第32話 ついにこの日がやってきた
リーンゴーン、リーンゴーン、リーンゴーン
教会の鐘が高らかに鳴り響く。6頭立ての白い屋根のない馬車に乗るのはアインホルン王国第四十八代国王アルベルトと隣国の姫ロレンシアだ。ついに十八となった、いやなってしまったロレンシアと結婚をしてしまったのだ。爽やかな笑顔を貼り付け、沿道の人々に手を振り続けるアルベルトはただの一度も隣に座るロレンシアの事を見ることがなかった。
「今宵は初夜の儀なのでは?」
おずおずと女官のセシリアに聞いてきたのはロレンシアが連れてきた侍女だ。こう言ってはなんだが、一国の姫の輿入れに連れてきたにしては貧祖な顔立ちをしている。いくらアルファの国王を惑わさないためとはいえ、ベータであってもここまでの人選は如何なものかとセシリアは眉をひそめるしかなかった。
「国王陛下はアルファ、輿入れされたそちらの姫はオメガであれば、初夜の儀は発情期に行われるもの。番の儀式も済ませなくてはなりませんからね。そのくらいのこと、そちらの国では常識ではないのですか?」
冷たく言い放つセシリアに、侍女は俯くことしか出来なかった。なぜならそのような事を教えられた事が無いからだ。隣国でロレンシアに仕えていた侍女たちは、輿入れ前にもれなく辞めていたのだ。辞めさせられた。とも言えるけれど、ほとんどが面倒事に巻き込まれる前に辞めていったのだった。もちろん、そんな事情はセシリアの知ったことでは無い。いや、知っていたとして配慮する必要などない。なぜならセシリアは後宮の女官だからだ。あちらの国の事情などどうでもいいのである。このアインホルンに来たからには、こちらの常識に従ってもらうまでなのだ。
「では、住まいの移動は?」
なおも食さがる侍女にセシリアはうんざりした。身分の違いというものがある。妃になったとはいえ、侍女は侍女だ。
「アルファの国王の後宮には、番様しか住まうことは許されません。発情期がきて番になるまでは今のお住いにてお過ごし下さい」
そう答えると今度こそセシリアは背中を向けて歩き出した。残された侍女は絶望的な顔をしていたが、決心した顔をして自分の主、アインホルン王国国王の妃となったロレンシアの元へと帰って行った。
「なんですって」
侍女の持ち帰った返答に激怒したロレンシアは、手元にあった扇を侍女の顔目掛けて投げつけた。毎度のことなので、侍女も勝手か掴めているため、斜め下を向いて髪の生え際あたりにぶつかるようにする。そうすれば、派手な音がして侍女の髪が乱れるから、ロレンシアの激情を納めることができるのだ。
「発情期まで私に離宮で過ごせというの?」
ギリギリと歯をむき出しにして怒りの顔を作るロレンシアを見守る侍女たちは、うんざりとしている内心を隠すように俯いた。だが、放っておけばまた喚き散らし当たり散らす。そんな二次災害を防ぐには、何かロレンシアにとって耳障りのいい言葉を述べなくてはならない。
「でも、ロレンシア様には発情期はきませんでしょう?」
一人の侍女が真実を口にした。
もちろんそれは禁忌なのだが、もう国を離れてしまえばどうでもいい事だ。ロレンシアが喚き散らそうがもう家族に害が及ぶことは無い。それにここは離宮、アインホルン王国の侍従たちは滅多にやってこなければ、外部に簡単に連絡をつけることも出来ないのだ。
「お前っ」
ものすごい形相でその侍女を睨みつけるロレンシアであったが、その侍女は薄ら笑を浮かべているだけだ。
「何を笑っているの」
ロレンシアが怒鳴りつけるが、その侍女は謝ろうともしない。
「だって、本当のことではありませんか。ロレンシア様はベータなんですもの、発情期なんて永遠に来ませんでしょう?バレているんですよ。アインホルン王国に」
その侍女が口にしたことは、国にいた頃であれば絶対に口にしてはならないことだった。だが、監視の目がなければどうだっていいのだ。お姫様育ちのロレンシアは、侍女たちの助けがなければドレスを脱ぐことだって出来ないのだから。
「お前、なんてことを言うの」
扇を投げつけたいが、先程既に投げたあとで、ロレンシアの手元には何も無かった。離宮には満足のいく家具が揃っていないのだ。だから、お茶ひとついれるのも侍女たちは大変な労力が必要なのだ。何しろロレンシアの嫁入り道具はほとんどがドレスや装飾品で、お気に入りの茶器のひとつも持参しなかったのだから。
「この現状を見てもまだほざきます?後宮には入れず、ろくな家具も揃っていない離宮。一応は後宮の端っこにはあるみたいですけど、この離宮。国王陛下の本命と言われるオメガの寵姫は閨に一番近い部屋を与えられていると聞きましたよ?」
嘲笑うかのごとく侍女に言われても、ロレンシアは何も言い返すことが出来なかった。実際、盛大な宴が開かれ、教会で盛大な結婚式が執り行われたが、父や母は国務のためにその日のうちに帰ってしまい、祝いの品が届いただけだ。式のあとのパレードから帰ってきたら、この離宮に案内されだけ。
「私を馬鹿にするな」
精一杯虚勢を張ってみたところで、侍女の顔からあざけりが消えることはなかった。それどころか、他の侍女たちも加勢するかのようにその侍女の方へ集まっていた。
「な、何よお前たち。私に逆らったら……」
「何も起こりませんよ?だって、ロレンシア様の手足となる侍従はここにはいませんもの。私たちの家族にどうやって罰を与えるおつもりで?文でも送りますか?」
嘲るようにそう告げる侍女は分かっているのだ。この離宮から文を送ることなど出来ないことを。そもそも文箱などなければ、ロレンシアが手紙を書いたところで侍女たちが暖炉にくべてしまうだけなのだから。
「お前たち……」
急に自分の置かれた立場を理解してしまったロレンシアは、急に恐ろしくなった。ここに居る侍女たちは誰一人としてロレンシアの味方では無いのだ。むしろロレンシアのワガママのせいで国から送り出された哀れな生贄なのだ。アインホルン王国の国王はアルファだ。隣国から輿入れした姫がオメガでないと分かればタダでは済まないだろう。何しろオメガであれば結婚すると言われたのに、ベータであることを隠してオメガと偽って結婚したのだから。
「さて、如何なさいます?ロレンシア様には発情期は来ません。そうなれば永遠にこの離宮にいなくてはならないのです。いいえ、アインホルン王国国王を謀った罪で処刑されるかも知れませんよ?」
「何を言うの!処刑なんてされるわけがないじゃない。私はアインホルン王国国王の妃なのよ。国一番の女なのよ」
「ええ、国一番の女にはなりましたが、この国の国王はアルファです。その寵愛を一番に受けるのはオメガなのですよ?オメガでなければアルファの子を産めません。ベータの腹からはアルファは産まれないのです。そのくらいご存知ですよね?」
ロレンシアの喉がヒュッと鳴った。今更ながら気が付いたのだ。そう、ロレンシアの母はベータ。後妻で、先妻はオメガだった。だから二人の兄はアルファだ。そのため、年の離れたベータの妹ロレンシアはただ可愛がられて育てられてきたのだ。そう、可愛がるしか価値がなかったから。
「私にどうしろって言うのよ」
震える声を押さえつけ、ロレンシアは言った。
「オメガのことを何も知らないロレンシア様に教えて差し上げますわ」
先程の侍女が口を開いた。
「まずオメガには独自の香りがございます」
「香り?香水じゃなくて?」
「ああ、そんな基本も知らないのですね。困った人。オメガの振りをするのなら、その辺は徹底的に学習して頂かなくては困ります」
そう言ってその侍女はどっかりとロレンシアの隣に腰掛けた。それを合図に他の侍女たちも空いている席に腰を下ろした。そうして侍女たちに囲まれて、ロレンシアはオメガに偽装するべく教えを乞うのであった。




