第39話 まだまだやることが山積みです
「宰相閣下、こちらをマイヤー伯爵に」
落ち着いた振りをして、後宮の女官セシリアは宰相閣下の元を訪れた。結局後宮のことはセシリアが取り仕切らなくてはならないから、あれやらこれやらの手配やなんやらが、山積みだ。
「ん?なんだこれは?」
綺麗な箱が一つ机の上に置かれ、宰相は首を傾げる。
「祝い菓子にございます」
「………………祝い菓子……ん?」
「もぉ、お忘れですか?あなたが送り込んだレイミー様がこの度陛下と無事に番になられたのです」
「な、なんとぉ」
今更そんなに驚くことか?あなたの唯一の上司にあたる国王陛下アルベルトは、何日間か不在だっただろうに。そんなことも忘れてしまっていたのか。なんとも宰相と言う地位は、忙しいらしい。
「隣国にも手配をしたではありませんか。お忘れですか?」
セシリアに言われ、宰相はようやく思い出した。
「ああ、そうだった。色々と手間をかけさせてしまったね」
「そんなことは構いません。私の仕事ですから、けれどお忘れになるのは如何なものかと」
「ああ、その、なんだ。国民にも盛大に祝いを告げねばならぬだろう?」
「あら、そんなことをなさいますか?」
「陛下のご要望だ」
「まぁ、さすがは賢王でいらっしゃる」
セシリアは、そう笑顔で答えると、静かに宰相の執務室を後にした。国民にも祝いを出すのはあれだ、番となったレイミーが施しの甘い菓子を喜ぶからだ。きっと城下ではバラの花の模様をした飴が配られているに違いない。
「マイヤー伯爵はいるか」
宰相閣下は分かりきった事をわざわざ大きな声で尋ねた。もちろんこの部屋でレイミーの父であるマイヤー伯爵が仕事をしていることぐらい知っている。何しろ配属したのは宰相本人なのだから。
「これは、宰相閣下、何かございましたか?」
レイミーの父親マイヤー伯爵は、伯爵になってもまだまだ腰が低かった。何しろ貧乏子沢山時代が長すぎて、とにかく人に頭を下げるのが当たり前で、こうして誰かに羨望の眼差しを向けられるのにとにかく慣れていないのだ。もちろん、マイヤー伯爵だって何となく、薄々とは分かっている。ヒソヒソとした噂話は自然と耳に入ってくるし、上位貴族のあちらこちらから娘たちへの縁談が舞い込むようになってきた。それはもちろん大変ありがたいことで、この数年でマイヤー伯爵は娘たちの持参金を用意できるほどになっていた。もちろん、宰相閣下にもう借りはない。
「こちらは、祝い菓子である。慎んで受け取るように」
「はっ」
言われて頭を下げながら受け取る。だがしかし、マイヤー伯爵の頭の中には疑問符しか浮かばない。祝い菓子と言われても、なんだか分からないのである。
「あのぉ……」
仕方が無いのでマイヤー伯爵は宰相閣下に聞くことにした。分からないまま持ち帰ると、賢い子どもたちにあれやらこれやら言われてしまうからだ。この数年でマイヤー伯爵も少しは知恵がついたのだが、やはり若いからか、子どもたちはあちこちから知識を仕入れて来ては、父親であるマイヤー伯爵を凌駕するのである。
「おめでとう、マイヤー伯爵」
宰相閣下はマイヤー伯爵から渡した祝い菓子を取上げ、近くのつくえの上に置く。そして堅い握手をしてマイヤー伯爵の肩を叩いた。もうそれだけで部屋の中の役人たちは察したのだが、肝心のマイヤー伯爵がまだ察していなかった。
「ありがとうございます?いや、何かございましたか?」
マイヤー伯爵は探りを入れるような顔で宰相閣下を見た。もう、おかしな事を口にするわけにはいかないから、宰相閣下から正解を言ってもらわなくてはならない、だってマイヤー伯爵はベータなのだ。アルファとオメガの間でとりかわされる当たり前なんて何も知らないのだ。だからいちいち説明をしてもらわないとまるで分からないのだ。悲しいことに、なんにもさっぱり分からない。
「マイヤー伯爵、あなたは本当にとぼけるのが上手だ。国中がこんなにもお祝いムード一色に染まっているというのに」
「え、は、はぁ……」
そんなこと言われてもマイヤー伯爵には何もピンとくるものがない。いやいや、お祝いムードなのはアレだろう。隣国の姫が嫁いできて、それでようやく番となって後宮入をしたと聞いた。だから、なんで、そこに自分が?
「マイヤー伯爵、後宮にいるご子息もオメガでは無いですか」
「とぼけるのがお上手でいらっしゃる」
「今更隠し事は卑怯ですぞ」
いつの間にかに職場の役人たちがワラワラとマイヤー伯爵の回りに集まっていた。もちろん、宰相閣下が菓子の箱を持って現れた時からみんな分かりきっていた。あくまでも隣国の姫に気を使って発表を遅らせているだけで、本当はもっと前なのだろう。と世間は思っていたわけだ。そもそも4年ほど前にアルファの国王陛下が番宣言をしたことぐらいこの国の貴族たちは知っているわけで、だからこそ、誰もが腹の探り合いをするようにマイヤー伯爵との距離を測っていたわけだ。
本日こうして宰相閣下が祝いの菓子を持ってきたということは、上方が解禁されるということだ。
「とにかく、これを持って早く帰りなさい。後日正式に祝いの品を届けることになる。その際の支度については執事に相談してくれたまえよ」
「は、はいぃ」
マイヤー伯爵は掠れて上擦った声で返事をすると、同僚たちに見守られ、早退をしたのだった。今回は宰相閣下に見送られても、乗り込むのは自分の馬車だ。あれからようやく仕立てられた黒塗りの箱馬車には立派な家紋が付けられている。マイヤー伯爵は誇らしげに馬車に乗り込み、出発の合図をした。カバンよりも大切な祝い菓子の箱を膝に抱え、意気揚々と帰宅した。
「まぁ、あなた。これはなに?」
メイドにカバンを渡したのに、小さな箱を大事そうに抱えている夫に夫人は不思議そうに聞いてきた。
「これはとても大切なものだ。みんなを執務室に集めるように」
マイヤー伯爵がいかにも主人らしく堂々と告げれば、メイドたちは一斉に動き出す。これが貴族の生活なのだとマイヤー伯爵は改めて実感するのであった。
「まぁ、またドレスを新調できるのね」
家族全員が集まって、マイヤー伯爵が祝い菓子を出し、その説明を宰相閣下から下賜された執事のセバスティアンが説明をすると、喜んだ夫人の第一声はこれだった。どうしようもない程に俗物的な発想ではあるが、それは仕方の無いことだろう。何しろマイヤー家は以前は貧乏子沢山、ドレスを新調するなんて夢のまた夢、城で行われる新年の宴や建国祭のパーティーには、古着屋で見繕ったドレスに自分で流行りの飾りを縫い付けていたのだから。それが長男のレイミーが後宮に入ってからは180度変わったのだ。支度金のおかげで最新のドレスを仕立て、パーティーでは主役の扱いだ。屋敷にはメイドや家令が増え、夫人は庭で野菜を作る必要は無くなったし、早朝からパンを焼くことも無くなった。子供たちは当たり前に学園に通い、マナー講師も呼んで指導を受けられるようになった。
伯爵になってからは、たまに庭でお茶会を開いたりもできるようになった。庭から畑が消え、庭師が季節ごとの花を咲かせるようになったからだ。当然夫人は周りからチヤホヤされて大変良い気分を味わえるようになったわけだ。
そして今回、またもやドレスを新調できる機会がやってきた。理由はなんと国王陛下の使者の出迎えだ。前回とは比べ物にならないほどの書簡を受け取る大変な儀式である。失礼の内容な服装をしなくてはならないため、マイヤー伯爵家の全員がそのための服装を揃えなくてはならないのである。
「奥様、あくまでも華美にならず、それでいて地味すぎず、上品な装いをしなくてはならないのです」
「わ、分かっていてよ。もちろん」
「ご家族様全員でデザイナーの所に赴くのは大変ですので、こちらに呼ぶことに致します」
執事のセバスティアンがそう言えば、夫人の心はますます高なった。だって、デザイナーを呼びつけるだなんて、そんなのは一部の高位貴族にだけ許された贅沢だ。それを、ついに、することになったのだ。なんて素晴らしい。
「奥様、もちろんですが、このことは他言無用にございます」
「も、もちろん。分かっています」
夫人を見つめる十二の瞳は明らかに信じてはいないのだけれど。




