、その胸元には、確かにライシア王国の紋章が輝いております。
「……お迎え、にしては物々しいですわね」
小さく呟きながら、わたくしは馬車の扉を開けました。
冷たい外気と共に、青年の視線が真っ直ぐわたくしを捉えます。
「初めまして、アメリア様。
私はライシア王国宰相補佐、レオン・ハルトマンと申します」
彼は馬から降り、片膝をつき、恭しく頭を垂れました。
「本日付で貴国を追放になられたと伺いまして――
あなたを“お迎え”に上がりました」
「お嬢様、どうやら次の職場候補が見つかったご様子で」
背後から、セバスのぼそりとした声が落ちてきます。
……ふふ。
わたくしは口元を押さえ、こみ上げる笑いをどうにか飲み込みました。
「まあ。追放一日目でヘッドハンティングだなんて。
やはり、わたくし、有能だったようですわね?」
レオンと名乗った青年は一瞬きょとんとし、それから苦笑混じりに目を細めました。
「ええ、その通りです。
――悪役令嬢財務卿殿。どうか、我が国でその才覚を存分に振るっていただけませんか?」
こうしてわたくしの、「ご苦楽」な第二の人生が幕を開けましたの。




