第30日-3 モア・フリーエへ
「……なるほど。モア・フリーエは早急に押さえねばならんな」
チンピラ三人組とロンの調書に目を通し俺の報告を聞いたラキ局長の灰色の目に、強い光が帯びる。
何でもグラハムさんが今日の午後、カミロの事情聴取を行ったらしい。
そしてはっきりと聞いたのだそうだ。
『オーラス会長とスーザン・バルマは結託している。過去に遡って出来事を書き換えようとしている』
と。
つまり、この一連の事件にオーラスが関与していることが証明されたのだ。
「それで、そのモア・フリーエの場所は? 判明したのか?」
「はい」
ミツルがラキ局長の机の上にディタ区の地図を広げる。
「四人の供述と、オーラスの施設関連の資料を照らし合わせたところ、恐らくここかと」
ミツルの手がその中の一点を指差す。イヴェール工場の北東、よりシャル山に近い山間部。しかし地図上では緑で塗りつぶされており、建物の影も形もない。
「五年前、イヴェール工場とその関連施設の建設のため、という名目でこの辺りの土地をオーラス財団が一気に買い上げています。そしてその後、関連施設の建設計画書が出されていますが、その中で唯一使用目的に挙げられていないのがこの辺りです」
「ふむ」
「彼らはイヴェール工場の北から連れ出され、山道を通ってモア・フリーエに来たそうです。ですので、リュウライが尾行して分かった幹線道路から入る南側ルートと、イヴェール工場から繋がる西側ルートがあると思われます」
「今、その場所はどうなってる? 警備課はどうした?」
「モア・フリーエの人間を捕まえた場所は、現場保存のため警備課が見張りについています。範囲を広げ、南側ルートの出入り口も含めて。今のところ、出入りした人間はいないようですが」
「しかし西側ルートは判明していない、ということだな」
「はい」
ミツルの報告を聞いたラキ局長が、地図から目を離し、ついと視線を上げる。
「……という訳だ、リュウライ」
「西側ルートを見つけ、辿ればいいんですね」
「そうだ。明日の朝には正式に警備課を向かわせるが、不明なままではどうにもならん」
「わかりました。……一つ、気になっていることがあるのですが」
「何だ?」
「イアン・エバンズのことです。彼は恐らくマーティアスとオーラスの連絡係をしている人間。現在の動向などは……」
「今のところ報告は無い」
……ということは、すでに監視がついているということだ。
「しばらく泳がせる。何しろマーティアス・ロッシの居所が掴めていない。そのピートとかいう用心棒もな」
「……」
「やはり危険なのは、マーティアス・ロッシだ」
ラキ局長の言葉がいやに重く響く。
何でも、大陸に向かわせていた捜査官から調査結果が届いたらしい。ラキ局長とミツルから、マーティアス・ロッシ、および大陸の研究者スーザン・バルマについて聞かされた。
スーザン・バルマはやはり全くの別人だったそうだ。大陸へと人間を派遣し調査に向かわせたが、天涯孤独の身だった彼女を知る人間を探し出すのは大変だったという。
しかし時間はかかったもののどうにか辿り着き、今のスーザンとは似ても似つかぬ女性だったことが判明した。
――時間を遡りたいのは、マーティアス・ロッシ自身の野望かもしれない。
カミロの供述の前にその可能性は示唆されていたため、合わせてマーティアスの過去も辿られた。こちらはアルフレッドさんを含めた、当時オーパーツ研究所にいた人間に話を聞いたが、全員が口を揃えて言っていたのは『完璧理論のアヤ・クルトに奇想天外のマーティアス・ロッシ』。
研究熱心なあまり暴走しがちなマーティアスをたしなめつつもその才能を認め、彼女の発想を形にしていたのがアヤ・クルト。
彼女無くしてマーティアスは研究者たりえなかっただろう、と。
大学院博士課程在籍中に抜擢されたという彼女達は、いつも二人で行動していたという。
……というより、その才能を妬まれたのかやや孤立していたそうだ。
「クルトはまだいいんだが、ロッシは頑固だし扱いにくくてねぇ」
と、ある研究者が言っていたという。
アルフレッドさんは勿論二人を評価していたが、彼女達がO研の中でやや浮いていた、ということには同調したらしい。
しかし研究とは仲良しこよしでやらなければいけないという訳ではない。むしろ各グループでライバル意識を持ちながら、切磋琢磨していった方がいい成果が挙げられるだろう。
そう思い、二人が研究に打ち込めるような環境を、と留意していたそうだが。
〝だから余計なこと言わないようにしてるじゃない。ここならいいでしょ〟
あのとき実家の食堂で、マーティアスはそんなことを言っていたか。アヤ・クルトへの信頼の大きさがわかる言葉だ。
研究員たちの話から分かったことは、他にもある。彼女達を呼ぶときは『クルト』『ロッシ』とあくまで名字である、ということ。
つまり……研究所でも孤立しがちだった彼女を〝マーサ〟と愛称で呼ぶのは――それほどマーティアスと親しくしていたのは、アヤ・クルトだけだったのだろう……。
* * *
いつもの濃い深緑色の拳法着に身を包み、いつものグローブを左手にはめ、そしていつもより厚底の靴を履く。
西側ルートの調査が終われば、警備課による突入となるだろう。特捜任務から警備課任務にスライドする可能性も考えて、ボディバックには警備課の制服、帽子も畳んで入れてある。
そんな出で立ちでディタ区の山間部へと足を踏み入れたのは、夜の十時を回った頃だった。
今日は満月にほど近く比較的空は明るいのだが、生い茂った樹々が月の光を阻んでいるため辺りは真っ暗だ。自分の進むべき方向をぐっと睨み、まずは夜目に慣れさせる。
イヴェール工場はすぐ目の前が幹線道路だが、三方は森林に囲まれている。供述によればイヴェール工場の裏側には小さな駐車場と裏口、そしてモア・フリーエへと繋がる山道があるはずだが、幹線道路から裏側に回る道は存在しない。
今は夜中で監視システムも機能しているはずだし、さすがにバイクで工場内を突っ切る訳にはいかない。少し森の中に入った目立たない場所にバイクを止め、工場の裏側へと歩き始める。
地図からの目算では、西側ルートにおける距離は直線で十五キロほど。しかし地中には遺跡群が眠っている上に山の傾斜もあるため、道はくねくねとうねりながら作られているはず。恐らく四時間ぐらいは歩き続けることになるか。
森の木々の隙間からイヴェール工場を見ながらぐるっと回り、裏側に出る。確かに裏門があり、今は頑丈そうな鉄の閂で完全に閉じられていた。
覗き込むと、小型ジープが2台とミニバイクが1台置いてあった。恐らく、ここイヴェール工場とモア・フリーエとの移動用の車両だろう。
工場で働いていたときは研究棟より奥には進めず、完全に阻まれていたため見えなかったが、「北東が怪しい」と言っていたミツルの推測は正しかったことになる。
裏門からは、その小型ジープが一台だけ通れそうなほどの幅しかない山道が伸びていた。当然舗装はされておらず、樹が伐採されて合間を糸が縫うような隙間ができているだけの道。大きなものを運ぶことはできないだろうが、人間やオーパーツを運ぶだけなら十分か。
タイヤ痕も証拠になるのでその道の上は通らず、横目で見ながら並走するかのように森の中を歩く。
――彼女無くしてマーティアスは研究者たりえなかった。
O研から得られた、マーティアスに関する証言。
その言葉を聞いて思い出したのは、実家の食堂に来ていた彼女達の様子だった。
長い金髪をポニーテールにした、碧の瞳の女性。かつてのマーティアス。……のはず。
食べるのもそこそこに自分の考えを熱弁していた。
そして向かい側に座る、長い黒髪を背中に垂らした童顔気味の菫色の瞳の女性。アヤ・クルト。
マーティアスの話を聞きながら、ときどき微かに頷く。
そうやって、マーティアスの考えの取るべきところは取り、捨てるべきところは捨て、アヤ・クルトはマーティアスの研究を形作る手助けをしていた。
アヤ・クルトに
「それは、ちょっと根拠に乏しいわね」
と否定され、
「そうかしら……」
とやや不服そうにしながらも、渋々頷いていたマーティアス。
使える発想なら拾い上げて形にしてくれることを知っていたせいか、マーティアスがアヤ・クルトに反論することは無かったように思う。
マーティアスはアヤ・クルトに依存するところが大きかったのだろうか。
彼女がいなければ、誰も自分の考えを肯定も否定もしてくれない。
自分で自分を肯定し続け、違法な研究を正当化し――そうして、少しずつ狂っていったのだろうか。
「届けてくれてありがとう、ボク!」
そう言って碧の瞳が優しい弧を描いた、生き生きとした女性『マーサ』と、
「何をしている!」
と、サルブレア製鋼の暗闇の中、細い瞳を険しく光らせた痩せぎすの女性、『スーザン・バルマ』。
絶対に同じ女性だ。
年月が経ち、環境も変わり、全く違う印象を与える風貌になってしまったが、目や鼻の配置は変わらないし、骨格が同じ、背丈も同じ。間違いない。
頭では解っているのに……やはり『マーサ』と『マーティアス』が別人であってくれたら、と今でも思う。
* * *
『リュウライ、聞こえますか?』
ミツルからやや慌てた様子の通信が入ったのは、山を登り始めてから二時間近く経った頃だった。真っ暗な空の高い位置まで昇った月が、木々の隙間からかすかに見える。
「聞こえてる」
『今どの辺りですか?』
「まだ半分もいっていない。思ったより道が険しくて……」
方位磁石を使い地図に自分が歩いてきたルートを描き込みながら黙々と山道を登っていたため、かなりのスローペースだった。
仮にモア・フリーエから逃げ出す人間がいたとしても、辺りの森の様子からいってこの西側ルートから大きく逸れて山道を下りるとはとても思えない。確実に捕まえられるだろう、という判断だった。
「何かあった?」
『O研に添付ファイル付きの匿名メールが送られてきました』
「匿名メール? 中身は?」
『オーパーツの実験記録や従業員名簿、オーラス財団によるオーパーツ事業計画書です』
「えっ!」
何だ、それ。完全に内部資料じゃないか。
ということは、誰かが内部告発を? このタイミングで?
「ロンの脱走に触発されたんだろうか……」
『しかしこれは、寮の工員たちには手に入れられない資料です。当然、研究者の誰かでしょう』
「……」
何かがおかしい、と頭の奥から告げては来るが、到底それは明確な形とはならない。ジリジリとした奇妙な靄が胸の奥で広がっていく。
『モア・フリーエで何かが起こっている可能性があります』
「わかった、なるべく急ぐ」
メールの出所の解明は当然するだろうが、簡単に身元がバレるような送信の仕方はしていないだろう。もしその人間がまだオーラス側にいるのなら。
オーラス社に所属する研究者はたくさんいるが、オーパーツ研究を手掛けていた研究者はモア・フリーエに集められていると考えられる。
情報を送ったあと、夜中に抜け出す可能性は……。
いや、待てよ? 普通なら、情報を出す前に自分の身の安全の確保じゃないか? 何しろ人間を使い捨てにするような研究をしている企業だぞ。
データは身を守る盾であると同時に破滅に繋がる毒でもある。ひどく危険なシロモノだ。
データそのものではなく、まずデータがあることだけを告げた上で取引をする。自分の身の安全が保障されたら、データを提供する。……こっちの方が自然な気がする。
そうか、おかしいと感じたのはここか。
胸騒ぎがする。ぞわり、と何かが背骨を撫でていく。
とにかく急ごう。取り返しのつかないことになる前に、辿り着かなくては。
ひとりでに、地面を踏みしめる足どりが力強いものになる。
枯葉だろうか、グシャリ、と泥の中に踏みにじられる音が小さく鳴り響いた。




