第21日-2 ラキ局長の思惑 ★
グラハムさんをバイクの後ろに乗せて、セントラルにあるO監まで急いで戻る。俺の腰に回されたグラハムさんの腕の力は頼りなく、体調がまだ全然よくなっていないことが窺える。
南の正面玄関が開いている時間帯ではないので、北側の時間外出入口へ。
扉に付けられた黒く四角い金属部分に身分証を翳すと、ピッと小さく音が鳴ると同時にロックが外れた。取っ手を引いて扉を開け、グラハムさんを中へと促す。
総務部が働いている時間帯ではないので、一階は静まり返っていた。照明もオレンジの非常灯のみで薄暗い。
正面ロビーに出て中央エレベータ―で五階へ。
エレベーターに乗り込んだところで、隣に立つグラハムさんを見た。まだ顔は青白く、エレベーターの壁にぐったりともたれかかっている。
できれば局長に報告する前に少し休ませたかったが、エレベーターを降りたところで既にミツルが待ち構えていた。どうやらそういう訳にはいかないらしい。
「お疲れ様です」
「ミツル、これ」
ボディバックから写真のデータが入ったメモリーカードを取り出し、ミツルに差し出す。ミツルは両手でそれを受け取ると、
「局長がお待ちです」
とだけ言い、足早に控室へと消えていった。
早く入って報告しろ、ということらしい。ノックをし、返事と同時ぐらいにノブを回す。
「ずいぶんとボロボロだな、二人共」
扉が閉まりきる前に、ラキ局長の待ちかねたような声が飛んできた。
見ると、椅子から立ち上がり両腕を前で組んでこちらを睨みつけている。ほぼ仁王立ち状態だ。
とはいえ、グラハムさんの調子が良くないことは見て取れたのか、局長机の前のソファーを勧めてくれた。決まりという訳ではないが、いつもは立ったまま報告するのでこんなことは初めてだ。
「何があった」
俺とグラハムさんが腰かけるのを待ったかのように、鋭い声が飛んでくる。
「あの黒スーツの男が――アルフレッドさんを襲ったあの男がいました。僕たちは彼と戦って……負けて、逃げてきたんです」
俺の言葉に、ラキ局長の右の眉がぴくりと上がる。
そう、負けた――今まで任務で、こんな失敗をしたことはない。
「何者なんだ、その男は」
「っ……」
「オーラス光学研の所長スーザン・バルマの護衛みたいです」
言葉に詰まる俺の代わりに、グラハムさんが返事をする。
そうだ、スーザン・バルマ。それもあったか。ミツルの方ではどういう情報が集まっているんだろう?
「光学研所長だと?」
「わざわざ夜中にサルブレアでオーパーツ絡みの研究をしていました。カミロとも繋がりがあるらしく、どうやら本当にオーラス精密が関わっているようです」
「……待て。はじめから話せ」
本調子でないグラハムさんのグチャッとした説明に、ラキ局長が片手で制した。
俺の方から、今日の潜入捜査の大筋の流れを説明する。
工場区画は全く使われていないこと。地下は資料室のようだったが長く使われておらず、その場所でアロン・デルージョの手記を見つけたこと。
「アロン・デルージョの手記?」
「これです」
ボディバックから汚れた茶色い革表紙の手帳を取り出して見せる。
「このように表紙もボロボロで長い間手つかずのようでしたし、研究データ等とも無縁のようだったのでこちらはそのまま持ってきました」
「なぜ、アロン・デルージョだと?」
「アルフレッドさんの部屋で彼の筆跡を見ていたんです、一度」
「なるほど。……話を続けろ」
「はい」
その後は研究棟二階で違法オーパーツと〈クリスタレス〉、三階の三〇五でアスタ達の検査結果を見つけたことを説明した。
グラハムさんが驚いたように目を見開く。
「そんなものがあったのか!?」
「はい。ですからオーラス精密とサルブレア製鋼は、完全に繋がっていますね」
そのときちょうど、左手奥の局長控室に繋がる扉からミツルが現れた。先ほど渡しておいた写真データをプリントアウトして持ってきてくれたのだ。
まずはラキ局長の手に渡る。一通りザーッと眺めたラキ局長は次にグラハムさんに手渡した。それを受け取ったグラハムさんは慌ただしくめくり、健診結果を食い入るように見ている。少しだけ、瞳に力が戻った気がする。
イーネスさん達のところに匿われている少年少女は、オーラス精密の社員であるゴンサロ・カミロからアルバイトを持ち掛けられた、という話だった。
カミロが独自で動いている? いや、それはあり得ないだろう。マーティアスがスーザン・バルマという別の人間になっているくらいだ。これは間違いなく、組織的な犯行。
オーラス精密だけじゃない、ひょっとしたらオーラス財団全部が関わっているに違いない。
俺たちの報告を聞いたラキ局長も、ほぼ同じ見解を述べていた。
逃げ帰る羽目にはなったが、『何らかの確証を得る』という目的は達成できたことになる。
だが、ここからどういう手を打つかは難しい。俺達がサルブレア製鋼に潜入したことは向こうにバレてしまっているのだから。
そのせいか、ラキ局長の眉間の皺は消えないままだ。
「精密までの繋がりが判っても、その背後――財団までの繋がりを証明するには、まだ根拠が足りないな。しかも、財団が精密をスケープゴートとして切り離す可能性もある。奴らの動向を注視しながら事を進めていく必要があるか……」
「でも、今回の件でO監が介入しようとしていることはバレちまってますよ。あちらさんもこっちを警戒してくるんじゃないですかね」
「だろうな。となると、まずは精密を押さえるほうが先か……」
――マーティアスが、スーザン・バルマならば。
死んだと思わせて研究を続けていた彼女ならば、何があっても研究を止めることはしないだろう。
そうだ、マーティアスのことをまだ報告していなかった。
ちゃんと報告を、と口を開きかけたところで、ラキ局長が「うむ」と一つ頷いた。
「確実なのは、バルマがいた光学研か。証拠を隠滅される前に乗り込め」
「……まさかこれから?」
「無論だ」
顔色が悪いままのグラハムさんが口をへの字に曲げる。
それはそうだ。夜中に格闘して気絶して、休めたのはたった二時間。今も全く調子が戻っていないのだから。
「そう嫌な顔をしなくても、どれほど急いでも令状の手配にはある程度時間が掛かる。その間に仮眠くらいは取らせてやるさ」
「……お気遣い痛み入ります」
ブスッとした顔でそう答えると、グラハムさんはガシガシと乱暴に頭を掻いた。
「しっかし、財団の方も攻めるとなると、間違いなくあのご老体を相手取ることになりますよ? 大丈夫なんですかね、そんなことして」
ご老体、それは勿論シャル島の王様、オーラス財団トップのアルベリク・オーラスのことだ。
「古狸にご退場願いたい輩はたくさんいるものだよ。彼らとて一枚岩ではないのだから」
「……」
「大丈夫だ。網は既に張ってある。あの老獪な男とて、そうやすやすと逃れられはしないよ」
この機会を前から狙っていた、とでもいうようにラキ局長が口の端を上げる。
その口ぶりに違和感を覚えたらしいグラハムさんが、訝し気に目を細めた。
「もしかして、あんた……財団の誰かと、繋がりがあるんですか」
「コネクションは幅広く取っておくものさ」
ラキ局長がフッと鼻で笑う。
「この立場になると、政治とは無縁ではいられないのだよ」
「でしょうけど。……でも、どこまで……いや、どこから……」
「正直に言えば、期待はしていた。だが、初めから分かっていてけしかけたわけではないよ。であれば、最初から特捜に任せている」
そう言って俺とミツルを指すラキ局長を、グラハムさんはこれ以上ないぐらい胡散臭そうな顔で見つめていた。
確かに、ずっと表の捜査官として働いていたグラハムさんにとっては意外だろうが。
ずっとこき使われていた身としては、何となく予感はしていた。
「十五年近くオーパーツに関わってきたO研、O監が知らないオーパーツが出てきたんだ。シャルトルトを知り尽くしていると言っていいオーラスが関与している可能性も大いにあると思っていたよ」
「オーラス財団がオーパーツに関心を持っていると分かっていたんですか?」
「局長就任時、会長さんからじきじきに過ぎたお祝いをいただいたものでね、推測はしていた。前任は仲良くしていたようだしね。……もっとも、突っぱねてやったが」
今から六年前。オーパーツ犯罪を取り締まるはずのO監において、職務怠慢――というより、意図的な不正の見逃しがいくつも見つかったという。
新しく局長になったラキ局長は内部改革を行い、O監やO研の管理体制を一新。そしてその後、内部調査を含めた秘密裏の仕事を請け負う部署、『特捜』が作られた、と聞いていたが。
ラキ局長は、そのときからオーラスに目をつけていたのかもしれない。六年前はオーラスに繋がる証拠は何も見つからず、王様は今もこのシャル島に君臨し続けている。
だから慎重に人を選び、時期を待ち、オーラスに対抗できるだけのコネクションを作り上げた、ということなのだろう。
まぁ、ラキ局長がそこまで用意周到に準備していたことに、そう驚きはしない。
だけど、これではまるで……。
ふと心配になり隣のグラハムさんを見ると、案の定、ひどく不愉快そうに眉を顰めていた。
それはそうだ。グラハムさんが必死にカミロを調べる前から、すでにオーラスへと繋げる算段を整えていたのだから。
俺が初めてピートに会った、あの違法発掘現場。あれもオーラスがらみではないかと睨んでいた、というラキ局長の言葉に、すべてが腑に落ちた。
最初にワットたちに遭遇した、あの違法オーパーツの現場に踏み込んだのは他ならぬグラハムさんで、それは俺が出くわした落盤事故から三日後のことだ。
その命令はO監監理部捜査課――つまりはそのトップ、局長から出たものなのだから。
「それで、君たちをこちらに引き入れることにしたというわけだ。警察と繋がりのある君と、他の研究者や技術者よりも違法品に詳しい双子たち」
『双子』というワードに、グラハムさんが鋭く反応する。
ひょっとすると、俺にグラハムさんとイーネスさん達に説明しに行け、といったのも、時間がどうこうよりグラハムさんが首を突っ込まざるを得ない状況に持ち込みたかったのかもしれない。
だとすると、俺はまんまとラキ局長の企みの片棒を担がされたことになる。
「警察出身は他にもいますよ」
「だが、君は都合が良い。あの双子がいればな」
グラハムさんの顔つきが、明らかに変わった。瞳が見開かれ、青白かった顔があっという間に赤く染まる。
「……あんたっ!」
「勘違いするな。本当に欲しいのは双子のほうだ」
「……っ」
ラキ局長が『欲しい』という双子――アーシュラさんとキアーラさん。技術課の天才姉妹。
まだ二十三歳の二人だが、オーパーツを扱い続けて十年以上のベテランだ。
しかも違法オーパーツに詳しく、その知識と技術は他の追随を許さない。
なぜなら彼女達は、オーパーツを違法に所持していた父親のもとでずっと違法オーパーツの整備・修理・改造を手伝わされていたから。
彼女達は、なりたくてオーパーツ技術者になったのではない。
そうしなければ生きていけなかった、悲しき天才姉妹なのだ。




