第31日 崩壊
地図に西側ルートを書き込みながらも、できる限り足を早めて険しい山道を登り続ける。
そうして――不意に、視界が開けた。
周囲が背の高い樹木に囲まれた、四角い領域。鉄筋コンクリートの四階建ての建物。突き出ている一階部分は、玄関と食堂のようだ。
確かにどう見ても集合住宅のようにしか見えない、通称『モア・フリーエ』と呼ばれる実験施設。
供述によれば、二階から四階は居住空間だったか。しかしすでに寝てしまっているのか、明かりが点灯している窓は一つもない。
高さ二メートルほどのコンクリート塀がぐるりと囲んでいる。道はその塀に沿うようにつけられ、南側の正門へと繋がっているようだった。
辺りはシン、と静まり返っていた。人間はおろか、虫の一匹もいなさそうなほど何の気配も感じられない。
取り越し苦労だったか。……だといいのだが。
「ミツル。到着した」
回線を開き、そう報告しながら、時刻を確認する。深夜二時半。
それとは別の、胸の中の懐中時計に震えは無い。建物本体とはまだ十メートル以上離れているし、実験設備が地下なら反応するはずはないか。
『受信中。様子はどうですか?』
「真っ暗だ。人の気配はない」
不気味すぎるぐらい静かだ。まぁ、四十人ほどが暮らす寮と言えど、夜中ならそんなものかもしれない。
「西側ルートはイヴェール工場とモア・フリーエを繋ぐためだけのもので、幹線道路から直接車両が入り込めるような道はなかった」
『……ということは、差し押さえはあくまで南側ルートから、ということですね』
「そう。ただ、こっちから逃げられないように人員を配置する必要はあると思う。バイクか小型乗用車なら走れそうだな。あるいは障害物で塞いでおくか」
念のため、前にアーシュラさんから貰った四角いオーパーツレーダーを取り出す。何気なく覗いてギョッとした。赤いランプが点滅している。
赤は調整済オーパーツが近くにある証拠だ。点滅ということは起動はしていないが……誰かいるのか?
咄嗟に辺りを警戒したが、やはり誰もいない。じゃあ、これは何の……。
『リュウライ? どうしました?』
「調整済オーパーツの反応があった」
『え!?』
「地下はあり得ないから、何か別の……」
そこまで言ったときだった。
レーダーのランプが、赤の点滅から点灯に変わる。足の裏が、地面の微かな振動をキャッチした。
「……っ!」
とっさに《クレストフィスト》の第三形態〝ザ・サークル〟を起動――その瞬間、爆音が耳をつんざいた。爆風に煽られて森の奥の方へと吹き飛ばされる。
宙で斜めになった視界に一瞬映ったのは、一階食堂の窓ガラスが一斉に割れ、黒と灰色の煙が噴き出すさま。
『リュウライ!?』
「ぐっ……!」
空中で体勢を立て直し、身を丸くする。半球状のシールドをクッションにして後方回転し、受け身を取った。
濛々と立ち込める煙に鼻腔が刺激され目が潤み、続けざまに響く凄まじい爆音が耳をつんざいて思わず顔が歪む。
爆発か、と思ったが炎は一切見えない。真っ暗な空の下、建物の中央が地中に引きずられるように崩れ落ちる。それに引きずられるように左右の建造物も傾ぎ、破壊されたコンクリート片が四方八方に振りまかれる。
地面から立ち昇った灰色の煙が辺りに立ち込め、崩れたコンクリートの外壁を覆い隠した。まるで津波のように俺の方へと押し寄せ、完全に視界が遮断される。ガシャガシャ、ガラガラ、と敷地内にガラスや礫の雨を降らせている音だけが聞こえてきた。
まったく何も見えない中、手探りで通信機をオンにする。
「ミツル、モア・フリーエが崩壊した!」
『はい!?』
「内側から、全部! 何もかもだ!」
シールドの向こう。黒と灰色の煙がやや収まり始める。
さっきまでそこに建っていたコンクリートの建物は、もうどこにも見当たらなかった。目の前に広がるのは、瓦礫の山。
――遅かった。
よろめいて、二歩、三歩と後ろに下がってしまう。ドン、と背中が樹の幹らしきものにぶつかり、手に持っていたレーダーが転がり落ちて行った。
恐らく、全部始末された。実験していた証拠は、何もかも。寮の人間までも含めて、すべて。
いやひょっとしたら、この施設に関わっていた研究者すらも。
内部告発した人間も、その中に?
『リュウライは!? 無事ですか!?』
「……ああ」
『リュウライが今いる座標がモア・フリーエですね?』
「……うん」
『至急、警備課を派遣します。消防車両、救急車両も手配します』
「……ああ」
恐らく、生きている人間はいないだろう。
そう確信できるほど、目の前の光景は凄惨なものだった。
モア・フリーエを覆い隠すように取り囲んでいたコンクリート塀は爆風によってすべて四散し、随分と見通しがよくなっていた。
目の前の瓦礫の山を呆然と見つめながら、さきほどの光景を思い返す。
四階建ての建物は吸い込まれるように下へと崩れ落ち、地面の下へと潜り込んでいった。
建物の大きさの割に散らばっている瓦礫が少なく感じるのは、すべてが地下へと飲み込まれたからか。確か地下には実験施設があるという話だった……。
恐らく、その実験施設も破壊されただろう。いや、それが主目的か。
「これは爆発じゃない、あくまで建造物の爆破解体だ」
『え?』
炎は一切出ず、辺りは真っ暗闇のまま、さきほどまで確かに存在していたものは全てコンクリート片と共に地中へと消えていった。
『では、山火事などの心配は……』
「ない。多分、用意周到に計算されたもの」
『え?』
「ただ……すべてが消えた」
俺の言葉に、通信機の向こうのミツルもしばらく黙り込んだ。
そして、「安全な場所に退避してください」とだけ言い、プツリと通信は途切れた。
* * *
夜中の作業は危険を伴う。急いでも、助けられる命の見込みは無い。
それを踏まえてか、各車両や警備課は万全の準備を整え、夜が明け始める午前五時頃に到着する、という連絡が来た。
辺りにはまだもうもうと煙が立ち込めているが、建物の大半が地中に潜ってしまったせいか土砂崩れの心配はない。
ゆっくりと、その瓦礫の山へと一歩足を踏み出す。
ミツルは「無理をする必要はない」と言っていたが、じっと警備課の到着を待っている気にはなれなかった。
カツン、と何かが爪先に当たる。見下ろすと、手から転がり落ちたオーパーツレーダーだった。
こんな大事な物を忘れるなんて、やはり冷静さを欠いている。
一つ深呼吸をし、ゆっくりと拾い上げる。レーダーのランプは、もう点灯してはいなかった。当然、懐の懐中時計も沈黙したままだ。
計算しつくされた爆破。恐らく、この時間に崩壊するように仕組まれていた。オーパーツまで用い、完璧に証拠隠滅してみせたのだ。
しかしやはり、何かがおかしい。モア・フリーエの倒壊がこの地に与える被害を最小限に抑えられた、プロの手際。
しかし証拠隠滅の手段としては、あまりにも荒っぽい。針に糸を通すような爆破の精密性と釣り合わない。ちぐはぐだ。
この爆破には、どういう意図がある?
十分に気配と振動に注意しながら、モア・フリーエの敷地内に足を踏み入れる。
ジャリリ、ガチ、とガラスの破片が靴底の裏で音を立てた。
陥没した地面に瓦礫の山が築かれたような、そんな寒々とした光景だった。
何か……何か手掛かりは、残されていないのか。
オーパーツの反応は無いといっても、安心はできない。
ゆっくりと瓦礫の山の西側から南側に回る。ちょうど、建物の裏側に当たる場所。
しかし残念ながら、何も発見することはできなかった。あのとき見た黒煙が自分の中に広がり侵食されるような、そんな不気味な感覚に陥りながらも足を進める。
ぐるりと回ってくると、一か所だけ柱が不自然に折れて三角に組み合わさっているのが目に入った。その下だけは陥没を免れ、もとの痕跡が少しだけ残っている。
再度レーダーを取り出し、ランプがついていないことを確認して足を踏み入れた。
玄関のすぐ傍の小部屋……位置と残されている物から考えると、管理人室か何かだろうか。
真っ二つに折られ、Mの字の形になってしまっている灰色の金属スチール製の事務机。引き千切られた電話線と無残に転がる黒い電話機。カレンダーらしき紙片、へし折られて半分になったボールペンなどが散らばっている。
「……ん?」
その事務机の下に、鈍い銀色を放つ金属製の箱が置いてある。机の下敷きになってひしゃげてはいるが、中身は無事のようだ。
上部には取っ手のような物がついていたが、そちらは崩壊の衝撃のせいか曲がってしまっている。どうやら何かを持ち運びするためのもののようだが……?
触れてみたが、驚くほどひんやりとしている。ひしゃげた取っ手を握り、グッと力を入れて蓋を開けてみた。
「これは……!」
中に入っていたのは、剣の柄だけのもの、砂が入っていない砂時計のような瓢箪型のガラス工芸品、材質がよくわからない黒い三連の腕輪みたいなもの。
一見すればそれはただのガラクタ。しかし、これは……オーパーツ!?
剣の柄みたいなものは一部取り外しできる部分があり、中は空だった。しかしこれは結晶を埋め込む場所に見える。
瓢箪型のガラス工芸品も、底から何かを差し込むようになっている。この二つは、いわゆる〈スタンダード〉のオーパーツだ。その証拠に、レーダーを取り出して見てみると未調整の青いランプが点滅している。破損してはいるものの、かろうじてエネルギーが残っているらしい。
そして黒い三連の腕輪はどこにも結晶をはめる場所が無い。〈クリスタレス〉か?と思ったが、胸に下げている懐中時計が何も反応しないところを見ると、完全に壊れてしまっているようだ。
しかしこれは、〈クリスタレス〉の残骸では……。この腕輪に何かを接続する形だったんじゃないのか? その証拠に、腕輪を一つにまとめた銀色の鎖の先は、何かに取り付けるような留め具がついている。
入っていたのは、それだけではなかった。十センチ四方ぐらいの紙切れと、A4サイズの白い紙。
紙きれの方には、『要調整』と殴り書きされた文字があった。
しかし重要なのは、その字ではない。その紙切れの下部には、『Aullasse mining』と青く印字されていた。――つまり、『オーラス鉱業』で使われているメモ帳。
オーラス財団の傘下の一つ、オーラス鉱業がオーパーツに関わっている確かな物証、になるか? いや、まだ社員の誰かが個人でオーパーツに関わっている、と言い逃れすることもできるか。
もう一枚の白い紙を見る。イヴェール工場の配送伝票……のようだが。
記載されていたのは、「ファイアダガー」「サイレントサンド」「ブラックリングNO」の文字。一番右端の欄には「故障」と書かれている。
右上には6桁の番号が印字されており、宛先は、「モア・フリーエ」。
つまり、これらの3つのオーパーツをイヴェール工場からモア・フリーエに配送した、ということ。
企業の配送伝票は、必ず控えを会社が保管している。通し番号がつけられ、いつどんな製品がやりとりされたかは『会社』がすべて把握しているはずだ。社員が勝手に伝票を一枚拝借した、などはあり得ない。
つまりこれこそが――オーラスがわざわざ視察した最新鋭の『イヴェール工場』が裏で企業としてオーパーツ産業に取り組んでいる、その証しになるのだ。




