One week later ~ラストエピソード~(中編)
マーティアスが捕らわれていたのはロンの事情聴取のときに来た特別拘置室ではなく、五階の特別房だった。
以前と違い、部屋は手前に二つ、奥に一つしかない。一つ一つの部屋がやや大きいというのもあるが、完全管理のためにさまざまなシステムが搭載されているから、らしい。
マーティアスに対してはその中でも一番厳重な監視体制になっている、とミツルは言った。黙秘を続けているためどういう精神状態なのか全くわからないからだと言う。
ミツルは拘置棟の左奥にある頑丈そうな扉を開けると、
「それではお願いします」
と、中へと声かけた。
随分暗いな、と思いながらミツルの肩越しに室内を覗き見る。
照明は間接照明のみで、おびただしく壁面に並ぶモニターが随分と眩しく感じられる。その前に置かれている長机にはコンピューター機器が並んでおり、二人の人間が据わっていた。
窓はなく、換気のためか巨大ファンが天井で回っている。冷房はあるだろうが、機器が多いため発生する熱量も多い。効率よく熱を逃がすためだろうか。
恐らく、特別房の中を二十四時間監視するための部屋なのだろう。通常の被疑者は警備官が部屋から連れ出して取調室まで連れて行き、そこで取調官と話をする。終わればまた部屋に戻される。
しかしこの特別房というのは、外部との接触を断たれた孤高の空間。つまり、その部屋から動かすこと自体が憚られる『要注意人物』が入れられる部屋だ。
ロンがいた部屋はすぐ隣に小部屋があり直接覗けるようになっていたが、こちらは刺激しないためかより慎重で厳重なつくりになっているのだろう。行動が監視されているだけでなく、同時に記録も取られているに違いない。
中にいた二人のうちの片方がスッと立ち上がり、ミツルの方へと歩いてきた。三十代半ばぐらいで警備官の制服を身に纏っているが、会ったことは無い。内勤専門なのだろう。
「彼と一緒に奥から二番目の部屋に入ってください」
「わかりました」
なるほど、彼は付き添いか……と思いながら、ミツルにも敬語で返事をする。
今この場は特捜任務とは無関係だからだ。
「拘束を解除したあと、彼は部屋の外に出ます」
「えっ」
「二人きりになりますが、こちらから監視していますので」
「……はい」
マーティアスを警戒させないために、か。通常の取り調べなら取調官の他一名は必ず付き添うはず。
表面上とは言え一対一で会わせるなんて、これは本当に異例なことだ。それだけ期待されているのだろうか。
しかし話をしろと言われてもどうしたらいいかわからない。
憂鬱ではあるが、俺も過去を過去にしなければならない。そのために必要なことなのだろう……そう思うしかないか……。
指定された扉の前につくと、警備官がさっと前に出てゴンゴン、と金属製の扉をノックした。
返事を待たず、そのまま扉を開ける。
中は、コンクリートに囲まれた五メートル四方ぐらいの広い空間。窓はなく、明かりは低い位置に付けられた青白い間接照明だけ。
その光によって部屋の中が淡いブルーに染められ、まるで海の中にいるような、そんな気分にさせられる。
マーティアスはその中央にある黒いひじ掛け付きのシングルソファに座らせられていた。着ているのは丸首の白い長そでワンピースのようなものだが、中で両腕は腕組みのように交差して拘束されており、全く動かせなくなっている。
体は椅子に固定されてはいなかったが猿轡は噛まされており、金属製の四角く分厚いゴーグルのような目隠しを付けさせられていた。
舌を噛んで自死する可能性を考えたのだろうか……。確かに、あり得ない訳じゃない……。
破壊されていくオーパーツを呆然と眺めていたマーティアスの横顔が、ふと脳裏をよぎる。
マーティアスはソファの背もたれに寄り掛かり、まっすぐ前を向いていた。ひとまとめにしてあった髪は解けてしまったらしく、乱れた金色の髪が波打っている。
しかし俺と警備官が部屋の中に入っても、彼女はピクリとも動かなかった。
警備官がつかつかと彼女に近寄り、背後に立つ。ピン、という電子錠が外れる音が聞こえ、彼女の猿轡がぽとりと膝の上に落ちた。
口元をキュッと引き締めた彼女がたまった唾を呑み込んだ仕草をする。続けて警備官が目隠しに手をかけたのを感じ、わずかに肩を揺らした。
「……っ……」
「面会です」
どうやら一日の大半を視界を塞がれた状態で過ごしているようだ。なるべく知覚を奪っておとなしくさせるためだろうか。
マーティアスは目隠しを外されることに驚きを隠せないらしく、唇がわずかに震えていた。
入口の扉とマーティアスとの中間、彼女からは二メートルほど離れた場所に一人用の小さな机と椅子が置かれている。
その場所までゆっくりと歩き、彼女と向かい合った。警備官が俺の動きを見て電子錠を解錠し、目隠しを取り外す。
「……」
ゆっくりと瞳を開けたマーティアスが何回か瞬きをする。そしてグッと正面を見据えた。俺の視線が彼女の碧の瞳とまっすぐにぶつかる。
「……っ……」
俺の姿が認識できたらしい。さすがに驚きを隠せないのか、一瞬だけ瞳が大きく見開く。
「……こんにちは」
やつれてはいたが、あのときよりはずっと落ち着いている様子だった。つまりマーティアスは、意図して黙りこくっていたのだろう。
挨拶をしながら向かいの椅子に座ったが、彼女はピクリとも動かなかった。扉から出ていく警備官の後ろ姿を見、続けて俺を見る。
「あなたが僕を呼んでいる、と聞きましたが」
「……」
俺の言葉に、マーティアスは答えなかった。わずかに眉根を寄せるのみ。
呼んでなどいない、と言いたげだが、これまで黙秘を貫いてきただけに言葉を発したくないのだろう。
マーティアスは口元を引き結んだまま体をソファの背もたれに預け、ゆっくりと瞳を閉じた。
「……」
「……」
無言の時間が続く。
俺の言葉を待っているのか。しかし俺は取り調べに来たわけではないので、マーティアスにかける言葉なぞ持ち合わせてはいない。
これは根比べになりそうだ、と思いながら、彼女の閉ざされた瞳をじっと見つめていた。
マーティアスがゆっくりと瞼を開ける。俺と視線が合うとギュッと眉根を寄せて目を閉じる。
……そんなことが、三回ほど繰り返されただろうか。
「……何の用だ」
根負けしたように、マーティアスが口を開いた。
「用があったのは、そちらでは?」
「ない、何も」
ぶっきらぼうに言い捨てる。この口調は、マーティアス・ロッシではない。光学研所長スーザン・バルマの方か。
落ち着いて見えたのも、そのせいだろう。彼女の中の過去のマーティアスを引き出すことが、俺の仕事だろうか。
「……そうですか。では」
スッと立ち上がろうとすると、マーティアスが
「待て!」
と叫び、ソファから立ち上がろうとした。拘束された両腕のせいで上手くバランスが保てず、よろめきながら。
「はい?」
「……っ……」
咄嗟に引き留めてしまったマーティアスが、悔しそうに口元を歪める。
ふう、と鼻から息を漏らし、黒いソファに座り直した。
「用はないが、会ったら聞きたいと思っていたことはあった」
「何でしょう?」
「……なぜアヤを知っている?」
やはりそれか、と思いながら微かに頷く。
「お二人がO研に所属していた頃、何回か見ていたので」
「それだけ?」
「はい」
「しかし七年も昔の話。あれでは……」
言いかけて、マーティアスがハッとしたように言い淀む。
喋り過ぎた、と思っているのだろうか。
「感じたことは、喋ってください。あなたの今の精神状態が分からないから、警戒されてこれほど拘束されているんです」
「……」
「ちゃんと話して危険性が無いと分かれば、少なくとも猿轡は無くなりますよ」
む、と口元を強く引き結んだマーティアスが、拘束された自分の両腕を見下ろす。
そして再び俺へと視線を向けると、じーっと穴が開くほど見つめた。やがてふう、と溜息を漏らす。
「……あのとき本当に、アヤが乗り移ったのかと思った」
「……」
「一瞬、姿が重なって見えたぐらいだ。全然、似ても似つかないのに」
「あなたがその姿を追い求めていたからでしょう」
「そういう問題?」
「本人を知っていましたし」
「それにしたって……似すぎてた。口調も、仕草も」
「得意技なので」
淡々と言葉を返すと、マーティアスが再び俺を見、また大きな溜息をついた。
「だから……か。だから、正体がバレたのか……」
「はい」
「当時は子供だっただろうに……何者?」
マーティアスには俺がいったい何歳に見えているのだろうか。
自分の童顔をやや呪いながらも、マーティアスが少しだけ警戒を解いたように見えて心が軽くなる。
「何者と言われても……O監警備官という立場上、経歴をお話しする訳にはいきません」
「本当にO監の人間だったのか……」
サルブレア製鋼では暗闇の中だったし、グラハムさんに意識が向いていたから俺のことは殆ど記憶に残っていなかったのだろう。
遺跡で対面したときは、すでに錯乱状態だったし。
「アヤの弟……ではないよな。確かアヤは一人っ子だった」
「お二人はいつ出会ったんですか?」
「……オーラス財団の、奨学金説明会で。私もアヤも、あまり裕福な家ではなかったから」
ということは、高等教育を終えた十六歳頃か。
確か、オーラス財団は理工系の志望者に奨学金を提供する事業を行っている。グラハムさんが警察から得た情報では、過去にはその奨学生が自社の技術をオーラス傘下の企業に売ろうとした、という事件があったそうだ。
奨学生のリストは入手できず、各大学に問い合わせるにしても一人一人の裏を取るのは時間がかかり過ぎる。
結局こちらの線からは捜査を進められなかったのだが……オーラスはやはり、自分の息のかかった研究者をO研に送り込むことを想定していたのかもしれない。
少なくとも、オーラスがマーティアスに目をつけるきっかけはこの時点であったことになる。
「奨学金を受けて、専門大学に進学したのですね」
「……」
「そして博士一年でO研に引き抜かれた、と」
「……」
喋り過ぎたと思ったのか、再びマーティアスが口をつぐむ。俺の言葉に一切反応しない。
しかし随分と極端な反応だ。ある意味、とても彼女らしい、と思った。
マーティアスの心はぐらついている。昔の自分を思い出すべきか、否か。
「経歴自体はすでにO監で調査済みですから、そこは黙っていても仕方がないですよ」
「……」
「先ほども言いましたが、あなたがO監に協力的になってくれればこんな拘束は解かれるんです」
「……」
「あなたがこの七年でしてきた研究は、あなたにしか分からないことも多い。そういったことを……」
「嫌だ」
マーティアスがプイ、と首を横に向ける。
その仕草は、かつても見たことがあるような気がする。アヤ・クルトと言い争いになり、どうにも納得できないときだったか。
「あなたが喋ろうがこのまま黙秘を続けようが、もう一生外には出られません」
シャルトルトには死刑は無い。終身刑のみだ。
マーティアス・ロッシの犯した罪を考えれば、恩赦を受けることもないだろう。
「ならば、この七年余りのあなたの想いを、全部吐き出した方がよいのではないですか? 研究だけではない。不満も、愚痴も、全部」
「……」
「オーパーツの危険性は一番よく解っているでしょう。今でもたまに発掘作業の事故が報告されていますが、どうにか死傷者を出さずに済んでいる」
「……」
「もしあなたが協力してくれれば、あのときのような大規模な事故は……」
「他の人間なんか知ったことか!」
ずっと我慢して口をつぐんでいたマーティアスが、溜まりかねたように叫び出す。
「私が助けたかったのは、アヤだけだ! アヤ……だけ……」
俺を睨みつけていた碧の瞳から、大粒の涙が溢れる。
「あと……もう少しだったのに!」
「……」
「この世界に……オーパーツの研究と発展に必要なのはアヤだ。アヤがいなくなったら、もうどうにもならない!」
「……」
「わた、私だけが、アヤを救ってあげられるのに……っ!」
ああああー!……という、悲鳴のような嘆き声が、青い部屋に響き渡る。
両腕を拘束されたマーティアスは、自分の涙を拭くことができない。大量の水滴が白い拘束服をじわじわと濡らしていく。
――マーティアスの狂気が、垣間見えた気がした。
アヤ・クルトを崇拝しつつも――同時に感じていた劣等感。なぜ自分の方が生き残ったのか、要らないのは自分の方だという強烈な思い込み。
その歪な想いは、いつしか『アヤを救ってあげられるのは自分だけ』という驕りへと変わっていったのだろうか。
アヤ・クルトを救う――そうすれば、自分はこの世界に必要な人間なのだと誇ることができる、と。
「――当時のO研の見解は、違いますが」
俺の言葉に、マーティアスが喉を詰まらせる。
かなり意外だったらしく、細い碧の瞳が大きく見開いていた。
「当時まだ学生だったあなたたちをO研に抜擢した理由です。既存の研究を完成させるためにはアヤ・クルトが必要であり――未知の研究を押し進めるためにはマーティアス・ロッシが必要だった、と」
「……え……」
「あなたは特に、段取りも根回しもすべて無視しかねない。組織の中で動くことには向いていない」
「……」
「それもあり、アヤ・クルトと二人で、という決定になったそうです」
「……嘘」
「残された資料のもと、当時の所長にも確認したので間違いありません」
あれは、アルフレッドさんの部屋にあったファイルで初めて二人を見つけたときだったか。
これで間違いないか念のためアルフレッドさんに確認したとき、博士課程に身を置いていた彼女達がO研に抜擢された理由を話してくれた。
当時はまさかマーティアスが生きているとは思わなかったから、そんな明るい未来を託されていた研究熱心な彼女達が不幸な事故で死んでしまったのか、とショックを受けたのだが。
「……そんな……」
ホロリ、と涙がまたひとしずく、マーティアスの頬を伝う。
その瞳はわずかに輝いているように見えた。……いっぱい溜まった、涙のせいだけではなく。
見かねて、ポケットから白いハンカチを取り出し、そっと差し出す。
「使いますか?」
「……要らない。この状態では……どうにもならないし」
「拘束が解かれたら使えますよ。……ここに置いておきますね」
テーブルの上に、そっと置く。
それを見たマーティアスは一瞬だけ唇を噛みしめたあと、ふい、と横を向いた。
「……もう、帰って」
「……」
「……疲れた、ひどく」
それは本心だろう、と思った。
アヤ・クルトに出会って一緒に時を過ごし、突然死に別れ、彼女の幻を追い求めて過ごした……十四年。
彼女の世界には、アヤ・クルトしかいなかった。しかも、彼女の思い込みによってひどく高みに上げられてしまった、虚像の彼女しか。
これで、呪縛は解けただろうか。……そう祈りたい。
「わかりました」
なるべく音を立てずに、席を立つ。そのままくるりと背を向けた。
――多分、もう二度と会うことはないだろう。ラキ局長がそうそう面会許可を出すとも思えないし、俺が再会を望んでいるかと言えば、難しいところだ。
「……『ディタ・プロスペリータ』……」
不意に、マーティアスの小さな呟き声が聞こえてくる。
『ディタ・プロスペリータ』――俺が二人を見ていた、実家の食堂の名前。
驚いて振り返ると、マーティアスがわずかに口を開けて俺を見上げていた。涙の痕を、頬に残したまま。
「え……」
「その顔、やっぱりそうか。ようやく合点がいった。……あのときの子だ。お店の子。日替わり定食が美味しかった。……思い出した」
研究者の性だろうか。『なぜアヤ・クルトを知っていたのか』――その最初の問いの答えを見つけ出せたのが嬉しいらしい。
続けざまに言葉を漏らすと、わずかに微笑む。
「……ありがとう」
「いえ……」
マーティアスが、何に対して「ありがとう」と言ったのかは分からない。
そして俺も、なぜ目頭が熱くなっているのかよく分からなかった。
どう顔を作ったらいいかわからず――そのまま視線を伏せて、俺はマーティアスの部屋を後にした。




