第33日-2 消失 ★
懐中時計から発せられた電流――〈クリスタレス〉起動の証。
反射的に声を上げて二人の前に飛び出したが、間に合わなかった。
オーラスはいつの間にかグラハムさんの背後に回っていた。その後頭部に銃口を押し付けている。
「おお、これはなかなか愉快だな」
オーラスの口の右端が歪み、明らかに馬鹿にしたように声を上げる。
茂みから飛び出した俺にもチラリと視線を寄越し、「おかしな真似はするなよ」と脅すように自分の左手の銃へと顎でしゃくってみせた。
グロック26、超小型自動拳銃。携帯用として優れたこの銃はグリップも握りやすく女性でも扱えると評判だが、当然民間人の所有は禁じられている。
この銃がオーパーツとは思えない。ということは、やはり〈クリスタレス〉は杖の方か。
「俺のような老いぼれでも、若造の背後を易々と取れる」
優越感にどっぷりと浸ったような笑みを浮かべ、オーラスが右手の杖でトン、と地面を突く。
年齢の割に足腰がしっかりしているオーラスが肌身離さず杖を持っている理由。
それは手で握る必要がある〈クリスタレス〉を仕込むのにちょうど良かったからではないか。
オーパーツを誰よりも欲しているオーラスが、少年達に使わせるだけで自分が使わないなんてことがあるだろうか。
マーティアスが少年達を使って実験し、作り上げた〈クリスタレス〉は、たびたびオーラスに献上されていたのだろう。
イアン・エバンズと交わしていたのは『情報』だけじゃない。それならば、やりとりは電話で済む。
イヴェール工場でわざわざ会ったのは、オーラスに渡さなければならない『物』があったからではないのか。
その推測は当たっていた訳だが、オーラスの動きはこちらの予想よりもはるかに早く、隙が無かった。
「その代わり、身体ん中に毒が溜まるって話だぜ」
そう言いながらグラハムさんが腰の《トラロック》に手を伸ばそうとしたが、オーラスの目は節穴ではなかった。銃口をさらにカーキ色の髪の奥へと力任せに押し付ける。
「この年齢にそんな脅しは効かんよ。既に痛みの一つや二つ抱えている。それに、時間を超えれば、さしたる問題でもないわ!」
オーラスが右手の杖を振りかぶる。
「グラハムさん!」
咄嗟に叫んだが間に合わず、頭を杖で殴られたグラハムさんが倒れ込む。
駆け寄ろうとしたが、オーラスはその銃口をグラハムさんから外さない。俺には視線で牽制したまま、グッと銃を持つ左手と杖を持つ右手に力が籠る。
この野郎……俺に銃口が向けられたのなら、構うこと無く飛び込んでいた。《クレストフィスト》で強化された左腕なら大したことはない。二、三発なら耐えられるのに。
こういう咄嗟の判断はどこから来るのか。伊達に長くこのシャルトルトに君臨してはいないらしい。
「本気で……本気で時間を超えるなんて考えていやがんのか!? 過去を書き換えるなんて、そんなこと!」
「目の前に我慢ならない事実が転がり落ちている。それを排除しようとしてなにが悪い」
「無関係な人間を巻き込んで不幸にしているだけで十分あくどいぜ!」
体勢を整えたグラハムさんが地面に座り込んだままオーラスに向かって銃を突きつける。しかしオーラスは全く動じず、冷めた目で見下ろすだけだった。――相変わらず、銃口をグラハムさんに突き付けたまま。
「その事実も、間もなく消える」
「マーティアス・ロッシの時間超越理論は、自分を過去に飛ばすことだ。あんた自身が若返って、もう一度過去をやり直せるわけじゃない」
「だが、過去の俺に別の未来を渡すことはできる」
「現在の自分は消えるぜ」
「目的が達成されるのであれば、構わん」
「親殺しのパラドックスって知ってるか?」
「だったら、何故お前は俺を追う?」
早口の舌戦を制したのは、オーラスだった。グラハムさんがぐうっと言葉を詰まらせる。
過去の自分に未来を渡す。
現在の自分は消えてもいい。
オーラスとマーティアスは同じ目的で動いているとカミロは言っていたそうだ。
同じ目的――『過去を遡ってこれまであった出来事を書き換える』ということ。
オーラスの書き換えたい過去はわかった。じゃあ、マーティアスは?
彼女が、マーティアスという本来の自分を殺してまで――現在を、そしてそこから繋がる未来を潰してまで変えたい過去とは?
「……何故です?」
知らない間に、言葉が俺の口をついて出る。「ん?」と訝し気に右の眉を上げたオーラスと目が合った。
一歩、オーラスへと歩みを進める。
「そんなに……現在が嫌いですか。何故?」
過去を間違えたらしい、オーラスとマーティアス。
しかしそれは、本人がそう思っているだけじゃないのか。
オーラスの一番の失敗は、ダーニッシュを頼ったことだという。
しかしそのときのオーラスの技術力ではそれが最善だったはずで、それ以外の選択肢は無かっただろうに。
マーティアスもそうじゃないのか? 彼女の失敗が何かは分からない。しかしそれはどうにもならないもので、彼女だけが間違いだと思っているんじゃないのか?
オーラスもマーティアスも、自分で自分に呪いをかけているのだ。
「……」
オーラスの顔が一回り大きくなるほど近づいたところで、カチャカチャという銃を振る音に気付いた。銃口はグラハムさんに向けられたままだ。
それ以上近づくな、という警告だ。我に返って歩みは止めたが、言葉は止まらなかった。
「現在の自分を捨ててまで、過去にいったい何を求めるんですか。多くの人を巻き込んで、中にはその〝現在〟が大切な人もいるのに」
「悔やんでも悔やみきれない過去を持ったことがない小僧には解らんよ」
「……」
オーラスの台詞に、返す言葉が無かった。
悔やんでも悔やみきれない過去――そんなものは確かに存在しない、が。
仮に、過去に遡って……ハンカチを届けた、あの日に戻って。
あのときのマーティアス――いや、『マーサ』のまま、いられるように。
彼女が狂わないように、自分を殺さないように、気にかけることはできるだろうか?
そうすれば、こんな事件は起こらなかったのだろうか――。
「解りたかないね、そんなの!」
グラハムさんの大声で、我に返る。
一瞬だけ、そのモスグリーンの瞳と目が合った。
「いらねぇよ。過去には戻れない。それが普通だ」
「……!」
不意に、目の前が開ける。得体の知れない靄が消える。
そうだ、それが普通だった。……危うく、オーラスの罠に嵌るところだった。
過去を悔いるより未来を見つめること。そして、未来に繋がる現在の自分を見失わないこと。
オーパーツに関わる者として、それが絶対に必要なこと。決して忘れてはいけないことだ。
「あんたに過去をやり直しされちゃ、俺は可愛い彼女を失っちまう。だから断固阻止させてもらう」
グラハムさんの台詞を合図に、オーラスへと駆け出す。体勢を整えたグラハムさんなら、銃撃一発ぐらいならどうにかなる。
まずは〈クリスタレス〉の使用を阻止すること。
紅閃棍を構え、振り下ろされようとしている杖に狙いを定めるが、いつの間にか消えていた。
左後方に空気の揺らぎを感じ、咄嗟に前方へとジャンプする。銃声が後方で轟くが、オーラスは俺の動きにはついていけなかったようだ。硝煙の匂いが鼻を掠めるが、弾は当たってはいない。
「銃を捨てろ!」
ミツルの指示か、それとも堪えきれなくなったのか、茂みや物陰から捜査官と警備官が出てきた。
その銃口は一斉にオーラスに向けられていたが――今は、それはマズい。オーラスは時間を止められる。彼らからの距離では、弾はオーラスに当たる前に躱されてしまう。遠距離攻撃は全く意味を為さない。
「やめろ、撃つな!」
グラハムさんの制止の声は間に合わず、警備官が発砲する。しかし威嚇射撃だったらしく、銃弾は石畳で弾かれた。
すぐさま《クレストフィスト》を操作、第三形態〝ザ・サークル〟を起動する。半球状のシールドを出現させ、盾のように体の前で構えた。
三秒止められようが、これなら銃弾が身体には当たることはない。駆け続ける足にも当たりはしない。
右手で紅閃棍を構える。十分に振るえる状態ではないが、要はオーラスの右手の杖を弾けばいいだけのこと。
膝に力を入れ、オーラスに向かって駆け出す。
「……!」
オーラスは俺を攻撃するより逃げる方を選択したようだ。瞬間移動しながら奥へ奥へと、人がいない方へ遠ざかっていく。
三秒ごとに俺の身体に伝わる電流が、〈クリスタレス〉の起動を表している。
これだけ食らい続けると、さすがに慣れてくる。……慣れたくはなかったが。
「老人を敬わんか、若造め!」
「だったらお手本示すんだな!」
人がいないということは、グラハムさんが《トラロック》を撃てるということ。
グラハムさんの声と共に電気弾が俺の左を突き抜ける――。
「なっ!?」
ビリッと体に電流が走った瞬間、突然右前方に現れた電気弾が、俺に向かって飛んでくる。咄嗟にシールドの盾で弾いて事なきを得たが、意味が分からない。
知らぬ間に俺の位置が変わったのか、オーラスの時空間に巻き込まれたのかと思ったが、オーラスの立っている位置とグラハムさんの位置は変わっていない。
「カミロのと同じやつか!?」
今度は水弾――だが、同じように弾がワープし、俺に向かって飛んでくる。躱すのは問題ない、しかしこれでは……。
「どうなってんだ!?」
グラハムさんの喚き声を聞いたオーラスが、ひどく満足げに高笑いをした。
「これが、オーパーツだ! 同じ機能を持つものでも、少し弄ればこうも多彩なことができる。使い道はいくらでもある。それなのにお前たちと来たら、危険だから、の一点張り……実に愚かしい!」
愚かなのは、過去に縛られたお前だ!
そう怒鳴りたい気持ちでいっぱいだが、まずは杖を取り上げなくては。
オーラスを睨み続けながら、再び駆け出す。
シールドの盾もある、この際多少の被弾は覚悟だ!
……そう、腹を括ったが。
「さあ、どちらがオーパーツを扱うに相応しいか、見てみるといい!」
そう叫んだオーラスが、右手の杖を操作する。凄まじい痺れが俺の身体を襲ったその瞬間、オーラスの姿が目の前から消えた。数メートル先に現れることもなく、そのまま。
「……え?」
足を止める。風の動き、気配を探ったが、どこにも揺らぎはない。
注意深く辺りを見回したが、オーラスの姿はどこにも見当たらなかった。
「…………うん?」
狐につままれたような顔のグラハムさんと、目が合う。
「……出てこないな」
「そうですね……」
見てみるといい、と言っていたが……それは、姿を消すことか?
そもそも、『時を止める』ことと『物体のワープ』、全く別の二つの機能を一つのオーパーツに持たせること自体が異常だ。この上さらに、三つ目の機能か?
イアンがオーラスに渡した〈クリスタレス〉は、マーティアスの最高傑作だとでも言うのか。
それからしばらくの間、展望台を取り囲んでいた捜査官、警備官が慎重にオーラスの姿を探したが、やはり公園内のどこにもいないようだった。
完全にO監が包囲していたはずのハマー丘陵公園から、オーラスは逃げおおせてしまった。
……いや、逃げるだろうか? オーパーツを扱うのに相応しいのは自分だ、見ていろ、と言っておいて?
「……ミツルに連絡を取ります」
「……そうするしかねぇか」
不満そうに唇を曲げ、鼻から息を漏らすグラハムさんを横目に見ながら、再びイヤホンを耳に填める。
ミツルから局長に連絡が繋がり、俺たちはハマー丘陵公園からの撤収を言い渡された。




