忘れるべき恋
「好きです。付き合ってください」
クラスのマドンナと言われる存在。
そんな彼女が俺に向かって告白をしてきた。
容姿端麗。成績優秀。運動はちょっぴり苦手。そんな欠点さえも、彼女の魅力の一部だ。
もちろん、性格だって完璧。完璧すぎて、一部の女子からは反感を買っているが、男子は皆彼女に夢中だった。
そんな彼女が俺に告白をしてきた。
「……どうして? 俺なんか成績も良くないし、部活だってはいてないし、それに──」
当然だ。俺なんかが彼女と釣り合うはずがない。
彼女はみんなの憧れ。対して俺は、ただの一般人以下の存在。
ただ、何もない毎日を送る堕落した高校生。
「違う! "なんか"じゃない!
自分のことよりも人を大事にする優しさが好きなんです。あなたの大人っぽいところが好きなんです!」
彼女は想いを伝える。
彼女は真剣だ。だったら、俺も真剣に答える義務がある。
彼女に想いを馳せている人は多い。俺だってその人間の1人だ。
彼女のことは悪いと思っていない。むしろ気になっていた。
今は「好き」という感情を抱いていないけれど、彼女に対する「好意」はいつの日か「好き」に変わるのじゃないかという予感がする。
俺には付き合っている人もいないし、他に気になっている人もいない。
だったら、彼女の告白に応えるのが当然だ。それが最善の選択だ。
だが──
「告白してくれてありがとう。──だけど、ごめんなさい」
分かっていながら、俺は間違った道を選ぶ。
「そ、そうですか……」
彼女が悲しそうな顔を浮かべる。
今にも泣きだしそうだ。
「……どうして、あなたが泣いているんですか?」
だが、涙を流したのは俺の方だった。
◆
「落ち着いた?」
隣に座る彼女が聞いてきた。
俺は彼女を振ったというのに、俺が泣き止むまで隣で座ってくれていた。
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
「良かった。……もぉ、泣きたいのはこっちの方だっていうのに」
頬を膨らませながら、嫌味を言われてしまった。
「ご、ごめん!!」
「嘘だって。そんなに謝らないでよ」
いたずらっぽく笑みを浮かべる。
彼女の名前は大上 舞弓。1・2年生は別のクラスだったが、3年生では俺と同じクラスになった。けれど、特別仲が良いという訳ではなくたまに会話する程度のクラスメート。そう認識していた。
「良かった。いつもの澤尾君に戻った」
彼女──大上さんが俺の名前を呼ぶ。
俺の名前は澤尾 恭生。説明することなんてない。
ただの高校3年生の男子だ。
「大上さんもいつも通りになって良かったよ。さっきはすごいキッチリしていたから」
「それは……。すごく緊張してたから……」
大上さんの顔が赤くなり、どんどんと声のトーンが落ちていく。
先ほどの告白が真剣なものだったと改めて分かり、気持ちが嬉しくなる。
それ以上に、大上さんに申し訳ないという気持ちで一杯になる。
「本当だったんだ……」
俺はポツリと呟く。
「ひどっ! 冗談だと思ってたの!?」
彼女は勢いよく反応してきた。
俺は慌てて誤解を解こうとする。
「ち、違うよ! ほら、罰ゲームかなって一瞬よぎって……」
──が、墓穴を掘ってしまった。
「もっとひどいよ!! 澤尾くん。私のことそんな人だと思ってたの!?」
さらにヒートアップさせてしまった。
「ごめん。ほら、大上さんは可愛いってみんな言ってるし。クラスの人気者だから、俺を好きになるのはあり得ないって思って」
「可愛いってそんな……」
勢いは収まったが、顔は赤いままだった。
大上さんのことは可愛いと思う。
容姿もそうだが、何より会話をするのが楽しい。
優しく話しかけてきて、冗談を言って楽しませてきて、表情が豊かで。
俺は彼女との会話をいつも楽しみにしていた。彼女との会話が好きだ。
「私は澤尾くんのことが好き」
まっすぐな目で俺に向き合う。
俺を見ている。俺だけを。
「罰ゲームなんかじゃない。本気だよ。本当に、澤尾くんとお付き合いがしたいと思っている」
告白だ。
2度目の告白。
今こそ受け入れるべきなのではないだろうか。
さっきのは間違いで、実は俺も大上さんのことが好きだと言えば──。
そうすれば、俺も大上さんも幸せになれる。
だって、俺も大上さんのことが気になっているから。
だけど──。
だけど、俺は──。
間違いを選ぶ。
背中に乗っているなにかが間違いの道へ誘う。
「ごめん。──ごめん」
ただ謝る。
情けない、消えそうな声で謝る。
苦しみ、謝る。
「……やっぱりそうだよね。2回も言わせてごめんね」
彼女が謝る。
悪いのは俺の方だっていうのに。
「……でも、何でそんなに苦しそうなの?」
彼女が問う。当然の疑問だ。
「さっきも泣いていたし。……私で良ければ聞かせてほしいな」
「……」
俺は悩んだ。
彼女に打ち明けるべきか否か。
この話は彼女にとって意味のない話だ。
話したところで、俺の気持ちが晴れるはずもない。
誰も幸せにならない意味のないことだ。
「……おねがい」
彼女が小さくつぶやいた。
「──分かった」
彼女の告白を振ったという罪の意識を感じたせいか。ただ、自分が楽になりたいだけか。
重く閉ざしていた口を開くことにした。
──
俺には幼馴染がいた。
名前は木全 日向。
幼稚園の頃は日向とおままごとをしたりおいかけっこをしたり。
小学校の低学年は縄跳びで勝負したり鬼ごっこをしたり。
小学校の高学年は秘密基地を作ったりドッジボールをしたり。
中学校になると映画に行ったり買い物に行ったり。
朝から日が暮れるまでずっと日向が隣にいた。
そして、中学1年の9月。
日向は俺に告白をしてきた。
「ずっと好きだった。俺と付き合って欲しい」と。
男の俺から言い出せなかったのは少し情けなかったが、俺は喜んで告白を受けた。
日向への"好意"が、いつ"恋"に変わったのかは知らないけれど。
俺は日向に恋をしていた。日向のことが1人の女の子として好きだった。
今までは友達として、幼馴染としてずっと隣にいた。
これからは恋人としてずっと隣にいる。
そう思っていた。
だけど、幸せは長く続くことはなかった。
日向は死んだ。
俺と付き合って1ヶ月も経たないうちに死んだ。
車に轢かれて死んだ。
死因は交通事故。
俺は運転手を憎んだ。道路を憎んだ。世界を憎んだ。
どうして、日向が殺されなきゃいけないんだ!!
なんで、日向が。俺じゃなくてなんで日向が!!
幸せだったはずの毎日が。
幸せになるはずの未来が。
ほんの少し歯車がずれたせいで、一瞬で世界が崩れ落ちた。
──
俺は大上さんに日向のことを全て話した。
大上さんは何も言わずに、ただ頷いてくれた。
「俺は日向のことが忘れられないんだ」
あれから5年が経った。
5年も経ったのに。
好きだった女の子を忘れられない。
「忘れたい。本当は忘れるべきだって分かってる。だけど──」
俺は過去を生きている。
幸せだった毎日に閉じ込められるように。
俺は過去を生きている。
「だから、苦しそうなんだね」
大上さんが赤ちゃんをあやすように優しく声を発する。
「ごめん。俺は日向のことが忘れられない。だから、付き合うことが出来ない」
大上さんは可愛くて優しい子だ。
もし大上さんと付き合えば、きっと幸せだろう。
それが正解だ。
大上さんにとって。俺にとって。日向にとって。
日向は自分のことなんか忘れて俺に幸せになって欲しいと天国で願っているだろう。
日向はそういう性格だ。
俺が一番わかっている。
「わかっている。日向のことを忘れるべきなんだって。でも──」
怖いんだ。
日向といた日々よりも幸せになることが。
まるで、日向との思い出が無かったことになりそうで。
「だから泣いていたんだね」
大上さんはただ俺を肯定してくれた。
「大上さんのことはずっと気になっていた。もし、付き合うことが出来たら楽しいだろうなって思う。
でも、やっぱり日向のことが忘れられない。ごめん」
俺は本心を伝える。
「忘れなくてもいいよ」
大上さんが口を開く。
「日向さんのことは忘れなくてもいい。私とお試しで付き合ってみない?」
「お試し?」
意外な提案に俺はただ反芻した。
「そっ。1週間だけ私と付き合う。その上でもう一度考えてほしい」
あっけらかんとした口調で言う。
だが、大上さんの目は本気だった。
賭けているのだろう。
この1週間に。
俺は──。
「分かった。付き合うよ」
俺は大上さんと1週間だけ付き合うことが決まった。
◆
付き合うことが決まったが、学校の中の生活はほとんど変わらなかった。
ただ、下校時は駅までの帰り道に並んで歩いた。
「へ~、大上さんってオクラ嫌いなんだ」
「だって、あのネバネバが舌に絡みつく感じが気持ち悪いし」
「でも、納豆は好きなんでしょ?」
「納豆は別でしょ? だってネバネバしてないし」
なんてことない会話だ。
お互いの好きな食べ物や好きな映画について話す。
普通のクラスメートのような会話しかしていなかった。
それは大上さんが気を使っているのだろう。
ただ、俺を楽しませるために話しかけていた。
実際、大上さんと話すのは楽しかった。
幸せだった。
でも、心の奥で日向のことがずっと引っかかっていた。
「ねぇ? 土曜日は暇?」
駅に着くと、大上さんが振り返り俺に聞いてきた。
「午後からなら暇だけど」
「良かった。なら、土曜日遊びに行こっか」
「うん」
あっさりとデートの約束が決まった。
「じゃあね」
彼女はそう言って、軽い足取りで駅の方へ走っていった。
──
土曜日。
大上さんと約束した日だ。
あの告白の日から5日が経っていた。
彼女と会話をする回数は増え、お互いの仲が深まったと思う。
会話する程、彼女が良い人だということが実感できる。
会話する程、彼女が俺のことを好きだということが実感できる。
そして、俺は幸せを感じている。
長らく感じなかった胸の高鳴りをひしひしと感じる。
幸せを感じるたびに、俺は胸の奥が苦しくなる。
「お待たせ」
大上さんが軽く手を振りながらこっちに向かってくる。
白いシャツにブラウンのスカート。
ファッションなんて全く分からないけれど、彼女の私服は可愛いなと思った。
「行こうか」
彼女が手を差し出す。
「うん」
だが、俺はその手を握ることはせずに、隣で歩いた。
◆
ショッピングして、映画を見て、カフェで映画の感想を言い合って──。
デートは一般的なものだった。だけど、楽しかった。
俺は大上さんと隣に居れて幸せだった。
幸せの時間はあっという間に過ぎ、時計を見たころにはもう帰る時間になっていた。
「最後に公園に行っていい?」
大上さんの提案により、駅前の公園に向かうことにした。
「ここにしよっか」
俺と大上さんは並んでベンチに座る。
「どうだった?」
大上さんが聞いてくる。
今日のデートの感想だろうか。
「楽しかったよ。とっても」
これは俺の本心だ。
「私も楽しかった。この5日間、澤尾くんと一緒に居れて。前よりもっと好きになったよ」
真剣な表情だ。
「1週間って約束だったけど、今日で最後にしよっか」
「……うん」
驚いたが、俺は静かに頷いた。
これが大上さんにとって一番良い選択だと思うから。
「私はこの5日間ものすっごく楽しかった。澤尾くんは?」
「俺も本当に楽しかった。幸せだった」
本心だ。
「……でも、日向さんのことを忘れられなかったんだよね?」
「……うん」
これも本心だ。
「私は構わない。日向さんのことを忘れなくても。
私に背負わせてほしい。日向さんの分まで」
これが彼女なりの答えだった。
「忘れられないなら。忘れなくてもいいんだよ」
彼女はゆっくりとした口調で優しく微笑む。
「一緒に背負って幸せになろう?」
彼女は俺に手を差し出す。
背負わなくていいんだ。
忘れなくてもいいんだ。
幸せになっていいんだ。
誰もが幸せを望む。
誰もが俺と大上さんが付き合っていることを望む。
俺も。大上さんも。日向さんも。
この手を取れば、幸せになれる。
この手を取ることが正解だとわかっている。
──だが、俺は間違った道を選ぶ。
「ごめん」
俺は彼女の手を取ることはしなかった。
「そっか」
それだけ言って、彼女は走り去った。
それから俺と大上さんは卒業の日まで言葉を交わすことは無かった。
──
門出の日。
今日は卒業式だ。
いや、だったと言う方が正しいかもしれない。
卒業式もすでに終わり、俺は帰る途中だからだ。
俺は下駄箱から靴を取り出し。
校門へ向かう。
人を避けて歩く途中、
「あっ」
そこに、大上さんが居た。
「良かった。帰ってたらどうしようかと思ってた」
大上さんは俺の元へ近づいた。
大上さんと話すのはあの日以来だった。
「卒業おめでとう」
「大上さんもおめでとう」
お互い言葉を交わす。
「澤尾くんとは別の大学だよね」
「……うん」
小さく頷く。
「……最後のお願い聞いてくれる?」
俺は何も言わずに目で合図する。
「私は澤尾くんのことが好きです。付き合ってください」
彼女はやっぱり優しい人だ。
「……ごめん」
俺はただ謝った。
「うん。分かった」
彼女は下を向き、噛み締めるように言葉を発する。
数秒後、上を向き大きく息を吸い上げた。
「ヨシ! 私絶対に幸せになるから! 澤尾くんに後悔させてやるんだから!」
彼女は明るく元気にふるまう。
「だから、澤尾くんも絶対幸せになってね!!」
朗らかに笑い、彼女は校内の方へ走って行った。
俺は──ただその場で立ち尽くすことしか出来なかった。
──
あれから10年以上の時が流れた。
俺の元に1通の手紙が来た。
差出人は、大上さんだった。
卒業式の日からは一度も連絡を取っていない。
俺はゆっくりと封を開けた。
「澤尾様
同窓会に登録している住所を使って手紙を送らせていただきました。
ごめんなさい。
この度結婚が決まりましたので、近況報告として澤尾くんにお手紙を書きました。
あれから10年以上経っているけど、澤尾くんは元気ですか? 誰も近況を知らないので少し心配です。
澤尾くんとの思い出は今でも私の大切な思い出です。
たった5日だったけど、私の初めての好きな人とのお出かけは凄く楽しかったです。
漫画みたいに初恋は実ることはなかったけど、この初恋はずっと忘れないと思います。
私はあなたとの思い出を背負って幸せになります。
あの時よりもずっと幸せになるために、私は今の彼と結婚することを決めました。
澤尾くん。
澤尾くんも幸せになってください。日向さんのためにも」
俺は天井を仰ぐ。
そうでもしないと涙がこぼれてしまいそうだから。
俺は今でも日向との思い出の中で生きている。
ずっと過去を上書きすることを拒んでいる。
あの日以上の幸せを俺は望んでいない。
俺は今もまだあの恋を忘れることが出来ない。
忘れるべき恋を。