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苦み

夕焼けが海を染める中、リリィはルーカスと別れて静かに歩き出した。彼との時間はいつも心地よく、優しい波のように心を穏やかにしてくれる。けれど、何かが引っかかる。ルーカスの不器用な態度や、彼の少し緊張した笑顔が頭の中で繰り返し反芻されるたび、リリィは自分が抱えている複雑な気持ちに気づかざるを得なかった。


「ルーカス…好きだけど、たぶん違う好きなんだよね…」彼女は自分の声が、夕暮れの静けさに溶けるのを感じながら、つぶやいた。恋愛の意味がまだ完全には分からないリリィにとって、ルーカスの好意は温かくもあり、少し重くも感じられる。それは決して嫌なものではなく、ただどこか違う「好き」だった。


やがてリリィは、自分の住処にたどり着いた。ここはかつて売れない芸術家が終の棲家として暮らしていた古いアトリエ。彼がこの場所に残した無数の作品は、リリィがここに住み始めた頃からずっと壁を彩っていた。静物画や風景画の数々は、技術こそ卓越しているが、どれも不思議と無機質で感情が乏しい。しかし、その静謐さがリリィにとっては心地よく、飾りとしては十分な美しさを放っていた。


窓辺に座り、リリィはルーカスとの会話を思い返しながら、目の前の一枚の風景画に視線を投げた。夕暮れの森を描いたその絵は、どこか彼女の故郷の森を思い出させる。あの森で、姉エレナと共に過ごした日々が、ふと胸に蘇ってきた。


「お姉ちゃん、元気にしてるかな…」リリィは、柔らかな郷愁に包まれながらつぶやいた。エレナとの別れの日、泣きじゃくって皆を困らせた自分を思い出し、少し恥ずかしくなった。けれど、あの時の涙は本当に別れが辛かったからこそだった。姉との時間は、リリィにとってかけがえのないものだったのだ。


故郷の森の木々のざわめき、エレナが手を握ってくれた温もり。リリィはその感覚を懐かしむ。魔女としての生活は楽しいものではあるけれど、時折ふと、姉の傍に戻りたくなる瞬間がある。エレナの笑顔と、穏やかな声。彼女の存在が、リリィにとってどれほど大きな支えだったか。


リリィは窓の外に広がる夜の海を見つめ、深く息を吸い込んだ。ルーカスのこと、魔女としての生活、そして姉への想い。すべてが彼女の中でゆっくりと混ざり合い、静かな波のように心の中で揺れていた。




リリィは、ルーカスが届けてくれた魚を焼きながら、ぼんやりとその日の出来事を思い返していた。塩を振りかけただけの簡単な食事。それでも海辺で採れた新鮮な魚は美味しく、焦げ目がついた皮が香ばしい。しかし、魚の内蔵の苦味が口に広がった瞬間、彼女の頭にはふと、姉エレナの作ってくれた薬膳鍋の味が蘇ってきた。


あの薬膳鍋の苦味は独特で、最初は嫌いだったが、次第にその味わいが懐かしさを感じさせるようになった。体に染み渡るようなあの温かさが、今は少し恋しい。故郷の森で、姉と過ごしたあの冬の寒さと温かさが、内蔵の苦味と共に彼女の記憶をゆっくりと呼び覚ましていく。


簡単な食事を終えたリリィは、薄いシーツを肩まで引き上げ、顔をくるむようにして横になった。夜風がそっとカーテンを揺らし、部屋の中に静けさが満ちる。リリィは、エレナとの思い出を胸に抱きながら、ゆっくりと目を閉じる。


姉の薬膳鍋のほのかな苦味が、リリィの心に温かく広がり、心地よい疲れが彼女の体を包み込む。海の音が遠くで響き、彼女を深い眠りへと誘っていく。



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