第27日 事態が動く
『――リュウライ。聞こえますか』
突然耳に響いたプツッという回線が開く音とミツルの声。
起きたことは起きたが目が開けられないし、迂闊に口が開ける状況ではない。
返事をする代わりに、指で右耳の中のイヤホンを軽くコツンとこづく。声が出せない状況だとミツルに伝えるための仕草。
『了解しました。YESは一回、NOは二回でお願いします』
〝コツン〟
『アスタがいなくなりました』
アスタ……ああ、〈クリスタレス〉を持っていた愚連隊とかいうチームのリーダーか。
イーネスさん達のマンションに、メイという少女と共に匿まわれていたはず。
……その少年が、いなくなった?
『カミロの行方を追うリルガに、アスタは〝俺が囮になろうか〟と持ち掛けていたらしいです』
馬鹿なことを。そんな提案をしてくるほどグラハムさんと信頼関係が築けたということだろうが、言われたグラハムさんはたまったものじゃなかっただろう。
『ですので、居場所を突き止めたか、内緒で会う約束を取り付けたのではないかと推測できます。イーネスから連絡を受けたリルガが彼を追ってバルト区に向かいました』
バルト区に行ったとなると列車だろう。幸い始発からまだそんなに時間は経っていない。
イーネスさん達が気づくのが早かったのが、功を奏したな。
『何かあれば連絡します。通信機の電源はONのままにできますか?』
コツン、と一回叩き、YESの返事をする。
ここの敷地はとにかく広い。現場監督が連絡のために支給された携帯電話を使っていたし、工場内ならともかく外で作業している分には問題ないだろう。髪で耳を隠してしまえば、イヤホンは見えない。
『わかりました。それでは』
プツン、と回線が切れる音がする。
すっかり目が覚めてしまったが、こんな朝早くに動き始めたら怪しまれるだろう。
ジリジリとした思いを抱えながらゴロリと寝返りを打つ。
万が一仕事中にO監から呼ばれた場合、万が一通信に応答しなければならない場合など、さまざまな事態のシミュレーションをしながら、始業時間がくるのを待った。
* * *
「あー、やっぱ見慣れないわ、その髪……」
イヴェール工場での仕事が終わったあと。
ミツルが待つO監の局長控室に向かうと、先に来ていたグラハムさんが俺を見てひどく悲しそうに眉を下げる。
いつもとあまり変わらない明るく冗談めいた口調。オーパーツを所持する相手に危うく殺されそうになったとはとても思えない。どうやら怪我もないらしい。……まぁ、ないとは聞いていたが。
あのあとミツルから再び連絡が入り、グラハムさんがアスタを無事に保護した、と聞かされた。
アスタはやはりカミロと会う約束を取り付けていた。グラハムさんがその現場に突入したところ、カミロがオーパーツでグラハムさんに襲いかかってきた。
そのままカミロとバトルになったが、その最中にワット――グラハムさんが一番最初に捕まえた、ナックルダスターのクリスタレスを所持していた少年――がカミロにナイフで襲いかかり、カミロのオーパーツを奪ってしまった。
その後、オーパーツを用いた格闘の末どうにかワットを取り押さえたものの、カミロは背中に大怪我を負い、病院に救急搬送された。とてもじゃないが供述が取れる状態ではない。
そしてワットはカミロのオーパーツを奪った訳だから、その罪状は〈未知技術取扱基本法〉違反ではなく強盗・殺人未遂。O監の管轄ではなく、バルト署に身柄を預けることになったという。
「でー、押収したカミロの荷物なんだが」
机の上に、グラハムさんが何枚かの写真を並べる。黒い鉄アレイのようなもの、携帯電話、ノートパソコン。
「これ、オーパーツな。結晶アリ。今はアーシュラんとこに行ってる。携帯電話とノートパソコンは、技術部が解析しているはずだ」
続けてミツルが置いたのは、社員証と手帳。
「カミロの手帳には、行動予定がびっしりと書き込まれていました。表の営業としての仕事もちゃんとこなしていたようですね」
「優秀な営業マンって訳だ」
グラハムさんがパラパラと手帳をめくり、あるページを広げて見せる。
「で、ここ。オーラス関連の会社と共に、定期的にサルブレアにも行ってるだろ」
「そうですね」
見ると、俺が今潜入しているイベール工場の略称『EV』の文字も見える。
……ん?
「この『M』は? どこを指しているんですか?」
他のメモは『一工』『B精』のように、『オーラス鉱業第一工場』『オーラス精密バルト区支所』の略だろうと思われる文字が並んでいる中、『M』は不自然だ。オーラスの関連会社で、Mで始まる場所は無い。
「恐らく、サルブレア製鋼に代わる新たな実験施設、といったところでしょう。オーパーツや研究資料はあらかた消え失せていましたしね。運び込む先が無いとおかしいですから」
「……ディタ区付近にあるのは間違いないみたいですね」
オーラスの会社は採掘現場のアーキン区から古い工場があるバルト区、本社があるセントラル、研究施設があるディタ区とあちこちに散らばっているが、『M』と書かれた日と同じ日に訪れている場所は、だいたいディタ区にある施設だ。
これだけいろいろなエリアに散っているのだから、カモフラージュするためにわざわざ全然別のエリアにある施設と抱き合わせることはないだろう。合理的ではないし、明らかに時間のロスだ。忙しい営業マンなら効率よく回るはず。
そして抱き合わせとして一番多いのは、今俺が潜入している『EV』だった。
……となると、カミロが入院したことで『EV』にも動きが出るかもしれない。出入りする人間や中の様子にもこれまで以上に注意しなくては。
「で、これなんだが」
グラハムさんが示した先には『輝石の家・七』というメモがあった。
見ると、先月の一か月の間に四回も訪れていた。その前月も、さらにその前も、月に最低二回は訪れている。
「輝石の家……オーラス財団が運営している養護施設ですよね」
「そ。てっきりいい人キャンペーンの一環かと思ったんだけどね」
グラハムさんが腕を組み、ニヤリと口の端を上げる。
「これだけ頻繁に訪れてるってことは、間違いなくここには何かある」
「そうですね……」
まずはミツルが孤児院の背景と運営状況を調べるところからだろうか、と考えていると、
「そういうわけだから、ちょっとお邪魔してみようかと思ってさー」
とグラハムさんがひどく軽い調子でのたまったので、思わず「ええ?」と大声を上げてしまった。
しかしそんな俺の様子を気に留めることはなく、ミツルも納得したように頷いている。
「そうですね。行くなら早い方がいいでしょう」
「ミツルまで? 何かあるなら、尚更いきなり行くのはまずいのでは?」
「ところがどっこい。ここ、アスタが育った場所なんだよ」
グラハムさんによると、今アスタはマンションでおとなしくしているらしい。無事に保護したあと、保護者よろしくこっぴどく叱りつけたそうだ。
マンションに送り届けたきりまだ話はしていないが、もし〈輝石の家〉に何か秘密があるなら、今なら正直に話してくれるかも、ということらしい。
「今のところ、まだオーラス本人に繋がる証拠は出てきていません」
ミツルがテーブルの上に散らばった写真を集めながら、焦れたように言葉を漏らす。それを横目で見ながら、グラハムさんが「そうなんだよな」と呟きつつ溜息をついた。
「カミロがO監の手配で病院に運び込まれたことはあちらさんも当然知ってるだろうしな。おかげで有益な情報が手に入った訳だが、これじゃあオーラスを追い詰められない。カミロを切って終わりにするだろう」
「……」
「証拠隠滅される前に、動かないとな」
「なるほど、よくわかりました。僕ものんびりしている訳にはいきませんね」
「だからって無理すんなよ。ひょっとしたら敵地のど真ん中かもしれないんだ」
「大丈夫です。怪しい人間さえ絞れたら、さっさと引き上げますから」
グラハムさんのおかげで新しい動きが見えるかもしれませんし、と付け足したが、グラハムさんの表情はというとますます怪訝そうになるばかりだった。
「だから、その絞り込みとやらを無茶すんなよって……まぁ、いいや。そうだ、コレ」
そう言ってグラハムさんがポケットから出したのは、手の平にすっぽり収まるサイズの銀色の丸いもの。上には長い鎖もつけられていて、懐中時計みたいだ。
「ん」
と言って差し出されたので、右手を出す。手の平に載せてもらうと、重みも懐中時計ぐらいの重さだった。
蓋を開けるためと思われる押し込み部分があったので押してみると、パカッと蓋が開いた。白い背景に黒い文字盤と針。七時十二分を指していて――本当に懐中時計だった。
「これは?」
「クリスタレスレーダー、だとさ」
「これが!?」
グラハムさんと手の中の懐中時計を代わる代わる見比べる。どう見ても、普通の懐中時計にしか見えないが。
「リュウはあちこち潜入することが多いと聞いて、カモフラージュしたらしい。アーシュラの力作だ」
そう言うグラハムさんは、妙に目尻が下がっていてデレデレだ。自慢したくて仕方がないらしい。
「〈クリスタレス〉の波形を感知すると微弱な電流が流れるとか言ってたぞ。すげーよなぁ」
「電流が!?」
「ランプだと覗かないとわからないし、音が鳴るのもマズいだろ? 身につけているだけで分かるようにしたんだとさ」
「……」
どうも罰ゲームのような感じなんだが、確かに見なくても分かるというのは助かる。
首から下げて身につけておけ、ということと、時計はゼンマイ式なのでネジを巻くのを忘れないように、という注意事項もつけられた。
実際に首にかけてみると、鎖は意外に長く時計はだいたい臍の位置にあった。
まぁ、この位置なら多少の電流でも大丈夫だろう。わざわざ腹に巻いて電流を流すトレーニング器具もあるぐらいだし。
「ありがとうございます。……できれば、どれぐらいの電流なのか確認したいところですが」
微弱とは言っても、電圧が高すぎて身体がビクつくようだとマズい。
懐中時計を手に取りそう言うと、グラハムさんは「うーん」と唸り首を傾げた。
「ここに〈クリスタレス〉はないからなあ。アーシュラのところに行かないと……あ、明日はキアーラの番か。キアーラに早めにO監に行くように伝えとこうか?」
「よろしくお願いします」
パチンと懐中時計の蓋を閉め、グラハムさんに頭を下げる。
敵は、捜査の手が近くまで及んでいることに確実に気づいている。一日も早く、解決の糸口を見つけなければ。
俺の手の中にあるのは、その切り札になるはずの物。七年のハンデを超えて、イーネスさん達が辿り着いたアーティファクト。
色々な人たちの努力を無駄にはできない。一日も早く、オーラスに――マーティアスに、辿り着かなくては。
手の中の懐中時計を、グッと握りしめる。
肉体労働で疲れた身体を忘れそうになるぐらい、腹の底から力が沸いてきた。




