がんばれ人間。がんばれ小説家。
初めての人はこんにちは、そうでない人はお久しぶり。鳴海です。
久しぶりに美術館に行って感動してきたので、ぜひ話を聞いてください。
たぶんここにいる人たちって、美術館とか博物館好きがきっと多いですよね。勝手に決めつけちゃいましたが、私自身も例外ではありません。
絵はへたっぴな私ですが、見るのは結構好きなんです。
といっても気に入った展示があるときだけ見に行くにわかファンなのですけど、今回たまたまお気に入りの絵を見つけましてね。
小さい油絵なんですが、まず色の鮮やかさが私の目を引きました。近寄ると、鮮やかな白と赤は野に咲く花だったのですが、一輪一輪がまるでキャンバスの上に浮かべてあるような錯覚を覚えて。絵自体もまるで風に揺れ動いているような感覚さえありました。(もちろんだまし絵とかじゃないですよ)
カンバスに残る筆の跡だとか、実際の作品の大きさ、細かく描かれているところ、逆にちょっと雑なところ。キズや匂い。そういうものは写真じゃなかなか伝わらないので、お気に入りの作品を見つけた際には、舐めるように眺めています。
作品に込められた作者さんの熱量を目の当たりにすると、自然と背筋が伸びてきて、気持ちがいいですね。
私の場合は特に、作者が伝えたいことをガンガンぶつけてくるような作品に惹かれます。うまい下手とかはあまり関係ありません。
さて、最近は絵の話題というと、もっぱらAI絵のことばかりですね。悲しいことだ。
そう、私はAIイラストがあまり好きではありません。
ちょっと調べてみたんですが、AIによる自動生成イラストって、2022年の7月ごろから広まり始めたらしいですよ。ということは、まだほんの一年半くらいしか経っていないのか。長いような短いような。
登場から一気に広まったのもありますけど、その後の進歩もすさまじい速さでした。最近は動画なんかも出てきていますし。
こういった技術の進歩というのは基本的に喜ぶべきことなんでしょうけど、私は別の不安も感じています。
それは、人間の能力がどんどん低下していくのではないかという不安です。恐怖と言ってもいいかもしれません。
技術の進歩は、人間の能力とのトレードオフです。等価交換です。
身近な例で挙げてみると、パソコンの辞書機能なんかすぐに思いつきますね。手書きで文章を書こうとしたときに、漢字が書けなくなっちゃったーってやつです。もちろん私も例外ではありません。他には車の運転とかですかねえ? オートクルーズに慣れちゃって、かえって運転中にぼーっとしちゃうとか。そういえば最近は、ライトを付け忘れている車をよく見るようになった気がします。あれもオートライト機能が一因なんでしょうか? 町中の道路って、夜でもけっこう明るいですからね。あぶねえや。
じゃあ次に、もう少し枠を広げて、仕事のミスでクレームが来てしまった時のことを考えてみましょう。対策の方向としては、ミスを『起こせないようにする』というのが基本になります。「部品を逆に取り付けちゃった」対策として、「部品の形状を変更し、逆向きに取り付けられないようにした」ってやつなんかが有名ですね。
これはこれでクレームの対策としては間違いなく正解なのですが、作業者個人の技術レベル、気づきのアンテナみたいなものは、確実に低下していきます。
結局、対策したのに別の失敗をしちゃって、年間のクレーム件数でみるとたいして減ってなかったりとか。ああ、ご愁傷様。
まあここらへんは事故とか仕事に関わる話なので、安全第一でいってほしいところではありますが。問題は芸術の分野です。
芸術という分野に限って言えば、本人の能力の低下というのは由々しき事態ですよね。
私は『AI絵師』という呼び方がどうも好きになれません。ただ、その線引きはと言われると、なかなかはっきり決められないのです。
完成する作品に対して本人の能力が何も介在していないならば、これは簡単です。ですが、AIにデッサンの段階まで描いてもらい、そのあとを人間が描いたらどうでしょう。もしくは逆に、下書きまで人間が描き、あとはAIに任せて仕上げてもらうのは?
全体の何割まで描けば、人間の絵だと胸を張れるのでしょうか。今の私は、この質問に明確な答えは持っていません。
ただ一つ言えるのは、パソコン上でどんな立派な呪文を打ち込んだとしても、本人のイラスト力はまったく育たないということです。
仮に囲碁や将棋で「9割自分で打つけれど、勝負所だけAIに頼る」というのはどうでしょうか? ――言うまでもなく、アウトです。
でも面白いことに、私は「人間相手にAIのアドバイスを使用する」というのはものすごく卑怯に感じるのですが、「絵画コンテストでデッサンや構図をAIにアドバイスしてもらう」のは、そんなに卑怯には感じないのですよ。やってることは同じだと思うので、自分で自分の線引きがどこなのか、本当によくわかりませんね。
この感覚を、今読んでいるあなたにわかってもらえるかはわかりませんけど、よかったらあなたの意見と、その意見を導き出した経緯を聞かせてもらえると嬉しいです。
実際AIとの付き合い方については、将棋界や囲碁界はかなりうまいことやっていると思います。(これ、AIというよりは、コンピュータとの付き合い方と言うべきかもしれませんね)
AIを研究にうまく使って、人間がさらにレベルアップしているんですよ。将棋については詳しくないのでしりませんが、囲碁に関しては、AI登場の前後で人間全体の平均棋力がアップしているそうです。すごいですね。
これは先ほどの「技術と能力のトレードオフ」という話とは矛盾しません。能力をアップさせるのにAIを利用してはいますが、実際の対局中にはAIを、つまり技術を使用しているわけじゃありませんからね。
そしてなおかつ、勝負の場にAIを持ち込むのはいけないこと、恥ずかしいことだという全体の共通認識もゲットしています。これ、かなりでっかいと思います。
イラスト業界も「個人で使用するのはともかく、企業とかが看板として使用するのって恥ずかしいよねー」という風潮に持っていくことができれば違ったんでしょうけど、現実はなかなかそううまくいきません。
将棋の場合、AIを利用する人は将棋指しとほぼイコールですが、イラスト業界は違います。イラストが欲しい人は単にイラストが欲しいだけであり、それがどうやって書かれたのか、何を意味するかなんて気にする人はごくわずかでしょうから。
自動生成によるAI絵は、これからいろんなものを奪っていくでしょう。それこそ田舎に出店するイオンのように。
イラスト自体の価値はもちろん、イラストレーターさんたちの価値、お給料。そして何より、絵が描きたい、上手くなりたいというモチベーションです。
本当にうまい人は生き残る、なんて言ってる場合じゃないですよ。すそ野が広がらないと、業界全体が死んでいきますからね。下手っぴでも楽しんでやっている人たちが減るのは、業界にとって大きな損失です。
いや、あまり悲観するのもよくないですね。頑張れ人間、私は応援してるぞ。
さて、芸術について語ったついでに、以前から一つ考えていることを聞いてください。
ずばり、小説を芸術というのはズルいのではないか問題です。
ここは文章を書く人が多いので、話を出す場としてはちょうどいいですね。
何を言ってんだというそこのあなた。いえいえ、私自身、小説は立派に芸術の一分野だとは思ってますよ。思いますけど、ただ私が言いたいのはですね、『自分を表現する方法 (=芸術)としての小説は、絵画や音楽と比べて一段階下がった存在ではないのだろうか?』ということです。
例えば夏目漱石先生の草枕ですね。有名な一文ですが、
とかく人の世は生きづらいが、芸術はそれを生きやすくするためのものだ。例えば絵画や詩歌がそれだ。みたいな部分があります。
私も同じような考えなんですよ。
俗なものから距離を置いて、思考を積み上げていく。(なろう小説ってやつは爪の先まで俗っぽさが詰まってそうですけど、そこはまあおいておきましょう)
積み上げられた思考や感情が、最終的に音楽や絵画となって表現されるのが芸術です。ただし、思考をそのまま絵にはできないので、何らかのフィルターを通しての表現になりますよね。私は、そのフィルター部分こそが、芸術の芯の部分じゃなかろうかと考えているわけです。
ところがこれが小説になると、作者の考えってやつをストレートに文章で表現することができてしまいます。「メロスは目に涙を浮かべた」と書いてあったら、友情に感動したんだなあと自然に思いついてしまいますよね。
そういう意味で、文学フィルターの網目は、他の芸術分野よりも一段階荒いのではなかろうか、と思うのです。
例えば、普通に想定される感想がAだとします。二度三度と考えながら読み進めていくうちに、ふと隠されたBという別の感情に気づいてしまう。あれ、ちょっと待てよ、作者が言いたいのは実はCなのでは?
そんなお話が書ければすてきなんでしょうけどね。
私は俗っぽいので、音楽を聴きながらエッセイを書いているとき、なんだかそのミュージシャンに対してズルをしているような、妙な後ろめたさを感じることがたまにあるのです。
たまにですよ、ほんの少しだけです。
とまあ、久しぶりに伝わるかどうかもわからないような話をしてきましたが、どうでしたか?
固い話題ばかりで、あまり面白くなかったらごめんなさい。
この文章を読んで、少しでも新しい考えが生まれたとしたら、嬉しく思います。
ではまた、機会があればお会いしましょう。
またねー。
あんまりとっ散らかるのも嫌だったので、音楽と絵画についてしか言及していませんが、彫刻や詩、ダンスなんかも、みんな素晴らしい芸術です。
私は音楽と絵画が特に好きなので、今回はひいきしました。
いろんなもので自分を表現できる人って、すてきですね。