1.ランクE
ドラフトの吸気音とカチャカチャとガラスがぶつかる音しかしない実験室。そこに白衣を着た男が一人。
長時間作業の疲れからか手が滑る。
ガシャン
「あ、これマズ――」
刹那、実験室は業火に包まれ、男の体は消し炭と化した。
◇◇◇◇
「ねぇ、もう起きなさいってば」
「うるさいなぁ、もう少し寝かせてくれよ」
俺はがっしりと布団をつかんで籠城を決め込む。
そうはさせまいと声の主もまた布団をがっしりとつかんではぎ取ろうとする。
そうもしている間に振り乱れた彼女の長い髪が俺の頬をなで、あまりのくすぐったさにあっけなく手の力が抜けてしまう。
「おはよう」
得意げに笑みを浮かべてはぎ取った布団を掲げる彼女に、いかにも恨めしそうに
「おはよう……」
と返す。
そんなことも意にも留めず、彼女は
「ほら、早くしないと今日の募集なくなっちゃうよ」
と続ける。
「わかったよ。準備するからほらほら出てった、出てった」
彼女を部屋から追い出し、朝の支度をする。ここからギルドへの距離は205.7メートルだから今から歩いて行っても遅くないはずだ。
「行ってきまーす」
「お邪魔しましたー!」
玄関を出て朝の冷ややかで澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと、ようやく寝ぼけていた頭がさえてくる。
市場を抜けてギルドへとつながる一本道の並木は朝露で湿っている。
俺の名前はリミア。 正確に言えば、この世界ではそう呼ばれている。
というのも、実験中に起こった爆発に巻き込まれ、元居た世界の記憶を持ったまま、この異世界に転生したのである。
幸いなことに、俺が生まれたアシュフォード家は村の技師をやっている家であった。幼いころから家業を手伝って、一通りの工具、そしてこの世界の工学をかじることができた。
また、幼いころから科学(この世界では錬金術というが、)に興味を持ち、いわゆる実験大好きっ子であった俺に両親は寛大であった。
「ねぇ、リミア。今日はどんな依頼があるのかしら」
「前回なんかドブの清掃だったからな。あの臭い、家に帰っても取れないんだもんな。まぁ今日は住民の屋根の修理や農家の手伝いといったところだろう。良くてせいぜい森で素材採取とかじゃないか?」
「そうよね……。早く功績値をためて、ランクアップしなくちゃ!なんたって、世界は勇者ニーナ様の登場を待ちわびているんだから!」
「はいはい、せいぜいがんばれよ。勇者見習いニーナ様」
少女のあまりの楽観主義にあきれ返ってしまう。幼馴染である彼女の楽観主義は昔からまったく変わっていない。
とは言っても、早くランクアップしなければならないのは事実だ。実験でより危険な物質を使うにはギルドの一定のランクのライセンスが必要になる。少なくともBランクにならなければ錬金術の最先端の研究は物質的にほぼ不可能といってもいい。どうにかして一流錬金術師として、この世界をあっと言わせてやるのだ。元の世界で不可能な夢だったが、この世界なら……。
「ねぇ、ちょっと聞いてるの!? 」
隣でぶーぶー文句を垂れている幼馴染の少女を無視して、思索にふける。
いたっ!
頬をつねられた。
「はいはい、悪かったな」
そう言いながらニーナのほうを見ると、口をとがらせ、二つの眼でこちらをじろりとにらんでいる。
こちらも負けじと目を離さない、
ジジジ……
数秒もしないうちに、ニーナは白い頬を赤く染め目をそらしてしまった。
その姿の面白さに、こちらも思わず笑みがこぼれてしまう。つられて彼女も笑い出す。
そうして二人で笑いあった後はとりとめのない話をしていると、すぐにギルドにたどり着いた。
早速中に入り、受付のすぐ左隣にある今日の募集が張られた掲示板を確認する。
掲示板の右下には、耳にたこができるほど、いや、目にたこができるほど見慣れたポスターが張られている。そこには日に焼けて変色したインクでこう書かれている。
========================
冒険者大募集
方法は簡単
①ギルド協会に新規冒険者申込をする!
②掲示板の依頼をこなして、功績値をためる!
③ランクアップクエストをこなす!
④ランクアップ!!後はこれの繰り返しだ!
========================
そのポスターを見つめながら、そうも簡単にはいかないんだよなぁと考える。実際B以上のランクともなると任務中の死亡率が20%ともなる危険な依頼ばかりとなるのだ。
「これとかいいんじゃない? 」
依頼:素材収集
報酬500G 功績値20
ニーナが指さしたのは、森にいって解熱剤の原料になるストラの樹皮を集めてくるというものであった。もちろんEランク冒険者である俺達に選べるような依頼なんてほとんどないので募集があるだけラッキーなほうであった。しかも素材取集系の依頼はモンスターが出る危険性があるためEランクの他の仕事よりも功績値が高く、ランクアップを目指す俺達にはおあつらえ向きであった。
「まぁ、これしかないなら十分だと思うけど。」
「ちなみに、今日も募集してるわよ……。ドブ掃除……。」
「そんなにやりたいのか?」
「絶対に嫌よ!ほら、さっさと受付してくるわよ」
受付を済ませると、装備を整えてさっそく指定された素材を採取することのできる森まで到着した。常緑広葉樹が茂った森の中は静寂に包まれており、時々どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。
けもの道が時々あるにはあるが、ここら辺の地理に詳しくないものであれば森の中で迷ってしまうということもありそうだ。俺達も実はここら辺の地理はさっぱりだが、道に迷う心配はなかった。
なぜならばスキル<座標>があるからだ。
俺がこの世界に転生した時から持っているこのスキルは、頭の中に絶対的な座標を持っていて、見ただけで物の大きさや距離を測ったり、一度通った道のマッピングを完璧に行ったりすることができるという
地味だが便利なスキルだ。
ちなみにこれを使えば女の子の3サイz――
「あんた、なんかやらしい顔してるわよ。」
「へ?まっさかぁ~」
しまった。顔に出ていたか。
ニーナとはもう長い付き合いであるから、簡単に考えていることは見抜かれてしまう。
青い髪に可愛らしい顔の彼女は黙っていれば絵になるのだが、天性のお転婆さでなかなか危なっかしいところがあり、兄妹のように感じられる彼女を心配してしまうことも多々あるのだ。
「あと一本、ストラの木を見つけられれば終わりね。」
「それならさっき、向こうの小高いところに樹冠が見えていたぞ。」
「わかったわ、パパっと終わらせましょ。」
そういうと彼女は木々を抜けた先に見える湖の方へ歩き出した。
「ちょっと待って、こっちのほうが早い。」
ここら辺はマッピング済みである。このスキルは、攻撃にはあまり向かないが探索や素材取集の依頼との相性は抜群だ。
「あんたのそのスキル割と役に立つわね、地味だけど」
「地味ってなんだよ、まぁ、否定はしないけど」
などと話しながら残りの木を目指す。
目的地に着くと、やけに閑散としていた。
あまりにも静かすぎる――
「どうしたの? モンスターが出てきたら私の剣で真っ二つか魔法で丸焼きにしてやるから安心しなさい!」
最後の樹皮の採取を終えたニーナが声をかけてきた。
どうやら不安が顔に出ていたのに気付かれてしまったらしい。
「確かに、お前の物理・魔法の攻撃力の高さは第一線の勇者にも引けを取らないのはわかってるさ」
「あら、よくわかってるじゃない。」
「ただなぁ、当たらなければ意味がないんだぞ。大体攻撃するときに目をつぶっていたんじゃあたるわけがないじゃないか」
そうである。ニーナは抜群の素質を持っていながら、命中率がものすごく悪いのだ。この間もここら辺で最弱といわれるモンスターにも空振りを繰り返す始末である。
「そういうあなただって攻撃力はミジンコ以下じゃな――」
ズンッ
突然の地響きに二人とも息をのむ。足から脊髄へ振動が突き抜けるような重低音だ。
ズンッ
どうやら足音の主はこちらへ向かってきているらしい。このままでは、いけない。本能が警鐘を鳴らす。
バキィ!
やがて前方の木々がなぎ倒しながらその足音の主は姿を現した。姿を現したのは巨大な魔猪であった。二本の立派な牙を蓄え、血走った眼で俺たちを見つめている。黒々とした毛は逆立ち、今にも目の前の2匹の小動物を突き殺そうとせんばかりの風格を醸し出している。この二人では到底太刀打ちできない。
「ちょっと! これはやばいんじゃない?……」
どうやらこれはスキル<座標>の本領発揮となるようだ。
「逃げるぞついてこい!!」
◇◇◇◇
ランクアップまであと功績値20
初めての投稿になります。週一の投稿を目指しておりますのでよろしくお願いします。