第33話 そんなことで騙されるとでも?
「離宮からは凄い匂いがするな」
「ほら、隣国の姫が嫁いできただろ?」
「ああ、あの……っと」
思わず本音を言いそうになり、兵士は口を噤んだ。城に務める者は誰もが分かっている事だが、決して口にしてはいけないことだ。
「なんの匂いなんだ?」
「バラじゃないか?」
「バラ?バラってこんな匂いだったか?」
「なんか混ぜてるんだろう?」
そう言って兵士の一人が首を示した。それを見ただけで相手の兵士も納得をする。そうしてそのまま気が付かないフリをして、兵士たちは巡回をするのだった。
「まぁ、無理よね」
その様子を柱の影から眺めていたのは、ロレンシアの侍女だ。オメガは一人一人独自の香りを持っていて、アルファは気に入った香りのオメガと番になる。とロレンシアに説明したところ、高貴な自分の匂いはバラだ。とロレンシアが色々なバラの香りの香水をぶちまけたのだ。さすがにここまでの匂いが出るのは発情期だけだと侍女たちに叱られたロレンシアは、「じゃあどうしろって言うのよ」と癇癪を起こしたのだった。けれど、侍女たちにお香をたけばいいと諭され、自分のドレスにはバラの香りのお香から匂いをつけることにした。そのせいで離宮の外にまで匂いが漏れているのだが、ロレンシアはそんなことに気づいてはいない。
「問題はどうやって発情期を偽造するかよねぇ」
「発情期になるとアルファを誘惑するフェロモンだっけ?それが出るんでしょ?」
「匂いだけじゃ、誘えないじゃない」
「あら、簡単よ」
最初にロレンシアをバカにした侍女が笑いながら答えた。
「簡単?」
「そうよ。簡単なことよ。ここの後宮には本物のオメガが居るのよ」
「それで?」
「そのオメガが発情期になれば国王陛下がやってくるでしょ?」
「閨には毎晩通ってるって、聞いたけど?」
「だから、後宮のオメガが発情期を迎えたら、国王陛下が飛んでくるでしょう?だって大切な番の発情期なんですもの」
「ああ、そういうこと」
「そ、オメガって近くで発情期があるとつられるそうよ。だから、後宮のオメガが発情期になったらこっそりそこからシーツの一枚でもくすねてくればいいのよ」
「シーツなんか盗ってきてどうするのよ」
「バカね。そのシーツにはオメガのフェロモンが染み付いてるでしょ?」
「ああ、それをロレンシア様の寝台に敷くのね」
「そ、バラの香と合わされば違う匂いになるでしょ?」
「なるほど。お気に入りのオメガの香りがあれば騙せる。ってわけね」
「そういうこと」
侍女たちは顔を見合せニヤリと笑うと、早速この作戦をロレンシアに伝えたのであった。最初はそんな事は屈辱だと怒りに震えたロレンシアであったが、番にならなければ後宮に入れない事実があるため、仕方なく同意した。シーツは侍女がとってくるから、とにかくその日を待てばいいのだから。
「発情期は大抵三ヶ月おきに起こるものです。ですからどんなに長くても三ヶ月の辛抱ですわ」
「そんなに?」
「長くて三ヶ月です。前回の発情期が分かりませんからね。そのくらい我慢してください」
侍女に強く言われ、ロレンシアは大人しく引き下がるしか無かった。アインホルン王国でこのような扱いを受けているのは、ひとえにロレンシアのせいなのだ。貴族の娘たちは一緒にアインホルン王国に来ることを拒み、次から次へとロレンシアの侍女を辞めていった。そのため嫁ぐ直前になって慌ててロレンシアの侍女を補充したところ、あてがわれたのは全て平民だった。当然今まで通りにいかなくて癇癪を起こしまくったロレンシアであったが、アインホルン王国に来てから立場が変わってしまったのだ。侍女たちは誰もロレンシアを敬わない。なぜなら国に残してきた家族はもう、ロレンシアの癇癪で処罰されることがないからだ。そうなればもう、力関係が逆転していまった。離宮で主として君臨するはずのロレンシアは、侍女たちの態度にびくびくと怯える毎日だ。なにしろ今までわがまま放題に過ごしてきたから、報復が怖いのだ。湯浴みするのも一人では出来ないロレンシアだ。髪を洗うふりをして湯船に沈められるかもしれないのだから。
「お菓子が食べたいわ」
国から好みの茶葉は持ってきていたが、さすがに菓子は日持ちがしないので持ち込めなかった。結婚祝いの菓子はとうの昔に食べてくし、今は侍女が交代で貰ってきてくれる菓子を分け合って食べるだけ。
「この離宮には料理人さえ居ないのですよ。我儘を言わないでください」
丁寧な手つきで茶を入れられるようになったのはいいが、お披露目する相手がいない。侍女たちだって日増しにストレスが溜まるというものだ。何しろ離宮から出られないのは侍女たちも同じなのだから。後宮から出てきたセシリアを、待ち構えて要件を伝える役目はなかなかに面倒なことなのだ。後宮を取仕切る女官はセシリアだ。本来なら後宮の女主として君臨する予定のロレンシアが離宮で国賓扱いのままのため、王城の役人に訴えても相手にされない。王妃様の事は後宮で処理してください。とすげなくあしらわれる。離宮から出られるけれど、勝手に歩き回ることが出来ないロレンシアの侍女たちは、交代でセシリアをまちぶせする日々なのだ。
「ロレンシア様がお菓子を所望なのです」
一度正妃様がといったらものすごい目で睨まれたため、それ以来ロレンシアの侍女たちはその言葉を口にすることは無い。回りの空気を読んで行動する処世術については彼女たちは大変高かった。
「あなたたち、作れないの?」
セシリアにそう問われ、侍女たちは顔を見合わせる。確かに作れないことは無い。ただ、材料がないだけだ。
「簡単なものなら作れますが」
「ならば、作ればよろしいでしょう?必要な材料屋道具を紙に書いておよこしなさい」
「は、はい」
ロレンシアの侍女たちは頭を下げると素早くセシリアの前から逃げ出した。とにかく後宮の女官であるセシリアに嫌われないこと。これが大切な事なのだ。
「まぁ、食事の支度も私たちがしてるんだしね」
「ほんとそう」
「食材はいいものばかりだから、味は何とかなるのよね」
「ロレンシア様は何も出来ないから、最近大人しいわよね」
「「「逆らったら飯抜きだもんねぇ」」」
ケラケラ笑いながら厨房で食事の支度をするロレンシアの侍女たちは、庶民の出身なだけあって料理も出来れば掃除洗濯もできる。離宮に閉じ込められても別段不自由なく過ごしている。わがまま姫のロレンシアも、食事を与えなかったらすぐさま大人しくなった。ロレンシアが国の父王に泣きつきたくても、通信手段さえ侍女たちが握っているとあってはロレンシアには為す術がなかった。
侍女たちがロレンシアの世話をするのは、自分たちの立場のためだ。ロレンシアが健在なら自分たちは王城の侍女として贅沢な暮らしができるのだ。国にいる家族には髄分な金額の支度金が渡されている。きっと国に帰ることは出来ないだろうから、ロレンシアの侍女たちはこの地で贅沢に暮らすことを望んだだけなのだ。
「ねぇ、誰がシーツを盗むの?」
盛りつけをしながら誰かが聞いた。
「そりゃ、言い出しっぺなんじゃない?」
「そうなの?」
「もちろん。私がやるわよ」
「やるの?」
「やるわよ」
「勇気あるね」
「やらなきゃ面倒なのが続くのよ」
「そっかァ」
「だって、城下に出かけたいじゃない」
「そうだよね。離宮にいたんじゃ外出出来ないもんね」
国王陛下アルベルトの知らないところで企み事が進んでいた。




