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第21日-4 スーザン・バルマの過去

 局長室に戻ると、ラキ局長は机の前に座って大量の資料に目を通しているところだった。その傍にはミツルが姿勢よく立っている。


「すみません、遅くなりました」

「ああ。まずはミツル、スーザン・バルマの情報をリュウライに」

「はい」


 ミツルが数枚の紙にまとめてあるスーザン・バルマのレポートを手渡してくれた。ザーッと目を通す。


 結論から言えば、スーザン・バルマの経歴におかしいところは全く無い。


 ナータス大陸出身の女性研究者で、大学卒業後は技術者として製造会社で働いていた。七年前に立て続けに両親を亡くし、天涯孤独の身となっている。

 そして六年前、取引先のオーラス精密にヘッドハンティングされ、身寄りもいなかった彼女は単身シャル島にやってきた。

 光学研に入り、VG加工の研究・開発に力を発揮してとんとん拍子に出世、三年前に所長に就任する。


「現在の年齢は三十三歳。マーティアスは、生きていれば三十歳のはずですが」

「僕は顔の違いは判断できますが、年齢までは……」


 確かにサルブレア製鋼で会った彼女は随分と痩せこけて老け込んではいたが。

 それに、嘘の経歴なら年齢を合わせる必要もない。


「で、それは?」

「これは、O研に入所する際に本人が提出した履歴書のようです。写真と生年月日などの情報、経歴が記載されています」

「見せてみろ」


 ラキ局長に促され、局長机の上に持ってきた履歴書の束を置いた。最初のページを開き、簡単に説明する。

 二人が頷いたのを確認して、パラパラと紙をめくった。


「これが、マーティアス・ロッシです」

「……若いな」

「O研入所時は二十一歳ですから。もしスーザン・バルマの写真があるなら……」

「いや、ない。そうだな、ミツル?」


 履歴書から顔を上げ、ラキ局長が隣に立っていたミツルに聞く。 


「はい。ただ、光学研の立ち入り調査で入手できる可能性はありますね」

「……スーザン・バルマの経歴が偽物である可能性は?」

「ありません」


 俺の問いに、ミツルはきっぱりと否定した。

 グラハムさんからスーザン・バルマの報告を聞いたのは、もう十日以上も前のこと。どこか怪しいところはないかと、大陸の大学関係者や前の勤め先にも裏を取ったという。

 ただ――顔を確認した訳では、ない。


 スーザン・バルマの経歴は本物で、スーザン・バルマがマーティアス・ロッシであることも本当なのだとしたら。


「……乗っ取り、ですかね」

「乗っ取り?」


 俺の言葉に、ラキ局長が訝しげな顔をする。


「『スーザン・バルマ』という人間は確かに存在していて、マーティアスがどこかですり替わったということです」

「すり替わるだと?」

「はい。スーザン・バルマがシャル島に来たのは、マーティアスが死んでから約半年後。オーラス精密にスカウトされた理由はそもそも入れ替わるのにちょうどいい人間だったから、という可能性もあります」

「飛躍し過ぎだ。確証がない」

「そうですね。でも、大陸に住んでいた頃のスーザン・バルマの写真が入手できれば分かります」

「……」


 俺の言葉に、ラキ局長がついっとミツルに目配せする。その視線に応え、ミツルが軽く頷いた。


「解りました、調査いたします。……大陸となると、時間はかかりますが」

「構わん。……いや、捜査官を派遣しろ。その方が早い」

「公で捜査を?」

「どのみち光学研に乗り込むんだ。その所長の調査をするのは当たり前だろう」

「解りました。令状の手配もあるので、これで失礼してもよろしいでしょうか」

「ああ」


 ミツルはラキ局長に会釈をすると、俺にも目で挨拶をして慌ただしく局長室を出て行った。


 急激に、歯車が回り始めた気がする。

 だけど俺の気持ちは、まだその流れについていけていない。心だけ、どこかに置いていかれたような。

 平静を装いつつも、溜息が漏れる。


「……しかし、マーティアス・ロッシが生きている、となると」


 ラキ局長は机に肘をついて両手を組み、トントン、と自分の口元にあてる。


「七年……六年半前か。マーティアスが収容先の病院の中庭で焼身自殺をした、という報告自体が嘘だった、ということになる」

「……そうですね」

「マーティアスを見張っていたはずのO監警備官、自殺を目撃した職員、検死をしたO監医師。関わった人間は少なくは無いぞ」

「……その頃はまだ、前局長の時代です」

「……っ」


 俺の言葉に、ラキ局長が忌々しげな様子で舌打ちをした。


「あの老害、とんでもない置き土産をしてくれたものだ」

「……」


 老害、というのは前局長を指すんだろうか。

 六年前、自分の身の危険を感じたのか自ら辞表を出したという話だった。確か、証拠不十分で自身が罪に問われることは無く、あくまで不正騒動の責任を取った、という形だったはず。

 オーラスとの繋がりといい、立ち回りの早さと上手さといい、老獪とはまさにこのことか。


 それにしたって、マーティアス・ロッシを外に出すなど……。

 真っ黒に染まった手を差し伸べられなければ、彼女だって道を誤らなかっただろうに。抜け出せない沼に嵌まる事だってなかったろうに……と、人知れず歯ぎしりが漏れた。

 俺が考えていることとは全く違うだろうが、ラキ局長も眉間の皺を深くし、口元を激しく歪ませている。


「当時の職員も全員捕まえて締めあげたいところだが、今は過去の犯罪を暴いている時間はない」


とやや早口に言い捨てると、

「それで? 他には?」

と俺に問いかけた。


「アロン・デルージョについてですが」


 紙をめくり、アロン・デルージョの履歴書を見せる。


「これが、アロン・デルージョの筆跡。O研に出した履歴書ですので、間違いなく直筆です。特徴的だったので覚えていました」

「確かにな」

「そして……」


 履歴書の隣に、地下室から入手した革表紙の手帳を広げる。


「これが地下室から入手した手記です。内容も、読める範囲で確認しました」


 手記はアロン・デルージョがO研を追放される前後から始まっている。自分の理論の正しさの主張、O研への恨み。

 その後、サルブレア製鋼に連れてこられてからと思われる部分は、研究が進まないこと、外へ出してもらえないことの不満。

 最後の最後まで未知のオープライトにこだわっていたこと。

 日付は八年前で止まっており、〈クリスタレス〉に関する記述が一切ないことなどを説明した。


「アロン・デルージョがサルブレア製鋼で秘密の研究をしているのでは、と考えていたのですが、もうあの場所にはいないのではないかと思います」

「……ふむ」

「少なくとも、現在のサルブレア製鋼の主は、スーザン・バルマです」

「ただ、あくまで仮説、だな」

「それは……」

「手記の内容を文字に起こしておいてくれ。それと数式など実験関係の記述には印を。アロン・デルージョの人となりを知るワグナー氏にも確認したい」


 机の上の手帳をパタンと閉じ、すっと渡される。


「……わかりました」


 またこの悪筆を読まないといけないのか……正直、勘弁してほしい。

 でも確かに、ラキ局長とアルフレッドさんがイチからこれを読むのも大変すぎるか。


「報告は、以上です」

「今日の勤務予定は?」

「午後からO監警備課で内勤です。サルブレア製鋼の工場区画と資料庫に盗聴器を仕掛けてきましたので、夜はその回収に向かいます」

「わかった」


 家に帰って出直す時間は無さそうだ。手記を文字に起こすなら覚えているうちにやった方が早いだろうし、このまま警備課に行こう。

 アルフレッドさんはあと三時間もすればO監に来るはずだ。それまでには仕上げておきたい。


「手記を仕上げたら仮眠を取ってもよろしいでしょうか」

「構わん。……光学研から何が出るかわからんが、それによっては急に呼び出すこともあり得る。署内で待機していてくれ」

「解りました」


 ……となると、O監内の仮眠室を使わせてもらうしかないか。警備課の制服は予備がロッカーに置いてあるし。

 スーザン・バルマが光学研に現れる可能性は、限りなく低い。あるいは、現れてもすぐに逃走するか。追跡任務が出るかもしれないな。


 そうだ、備品管理課にも行かなくては。《ワイヤーガン》を返さないといけないし、紅閃棍(くせんこん)の調整もお願いしないと。

 今回はだいぶん無理をしてしまったし、《クレストフィスト》も見てもらわなくては。オーパーツは技術課……あ、でも、サーニャさんにまとめて頼んだらやってもらえるだろうか。何でも言って、と言っていたし、多少無理が利くかもしれない。


 今日の行動予定を忙しなく頭の中で確認しながら、俺は一礼して局長室を後にした。

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