第28日-1 研究者とは
翌日、午前七時半。時間外出入口から中に入ると、キアーラさんが中央エレベーターの前で待ってくれていた。
何でもオーパーツの動作実験には必ず技術棟にある『動作実験室』を使用することが義務づけられており、イーネスさん達の研究室でささっと確認、という訳にはいかないらしい。
予約制になっていて場合によっては使えないこともあるが、早朝の勤務時間外ということもありすんなり予約が取れたそうだ。
そう言えば《クレストフィスト》を支給されたときも技術棟にずらりと並ぶ小さな部屋の一つに入らされた気がする。
そんなことを思い出しながら、キアーラさんの後をついていく。
案内されたのは、そんな『動作実験室』の中でもひときわ大きい、四階の角の実験室だった。警備課の会議室よりも一回りは大きい。
何でも、グラハムさんの《トラロック》や《ムーンウォーク》を調整する場合にはどうしてもある程度の広さが必要で、イーネスさん達は比較的よく利用しているらしい。四階にある二人の研究室からも近いし。
中に入ると、出迎えたのはうっすらと青味がかった全面ガラスの壁。右手の方に、さらに奥へと入るための重そうな扉が付けられている。
手前のスペースにはさまざまな機械が所狭しと置かれ、何らかの計測データを出力するためのモニターもずらりと並んでいた。
「準備して中に入って」
と言われたので懐中時計を手に持ち、中に入る。
続けて入って来たキアーラさんが黒い革製の袋から取り出したのは、手の平に収まるぐらいの白い卵型の器具――《タイムカプセル》と、オープライト。今はイーネスさん達に匿われている、メイが持っていた〈クリスタレス〉だ。
オープライトを必要としない〈クリスタレス〉。しかし害があると判明した以上、自らの身体を使って起動させる訳にはいかない。結晶を挟んで握り込むことで、エネルギーの代用をするらしい。
その〈クリスタレス〉が表に出された途端、ビリリ、と痺れが走るが、あまり強い電流ではなかった。冬場の静電気よりもずっと弱い。
未起動の状態だからかもしれないが、ズボンのポケットに入れたり、厚手の服の上から首にかけても分からないかもしれない。
「薄手のシャツ一枚ぐらいですかね」
「そうね」
首からかけ、服の下に入れてみる。服とアンダーシャツに挟まれて身体に密着したせいか、手で持った時よりは痺れを感じる。
「じゃ、起動させるわよ」
「はい」
返事をした途端、腹を殴られたかと思うぐらいの衝撃が来て思わず
「うぐっ」
と声が漏れた。
「これは……絶対に使わせる訳にはいきませんね」
「ふっ」
何か可笑しかったのか、キアーラさんが珍しく吹き出す。しかしすぐにいつもの冷静な表情に戻ると、
「未起動でも拾えるようにするとなるとどうしてもね」
と言いながら《タイムカプセル》を握る手を緩めた。途端に、電流が弱くなる。
ついでに波動をキャッチする距離も計測しておこう、とキアーラさんから距離をとってみた。
「……なるほど、起動していない状態だと距離は障害物無しで五メートルぐらいですね」
ビリビリと腹に伝わる電流を感じながらそう言うと、キアーラさんは
「そうね」
と相槌を打ち、手にしていた《タイムカプセル》を黒い革袋の中にしまった。
すると途端に、懐中時計の震えが治まる。
結晶がない〈クリスタレス〉は人の手で握り込むことで初めてエネルギーが充填され、起動する。その場合は大きく波形が変わるのでよりキャッチしやすくなるそうだが、〈クリスタレス〉は使われるとマズい効果ばかり。起動前の状態で察知できることが重要だ。
「でも、こうして遮断してしまうとレーダーに反応しなくなるのは通常のオーパーツと同じ。過信は禁物よ」
「しかし使うときは素手で握るはずですし、時間操作の原理が時空間に孔を開けることだと考えると、必ず表に出さないと起動できませんよね」
現在、イーネスさん達が扱っている〈クリスタレス〉は四つ。
ワットという少年が持っていた《ナックル》。握り込むことで気弾が発射する。
オーパーツ監理局に保管されていた《フルーレ》。握り込むことで細身の剣身が出現する。
メイという少女が持っていた《タイムカプセル》。握り込むことで数秒、時間を止めることができる。
あと一つ、アスタが持っていた《カメレオン》と名付けられた〈クリスタレス〉があるのだが、それは現在アーシュラさんが結晶を填め込む形に改造中だという。
周囲と同化して姿を消せるオーパーツで、有用性が高いことからラキ局長がO監で使えるように改造を依頼したらしい。確かに特捜案件では未知の領域に侵入することも多いから、かなり助かるだろう。
やはり厄介なのは時間操作のオーパーツだ。戦っている最中は、ほんの数秒でも命取りになる。
サルブレア製鋼でピートと戦ったときはどうにか左手による起動を防ぐことで対応したのだが、それは奴が内ポケットにしのばせている、と気づけたからだ。
いきなり使われたらまず防げない。近づく前に〈クリスタレス〉を持っていることが分かれば、対策を練ることができる。
「まだ仮説だけど……そうね、それで間違いないと思うわ」
四つの〈クリスタレス〉とRT理論の論文、そしてアロン・デルージョが手記に書き散らしていたワームホールの概念を紐づけ、キアーラさんは一つの結論に辿り着いていた。
時間停止・時間遅延の原理は時空間に孔を穿つことで生じた時空間の広がりを、観測者――孔を穿った本人だけは認識できるのではないか、と。
真っすぐに流れる時間。その一部に孔が開けられると、周囲の時空間はその穴を補おうと広がり、穴を埋めようとする。
時空間の広がりを認識できる者は、周囲の時間がゆっくりと流れているように見える。
時空間に孔を開けてもたちまち勝手に塞がってしまう――その『勝手に塞がるわずか数秒』を認識できる者とできない者に振り分けるのが、時間遅延のオーパーツの原理。
さらに、その『勝手に塞がる』のを妨げ、よりその効果を高めたものが時間停止の仕組みではないか、とキアーラさんは説明してくれた。
「……となると、その『観測者』側に回ること――言うなれば〈クリスタレス〉を使おうとする本人に限りなく近づけばいい、ということですね」
「そういうことね。グラハムが一度体験しているわ」
メイという少女を守った際、グラハムさんの背後にいた彼女がオーパーツを起動――グラハムさんの目には相手が急に動きを止めたように見えたという。
とは言え、タイミングが狂えば至近距離で時間を止められ、確実にやられてしまう訳で、なかなかリスキーではある。
「すごいです、キアーラさん。あの手記に目を通して文章化したときは、狂った研究者の愚痴に過ぎないと殆ど流し読みしていましたし、見過ごしていました。まさか原理解明に繋がるヒントがあっただなんて」
「九割以上はその通りよ。読む価値なんてない、戯言。過去に戻って見返してやるとか、バカバカしい」
キアーラさんが吐き捨てるように言う。どうやら彼女は、『過去を変える』という思考には懐疑的らしい。
イーネス姉妹は、オーパーツのせいで……というより、オーパーツにより狂った父親のせいで、自分たちの人生が歪められたと言ってもいい。
そんな過去を、変えたいとは思わなかったのだろうか。
「何?」
「いえ……」
さすがにそんな突っ込んだことは聞けるはずもなく、首を横に振ると、キアーラさんはふう、と息をついた。「バカバカしい」と言ったその表情のまま、ひどく不機嫌そうに。
「そんな考えでオーパーツに縋った時点で、現在も、訪れるはずの未来も失うわ。自分自身を見失うのと違わない。だからアロン・デルージョもマーティアス・ロッシも暴走したんでしょ」
「えっ?」
アロン・デルージョ……はいいとして、マーティアスも?
「何、その顔」
「いえ……マーティアスは強引にオーラスの元へ連れてこられ、研究させられているのかと思っていたので……」
「甘い」
今度は呆れたような声。キアーラさんが黒い革袋の中に手を入れる。
「まだ何も発見されていない状態から……たった七年で、こんなものを作り出す」
再び卵型のオーパーツが取り出され、俺の腹の上の懐中時計が震えた。再びビリビリと電流を流し始める。
「研究者は、自分が興味を持った事柄を深く追求することを生きがいとする人種。形にするのは、自分の欲望」
「……」
「仮に、時間操作が可能なオーパーツが見つかったとして、それに気づく人間がどれだけいるかしら? そしてその原理を解明するまでにかかる時間、労力。自ら利用できるような物を創り出すまで、何度も試行錯誤を繰り返す」
かつて、父親の命令で脅されるようにオーパーツを研究していたイーネスさんたち。
それとは全然違う、とオーパーツを睨みつけるような水色の瞳が物語っていた。
「コレには、それほどの熱意が込められている。妄執と言ってもいいわね。〈クリスタレス〉の研究を続けているのは、間違いなく彼女自身の欲望よ」
* * *
マーティアスは〈クリスタレス〉の研究をやらされているのではなく、自ら望んで続けているのだ、とキアーラさんは言う。
自分の理論を全否定されたアロン・デルージョ同様、彼女も周りを見返したい、と思っているんだろうか。
取り上げられてしまったRT理論と〈クリスタレス〉の研究。こんな素晴らしいものを研究しないことこそ間違っている、と知らしめるために?
それとも……彼女にも、変えたい過去があるのだろうか。
そのために、マーティアスという自分自身を殺してまで研究を続けているのだろうか。
しかしキアーラさんによれば、時空間に孔を開けることとそこからさらに時空間を移動することは全然違う、という話だった。
今まで見つかった〈クリスタレス〉は、たった一人の人間のエネルギーで起動するオーパーツ。
それっぽっちでは時間旅行など不可能。もっと多くの人間のエネルギー……それだけではない、場に作用することを考えるとそれだけのエネルギーが溢れる場が必要になるはずだ、と。
姿を消したマーティアス。それは、単に保身のためか、それとも……?
キアーラさんに礼を言って、動作実験室を出る。
連絡通路に足を踏み入れると、東の空に輝く太陽が俺の左頬を照らし――右手の壁には黒く長い影が揺らいでいた。
それは胸の奥深くに燻るナニカを体現した魔物のように見えて、俺は思わず自分の影から目を逸らした。




