第30日-1 オーラスの視察
雲一つない青い空の下、時刻を確認する。
午前十一時……そろそろオーラスが来るのだろうか。ところどころ屋根から突き出ている、通気口となる煙突に身を潜めながら下を窺うと、職員が落ち着かない様子であちらこちらの建物へと行き来しているのが見えた。
オーラス会長を出迎えるとあれば、そんな風にもなるか。
先ほど、一足先にやってきたマスコミが工場関係者と話をしながらそのまま工場の方へと歩いていった。どうやら撮影を先にやってしまい、あとからオーラスの映像を差し込むらしい。
このイヴェール工場には当然、最新の警備システムが搭載されているが、工場の稼働時間中は動いていない。
となれば、監視カメラに映らない部分に潜む分には特に問題は無い。ましてや工場の屋根の上に人がいるなど、誰も思わないだろう。
……という訳で、俺は出入り口と駐車場、研究棟が見渡せる一番大きな工場の屋根の上にいた。金髪はさすがに目立つのでキャップを被り、全体的に青い屋根が多いのに合わせて全身紺色の服に身を包んでいる。
本当は髪を黒に染め直してしまいたかったのだが、グラハムさんの方の結果によってはもう少しこの工場で働かなければならないかもしれない。できればさっさとおサラバしたいのだが……。
拳を握りしめると、《クレストフィスト》の革が小さく鳴った。
はめたのは久し振りだ。レーダーがある可能性を考えてしばらく封印していたが、この侵入作戦にはどうしたって必要になる。
工場の西側の端から《クレストフィスト》をはめた状態で侵入したが、特に工場の人間におかしな動きは無かった。何らかの警報装置が反応した形跡はない、ということ。問題はなさそうだ。
やがて、一台の立派な高級車とそれに付き従う三台の車が入口から現れた。それらを出迎えるように、駐車場には社員と思われる人間たちが一列に並んでいる。
護衛車と思われる車から、黒いスーツ姿の男が六人ほど降りてきた。無駄のない動き、一瞬で辺りを見回した目つき。恐らく、プロのボディガードだろう。
黒スーツの男たちが、高級車を取り囲む。
そしてグレーの背広姿の男が助手席から降り立ち、手慣れた動きで後部座席のドアの傍に立った。一礼してすっと開けると、中から白金色の頭髪を綺麗に撫でつけた男が現れた。
――アルベリク・オーラス。オーラス財団の会長、シャルトルトの王様。
キリッと引き上がった眉、アイスブルーの瞳。目と眉の間隔が狭く、鼻根が高い、ナータス大陸出身者によく見られる特徴。
口髭は綺麗に整えられ、比較的大きな口の両端を満足げに上げている。
濃紺のストライプスーツに身を包んだその体は胸板も厚く、随分とガッシリとしている。かつて武道でもしていたのか、それとも毎日トレーニングでもしているのか。
高級そうな腕時計がつけられた左手の先には、トレードマークとなっている取っ手がT字型の一本杖。
しかし背筋もすっと伸びているし、足取りも力強い。杖が必要だとは到底思えないのだが、貫録を出すためだろうか。
そんなことを考えながら、オーラスの傍にいる人間を一人一人確認する。会長秘書やオーラス鉱業社長、オーラス精密社長、そしてその社長秘書、といった面々だろう。
オーラスとの会話の様子、マスコミへの対応を見てもかなり場慣れしている。付け焼刃的にカミロの代わりをしている人材、という訳ではなさそうだ。
マスコミとオーラスの一団は、昨日バタバタと忙しなく仕事をしていた北東の工場へと移動していった。どういう工場かは気になるが、今日の目的はイヴェール工場の調査ではなく、あくまでオーラスの身辺調査。深追いする必要はないが、どういう動きをするかは見ておくか……。
そろそろと屋根の上を移動しようとすると、遠くから車のエンジン音が聞こえてきた。ふと正面入り口を振り返すと、人もいなくなり閑散とした場所に一台の小さな自家用車が滑り込んでくる。
見覚えがある車……そうだ、二日目に見かけた、イアン・エバンズの車だ。光学研の人間で、グラハムさんによれば、鈍くさそうな下っ端の研究者、という話だったが……こんな日に?
イアンは前とは違い、来賓用ではなく事務棟の陰にある従業員用駐車場に車を停めた。そして車から降りると、セカセカとやけに早足で移動している。
前は二つの大きな鞄を持っていかにもビジネスという感じだったが、今日は手ぶらだ。スーツは少しよれているし、髪の毛もあまり整っているとはいえない。
どう見ても今日の視察とは無縁そうだが……。
イアンは人目を避けるように西側の事務棟の影へと消えた。
工場に用事があるなら堂々と建物の中に入るはず……。
これは、と思い事務棟の周辺を注視していると、イアンが建物の裏側から現れた。こっそりと辺りを窺い、そのまま中庭らしき場所を抜けていく。
慎重に屋根を移動しながらイアンの姿を追うと、オーラスたちが入っていった工場の裏側へと消えてしまった。
表の仕事ならば、人目など気にする必要はない。……ということは、彼がこの場に来たのは大っぴらな理由ではない、ということだ。
ポケットから伸縮式の単眼鏡を取り出し、工場の中を覗いてみる。今日もカーテンは閉じられているが、マスコミが入るためか出入口は開かれている。見られる範囲は限定されるが、少なくとも人の出入りは分かる。
護衛と共に、オーラスがトイレへと向かうのが見えた。護衛が最初に扉を開け、中を一瞥したあとオーラスを送り出す。扉は閉じられ、その前に二人の護衛が並んで立った。
しばらくすると、用を足したオーラスが出てきた。すばやくその両側に付いた護衛が「こちらです」というように手で指し示す。
三人の動きには特におかしなところはない。そのまま何事もなかったかのように去っていった。どうやら再び工場の中の撮影へと向かうらしい。
これ以上はさすがに覗けないが……ん?
誰もいなくなったと思われるトイレの扉が、わずかに開く。再び単眼鏡を構えると、イアンがそっと顔を出した。周囲に視線を走らせたあと、そろりと出てくる。
そして彼はふう、と息とつくと、オーラスが向かった方向とは違う方向へと姿を消した。
ひょっとして、と思いしばらく周囲を見守っていると、先ほど消えた工場の裏側からイアンが姿を現す。そして中庭、事務棟と先ほどと逆のルートを辿っていた。
「ミツル。聞こえる?」
これはイアンを追うべきだ、と判断し、工場の屋根を移動する。持ち場を離れる以上ミツルに報告しなければ、と回線を繋ぐと
『はい。ちょうどよかったです』
というミツルの声が聞こえてきた。
「ちょうどよかった?」
『〈輝石の家〉からオープライトの反応が出ました』
「え?」
『リルガはカミロの聴取に向かいました。証拠が出た以上、カミロの自白が取れるのも時間の問題です』
「わかった。こっちも報告が」
『何です?』
「イアン・エバンズとオーラスが接触した」
『イアン……光学研の研究者ですね』
「そう。しかも下っ端の。本来なら、財団トップのオーラスと直接面識を持つはずがない」
『……そうですね』
「恐らく、マーティアスと繋がっている。もしくは裏の実験施設『M』。何か掴めるかもしれない。イアンを尾行したいんだが」
『わかりました。気を付けて』
ミツルの回線が切れるのと、イアンが事務棟から出てくるのが同時だった。
工場の青い屋根から西側の事務棟の屋根へとジャンプしながら、左手に填めていた《クレストフィスト》第一形態〝トライアングル〟を起動――強化されたその腕で壁から突き出たパイプを握り、勢いをつけてさらに敷地外へとジャンプする。
高い塀を乗り越え道路に着地すると、すぐさま停めておいたバイクに跨った。
少々派手な動きではあったが、誰も気づいてはいないようだ。
事務棟を出たイアンは、今度は随分と慌てた様子で車に乗り込んだ。もともとセカセカした早歩きをする男だったが、どうも様子がおかしい。
何か起こったのだろうか?
車間距離に気をつけつつ、イアンの小さな自家用車の後を追いかけ始める。
イアンは幹線道路をディタ区中心部とは逆、東側へと向かった。いわゆる山道だが、この辺りはトロエフ遺跡の発見場所へと近く、またシャル島の東側はシャル島にしか自生していない植物や生息していない動物などが生息していることから、研究者がよく使う道ではある。
しかし通常は色々な道具や機械が載せられるトラックや、4WDの大型自動車などを使うものだ。ある程度は整備が進んでいるので、小さな自家用車でも山道は上れるだろうし、問題はないだろうが。
それに彼は光学研の研究者で、研究するならVG鉱のはず。
となると、むしろ島の北側、アーキン区から東に入る方が自然なのだが。
ふと、イアンの車がやけに細い道へと折れる。ここでついていくと、さすがに尾行がバレる可能性がある。
一瞬躊躇して速度を落としたところで、ビリビリッと腹に電流が走った。
「……っ!?」
これは、懐中時計……〈クリスタレス〉の反応!?
慌ててブレーキを踏み、バイクを急停止させる。すると、腹の上で震えていた懐中時計の震えがだんだん弱くなり、やがてピタリと止まった。どうやら受信範囲から逸れたらしい。
ということは……移動している?
辺りを見回すと、道路の左側は針葉樹林が何本も建ち並ぶ森。その向こうはというと、シャル島の中心であるシャル山がそびえ立っている。
「ミツル、〈クリスタレス〉の反応が出た。ターゲットを切り替える」
『何ですって?』
「移動しているらしく反応が消えてしまったが間違いない。〈未知技術取扱基本法〉違反の現行犯だ。追いかけるから、応援を頼む」
『わかりました』
再びアクセルをふかし、バイクを急回転させてUターンする。もと来た幹線道路を戻り始めると、再び懐中時計が震え始めた。
近づいているのは確か……しかしかなり弱い。これは、未起動か。……いや、それなら五メートル以内には見えるはずで……つまり起動中?
ひょっとすると、未整備か不良品かもしれない。いずれにしても、オーパーツの不法所持だ。
すると、右手の山の斜面から何かが凄まじい勢いで転がり落ちてきた。慌ててバイクを停めて落下地点を見ると、それはどうやら人間のようだ。
その蠢く人間の手から何か金属のような物が零れ落ちる。グリッパーが二つに割れたような物……。
「……!」
素早く駆け寄り、地面に落ちていた金属を拾い上げる。
恐らくこれが〈クリスタレス〉。その証拠に、懐中時計に流れる電流が極端に弱くなった。恐らく握りしめて走っていて、それで起動状態になっていたのか。
「か、返せ……」
「駄目です。オーパーツの不法所持で逮捕……――ロンさん!?」
真っ青な顔色で俺の方へとブルブルと手を伸ばす男。
髪はボサボサで泥だらけ、着ている作業着もあちこち破れているが、それは確かにあのプレハブのヌシ、ロンだった。
「たい、ほ?」
なぜお前が?とでも言いたげなロンを無視し、グローブを入れてあった黒い革袋を懐から取り出す。
とりあえずこれは確保しなければ、と壊れたグリッパーを入れて袋の口を閉じると、ピタリと電流が止まった。
やはりこれが〈クリスタレス〉だったか。
ジロリとロンを睨みつけると、ロンはブルブルと首を横に振った。
「違……う! 俺、は、証拠を!」
「証拠?」
「弟、が……」
そう呟くと、ロンの首がガクリと落ち、そのまま突っ伏してしまった。
よく見ると足の骨が折れているようで、左膝から下がおかしな風に捻じれている。慌てて仰向けにして心臓の音を確認したが、ちゃんと鼓動していた。脈なども確認するが、命に関わる状態ではなさそうだ。
恐らく、ずっと〈クリスタレス〉を起動していた状態だったために急激にエネルギーを奪われ、倒れたのだろう。
とりあえず身柄を拘束しなければ、と気絶した男を抱き上げたところで、斜面の上の方から何人かの足音が聞こえてきた。
続けて「いたか!?」「こっちだ!」というような声が飛んでくる。
恐らくロンを追ってきた人間。断片的ではあったがロンは確かに『証拠』と言っていた。オーパーツを違法に扱っていた『証拠』。その場所から持ち出して逃げてきた、ということだろう。
今は、彼を守った方がよさそうだ。
ぐったりしたロンの身体を抱え上げ、車道に停めたバイクの方へと連れて行く。道路に座らせ、身体をバイクに寄り掛からせると、
「あ……おい!」
「あれか!?」
「ったくよぉ!」
という男たちの声が斜面の方から聞こえてきた。
振り向くと、作業着を着た男が三人、泥に塗れながら斜面を下りてくる。どうやらロンの仕事仲間のようだ。目つきが悪く、バルト区でよく見かけるチンピラのような連中だった。
三人とも素手だし、懐中時計の反応は無い。紅閃棍を使うまでもなさそうだ。
「お前……何だ?」
気を失っているロンを庇うように俺が立ち塞がったことで、敵だと感じたらしい。
一番先頭にいた茶髪の男が、ジロリと俺を睨みつける。
「……」
「ただの通りすがりか? だったらとっととソイツ置いてって、どこか行っちまえ。見逃してやるからよぉ」
「しかし、ひどい怪我をしているようだが」
「そりゃそいつの自業自得だ」
先頭の茶髪の男がそう言って下卑た笑いを浮かべた。その後ろにいた坊主の大男と出っ歯の男も、
「そーそー」
「新入りのくせにバカだよなぁ」
と明らかに見下したようにゲラゲラ笑っている。
「おいチビ、いいからそいつを寄越せ。痛い目見るぞ?」
「……」
「大丈夫だって。一応、仲間だからよ」
気絶したロンを見ると、確かに同じ作業着を着ている。
しかしどう見ても普通の仲間ではなさそうだ。ロンは明らかに何かから逃げ、そして足を踏み外して斜面を転げ落ちた。
「そいつを連れ帰らないとオレらが怒られるからさ」
「ほら、返せよ?」
「返す気は無い」
恐らくこいつらもロンと同じ場所で働いていた筈で――つまり、それが隠された実験施設の可能性は高い。
四人1グループで互いに見張るようにしているのかもしれない。逃げた場合は何をしてもいい、と。
ロンの顔や身体には、斜面を転がり落ちただけではつかないような痣があった。
「んなろ!」
力自慢らしい大男がまず殴りかかってくる。その右腕を左手で払って懐に潜り込み、鳩尾に一発入れると、大男がグラリと前によろけた。すかさず背後に回り、左腕で大男の後ろ襟を掴み上げる。
続けて向かってきた出っ歯に大男を盾にしてぶつける。出っ歯がよろめいた隙に大男の首を締め上げオトすと、今度は茶髪の左腕が迫っていた。すかさず腕をとって捻り上げ、足払いをかけて道路に転がす。
「ぐあ……っ!」
「うらあ!」
出っ歯が殴りかかって来た右腕を右手で叩き落とし、そのまま右手の甲でこめかみに一発入れる。よろけた隙に右腕を左手で引き、自分の右腕を絡みつかせて関節をキメる。
「はぐっ……ぐあ!」
反動で前に出る出っ歯の身体にカウンターで蹴りを入れ、頭を掴んで巻き込みそのまま道路に転がした。
「お前……!」
最後に残った茶髪の男の左足が迫る。すかさず躱して後ろに回り込んだが、左足を軸にして男はそのまま体を回転させ、右足で蹴りを放ってくる。その右足を右手で跳ねのけると、茶髪の男はすかさず俺から距離を取った。
三人の中で一番偉そうにしていただけあって、コイツが一番強いらしい。パンチは腕を取られて危険だと蹴りに切り替えてきたか。
まぁ、来ないならこっちから向かうまで。
姿勢を低くし素早く男に近づくと、男は両腕で腹と喉をガードしながら左足で前蹴りを放った。その足をカウンターで蹴り返し、体を回転させながら、よろめいた男の顔面に蹴りを食らわせる。
「ふげぇー!」
俺の足が男のこめかみにヒットし、男は奇妙な声を上げながら飛んでいった。道路にもんどりうって倒れ込み、そのままピクリとも動かなくなる。
ふっと息をつく。辺りを確認すると、最初に絞めた大男は崩れ落ちたまま、出っ歯の男も道路で横たわったままだ。
「――ミツル、終わった」
『お疲れ様です。あと2分ほどで、警備課が到着します』
「警備課?」
〈クリスタレス〉だしこれは特捜案件じゃないのか、と不思議に思って聞き返すと、ミツルは
『証拠も出ましたし――これはもうO監全体で取り組む案件です』
とどこか緊張を滲ませたような声で答えた。




