第19話 お勤めのために頑張ります
「王国の太陽にご挨拶申し上げます」
誰かの声がしてレイミーは驚いた。でも、目の前は肌色だ。しかも明るい。寝ている寝台の具合がいつもと違う。ああそうだ、お城に上がったんだ。そう思い出したけれど、さらになにかが違うことにレイミーは気が付いた。確か女官のセシリアに「明け方迎えに参ります」とか言われていた気がする。だが、どう見てもこの明るさは明け方の明るさではないし、聞きなれない挨拶の言葉は確か学校のお作法で習った言葉だ。
つまり、アレだ。
レイミーは寝過ごしたのだ。
しかもこれは、国王陛下のお目覚めの時間のようだ。昨日聞いた話では、合図があるまで勝手に起きてはいけない作法だ。
「うむ、よき朝だ」
隣にいた大きな体がむくりと起き上がった。どうやら国王陛下アルベルトの起床時間が来たようで、見えてはいないが複数の人物がこの部屋に控えているようだ。
「御手手水にございます」
アルベルトが何やらしている。レイミーは如何したらいいのかわからず横になったままその様子を眺めていた。
「ほら、お前も洗いなさい」
アルベルトに抱き起され、レイミーの顔に水がかかる。
「これで良し」
アルベルトのヒスイ色の瞳がレイミーの顔を覗き込んだ。柔らかなタオルは今しがたアルベルトが使ったものだろう。レイミーの顔に当たった時、ほんのりと昨夜嗅いだ匂いがした。
「着替えはあるか?」
アルベルトが誰かに尋ねた。
「こちらに」
聞こえたのはセシリアの声だ。アルベルトが受け取ったのはレイミーの制服だった。学校の。
「懐かしいな」
アルベルトはそう言ってレイミーの着ている意味のないレースを取り払った。何にも隠れていなかったことを、この瞬間レイミーは知ったけれど、今更だった。悲鳴を上げる間もなくシーツの上に転がされ、下着を履かされて制服を着させられた。
細かなところをセシリアに直してもらっているうちに、アルベルトの支度が終わったらしい。
「ほら、朝のお務めだ」
ひょいッと抱き上げられ、連れてこられたのは食堂だ。おいしそうな匂いがして、レイミーの腹がぎゅりゅっとなった。
「さあ、お務めだ」
国王陛下アルベルトはそう言うと、レイミーの口にちぎったパンをいれてきた。そして今朝は程よく温められたミルクが入ったカップをレイミーに差し出した。
「おいしいです」
レイミーが元気よく返事をすると、アルベルトは満足そうに笑い、自分でカップをもってミルクを飲んだ。昨日も思ったが、レイミーが毒見をしたものを食べなくていいのだろうか。そんなことを考えていると、カリカリのベーコンが口の中にやってきた。ほんのりとリンゴの匂いがする。きっとリンゴの木を使って燻製にされたのだろう。半熟の卵は胡椒がいいアクセントになっているし、サラダにかけられたニンジンのドレッシングは口の中がさっぱりとした。レイミーが考える前に次々と食事が口の中にやってくるので、考え事は進まない。
「よく食べたな」
アルベルトがレイミーの腹を見て満足そうに言った。いつの間にかにアルベルトの手には食後の紅茶が入ったカップが持たれていた。
「ほら飲め」
言われてカップに口を付けるが、毒味になってなどいない。
「いい香りですぅ」
鼻から抜ける茶ばの香りがなんとも言えなくて、思わず口から出たのは感想だった。おかげでアルベルトに文句の一つも言おうとしていたレイミーは、もうそんなことなど忘れてしまった。
「学校でよく学んでくるのだぞ」
そんなことを言われて送り出されれば、
「はい、頑張ります」
なんて元気よく答えてしまうレイミーなのであった。
カバンを持とうとしたら、セシリアが渡してくれなくて、レイミーは馬車に乗せられた。マイヤー子爵家からは毎日トコトコ歩いていたから時間がかかっていたけれど、馬車だと半分ぐらいの時間でつく。もっとも、スタート地点が全く違うから比較しても仕方がないことなのだけれど、通学が楽になって地味に嬉しいレイミーなのであった。
「あの、セシリアさ、さ、さん」
危うく『様』と言ってしまいそうになって、レイミーはちょっと慌てた。
「はい。なんでしょう」
セシリアはそんなレイミーに対して冷静に対応する。
「僕昨夜陛下にお話をしたんです」
「それは素晴らしいですわ」
「今夜もするんです」
「よろしいかと思います」
「昨夜と違うお話じゃないとだめですよね」
わかりやすいぐらいにしょんぼりとした顔をするものだから、セシリアは返答に困った。きっと国王陛下アルベルトは、レイミーがしてくれるのなら何百回同じ話をされても聞いてくれるだろう。けれど、レイミーは国王陛下アルベルトの一応寵姫である。何かしら秀でたところがないと隣国からなにを言われるか気が気ではない。
「そうですね。陛下は国一番のアルファですから、記憶力も大層よろしいのです。……違うお話をされた方がよろしいかと思います。ちなみに、昨夜はどのようなお話を?」
「教会でもらった絵本の話です。毎晩寝かしつけで読んでいたので僕絵本がなくてもお話ができるんです」
レイミーが小さな握りこぶしを作って話をしてくれたが、教会で渡される絵本はアルファとオメガの話を子供向けにわかりやすく書いた話だ。オメガの発情フェロモンは、アルファを引き付けるから気を付けなさい。ということを、王子様と恋に落ちて結ばれるみたいに絵本に仕立てているだけで、最後はお城の庭でいたしてしまうというなんとも破廉恥な落ちなのである。
だがしかし、教会の話はかなりいい。
なぜなら、教会で話を聞くのは大抵平民の子どもだからだ。貴族の子どもはその手の説法は家庭教師から習うので、安息日に教会に行っても祈りを捧げるだけでその後の神父の話など聞いてはいかない。当然、国王陛下であるアルベルトが神父の説法など知っているはずがないのだ。これはいい。とセシリアは思った。
「レイミー様。教会で神父様のお話はよく聞かれていたのですか?」
「もちろんです。だってただ……えと、姉弟みんなで参加できますから」
大丈夫、わかっている。マイヤー子爵家は貧乏子だくさん。家庭教師を雇っていないから、週に一回の教会で神父から無料で聞ける説法は大切な学習の時間だったことぐらいわかっている。
「陛下はお忙しくていらっしゃいますから、教会でのお話を聞かれたことがありませんの」
「そうなんですか」
レイミーの瞳が輝いた。これはうまくいきそうだとセシリアは思った。発情期が来ていないレイミーを、国王陛下アルベルトは無下にしないどころか大切に扱っている。いたく気に入ったようで、膝に乗せて食事を与えるほどだ。本で読んだだけの知識だが、アルファの給餌という行為で、お気に入りのオメガにだけする行動らしい。つまり、そのくらい国王陛下アルベルトはレイミーを気に入ってしまったということだ。そう、出会った瞬間から。だからレイミーが閨でオメガとしてアルファの相手ができなくても国王陛下アルベルトは怒らないのだ。だから、レイミーに発情期が来るまでコレで乗り切るしかない。
「神父様のお話は、本にまとめられております。レイミー様が学校の間に本をご用意しておきます」
「ありがとうございます。ところどころ忘れちゃってる話もあるので助かります」
いやいや、神父の説法をそれだけ覚えてるって、何回聞いたんだ?なんてとてもじゃないけどセシリアは口に出すことは出来ないのであった。




